第18話「交差点」
実習、最終日。
朝の空気は、いつもと同じだった。
ラーナは、迷いなく動く。
指示を受ける前に、準備は整っている。
判断も速い。
「助かる」
担当医が、短く言う。
ラーナは、頷くだけ。
その視線は、一度も隣を向かない。
レオは、それを見ている。
(……徹底してるな)
笑う気にもならない。
でも。
(逃げるなよ)
視線を外したまま。
それだけが、残る。
⸻
午前。
小さな異変。
患者のバイタルに、わずかな揺れ。
大きな問題ではない。
だが、見逃すべきでもない。
「どう見る?」
医師が、確認する。
一瞬の間。
ラーナが口を開く。
レオも、同時に息を吸う。
「軽度の循環変動です。
現時点では経過観察で問題ないかと」
「補液、少しだけ増やしてもいいと思います」
ほぼ同時に。
即答。
迷いがない。
「早めに安定させた方が、後が楽です」
レオが捕捉する。
一瞬、空気が止まる。
ラーナが、横を見る。
初めて。
レオを、真正面から。
数秒。
視線が、ぶつかる。
医師が、二人を見て。
「……両方ありだな」
短く言う。
「増やす。経過も見る」
判断が下る。
⸻
その後は、速かった。
言葉は、いらない。
ラーナが準備する。
レオが補足する。
タイミングが、合う。
無駄がない。
自然に。
噛み合う。
考える前に、動いている。
(……何これ)
ラーナの中で、何かがずれる。
(やりやすい)
認めたくないのに。
はっきりと分かる。
隣の存在が、邪魔じゃない。
むしろ。
(……足りる)
(一人より、正確に)
その感覚が、残る。
⸻
処置は、問題なく終わった。
「いい連携だったな」
医師が、軽く言う。
ラーナは、何も返さない。
でも。
その一言が、消えない。
⸻
午後。
実習は、終了した。
解散の空気。
各自、帰り支度。
ラーナは、一人で歩く。
足は、自然と速くなる。
(……終わり)
(もう関係ない)
そう思ったとき。
「ラーナ」
呼ばれる。
止まる。
振り返らない。
「待って」
足音が近づく。
腕を、掴まれる。
逃がさない強さで。
「離して」
低く。
レオは離さない。
「話ある」
そのまま。
非常階段へ。
ドアが閉まる。
静寂。
「……何」
ラーナが言う。
レオを見る。
距離は近い。
逃げ場はない。
「なんで避けてんの」
直球。
ラーナの眉が、わずかに動く。
「避けてない」
「嘘」
即答。
一歩、詰める。
「昨日も今日も」
「ずっと逃げてる」
ラーナの呼吸が、わずかに乱れる。
「……違う」
「何が」
被せる。
距離が、さらに近い。
「邪魔なんだろ」
挑発。
その一言で。
ラーナの何かが、切れる。
「……そう」
一歩、踏み込む。
「邪魔」
目を逸らさない。
真正面から。
「ほんとに邪魔」
声が、強くなる。
「いちいち入ってきて」
「勝手に距離詰めて」
「全部、乱れる」
一気に出る。
止まらない。
止められない。
「ちゃんとやりたいのに」
「……できない」
最後だけ、少しだけ落ちる。
レオが、一瞬だけ黙る。
でも。
すぐに返す。
「それ、逃げてるだけだろ」
低く。
「は?」
「自分で崩れてるだけじゃん」
一歩も引かない。
「人のせいにすんなよ」
言った瞬間。
レオ自身も、少しだけ眉を寄せる。
(……言いすぎた)
ラーナの目が、見開かれる。
一瞬。
完全に、ぶつかる。
沈黙。
数秒。
先に、レオが息を吐く。
「……ごめん」
ラーナが、わずかに動く。
「声、荒げて」
一拍。
視線を、逸らさないまま。
少しだけ、言葉を探す。
「……お前が気になるから」
ラーナの呼吸が、止まる。
「ちょっかいかけてた」
まっすぐ。
ごまかさない。
「困らせたかったわけじゃない」
一拍。
「ただ、見てたかった」
静かな声。
でも。
軽さは、ない。
本気。
ラーナが、何も言えない。
初めて見る表情。
初めて聞く声。
レオじゃないみたいで。
(……何それ)
胸が、ざわつく。
「……私も」
小さく。
やっと出る。
「言いすぎた」
目は、逸らさない。
「邪魔じゃない」
はっきりと。
逃げずに。
「……ほんとは」
少しだけ、間。
「集中できないだけ」
静かに落ちる。
それが。
答えだった。
沈黙。
でも。
さっきまでとは違う。
ぶつかっていた空気が、ほどけている。
距離は、近いまま。
誰も、動かない。
「……じゃあ」
レオが、少しだけ笑う。
「これからも、邪魔じゃないってことでいい?」
ラーナが、わずかに眉を寄せる。
「……調子乗らないで」
でも。
さっきより、柔らかい。
レオが、少しだけ距離を詰める。
ほんのわずか。
触れそうで、触れない。
「逃げんなよ」
低く。
一拍。
ラーナは、数秒だけ考えて。
小さく、息を吐く。
「……逃げない」
それだけ。
でも。
十分だった。
ドアの向こうから、物音。
現実が戻る。
ラーナが、一歩下がる。
「……行く」
短く言う。
レオは、止めない。
ただ。
その背中を見て。
小さく笑う。
(……やっとか)
ラーナは、階段を下る。
足取りは、変わらない。
でも。
さっきまでと、同じじゃない。
(……最悪)
小さく思う。
でも。
その感情は。
もう。
嫌じゃなかった。
むしろ。
少しだけ、心地よかった。




