しじまに潜む陰(1)
沼地を抜けた先にあったのは、深い森だった。
木々についている暗色の葉が日光を遮り、空が曇っているというのもあるが、かなり薄暗い。それこそ、まるで夜ではないかと思えるほどだ。
そして生物の気配がまったくなく、不気味なことに虫の音すらも一切聞こえてこなかった。聞こえてくるのは、風が吹く音と俺たちの歩く音だけである。
「……本当にいい雰囲気ね、今にでもなにかが出そうだわ」
「そうだな、夏だったらいい感じに涼めそうだ」
「私はご遠慮願いたいですね……」
俺たちがこんな軽口をたたいているのは、怖気を紛らわすためというのもある。しかしそれよりも、この森に入って数時間ほどがたっているにもかかわらず、一切魔物を見ていなかったのだ。
普通の森ならば、虫の一匹くらいは見かけるだろう。だが、この森ではなぜか生物という生物を見つけることができなかった。
明らかにおかしい……おかしいのだが、だからといって危険なわけではない。どれだけ警戒していてもなにも起こらないのだ。気が抜けてしまっても仕方がないと思う。
「――もう少ししたら暗くなりそうだね、今日はここらで野営しようか」
しばらく歩いていると、氷室が立ち止まった。
いま俺たちがいる場所はそれなりに開けているので、ここなら野営をすることができるだろう。
「だな。じゃあ、さっそく夕食の準備を始めるか。今日はなんにする?」
前の調査では氷室が食べ物を管理していたのだが、今回は俺が管理することになっていた。
アイテムボックスよりもストレージの方が、傷みやすい食品でもより長い時間保存できるからな。そのため、今回の調査では普通の食事をすることができるようになっていた。
あと、これは最近知ったことなのだが――俺は物をストレージに収納している間は、一切時間が進んでいないと思っていたのだ。しかし、どうやら実際は完全に止まっているわけではなく、本当に少しずつだが時間は流れていたようである。
それこそ何百倍にも遅くなっているようだが、気を抜いていればどんなものでも劣化するのだ。
まぁ、生ものを数年入れたままとかにしなければいい話だ。そこまで大事には至らないだろう。
結局、この日の献立は野菜のスープとステーキと白パンになり、魔物の襲撃もなく無事に朝をむかえるのだった。
―― ―― ―― ―― ――
昼食を終え、俺たちは再び森の中を歩いていた。
すでに十二時をまわっているにもかかわらず、依然として空は曇ったままである。気温は少し変わっているのだが、体感的な明るさはほとんど変わっていないのだ。
もしかしたら、このあたりの地域はずっと曇ったままなのかもしれない。
どうやら震源が近いようで、時たまかすかに振動を感じることがあった。目的地はかなり近いようだ。
「……! いま、少し揺れたな」
「そうだね、震度は二くらいかな。もう少しだね」
そう言う氷室は真摯で、決意に満ちた顔をしていた。
目的地は近いので、もうすぐで元凶が判明するはずだ。そうすれば、自ずと解決の糸口が見えてくるはずである。
俺も気を引き締め直した。
「地震が起きる周期もせばまってきているし、元凶は近いな」
「うん、それが元凶に近づいているからなのか、活発化してきているからなのかはわからないけど、目的地はもうす――っ!?」
氷室は言葉を途中で止めると、背中から『クラウ・ソラス』を引き抜き、それをなんの前触れもなく振りぬく。すると、カキンッ! という金属が硬い物に衝突したかのような音が聞こえてきた。
俺たちは、そんな氷室の唐突な行動にぎょっとした。
「ちょっ……!? いきなりなんだ!?」
「武器を構えて、敵襲だよ」
氷室の視線の先を見ると、そこには黒塗りの投げナイフが地面に転がっていた。そこで、俺は初めて何者かによって奇襲を受けたのだと知る。
俺はストレージからバスタードソードを取り出した。アリスは魔法の杖を、アルバニアは弓を、氷室は『魔乱の魔剣』を引き抜き構える。
「姿を現せ!! いきなり攻撃してくるなんて、どういう要件だ!!」
氷室は叫んだが、なにも起こらなかった。あたりには不気味な静けさが漂うだけである。しかし、再び木陰から投げナイフが飛んできて、それを氷室がはじいた。
「――立ち去れ、ここより下賤な者が足を踏み入れていい場所ではない。即刻立ち去るのだ。さもなくば、無様に屍をさらす事となるだろう」
「つまり、この先になにか見られたくないものがあるわけか。悪いけど、おとなしく言うことを聞く気はないよ」
暗闇から男の声が聞こえてきたが、そいつのいる場所はよくわからなかった。しかも敵は一人なのか、それとも複数人なのかさえもわからない。
相手は相当な手練のようだ。ここまで完璧に隠密ができるのだ、並大抵の存在ではないだろう。
「そうか――ならば、そこで無様に死ぬがいい!」
男がそう言い終わるや否や、黒装束を纏った者たちが一斉に襲いかかってきた。俺たちは知らず知らずのうちに取り囲まれていたようで、黒装束たちは全方向から表れる。
その大部分は黒い布で覆われ、年齢や性別などは一切見当もつかない。ただ、その動きは熟達した暗殺者を思わせるほどに洗練されていた。
「マジックバリアー!!」
氷室は魔法の障壁を作り上げ、襲いかかってきた黒装束たちの攻撃を防いだ。
あちらこちらから硬質なものを叩きつける音が聞こえてくる。氷室の張った障壁はかなりの強度があり、黒装束たちの攻撃ではびくともしていなかった。
攻撃が全く効いていなかったからか、黒装束たちは俺たちからすばやく離れて、観察するように攻撃してこなくなる。しばし、黒装束たちとにらみ合いになった。
今なら少し余裕がありそうだ。一つ氷室に確認しておかなくてはならないことがある。
「氷室、こいつらは殺しても問題ないよな?」
「……え? いや、ダメだよ。聖王国には私刑を禁止する法律があるから――」
「それはわかってる。俺が聞きたかったのは、ここでこいつらを捕らえても扱いに困るだろ? なら、殺しても問題ないよな? ってことだ。お前はこいつらをどうする気だったんだ?」
氷室に殺人を嫌ってる節があるのは、とうに気がついている。だが、だからといってこいつらを捕らえたところで、扱いに困るのは目に見えているのだ。
俺たちのいるここは、一番近い町のメイソンから何日も歩かなければならないような場所である。ここから黒装束たちを連れて帰るなんて選択肢は、最初からないのだ。
「それは……ごめん、そこまで考えていなかった」
「そうか。なら、結局どうなんだ? 殺してもいいのか?」
「……うん、そうだね。これは仕方のないことだから許可するよ。……でも、僕はできない」
「あぁ、わかってる」
戦力として氷室があまり期待できなくなってしまったが、こればかりは仕方がない。誰しも苦手なことくらいはあるからな。




