第7章 夜明けの門(前編)
僕は北門の前に立っていた。
大聖堂の鐘が鳴り始めた。朝の鐘だ。一つ、二つ。門の内側に、隊の人間が六人並んでいた。頬に傷のある隊長が、腕を組んで、門番の横に立っていた。三つ、四つ。門番が閂の鎖に手をかけた。
欠けた左耳に、朝の風が当たった。門の隙間から入ってくる風だった。城壁の外の匂いがした。枯れ草と、霜と、遠い獣と、土。
五つ、六つ。
鎖が鳴って、門が開いた。軋む音が、城壁に跳ね返って、背中のほうの街へ転がっていった。
「行け」と隊長が言った。「振り向くな。振り向いたら、戻ってくる気だと見なす」
僕は歩き出した。
門の脇に、人間が何人か集まっていた。朝の荷を待つ荷車引きと、パン屋の小僧と、夜番明けの門番たち。誰も僕の名前を知らなかった。知る必要もなかった。灰色が一匹、門を出ていく。それだけのことだ。パン屋の小僧が、僕を指さして何か言った。母親らしい女が、その手を下ろさせた。
谷の者は、見送りに来なかった。来られなかった。掟で門を出される者の見送りに行けば、次は自分が関わったことになる。この街の掟は、そういうふうにできている。
首に白い毛のある背中が、谷へ帰っていく道を、僕は思い浮かべた。木彫りの狼を二つ抱えて。チビたちは、干し肉がなくても、あれで喜ぶだろう。
門の下をくぐるとき、石のアーチの影が、僕の上を通り過ぎた。冷たかった。それから、朝の光が来た。北街道が、荒れ野の中をまっすぐ伸びていた。一里塚が、道の脇に小さく見えた。
懐に、白い布の切れ端があった。彼女の手首に巻いてあったのと、同じ布だ。いつだったか、ほつれたところを切って、僕にくれた。荷袋から放り出されたのを、夜のうちに拾っておいた。
振り返らなかった。振り返るなと言われたからではなかった。振り返らなくても、後ろにあるものは分かっていた。灰色の城壁と、灰色の街と、谷と、チビたちと、それから、酒場。
三つ目の一里塚を過ぎたら、道の脇の棘草の中で待つつもりだった。谷の者の旅は、昼は眠って、夜に歩く。彼女は、来るとは言わなかった。来ないとも言わなかった。彼女は、言わないことで話す。
一つ目の一里塚を過ぎた。道の両側の枯れ草が、少しずつ赤い色を帯びてきた。二つ目の一里塚を過ぎると、赤はもっと濃くなった。棘草の荒れ野だ。実が靴紐や毛に絡みつく、たちの悪い草だ。それでも、身を隠すには、これ以上の場所はない。追われる者にとっても。
僕は北街道を歩いた。朝の風が、欠けた耳のほうから吹いていた。
*
開門の鐘が鳴り始めたとき、ルルはもう店にいなかった。
五つ半の鐘のあと、隊が組合長たちを連れ出し、灰色の片方を北門へ引いていった。ルルは隊の最後の一人が扉を出るのを待って、カウンターの端から離れ、壊れた扉をすり抜けて、北門のほうへ走っていった。白い耳が、白み始めた広場を横切っていった。俺は見送らなかった。グラスを拭いていた。
錆び釘亭は、ひどいありさまだった。表の扉は蝶番が一つ外れて、朝の風にぎいぎい鳴っていた。梁には黒い焦げ。床には倒れた卓と、割れた杯と、麦酒の染み。暖炉の灰は隊員にかき回されて、床にまで散っていた。
ダリオは暖炉の前の床で、大の字になって眠っていた。放り出されたはずが、放り出されるのを待っているうちに眠ってしまったらしい。縮れた髭が、鼾のたびに揺れた。
アガタは手袋をはめ直して、戸口で一度だけ振り返った。
「マスター。あの方たちに、灯のご加護がありますように」
「ありがとうございます、シスター」
アガタは何か言いたそうに俺の顔を見た。見て、何も言わずに、白み始めた広場へ出ていった。修道女は、訊かないことにかけては亜人より上手だ。
ザザは、階段の下の壁ぎわで、倒れた箒を一本ずつ起こしていた。
首に白い毛のある灰色が、木彫りの狼を二つ胸に抱えて、裏口のところに立っていた。谷へ帰るのだろう。帰れるのだ。今日からは、灰色は谷に一匹少ない。
