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第3章 白い法衣(前編)

靴音は表の広場で止まった。


止まったあとのほうが、うるさかった。鎧の留め金が鳴る音。誰かが咳をする音。松明の脂がはぜる音。扉一枚向こうに、十人を超える人間が息をしていた。酒場の中の十一人は、誰も息をしていないみたいだった。


「治安維持隊だ」


扉の向こうから、女の声がした。低くて、よく通る声だった。怒鳴っていないのに、梁まで届いた。


「グラウヴァル冒険者組合。閂を外せ。ロズモンド館の件で改める」


バルタザールが階段の三段目から立ち上がった。顔が赤くなったり白くなったりしていた。


「夜明けだと聞いてたぞ」と、扉に向かって怒鳴った。「使いはそう言った。夜明けの開門前だと」


「夫人がお待ちにならない」と扉の向こうの声は言った。「夫人は参事会に顔が利く。参事会は隊の予算を握っている。隊長の私は、予算で飯を食っている。以上だ。閂を外せ」


妙に正直な隊長だ、と俺は思った。正直な役人ほど扱いにくいものはない。


「ちょっと待て。いま開ける。いま……」バルタザールは扉のほうへ一歩踏み出して、止まった。振り返って、酒場を見回した。その目が、一瞬だけ階段の下の暗がりに向いて、すぐに裏口の床の灰色の二人に移った。


「ニコ」とバルタザールは言った。「俺が合図するまで、閂に触るな」


表の扉の前で、ニコが肩をすくめた。手袋の指を閂の角材にかけたまま、動かなかった。


「何を待ってるんです」と俺は訊いた。


「段取りだ」とバルタザールは言った。「隊ってのは、最初に何を見るかで、何を信じるかが決まる。最初に見せるものを、こっちで決めておく」


それもたぶん、正直な言葉だった。今夜の人間たちは、ときどき妙に正直になる。


扉の向こうは、しばらく黙った。黙っているあいだも、松明の脂がはぜる音はやまなかった。


酒場の中では、それぞれが、それぞれのやり方で待った。


ダリオは床に座り込んで、低い声で北の酒場歌を歌い始めた。羊飼いが狼に羊を三頭取られて、四頭目を取られる前に狼と酒を飲む歌だ。三番まで歌って、四番の歌詞を忘れて、また一番から歌った。アガタは暖炉の前で手袋の指を組んで、声に出さずに祈っていた。唇の動きで、灯火教会の夜の祈りだと分かった。イゾルデはエルノの隣に座って、帳面を開いたり閉じたりしていた。何も書いていなかった。エルノは窓の外の松明の明かりを見ていた。白い法衣の袖の中で、指が何度も組み替えられていた。


ニコは閂の前で、手袋の指先を一本ずつ噛んでいた。盗賊が手袋を噛むのは、錠前の前で考えごとをしているときの癖だ。今夜のニコの前にあるのは、錠前ではなく、閂と、その向こうの十人を超える鉄の靴だった。


俺はグラスを拭くのをやめて、カウンターの端へ寄った。ルルが瓶の横で、両肘をついていた。


「ルル」と俺は小声で言った。「夕方、店番のあいだ、何か聞きましたか」


ルルは白い耳を片方だけ、俺のほうへ傾けた。


「あら、マスター。あたし、いつも何か聞いてるわよ?」


「今夜は、特に」


「特に?」ルルは首をかしげた。亜麻色の髪が、耳の横で揺れた。「マスターは、あたしに何を言ってほしいの?」


俺は答えなかった。ルルも答えを待たなかった。ルルは、俺が答えないのを知っていて訊いた。三年も一緒にいると、そういう問いの投げ方を覚える。


「……そのうちで、いいですよ」と俺は言った。


「そのうちね」とルルは言った。それから、また白い耳を扉のほうへ戻した。


カウンターの端で、ルルの白い耳が、二本とも後ろへ寝ていた。扉の向こうに気を取られているのではなかった。扉の向こうのことは、とっくに全部聞き終えた、という寝かせ方だった。


「マスター」とルルが小さな声で言った。「あの人たち、扉の前に丸太を運んできたわ」


「丸太」


「二人で担いでる。……四人かしら」


十一の鐘が、大聖堂のほうから鳴り始めた。


一つ目の鐘と一緒に、表の扉が鳴った。二つ目の鐘で、また鳴った。丸太の頭が樫の扉を打つ音は、鐘より重かった。三つ目で、閂の金具が悲鳴を上げた。ニコが閂から手を離して横へ跳んだ。四つ目で、樫の角材が真ん中から折れた。


