1. ありし日の夢
気がつくと、私は喧騒の中に立っていた。
(こ、ここはどこ? ロザリア様は?)
混乱しながら辺りを見回す。
そこはロザリア様の豪華な部屋でも、学園の廊下でもない。高い天井の下に無数の人々が行き交い、あちこちから話し声や呼び込みの声が飛び交っている。
人の熱気が混ざり合ったその光景に、痛いほどの懐かしさが込み上げる。
(夏コミ会場……!!)
懐かしさのあまり、危うく声を上げそうになった。
サークル参加のために申し込み、当落発表まで祈り続ける日々。無事にスペースをもらえたら、社会の荒波に揉まれた身体に鞭を打ち、ダミロザの小説をひたすら書き続けた。
(まぁ私は鞭を打ちすぎて、死んじゃったんだけどね!)
乾いた笑いを浮かべていると、一枚のポスターが目に入った。
見た瞬間、胸の奥が強く締めつけられる。
それはフォロワーに有償依頼して描いてもらった、ダミロザのポスターだった。
ロザリア様がダミアンを見上げ、心から幸せそうに微笑んでいる。彼女を見下ろすダミアンも穏やかな表情を浮かべ、二人の間には幸福な空気が流れていた。
その下には、私のペンネームだった『サンフラ』の文字が記されている。
(あ、あれは……! 五回目の夏コミで描いてもらったポスター!!)
再び懐かしさが込み上げる。
ダミアンを教師にした学園パロディや、現代を舞台にした現パロ。思いつくままにさまざまな設定のダミロザを書き散らした末、一度原点に戻ろうと決めて作った渾身の一冊だった。
原作の世界で出会い、互いを知り、惹かれ合っていくダミアンとロザリア様の物語。ダミロザ推し五周年ということもあり、五万字ほどの小説にした。
さらに表紙には奮発して箔押しを施した。搬入された箱を開け、光を受けて輝く表紙を見たときは胸がいっぱいになった。
余裕で赤字だったが構わなかった。同人誌は出すこと自体に意味があるのである。
(懐かしいなぁ……)
ポスターを眺めながら、しみじみと思う。
ダミロザの布教は、残念ながらあまり成功しなかった。それでも、ちらほらと本を手に取ってくれる人はいた。『花キミ』の素晴らしさを語り合える仲間にも出会えた。
そして何より、私は世界で一番大好きな推しに出会えた。
あの五年間は、間違いなく私の宝物だった。
胸の奥が温かくなった時、視界の端に何かが落ちているのが見えた。
拾わなくてはと思うより先に、体が勝手に動く。私はその場にしゃがみ込み、落とし物を拾い上げた。
それは蝶の刺繍が施されたハンカチだった。
蝶の左の羽は緑色、右の羽は水色の糸で縫われている。
(そうだ。このハンカチを拾って、確かこのあと──)
記憶が蘇りかけたところで、背後から声をかけられた。
「あの!」
振り向くと、眼鏡をかけた女性が立っていた。
長い黒髪は染めておらず、ほとんど手を加えずに伸ばしているように見える。化粧っ気はないが、身につけている黒い服には大量のフリルがあしらわれていた。
人と話すことに慣れていないのか、何度も目を泳がせながら言う。
「それ、私のハンカチで……」
「あ、そうだったんですね。見つかってよかったです」
女性は大切なものを扱うように、両手でそれを受け取った。
その様子を見て、どうしても聞きたいことが抑えられなくなった。
「もしかして、その蝶……アランとフィローレのモチーフですか?」
「! わかるんですか!?」
女性の顔が、ぱあっと輝いた。
そして先ほどまでの遠慮が嘘のように、淀みなく二人への愛を語り始めた。
緑はアランの瞳、水色はフィローレの瞳。二人が一対になるよう、蝶の刺繍を依頼したのだと語った。
推しの色をいつも身につけていたいという気持ちは、よく分かる。
私もロザリア様の瞳に合わせて、赤いキーホルダーやハンカチを買い集めていたものだ。気づけば身の回りが赤色だらけになっていた。
ひとしきり『花キミ』について語り終えると、女性は興奮の冷めない顔で尋ねてきた。
「あの、どちらのサークルなんですか?」
「あ、私はあそこで」
そう言って、ダミロザのポスターを指差す。
その瞬間、女性の表情が一変した。
目の奥にあった光が凍りつき、燃えるような怒りへと変わっていく。頬が見る間に赤くなり、眼鏡の向こうから私を鋭く睨みつけてきた。
先ほどまで同じ好きを語り合っていた相手とは思えない。あまりの変化に、ぞわりと悪寒が走る。
「……?」
理由を尋ねることもできず、私は固まる。彼女は唇をぎゅっと結んだまま、大股で自分のスペースへ戻っていった。
彼女が向かったのは壁際で、アランとフィローレの大きなポスターが飾られていた。人通りの多い場所に大きなスペースを構えているところを見ると、かなりの大手サークルなのだろう。
彼女が戻った途端、複数の客が一斉に押し寄せていた。
(なぜあんな反応を……?)
