2. ソレイユの実家へ
「ソレイユ、貴方も学園に通いなさい」
冬の厳しい寒さが少しずつ和らぎ始めた頃のことだった。
午後の日差しに照らされながら、ロザリア様は優雅に紅茶を口にしている。あまりにも唐突な言葉に、何度か瞬きを繰り返した。
「それは……私がエルフェリア王立学園へ通う、ということでしょうか」
「そうよ」
ロザリア様は当然のことのように答え、ティーカップをソーサーへ戻した。
なぜ急にそんな話が出たのだろう。戸惑いながら考えていると、一つの甘い期待が頭をよぎった。
(もしかして、私と一緒に学園へ通いたいとか……!?)
毎朝、同じ馬車で通い、同じ校舎で授業を受ける。昼休みには食堂で向かい合って食事をし、帰りの馬車では学園であった出来事を語り合う。考えるだけで素晴らしい生活だ。
もしかするとロザリア様も、そんな日々を私と過ごしたいと思ってくださったのではないか。そんな都合のよすぎる想像が胸の中で膨らみ、頬がゆるみかける。
しかし、次の一言であっさり打ち砕かれた。
「毎回、申請書を書くのが面倒なのよ」
「あ……そういう理由でしたか……」
私の中で膨らんだ期待は、音もなく萎んだ。
エルフェリア王立学園では、侍女やメイドの同行は基本的に認められていない。連れていく場合は、そのたびに生徒本人が申請書を提出する必要がある。
私は月に数度、ロザリア様に付き添って学園へ行っていた。毎回同じような書類を書くのは確かに面倒だろう。
理由はどうあれ、ロザリア様と一緒に学園へ通えるのはとても嬉しい。だが私には簡単に頷けない事情があった。
「ロザリア様のご提案は本当にありがたいのですが……学費を払うことができません」
申し訳なさを覚えながら告げる。
ソレイユには病弱な弟がいる。彼の治療費を稼ぐため、高給で知られるヴァレンティーノ家のメイドとして働き始めたのだ。学園へ通う余裕など、ソレイユの家にはないはずだ。
するとロザリア様は片方の口角を上げた。
「私を誰だと思っているの? 学費くらい私が負担するわ」
「えっ!?」
思わず大きな声が出た。
エルフェリア王立学園へ通うには、確か一年で金貨一千万枚は必要だ。下位貴族なら三年は暮らしていけるほどの額だ。
「あ、あの……ですが、そんな大金を出していただくわけには……」
慌てて遠慮しようとすると、ロザリア様は眉を寄せた。
「勘違いしないで。私の侍女として働くなら、教養も審美眼も磨いてもらわないと困るのよ。今後ロズ商会が大きくなれば、貴族や商人を相手にする機会も増えるでしょうし」
まるで自分のためだと言わんばかりの、ぶっきらぼうな言い方だった。だが言葉の奥に隠された優しさが分からないほど私は鈍くない。
私が学べば、将来できる仕事が増える。侍女としてだけでなく、一人の人間として生きていくための力にもなる。
ロザリア様は、それを私へ与えようとしてくれているのだ。
鼻の奥がつんと熱くなり、私は深く頭を下げる。
「はい! ロザリア様に恥じない侍女になれるよう、精いっぱい頑張ります!」
「そうしてちょうだい」
顔を上げると、ロザリア様は満足そうにふっと笑った。
それから机の引き出しを開き、一枚の書類を取り出して私へ差し出した。
「再来月から新学年が始まるわ。その時期に合わせて編入するのが一番いいでしょう」
受け取った書類に目を落とす。どうやら、学園へ提出する入学申請書らしい。
「推薦状と公爵家の身元保証があれば、筆記の編入試験は免除されるわ。面接はあるけど、貴方なら問題ないでしょう」
「もうそこまで準備してくださったんですか?」
「思いつきで提案したとでも思ったの?」
呆れたように言われ、私は慌てて首を横に振った。
ロザリア様は私に話す前から書類を用意してくれていたのだ。その事実に胸の奥がさらに温かくなる。
だが次の言葉を聞いた瞬間、胸がひやりとした。
「あとは、貴方の両親の署名が必要になるわ」
「……両親」
書類を持ったまま、体が固まった。
ソレイユの両親。
この世界へ転生して、もうすぐ二年になる。だが私は彼らと一度も会ったことがなかった。
ソレイユの記憶の中に姿は残っているが、両親と楽しく過ごした記憶は少なかった。実家へ帰省していた様子もほとんどない。
私の反応をどう受け取ったのか、ロザリア様は淡々と言った。
「休暇をあげるから、一度帰りなさい」
「は、はい」
