第30話「境界線のその先」
インターホンを押す。
数秒。
返事はない。
今日は授業後にラーナの家に行く約束をしていた。
(……いない?)
もう一度押そうとして。
――カチャ。
ドアが開く。
「……レオ」
ラーナ。
少しだけ、ぼんやりした目。
(……まさか)
中に入る。
匂い。
アルコール。
「……何してんの」
「……別に」
テーブル。
缶。
明らかに、飲んでる。
「なんで一人で飲んでるの」
一拍。
ラーナが、少しだけ考える。
「……この前の」
「飲み会」
ぽつり。
「……楽しかったから」
一瞬。
レオの思考が止まる。
(……は?)
(そっち?)
頭の中で。
別の光景が浮かぶ。
あのときの。
距離。
空気。
他のやつら。
(……楽しかったんだ)
胸の奥が、少しだけ重くなる。
「……そんなに?」
低く。
「……楽しかったの?」
ラーナが、少しだけ頷く。
「……うん」
迷いなく。
(……は)
(俺がどんな思いで——)
「……レオ近かった」
一瞬。
全部、止まる。
「……は?」
「……あのとき」
少しだけ、視線が揺れる。
「……近かった」
ぽつり。
(……っ)
理解する。
全部。
(……そういうことか)
さっきの言葉の意味。
一気に、繋がる。
思考が、切り替わる。
でも。
今度は別の意味で、危ない。
「……ラーナ」
声が、少し低くなる。
「なに」
距離が、近い。
さっきより。
明らかに。
「……酔ってるだろ」
「酔ってない」
「嘘」
「嘘じゃない」
同じやり取り。
でも。
空気が、前より濃い。
ラーナが、少しだけ近づく。
「……この前の」
一拍。
「……続き、しないの?」
静かに落ちる。
一瞬。
完全に、固まる。
(……は?)
(それ言う?)
あの日の光景が、フラッシュバックする。
距離。
表情。
反応。
(……無理だろ)
「……しません」
即答。
強めに。
ラーナが、少しだけ首を傾ける。
「なんで」
「なんでも」
「……なんでもってなに」
さらに一歩。
距離が、詰まる。
「……やめろって」
「なんで」
同じ言葉。
でも。
意味が違う。
ラーナの手が、レオの服を掴む。
無意識に。
「……レオが」
「……したいって言ってた」
(……言ってねえ)
(いや言ったけど)
(状況が違う)
「……とにかく」
「今はしない」
ラーナが、少しだけ不満そうに目を細める。
「……なんで」
「酔ってるから」
「酔ってない」
「酔ってる」
即。
ラーナが、少しだけ黙る。
でも。
次の瞬間。
少しだけ近づく。
わざとみたいに。
「……じゃあ」
「酔ってなかったらいいの?」
一瞬。
レオの呼吸が止まる。
(……こいつ)
完全に、分かってない。
でも。
だからこそ、タチが悪い。
「……今はダメ」
絞り出す。
ラーナが、少しだけ考えて。
「……ふーん」
納得してない顔。
でも。
それ以上は言わない。
⸻
そのまま。
時間が過ぎる。
ラーナは、ふにゃっとしたまま。
でも、完全には崩れない。
レオは、距離を保つ。
ギリギリで。
⸻
「……帰る」
レオが立ち上がる。
その瞬間。
裾を掴まれる。
「やだ」
(……はあ)
「……ダメ」
「なんで」
「なんでも」
「……帰らないで」
少しだけ、弱い声。
一瞬。
止まる。
(……無理)
「……分かった」
諦める。
「泊まるだけ」
「……うん」
⸻
夜。
ラーナは、ベッドに倒れ込むみたいに横になる。
「……ねむい」
小さく呟いて、
暑い、みたいに。
眠そうなまま。
深く考えもせず。
服をおもむろに一枚脱ぐ。
キャミソールに、ショートパンツ。
そのまま目を閉じる。
無防備すぎる。
(……は?)
一瞬で思考が止まる。
「……いや無理だろ」
思わず小さく呟く。
距離を取る。
とりあえず、少し離れた場所に座る。
でも。
視界に、入る。
細い肩。
無防備に落ちた腕。
呼吸に合わせて、わずかに動く胸元。
(……やめろ)
視線を逸らす。
でも。
意識が、そっちに引っ張られる。
「……ほんと無理」
小さく息を吐く。
ソファに移動する。
背もたれに体を預ける。
目を閉じる。
――無理。
さっきの光景が、残る。
消えない。
(……寝れるわけないだろ)
天井を見上げる。
時間だけが過ぎる。
時計の針の音が、やけに大きい。
何度か目を閉じる。
でも。
すぐに開く。
思考が、勝手に戻る。
(……あれで)
(手出さないの、正解か?)
