こうばしいバターの香り
仄暗い深い森の中では、黒装束を纏った者たちが呼吸をするように赤く明滅する魔法陣を囲っていた。そのまた周りには白衣を纏った研究者のような者や、聖職者のような者までいる。
「――儀式の進捗状況はいかほどでしょうか?」
「現在は六割ほどです。少しだけなら儀式を早めることもできるかと思いますが、どういたしますか?」
「今のままで結構です、我らが『主』はそれを望んでいます。時間は潤沢あります、にもかかわらず儀式を疎かにするわけにはいきません」
聖職者のような男が、近くにいた研究者に話しかけた。その体の至る所にはキラキラと光り輝く宝飾品が取り付けられており、裕福なことが窺える。
「はっ! かしこまりました!」
「よろしい。全ては『主』のために、我々は全力を尽くすのです。それが『主』のために、我々のために……そして、この世界のためになるのですから。……嗚呼っ、素晴らしい! これほどの、これほどの喜びがほかにあるか! 我らに、我らが『主』に栄光あれっ!!」
大げさに手を空へと掲げ、聖職者のような男は声高らかに歌い上げる。
その男の『主』に対する信仰心は狂気的なまでで、ほかのことなどは毛ほども興味がないと言っても過言ではなかった。その男を一言で表すなら、『狂信者』という言葉が一番似合うだろう。
「……む?」
男は再び『主』をたたえる言葉を口にしようとしたのだが、唐突に地面から強い揺れを感じたためにその言葉を口に出すことはできなかった。そのために、男は機嫌を悪くした。
「何事だっ!?」
「少しお待ちを――これは……」
「どうした?」
怒鳴るように男は叫ぶ。
すぐさま研究者は観測機のようなものを確認したが、その瞬間研究者は動きを止める。そんな研究者の様子に、男は怒りを忘れて再度呼びかけた。
「封印の強度が著しく低下! おそらく、『守護者』が活動を停止したのかと!」
「ほうっ、それは素晴らしい! これで結界が容易に破りやすくなる! あの忌々しい守護者さえいなければ、『主』を封印から解放するのは目前のようなもの! 世界が我らを鼓舞しているのです! 早く大いなる『主』を解放せよと! ――待っていてくだされ、我らが『主』よ! 必ずや、必ずやあなた様を忌々しき桎梏から解放してご覧に入れましょう! 嗚呼っ! 我らが『主』に栄光あれっ!!」
『――栄光あれっ!!』
男が『主』をたたえると、周りにいた者たちも一斉に同じ言葉を口にしたのだった。
―― ―― ―― ―― ――
俺はアリスと共にメイソンの大通りを歩いていた。
再調査を開始するのは五日後、それまでは自由時間だ。だからというわけではないが、俺はアリスとメイソンを散策することになったのだ。
「――これ、おいしいわね!」
「あぁ、ベリー系のジャムがいい感じに合ってるな」
俺は口に含んでいたサンドイッチを飲み込むと、そう口にした。
このサンドイッチには甘酸っぱいベリージャムが使われており、中に入っている甘い果物と対照的になっていて、それらの相性がとてもよかった。さらにそれだけではなく、柑橘系の果物の皮を刻んだものが入っていたりと、なかなかに手が込んでいた。
生クリームが入っていなかったのはいただけないが、それでも充分満足のいく出来栄えだ。
俺たちがいるのは、メイソンの中央街という場所である。
ここには様々な種類の店があり、俺たちがさっき寄ったのはパン屋だ。ただ、パン屋といってもこぢんまりとしておらず、大通りにどっしりと店を構えた大きな店だった。
中には様々なパンが売っており、食パンやフランスパンみたいなものに、惣菜パンや菓子パンのようなものもあった。
それなりに混んでいたのでパパっと買ったのがこのサンドイッチだったのだが、これを買って正解だったな。
「じゃあ、次はあの店に入りましょう!」
アリスが指差したのは、お洒落な喫茶店のような店。その店にはテラスがあり、そこには高価そうな服装を着た者たちが、談笑しながらランチを楽しんでいた。
最近は暖かくなってきたがまだ少し寒いので、厚着をしている者の姿が目立つ。そして、所々に護衛のような者たちの姿があり、明らかに貴人御用達といった感じの高級店だった。
ハッと周囲を見れば、同じような店が立ち並んでいる。いつの間にか、俺たちは貴族街に入っていたようだ。
「いやまて、俺にあの店は身の丈に合ってないんだが……」
「ん? 大丈夫よ、見た感じ一般人も入店できるみたいだし」
「いやそういう意味じゃなくて、俺はハードルが高すぎるって言いたかったんだ」
ちょっと……いや、かなりあの中に入るのはためらわれた。例えるなら、ジャージで高級料亭にいく感じだ。
一般人が着るような私服を着ている俺は、どう見ても場違いこの上ないだろう。
「なに怖気づいているのよ。ほら、行くわよ」
「ちょっ、まっ!?」
アリスは俺の手を握って、強引に店まで引っぱっていく。抵抗しようとしたが、身体強化の魔法を使っているようで簡単に離すことはできなかった。
それと、周りにいる人たちの視線が痛い。はたから見たら、子供に『行きたくない』と駄々をこねる大人だもんな。
……自分がどう見られているか想像してたら寒気がしてきた。
「いらっしゃいませ、お二人様でしょうか?」
「えぇ、いい天気だからテラス席を頼める?」
「かしこまりました、それではこちらへ」
抵抗するのを諦め、アリスに連れられて店の中に入ると、近くにいたウエイターが俺たちを開いていたテラスの席に案内してくれた。
席に座ると、俺たちを見る視線がひしひしと伝わってくる。
「んーと……私はフレンチトーストとホットミルクで」
アリスはメニューを見ながら注文を口にした。
俺もメニューを見てみるのだが……どれも高い。アリスが注文したフレンチトーストにいたっては、金貨五枚もするのだ。
ただ、小麦を使用した白パンを使っているようなので、これくらいするのはあたりまえだ。それに、これでも金額は充分抑えられている方だろう。
「あー……俺も同じで」
結局いろいろと迷ったあげく、俺はそう注文したのだった。
なお緊張していたためか、あまり味がしなかった。まぁ、アリスの嬉しそうな笑顔を見ることができたので、これはこれで良しとするか。
……ていうか、よくアリスはこんな店に堂々と、なんの緊張もなく入れるよな。胆力すごすぎるだろ。