私は戸惑いを隠しながら頷いた。
*
ソレイユの実家は、王都から馬車で丸一日ほどの場所にあった。
エルフェリア王国西部に位置し、深い森林に囲まれた静かな領地だ。主な産業は木材で、規模は小さいものの養蜂も行われているらしい。
馬車の窓の外を冬枯れの木々が流れていく。
私は流れていく景色を眺めながら、落ち着かない気持ちを抱えていた。
(ソレイユの両親って、どんな人なんだろう……)
ソレイユの見た目でも、中身は別人だ。
声は同じでも、話し方は違うかもしれない。何げない仕草や、好み、昔の思い出を尋ねられたら答えられないこともあるだろう。
ソレイユの記憶は残っているが、自分自身が経験した記憶ではないせいか曖昧な部分も多かった。
(絶対に、バレないようにしないと)
緊張で重くなる胸を押さえながら、私は馬車が目的地へ着くのを待った。
結論から言えば、その心配は”悪い意味で”杞憂に終わった。
「ヴェルは体が弱いのよ。あなたが姉として支えてあげないと」
「家計にも余裕がない。今後も仕送りは頼むぞ」
「……はい」
私は乾いた笑いを漏らし、ティーカップへ口をつけた。
父の黄色い瞳も、母の茶色い髪も、ソレイユとよく似ていた。外見だけを見れば疑いようもなく家族だった。
しかし二人の関心は、目の前にいる娘にはほとんど向けられなかった。
数年ぶりに帰ってきたというのに、王都でどのような暮らしをしているのかも、仕事で困っていないかも尋ねられない。
口から出るのは、弟のヴェルの話ばかりだった。
「ヴェルの薬が変わったの。以前より値段が高くてね」
「だが、効き目はいいようだ。今後も続けたいと思っている」
「そう……」
話題は全てヴェルに繋がっていく。
私はこれ以上聞いていられず、鞄から学園の書類を取り出した。
「手紙で伝えた学園の入学申請書なんだけど。ここに二人の署名が必要なの」
「ああ、これね」
母は書類を受け取り、ざっと目を通した。
「学費の心配がいらないのは助かるけれど……」
片手を頬に添え、困ったように首を傾げる。
「学園へ通うなら、侍女の仕事があまりできなくなるのでしょう? お給金は減らないのかしら」
その言葉を聞いた瞬間、胸の底に嫌悪感が広がった。
娘が学園へ通えることよりも、まず気になるのが給金なのか。
表情に出さないよう気をつけながら私は笑みを作った。
「大丈夫。ロザリア様が、これまでと同じ給金を保証してくださるって」
「あら、それならよかったわ」
「薬代に影響が出ないなら安心だな」
二人は心底ほっとしたように顔を見合わせ、そのまま書類へ署名した。
私は用紙を鞄へ戻し、逃げるように立ち上がった。
「じゃあ、ヴェルの顔を見てから帰るね」
「ええ、そうしなさい」
屋敷へ到着してからまだ一時間も経っていないが、引き止める言葉はなかった。
私は笑顔を貼りつけたまま両親のいる部屋を出る。
フラン家の屋敷は、ヴァレンティーノ家とは比べものにならないほど小さい。使用人も三人しかおらず、廊下には人の気配がなかった。
静かな廊下を歩きながら、先ほどの会話を思い返す。
(私としては、正体がばれずに済んで助かったけど……)
ソレイユは、転生前から給金のほとんどを実家へ送っていた。必要最低限の生活費だけを残し、残りはすべて弟の治療費へ回していた。
私が転生し、ロザリア様の専属侍女になってからは給金が増えた。それでもソレイユが続けてきたことを途切れさせる気にはなれず、増えた分を全て仕送りに回していた。
それなのに両親は、久しぶりに帰った娘を労うことも、感謝することもない。
(いくら何でも、愛情に差がありすぎる……)
やりきれない気持ちを抱えたまま歩いていると、ヴェルの部屋へ辿り着いた。
扉を軽く叩く。
「どうぞ」
中から、静かな声が返ってきた。
扉を開けると、ベッドの上に小柄な青年が座っていた。
麻の寝巻きに身を包み、長い時間を室内で過ごしてきたことが分かるほど肌が白い。顔立ちはソレイユとよく似ており、姉弟だと一目でわかった。
「久しぶり、姉さん」
ヴェルは柔らかく微笑んだ。
だがスッと目が細められ、私の顔をじっと観察し始めた。視線が目元から口元へ、そして私の仕草を確かめるように動いていく。
やがて彼の笑みが、ゆっくりと消えた。
「……いえ」
ヴェルは真顔になり、静かに尋ねる。
「貴方は──誰?」




