~十月十日~ 7
少しずつ、肩口が濡れていく。泣いているのかもしれない。大の男が、こんなところで。死ぬのが怖いのだろうか。なら彼がここに入ればいい。
「おじさんがここにはいれよ。死にたくないんだろ?」
「違うんだ」
「おじさん?」
「お前たちは、仙花と一緒に生きてやってくれ」
男の言葉に呆然としていると、とん、と中に押された。香丸が流音を受け止める。扉を閉めながら、男は音が止むまで出てくるなと言った。もし見つかっても、抵抗してはいけないとも。二人がそれに頷いたのを確認して、扉は閉じられた。部屋の扉を叩く音がする。
「なあ、かまる」
「なんですか?」
「おじさんにはもう会えないな」
「……そうですね」
「ももに、なんて言えばいいかなぁ」
流音はぼんやりと扉を見つめた。香丸は返事をしない。
外の音は激しさを増して、ある瞬間に止んだ。扉の外にはまだ敵の気配があって、流音はぎゅっと手を握る。見つかっても抵抗してはいけない。そう男は言っていた。けれど抵抗しないというのはどうしようもない恐怖だ。無抵抗の内に殺されるかもしれない。敵に情があれば、苦しむことなく逝かせてもらえるのだろうけど。
何かを引き摺る音がして、静寂が生まれる。どくどくと心臓の音が煩い。隣に立つ香丸の腕をぎゅっと掴んだ。香丸は、何も言わずに流音の頭を撫でた。再び部屋に入ってくる音がして、目の前の扉は開かれた。
「子ども?」
扉を開いた男が不思議そうに呟く。二人が抵抗しないのを見て何を思ったのか、銃を下ろした。トランシーバーでどこかに連絡を取っている。通信が終わったのか、男は二人に手を差し出してきた。流音は扉から出る。
「人質か? どこから来た?」
男の質問には答えずに、部屋の中を見回した。窓は割れ、扉は吹っ飛び、机は粉々。見るも無残な状況だった。彼の姿はない。香丸もそれに気づいたのか、部屋の中を見渡した。
「あぁ、あの男かい? 大丈夫だよ。ほら、行こう」
男に腕を引かれて連れて行かれたのは警察組織の本部だった。二日後に南音が迎えに来るまで二人は何も話さなかった。二人の保護者を名乗る南音によって解放された二人の処分は何もなかった。結局人質としてエピローグに捕まっていたことになっている。南音がそうしたのなら、自分が本当のことを話す必要もないと、流音はそれに合わせておいた。まだ死にたいわけじゃない。一度収容された仲間たちは、全員処刑が決まった。結局、もう誰にも会えなかった。
レジスタンスに参加する直前に流音は一度だけ、南音に尋ねていた。
「オレも行ってきていい?」
仲間のため、という言葉に憧れた。香丸が行くならオレもなんて変な嫉妬もあった。何より誰かに言われた、南音を守れる、という言葉が嬉しかった。だから流音は南音に言ったのだ。南音は変な顔をして笑った。
「好きにすればいいよ」
いつもより数倍優しい声で、南音は言う。そのあと流音の体をぎゅっと抱きしめて泣いていた。その涙の意味は分からなかった。彼は嘘吐きだから、この涙も嘘かもしれない。
「なんでなくんだよ」
「なんでだろうね」
「やなことでもあったのか?」
「……うん。大人の世界は、嫌なことばっかりだよ」
南音は流音を抱きしめたまま、弱音を吐く。こんなことは今までなかったから、流音はどうしていいか分からなかった。とりあえず抱きしめ返しておく。泣くほど嫌なら止めればいいのに。けれどそれを止められないのが大人なのだろう。
「ねえ、流音」
「なんだよ」
「絶対に帰って来るんだよ。それが約束できるなら、行ってもいい」
「わかった」
自分が死ぬはずないと思った。演説していた男は自信満々だったし、失敗はありえない。何よりエピローグのみんなは本当に強いから、きっとどんなことがあっても負けたりはしない。そう思っていた。世界のことを何も知らなかった。
「もうなくなよ」
「うん、僕は駄目な大人だね」
流音は南音の涙を見ているのが嫌になったから、そう言った。南音は笑って涙を拭う。それなのに抱きしめた腕を離そうとしない。流音も離したいと思わなかった。
「ぜったいかえってくるよ」
南音はさらに泣いた。その涙の意味は今でも分からない。けれど、
「どんなことがあっても、きみたちは守ってみせるから」
祈るように告げられた言葉は、耳をついて最後まで離れなかった。その意味を知ったのは、全てが終わったそのあと。彼がプロローグを設立したときだった。
暗転。
思い出されるのは赫、赫、赫。