いや。
出したら終わる。
分かってる。
でも。
(……ほんとに無理)
顔を覆う。
深く息を吐く。
そのまま。
一睡もできないまま、朝を迎える。
⸻
「……おはよ」
ラーナが言う。
レオは、すでに起きてる。
というか——
寝てない。
「……おはよ」
少しだけ、声が低い。
「……寝てないの?」
ラーナが、少しだけ首を傾ける。
一瞬。
間。
「……誰のせいだと思ってんの」
低く。
ぼそっと。
「……は?」
本気で分かってない顔。
レオが、ふっと笑う。
(……だろうな)
でも。
今回は流さない。
「……昨日のこと」
一歩、近づく。
「どこまで覚えてる?」
逃がさない声。
ラーナが、少しだけ考える。
「……途中まで」
「具体的に」
「……飲んでたとこ」
「そのあと」
「……曖昧」
いつも通り。
でも。
今回は、それで終わらせない。
「……ふーん」
小さく笑う。
そのまま。
距離を詰める。
「……じゃあさ」
「覚えてないってことでいいんだよな?」
ラーナが、少しだけ眉を寄せる。
「……いいけど」
「じゃあ」
さらに一歩。
距離、近い。
「俺が何されたかも、覚えてない?」
一瞬。
空気が変わる。
「……なにそれ」
警戒が、少しだけ混じる。
レオが、少しだけ笑う。
「結構ひどかったけど」
「……は?」
「めちゃくちゃ煽られた」
「“続きしないの?”って」
ラーナの動きが止まる。
「……それ」
「言ってない」
即答。
でも、少しだけ弱い。
「言ってた」
被せる。
「何回も」
「……嘘」
「嘘じゃない」
距離、さらに近い。
逃げ場、ない。
「……しかも」
少しだけ声を落とす。
「帰らないでって言ってた」
一瞬。
ラーナの耳が、赤くなる。
「……それは」
「覚えてない?」
逃がさない。
ラーナが、少しだけ黙る。
断片が、浮かぶ。
でも、はっきりしない。
「……ちょっとだけ」
「で?」
間髪入れず。
「それで終わりじゃないけど」
低く。
さらに詰める。
ラーナの呼吸が、わずかに乱れる。
「……何」
「知りたい?」
一拍。
ラーナが、少しだけ睨む。
「……言えばいい」
強がり。
でも。
逃げない。
レオが、ふっと笑う。
「……じゃあ言うけど」
一歩。
完全に、逃げ場塞ぐ。
「その状態で」
「その格好で寝た」
ラーナの思考が止まる。
「……は?」
「キャミとショーパン」
「……」
「無防備すぎ」
淡々と。
でも。
全部事実。
ラーナの耳が、一気に赤くなる。
今の自分の格好に気づいて布団を被る。
「……知らない」
「だろうな」
即。
「で」
さらに追撃。
「その横で一晩過ごしたんだけど」
一瞬。
ラーナの目が、わずかに見開く。
「寝れると思う?」
静かに。
でも、圧がある。
ラーナが、言葉に詰まる。
「……それは」
「無理だろ」
即。
少しだけ笑う。
「だから寝てない」
「で」
視線を外さない。
「責任、どう取るの」
少しだけ笑ってる。
でも。
半分くらい、本気。
ラーナが、完全に黙る。
数秒。
視線が、揺れる。
でも。
逃げない。
「……別に」
小さく。
「……取らない」
レオが、少しだけ目を細める。
「……ほんとに?」
「……うん」
強がり。
でも。
どこか揺れてる。
レオが、少しだけ笑う。
「……じゃあいい」
一歩、引く。
あっさり。
そのまま離れる。
ラーナの思考が、一瞬止まる。
(……は?)
「……何それ」
思わず出る。
レオは、振り返らない。
「何が」
「……それで終わり?」
一瞬。
間。
レオが、少しだけ振り返る。
「終わりでいいなら」
軽く言う。
でも。
目は、試してる。
ラーナが、少しだけ黙る。
数秒。
心臓が、うるさい。
でも。
目は、逸らさない。
「……いいよ」
ぽつり。
レオの動きが止まる。
「……は?」
「だから」
視線を逸らさずに。
「……いいって」
今度は、はっきり。
(……ズルすぎだろ)
完全に、逆転する。
一歩。
レオが戻る。
さっきより、近い。
「……後悔すんなよ」
低く。
「しない」
即答。
目、逸らさない。




