第22話「限界」
昼下がり。
校舎の外。
ベンチ。
ラーナは、一人でノートを広げていた。
ペンを走らせる。
静かな時間。
――のはずだった。
「ここ、いい?」
不意に、声。
顔を上げる。
見慣れない男子。
「……どうぞ」
短く返す。
「この前の実習、一緒だったよね」
軽く笑う。
「判断、すごかった」
ラーナの手が止まる。
「……そうですか」
淡々と。
「うん。ああいうの、普通できないからさ」
少しだけ、距離が縮まる。
でも、不自然ではない。
「ありがとう」
ラーナは素直に返す。
短い会話。
でも、空気は穏やか。
「今度さ、また一緒の実習あったら——」
男子が、スマホを見て言う。
「ごめん、そろそろ行くわ」
「……はい」
軽く手を上げて、去っていく。
足音が遠ざかる。
静けさが戻る。
ラーナは、何も気にせず。
再びノートに視線を落とす。
――そのとき。
「……楽しそうだったじゃん」
低い声。
顔を上げる。
レオが、立っている。
いつの間にか。
すぐ近くに。
「……何が」
ラーナは、普通に返す。
レオは答えず。
そのまま隣に座る。
距離が、近い。
昨日と同じ。
「さっきのやつ」
「普通に話すんだ」
一拍。
「……普通に話すでしょ」
ラーナは視線を戻す。
でも。
ほんの少しだけ、ペンが止まる。
レオが、横を見る。
「へえ」
「俺にはあんな感じじゃないのに」
ラーナの手が、止まる。
「……何それ」
低く返す。
レオが、少しだけ身を寄せる。
距離が、さらに近くなる。
「別に」
「ただ」
一拍。
「距離、近いなって思っただけ」
ラーナの視線が、わずかに揺れる。
「……そっちこそ」
返す。
「いつも、誰にでもそうでしょ」
一瞬の沈黙。
レオの表情が、わずかに変わる。
「……そんなことないだろ」
ぽつりと落ちる。
「……」
レオが、まっすぐ見る。
一拍。
「――嫌、だった」
はっきりと。
ごまかさずに。
ラーナの呼吸が、止まる。
「……意味わかんない」
遅れて出る声。
レオが、少しだけ笑う。
「嘘だ」
でも。
視線は外さない。
ラーナの手の横に、手を置く。
触れない距離。
「……」
低く。
「これも」
「意味わかんない?」
ラーナの指が、わずかに動く。
でも。
離れない。
レオの目が、細くなる。
(……やっぱり)
確信に変わる。
「……無理」
ラーナがぽつりとつぶやく。
小さく。
でも、はっきり。
「もう、普通にできない」
ラーナの呼吸が、止まる。
意味は、分かる。
分かってしまう。
「……それで?」
やっと出た声。
少しだけ、掠れている。
レオの表情が、変わる。
さっきまでの軽さが消える。
「それもさぁ」
低い声。
「どういう意味か、分かってるでしょ」
一歩、近づく。
距離が、一気に詰まる。
逃げ場が、なくなる。
ラーナは、視線を逸らす。
無意識に。
「……見ろよ」
逸らさせない声。
短く。
返事はない。
さらに、視線を外そうとする。
その瞬間。
手首を掴まれる。
「――っ」
強く引かれる。
体ごと、引き寄せられる。
距離が、ゼロになる。
無理やり、視線が合う。
「逃げんなよ」
低く、押し出すような声。
ラーナの心臓が、大きく鳴る。
「……逃げてない」
即答。
でも。
少しだけ、息が乱れる。
レオの指に、力がこもる。
「じゃあ、なんで目逸らす」
一拍。
ラーナは、言葉に詰まる。
でも。
逸らさない。
今度は。
ちゃんと、見る。
「……逸らしてない」
低く。
はっきりと。
一瞬。
レオの動きが止まる。
(……何それ)
予想外。
でも。
視線は外せない。
近すぎる距離。
息がかかるくらい。
ラーナの指が、わずかに震える。
でも、逃げない。
レオの口元が、少しだけ歪む。
「……じゃあ」
一拍。
「ちゃんと分かれよ」
低く、落とす。
それ以上は言わない。
でも。
十分すぎるほど、伝わる。
ラーナの心臓が、うるさい。
距離は、そのまま。
離れない。
離せない。
どっちも。
ラーナの呼吸が、浅くなる。
視線は逸らさない。
でも。
近すぎる。
レオの指に、わずかに力が入る。
(……なんだよ、それ)
逃げない。
目も逸らさない。
(……その顔、反則だろ)
思った瞬間。
思考より先に。
体が動く。
「――っ」
引き寄せる。
止める前に。
そのまま。
一瞬だけ。
触れる。
唇が、重なる。
ほんの、一瞬。
触れた、だけ。
すぐに離れる。
空気が、止まる。
ラーナの目が、大きく開く。
レオも、動かない。
(……は?)
自分で、自分のしたことを理解する。
遅れて。
手を離す。
「……悪い」
何に対してか、自分でも分かってないまま。
低く。
でも。
どこか、らしくない。
ラーナは、何も言えない。
心臓の音だけが、うるさい。
触れた感覚が、残っている。
消えない。
消せない。
視線が、揺れる。
でも。
今度は、逸らす。
初めて。
レオから、逃げるみたいに。
そのまま、立ち上がる。
「……帰る」
それだけ。
振り返らない。
足早に、離れていく。
レオは、動けない。
ただ、立ち尽くす。
さっきの場所に。
手だけが、少し震えている。
(……何やってんだよ)
遅すぎる後悔が、押し寄せる。
でも。
もう、戻らない。
やっちまったなぁ