首を傾げながらも、私は自分のスペースへ戻った。
「サンフラさん!」
ペンネームを呼ぶ声に、はっと我に返る。
隣のスペースには、古くから付き合いのあるフォロワーが立っていた。
「どうしたんですか? さっきから、ぼうっとして」
「実は……」
私は、先ほど起きたことを説明した。
話を聞き終えると、フォロワーは何かに思い当たったように顔を曇らせた。
「すみません。もしかしたらその人、私のポスターを見たかもしれないです」
言葉の意味が分からず、首を傾げる。彼女が今回出しているのは『ルジェ×フィローレ』の本だった。
ダミロザを扱っている人間は、基本的に私一人しかいない。そのため毎回私は別カップリングのサークルに挟まれて配置されていた。
フォロワーは例の女性のサークルを警戒するように見ながら、声を潜める。
「あの人、アラフィ固定厨過激派なんです」
「兵器名?」
反射的に突っ込んでしまった。
だが、単語ごとの意味は分かる。
『アラフィ』は、アランとフィローレのカップリング名。
『固定厨』とは、その組み合わせだけを強く愛し、他の人物と結ばれることを嫌う人。
さらに『過激派』までついているということは、思想がかなり強いのだろう。
つまりアランとフィローレが互い以外の誰かと結ばれることを、絶対に許さないということだ。
フォロワーは小声のまま続けた。
「界隈では結構有名ですよ。SNSでもアラフィ以外のカップリングは解釈違いだって、よく怒ってます。『アラフィが正史だ』『アラフィ以外を推すのは反逆者』って」
「それは、なかなか……」
原作でアランとフィローレが結ばれたのは事実だ。だからって、二次創作の中までその組み合わせに縛られる必要はないはずだ。
そもそも原作で一度も出会わないダミロザを、五年間も妄想し続けた人間がここにいるのだ。彼女から見れば、私は立派な反逆者だろう。
「アンチも多いですけど、考察も作品もすごく熱量があるから、ファンも多いんです」
「へぇ……」
「それで多分、彼女はサンフラさんのことを『ルジェ×フィローレ』推しだと勘違いして怒ったんだと思います」
フォロワーは自分のポスターをちらりと見上げ、肩を落とした。
「すみません。私のせいで」
「いやいや! 謝ることじゃないですよ!!」
思わず力を込めて否定すると、フォロワーは少し安心したように笑った。
自分の好きなものを好きなように推せばいい。
私は心からそう思っているが、自分の信じる物語以外をどうしても受け入れられない人もいるのだろう。
そんなことを思いながら、私は賑わう会場へと目を向けた。
*
「……夢」
自分の掠れた声で意識が浮上する。見えたのは、見慣れた木目調の天井だった。
ソレイユの部屋だ。
私はしばらく瞬きを繰り返したあと、ゆっくりと息を吐いた。
(まさか、前世で経験したことを夢に見るなんて……)
熱気ある夏コミ会場や、ダミロザのポスター。そして夢の中で向けられた視線を思い出し、胸の奥がざわりとする。
あれは純粋な怒りではなかった。もっと重く、暗く、心の底で煮詰められたような憎しみが混じっていた。
自分の大切な世界に異物が入り込んだ。そう訴えるような眼差し。
ただの昔の出来事のはずなのに、あの目はどこか既視感があった。
胸に残った薄気味悪さを振り払うように、私はベッドから起き上がり窓辺まで歩く。カーテンを開くと、遠くの空がかすかに白み始めていた。
侍女としての準備を始めるには、まだ少し早い。
夢の中に残る夏コミの熱気を思い返しながら、私は首元に下げていた小さな鍵を手に取った。その鍵を机の引き出しへ差し込み、ゆっくりと開ける。中から取り出したのは一冊のノートだった。
「ダミロザの小説でも書こうかな」
椅子に腰掛け、ペンを握る。
そして私は前世の熱量を追いかけるようにダミロザ小説を書き始めた。
お読みいただきありがとうございます。
本作の第1巻が、8/3に発売されます!
発売を記念して、本日から8月7日まで毎日一話ずつ更新します。
書籍の詳細は、下のリンクからご覧いただけます。
第四章とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです!