扉が内側へ弾けて、夜の冷たい空気と、松明の火と、鉄の靴が、いっぺんに酒場へなだれ込んできた。


鉄の靴は、数えると十四足あった。斥候の癖で数えた。灰色の外套に、革の胸当て。棍棒を持った者が八人、短い槍が四人、松明持ちが二人。松明の火が酒場の天井を舐めて、梁の影を踊らせた。暖炉の火しかなかった酒場が、一瞬で昼間より明るくなった。明るくなりすぎて、かえって何も見えなかった。


*


最初に動いたのはダリオだった。


酔った大男は、酔った大男にしかできない速さで立ち上がった。卓がひっくり返り、麦酒の杯が床を転がった。ダリオは壁にかけてあった自分の剣を鞘ごと掴んで、吠えた。


「なんだてめえら、野盗か!」


「治安維持隊だと言っただろうが、この酔っ払い!」隊員の一人が怒鳴り返した。


ダリオには聞こえていなかった。聞こえていても、七杯目の麦酒の向こうでは、隊員も野盗も同じ顔に見えたのだろう。鞘ごとの剣を振り回して、手近な隊員の盾を叩いた。盾が鳴り、隊員がよろけて、後ろの隊員とぶつかった。


「押さえろ!」と女の声が言った。


隊員が三人がかりでダリオに飛びかかった。その間に、別の隊員たちが酒場じゅうに散った。ニコは閂から跳んだ先の壁ぎわで両手を上げていた。イゾルデは帳面を頭の上にかざして卓の下に潜り込んだ。アガタは暖炉の前から一歩も動かず、倒れかけた燭台を手袋の手で押さえていた。二人の隊員が、裏口の床の灰色めがけて、まっすぐ走っていった。誰かに命じられたのではなく、最初からそこへ行くと決めていた走り方だった。


ダリオは一人を振り払い、二人目を肩で突き飛ばし、三人目に腰を抱えられて、横ざまに倒れかかった。倒れかかった先に、窓際の卓があった。窓際の卓には、白い法衣の男がいた。


エルノは立ち上がって、身を引こうとした。間に合わなかった。ダリオの巨体と、ダリオが振り回していた鞘ごとの剣が、まとめてエルノの胸もとへ落ちてきた。


エルノの右手が上がった。


細い指の先で、何かが一瞬、赤くふくらんだ。


乾いた破裂音がした。握り拳ほどの火の礫が、エルノの掌から飛び出して、ダリオの肩をかすめ、その後ろの梁に当たって砕けた。火の粉が雨みたいに降った。梁の一か所が黒く焦げて、細い煙を上げた。焦げた木と、焦げた毛の匂いがした。ダリオの髭の端が縮れていた。


酒場が止まった。


隊員たちも、ダリオも、バルタザールも、全員が止まった。止まったまま、梁の焦げと、エルノの掌を見ていた。エルノの掌は、まだ少し赤く光っていた。


「……神官様が」と誰かが言った。隊員の誰かだった。「火を投げた?」


エルノは自分の掌を見た。それから、それを法衣の袖の中へ隠すように引っ込めた。袖口には、今夜はじめから小さな焦げがひとつあった。いま、その横に、新しい焦げがもうひとつ増えていた。


暖炉の側から、アガタの声がした。静かな声だった。


「灯火教会の者は、火を投げられません。癒しと祈りのほかに、灯は何もお与えになりません」


それは、誰かを責める言い方ではなかった。ただ、そういうものだという言い方だった。だから余計に、酒場にいる全員の頭の中で、同じ言葉が組み上がった。


聖職者は、攻めの魔法を使えない。白い法衣を着て、癒しの祈りも攻めの魔法も使える者は、賢者だ。賢者は、組合の誓約に縛られる。縛られるが、例外がある。長の命と、金と、酒。


つまり、あの白い法衣の男は、嘘をつける。


九つ半に、あの男は言った。館の塀を越える灰色を見た、と。あの直前に、バルタザールは言った。エルノ、見たことを言ってやれ、と。


俺はカウンターの内側で、黒板のエルノの欄を見た。条件の欄に、小さな横線が一本引いてある。俺はその線の上に、白墨でもう一本、斜めに線を足した。線は、もう横線ではなくなった。


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