灰色は、俺のほうを見た。
「マスター」と灰色は言った。「あいつは、館には行っていない」
「知っていますよ」と俺は言った。
「知っていて、止めなかった」
俺は答えなかった。灰色も、答えを待たなかった。嘘をつけない者は、見たとおりのことしか言わない。見たとおりのことを言われたとき、嘘をつける者は、黙るのがいちばん安上がりだ。
灰色は、裏口から中庭へ出ていった。中庭の井戸のそばを通るとき、灰色は一度だけ足を止めて、自分の左腕の擦り傷を見た。それから、谷のほうへ歩いていった。木彫りの狼の、噛まれて丸くなった耳が、腕の間から覗いていた。
俺は倒れた卓を起こした。一つずつ。六つあった。
割れた杯を掃き集めていると、壊れた扉の隙間から、頬に傷のある顔が覗いた。マグダ隊長だった。北門から戻る途中らしく、外套の裾に朝露がついていた。
「灰色は出た」と隊長は言った。「振り返らなかった。たいしたもんだ」
「そうですか」
「酒場番」隊長は店の中を見回した。焦げた梁と、起こした卓と、カウンターの端の瓶を。「石が出たら、知らせろ」
「ええ」と俺は言った。
隊長は、俺の顔を少しだけ見た。夜のあいだに何度か見せた、量る目だった。今度は、量りもしなかった。
「扉の修理代は、組合長の財産から出す。どうせ差し押さえる」
「助かります」
隊長は片手を上げて、広場へ出ていった。鉄を打った靴の音が、石畳の上を遠ざかっていった。俺にも、それはちゃんと聞こえた。ルルほどではないにしても、角を曲がるまでは。
*
朝七つの鐘が鳴り終わるころ、ルルが戻ってきた。
壊れた扉の隙間から、白い耳が先に入ってきた。それから、亜麻色の髪と、黒い胴着と、網の靴下。ルルは店の中を見回して、倒れた卓が全部起きているのを見て、少し笑った。
「マスター、一人で全部起こしたの?」
「ダリオさんは寝ていましたから」
ルルはカウンターの端の、いつもの場所に来た。頬杖はつかなかった。立ったまま、両手をカウンターに置いた。白いカフスが、朝の光の中で少し汚れていた。
三年前の冬の夜も、この娘はこうしてカウンターの前に立っていた。そのときは、両手をカウンターに置く元気もなかった。耳は伏せていて、髪は泥で固まっていて、腹の虫が、閉店間際の静かな酒場に響くくらい鳴いていた。俺は豆のスープを温めて出した。この娘は三杯飲んで、四杯目の途中で眠った。朝になって、行くところがあるのかと訊いたら、「あら? マスターは、あたしに行くところがあってほしいの?」と返された。それから三年、この娘はここにいた。
「門、開いたわ」とルルは言った。
「聞こえました」
「振り返らなかったわ。一度も」
「そうですか」
俺はグラスを一つ取って、拭いた。拭く必要のないグラスだった。
「ルル」と俺は言った。「夕方、二階の話を聞いたんですね。階段の下の、いちばん上の帳簿箱。組合長の部屋は、この真上だ」
「あら?」ルルは首をかしげた。白い耳が、片方だけ俺のほうへ傾いた。「あたしの耳がいいの、マスターがいちばんよく知ってるでしょ?」
俺はグラスを棚に戻した。
「あいつはたいへんなものを盗んでいきましたね」
「あら? なんのこと?」
「君の心さ」
ルルは答えなかった。答えられないのではなく、答えないのだった。月影の戒めを信じる者は、偽りを口にできない。だから、本当のことを言いたくないときは、黙るか、問いで返す。この三年、この娘は、俺の前で一度も嘘をつかなかった。つけなかった。
白い耳が、少しだけ赤くなっていた。耳の内側の、毛の薄いところが。
俺は、棚の奥の金庫を開けた。
「いくならすぐ追いかけなさい、そしてこの街に戻ってくるな、でも宝石は置いて行きなさい。私が旅の路銀として買ってあげるよ」
ルルは、目を丸くした。それから、笑った。三年間で、いちばんいい顔だった。
「ありがと、マスター♡」




