アリスの過去
公爵との会談を終え、一緒に夕食を食べたその夜。俺はあてがわれた部屋で本を読んでいた。
十畳ほどとこの部屋は広く、質のいい調度の数々が取り揃えられている。
この部屋は来客用という話だったが、男爵などの下級貴族であれば決して手の届かない金額がかけられているということは、一目瞭然だった。さすがは町を治める領主の屋敷だ、金のかけられ方が違う。
夜が深まってきて、そろそろ寝ようかと思っていると――ふと、扉が数回叩かれた。
すでに日が沈んでから結構な時間がたっている。こんな夜遅くに訪ねてくるということは、なにかがあったのだろうか?
「ソータ君、私だ。少し話がしたい、扉を開けてくれないか」
「あっ、はい。少々お待ちを」
扉の向こう側からは公爵の声が聞こえてきた。本をストレージに収納すると、俺は扉を開く。
すると、そこにはなぜか未開封の赤ワインのボトルと、二つのワイングラスを持った公爵が立っていた。護衛の姿や気配もなく、どうやら一人でここまで来たようである。
「あの……護衛は一緒じゃないんですか?」
「あぁ、ここは安全だからなにも心配はない。外にはたくさん見回りがいるからね」
そう言い、公爵は廊下にある窓の外を見た。
見れば、窓の外では懐中電灯のようなマジックアイテムを使い、見回りをしている者の姿をいくつも見ることができた。
「なるほど、確かにこれは安全ですね」
「だろう? まぁ、そのことはいい。先ほども言ったが、君と話がしたいんだ。少し付き合ってくれないか?」
公爵は持っていたワインボトルを俺に見せてくる。グラスを二つ持ってきているし、一緒に飲まないか誘っているのだろう。
「はい、是非とも」
「そうか、では続きは座ってゆっくりと話そうか」
俺たちは部屋の中へと入り、丸テーブルのそばに置いてあるイスへと腰を下ろした。
すると公爵は慣れた手つきで、ポケットから取り出したコルク抜きでワインのコルクを抜く。そして、二つのグラスにワインを注いだ。
「遠慮なく飲みたまえ、口に合うといいんだが」
「はい、では遠慮なく」
俺と公爵はワインを口にする。
ほどよい渋みのバランスが良く、とても飲みやすくおいしかった。『赤ワインといえばこれ』というような味わいだ。
「軽めのものを持ってきたつもりだが、口には合っていたか?」
「おいしくて、飲みやすかったですよ」
「そうか、ならよかった」
公爵は頬を緩ませ、もう一度ワインを口に運んだ。
「それで、話とは?」
「……あぁ、別に重要なこととかではなく、ただ君と話がしたかっただけだ」
俺が『なにか用事があったのではないか』と言外に尋ねると、公爵は思い出したようにそう答えた。
「娘たちと交えて話しはしたが、君と一対一で話がしたかったんだ。――ソータ君、君はアリスの過去について、どれだけ知っている?」
「……貴族としての生活に嫌気がさして家を出た、というところまでしか」
「そうか、ではもう少し深いところの話をするとしよう」
公爵はそう切り出し、アリスの過去について語りだした。
――曰く、かなりのおてんばで、自由奔放であったと。
よく領主館を抜け出しては、ハロルドを好き勝手ほっつき歩いていたそうだ。危ないからと注意しても言うことを聞かず、領主館を抜け出すことをやめなかったらしい。
幼少の頃も今同様魔法の才能は目を見張るものがあり、貴族たちにも一目置かれていたようである。そういった理由があり、よく政略結婚の話が持ち掛けられていたそうだ。
アリスは『絶対に政略結婚はしたくない』と言っていたようで、ことごとく断っていたらしい。ただ、それでも政略結婚の話が尽きることはなかったようだが。
一時期はかなり塞ぎ込んでいたようで、夜中に町へ行くこともあったという。
もちろん、夜中に少女が一人で歩いていれば危ない目に合うこともある。だが、まだ小さかったとはいえあのアリスだ、魔法でその辺にいる暴漢などはなんの苦も無く圧倒していたらしい。
「――その頃は特に荒れていてな、私も何度か《ブラストウォーター》で気絶させられたものだ」
