第16話「わずかな誤差」
実習、四日目。
朝。
ラーナは、いつも通りの時間に来ていた。
資料を確認する。
手順をなぞる。
問題ない。
(……大丈夫)
言い聞かせる。
短く、思う。
昨日のことは、もう切り替えた。
(影響ない)
そう、思っていた。
⸻
午前。
少しバタつく時間帯。
患者の状態が、微妙に変わる。
「バイタル再確認」
「はい」
ラーナが動く。
数値を確認。
変化は小さい。
でも。
(……どうする)
一瞬、止まる。
本来なら。
もう決めている場面。
なのに。
思考が、ほんのわずか遅れる。
(……いや)
判断を出そうとした瞬間。
「経過でいいと思います」
横から。
レオ。
一瞬。
ラーナの言葉が、行き場を失う。
(……分かってた)
(今の)
(私も同じ判断だった)
でも。
一歩、遅れた。
それだけ。
それだけなのに。
(……最悪)
胸の奥が、ざわつく。
ヘンリーが短く頷く。
「そのまま見ろ」
処置は進む。
問題はない。
でも。
ラーナの中だけが、引っかかる。
⸻
その後も。
わずかに、ズレる。
手が、ほんの一瞬だけ遅れる。
声を出すタイミングが、半拍ずれる。
ミスではない。
でも。
(……遅い)
(全部、遅い)
自分だけが分かるレベルで。
精度が落ちている。
⸻
昼。
廊下。
ラーナは、一人で立っていた。
(……なんで)
分かっている。
原因は、ひとつ。
(……あいつ)
思考に入ってくる。
昨日の距離。
言葉。
視線。
(邪魔)
(ほんとに)
小さく息を吐く。
「顔、怖いよ」
横から。
レオ。
ラーナは、見ない。
「……別に」
「いや怖いって」
軽く言う。
でも。
少しだけ、観察している目。
一歩、近づく。
「どうしたの」
分かってるのに、聞く声。
ラーナが、ゆっくり視線を上げる。
「……なんでもない」
短く。
でも。
明らかに、いつもと違う。
レオが、少しだけ黙る。
(……ああ)
(これ)
(俺のせいだ)
(やりすぎた)
理解する。
一拍。
レオが、少しだけ距離を取る。
珍しく。
自分から。
「……無理すんなよ」
それだけ言う。
ラーナが、一瞬だけ固まる。
(……は?)
予想外。
責めない。
煽らない。
ただ。
引いた。
それが。
一番、引っかかる。
「……別に」
もう一度言う。
でも。
さっきより、弱い。
レオは、それ以上何も言わない。
そのまま、離れる。
⸻
残されたラーナ。
数秒、動かない。
(……何それ)
胸の奥が、ざわつく。
(……なんで引くの)
さっきまで、あんなに詰めてきていたのに。
(……意味わかんない)
でも。
一番嫌なのは。
(……助かったって思ってる)
(それが一番、ムカつく)
その事実。
小さく、舌打ちする。
(……最悪)
⸻
午後。
ラーナは、明らかに修正してきていた。
速さが戻る。
判断も、正確。
迷いがない。
さっきまでのズレが、消える。
レオが、それを見ている。
(……戻した)
一拍。
(やっぱ強いな)
小さく笑う。
でも。
(……ちょっとだけ)
視線を落とす。
(さっきの顔、もう一回見たい)
そう思っている自分に気づいて。
少しだけ、息を吐く。
(……やば)
(これ、もう止まらない)
完全に。
入れ込んでいる。
ラーナの中にも。
自分の中にも。




