8. 雨の日の編入生
「ソレイユ・フラン」
一瞬、教室が静まり返った。続いて、ざわりと空気が揺れる。
腑に落ちないような、信じられないと言わんばかりのざわめきだった。
私はゆっくりと立ち上がり、教師の元へ向かった。答案を受け取り、席へ戻る途中でアネットとロレーヌの席のそばを通りかかる。
その時、かすかな声が耳に届いた。
「……どんな手を使ったのかしら」
悔しさを押し殺したような声だった。二人は平静を装っているものの、目元は怒りで強張っている。
私は静かに微笑んだ。
「先日は私のために、ご指導ありがとうございました」
二人の視線が鋭くなる。私は気づかないふりをして、さらに笑みを深めた。
「今後もぜひ、辺境育ちの私に色々とご教示くださいませ」
その瞬間、二人の顔がカッと真っ赤に染まった。口の端がぴくぴくと引きつっている。私はそれ以上何も言わず席へ戻った。
胸の奥に溜まっていたものが、ほんの少しだけ軽くなった気がする。
ロザリア様の方をちらりと見る。彼女は窓の外へ視線を向けていて、表情はよく分からなかった。
だが、口元がほんの少しだけゆるんでいるように見えた。
放課後。
帰りの馬車で二人きりになると、ロザリア様はぽつりと呟いた。
「驚いたわ。まさか、ここまで順位を上げてくるなんて」
「ロザリア様のおかげです! ありがとうございます!」
私は勢いよく頭を下げた。私一人の力では決して成し遂げられなかった。メイドたちの支えも、ミタリーの差し入れも、ロザリア様の参考書も、全てが助けになった。
そしてもう一つ、私の勉強を支えてくれた存在がある。
ダミロザだ。
例えば貴族法の婚姻規定は、ダミアンとロザリア様の未来に当てはめて覚えた。地理は、ダミロザの新婚旅行を妄想しながら頭に叩き込んだ。
ただの文字だとするすると抜け落ちていく知識も、ダミロザに変換した瞬間、驚くほど頭へ入ってくる。
(名付けて、推しカプ学習法!)
我ながら画期的な勉強法である。教育界に革命を起こしてしまうかもしれない。
特許の申請方法を真剣に考え始めたところで、ロザリア様が口を開いた。
「夜中まで頑張っていたものね。結果が出て当然だわ」
ロザリア様の言葉に胸が熱くなる。
推しが、私の努力を見てくれていた。認めてくれた。その事実だけで涙がこみ上げそうになる。
するとロザリア様はにやりと笑った。
「次も二位を取りなさい」
「一位ではなく?」
「一位は私よ」
当然のように言い切るロザリア様。
ロザリア様のすぐ下。これ以上、私にふさわしい順位があるだろうか。
「はい! 次も必ず二位を取ります!」
強く、美しい女王に私は誓った。
*
私がエルフェリア王立学園へ編入してから、二か月が経った。
雨の日が続き、肌にまとわりつくような湿度が校舎の中にまで入り込んでいる。
先月の試験で二位を取ってから、侍女の仕事も無事に復活した。勉強と仕事の両立は相変わらず大変だが、充実した毎日を過ごしていた。
そんなある日のことだった。
朝の教室に、教師がいつもより少し緊張した面持ちで入ってきた。教室のざわめきが自然と静まっていく。
「編入生を紹介する」
(編入生?)
そう思うと同時に、教室の扉が開く。入ってきたのは一人の青年だった。
その瞬間、教室全体が華やかなざわめきに包まれる。私も思わず声を上げそうになった。
月明かりを溶かしたような淡い銀灰色の髪。春の新緑のように澄んだ翡翠の瞳。彫刻のように整った顔立ちは、恐ろしいほど端正だった。
彼は教室全体をゆっくりと見渡す。そしてロザリア様の姿を見つけたところで、一度だけ視線を止めた。
にこりと、やわらかく笑う。
「ユリウス・グランセールです。エリアール国へ留学していましたが、このたび戻ってきました。よろしく」
簡潔な自己紹介だったが、教室の空気が大きく揺れたのが分かった。令嬢たちは彼の一挙手一投足を追い、教室のあちこちから密やかな囁きが生まれる。
一方で私は、まさかの存在に息を呑んでいた。
(ユリウスと一緒のクラスになるなんて……!)
ユリウス・グランセール──原作で、アランに次ぐ人気を誇ったキャラクターである。
アランの腹違いの弟であり、この国の第二王子。原作でも彼は留学先から学園へ編入してくるが、時期が大分早い。
確か彼が戻ってくるのは、フィローレが五年生になる直前だったはずだ。
(また、原作が大きく変わっている……)
私は遠目からそっと、ユリウスの横顔を見た。
彼は穏やかに微笑み、周囲の視線を受け流している。どこか底が見えない笑みに、嫌な予感が広がる。
雨雲の向こうで、遠雷が鳴っているような気がした。
お読みいただきありがとうございます!
『推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜』
第1巻の発売から5日が経ちました。
すでにお手に取ってくださった皆様、本当にありがとうございます!
感想やレビューもとても嬉しく拝見しています。
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引き続き、ロザリアとソレイユをよろしくお願いいたします!
次回は、8/16 20時ごろに更新します。