「……いろいろと大変だったんですね」
公爵はいかにも楽しそうであったが、言っている内容はとんでもないものだ。
貴族――それも領主の娘が、父親を魔法で気絶させる。……公爵になにかあれば、大問題になってもおかしくはない……いや、確実になるだろう。
「まぁそれでも、アルバニアが来てからはいくぶんかましにはなった。私に魔法を向けてくることもなくなったし、面と向かって暴言をはかれることもなくなったからね。アルバニアには感謝しきれんな」
「アリスって、昔はそんなに活発だったんですね。もう少しおとなしかったものと思っていました」
「ふっ、そうだな。確かに今の様子を見ていればそう感じるかもしれない。私はずいぶんとひさしぶりに再会し、その変わりようには驚いたものだ。昔のことを知らなければ、ソータ君と同じようなことを思っていたのかもしれないな」
控えめにほほえみ、公爵はワインを口に運ぶ。
まだ全然飲んでいないはずなのだが、すでに公爵の顔は赤い。もしかすると、公爵は相当酒に弱いのかもしれない。
「おてんばで、じゃじゃ馬極まりない娘ではあるが、君が手綱を握ってくれると私は安心できるよ」
公爵は安堵した様子で、俺にそう言った。
―― ―― ―― ―― ――
会話に花が咲き、公爵と様々なことを話し合った。
公爵が持ってきてくれたワインは飲みきったので、現在は俺がストレージに保管していた赤ワインを飲んでいる。
公爵はワイン――それも赤ワインが好みらしく、いろいろとウンチクを聞かされた。
味や香りなどから始まり成分や製造地域、さらには飲み方や保管方法、専門用語などとコアなことまで語ってくれた。
あの様子を見るに、やはりワインのことが心底好きなのだろう。
「――あぁ、そういえば言っていないことがあった。これは二日後になるんだが、しばらく王都に行っていた私の妻と息子がこちらに帰ってくるようだ。いい機会だ、君にも顔を合わせるように言っておくよ」
公爵は思い出したようにそう切り出した。
これは以前聞いた話なのだが、アリスたちには弟がいるらしい。あまり詳しい話は聞いていないのだが、どうやらかなり頭がいいそうである。
「公爵の奥さんについてはある程度聞いたことがあるんですが、息子さんはどのような方なんですか?」
「『ノア・オルティス』、私の自慢の息子だ。ノアには私の後を継いでもらい、次期当主――ひいてはハロルドの領主になってもらう予定だ。そのために、今はいろいろと勉強をしている最中だ」
そう説明したうえで、公爵はノアについて熱く語りだす。酒が入っているからだろうか、一向に話が止まる気配はない。
ノアは体を動かすことがあまり得意ではないらしいのだが、物覚えが早く頭が切れるそうだ。人当たりもよく、大抵の人間とは打ち解けることができるそうである。
しかしただ優しいだけではなく、時には非情な判断を下すことができるなど、領主としての素質もあるらしい。
本人も領主になることへ乗り気であり、今は積極的に勉強へ励んでいるそうだ。
「――これは領主に限った話ではないが、政治家というのはただの批判家や夢想家であってはならない。批判家はただ否定することしかせず、夢想家はただ夢を語るだけだ。このような者が世にはびこればなにも発展せず、時間と資金を無駄に浪費するだけになる。そうなれば国家は腐敗し、どんどんと周りの国々に置いて行かれることになるだろう。だからこそ、我々は前に進み続けなければならない」
公爵は政治家というものについて、持論のようなことを語りだした。
本格的に酔っぱらっているようで話が前後したり、同じ話をしたりといったことが何度かあった。
「ノアには様々なことを学んでもらい、見聞を広めてもらいたい。是非とも、息子にもよろしく頼むよ」
「は、はい……わかりました」
一体なにを頼まれたのかはさっぱりわからなかったが、俺はいちおう返事をしておいた。
二時あたりまで公爵といろんなことを話し合った。しかし、これ以上は明日の仕事に差し支えるそうなので、まだ話したりなくはあったが雑談は切り上げ、公爵と別れるのだった。




