7回、親善試合
試合はアゼリア国の国立球技場で行われることとなった。完全にアウェーの試合だが、ダイヴァー国側に球場も野球文化もない以上当然だ。
専用バスでアゼリア国まで移動中の俺たちは今、国境近くのでこぼこ山道を揺られている。バスで試合会場まで遠征なんて、まるで学生野球と同じだなとこっそりと頬を緩める。
「えー、右手に見えますのはアゼリア国観光名所、アゼリアで一番背の高い人こと『不二サン』でございまぁす←」
……あの珍妙なバスガイド以外は。なんで国王があんなことやってんだ。
「我も招待されているからである。当然だろう、和平のための国際親善試合だぞ?」
またナチュラルに心を読まれた。抜かりない神アピールだ。だけど聞きたいのはそこじゃない。
その後、国王バスガイドによるクソ音t……大変アクの強いカラオケ熱唱タイムなどがありつつ、無事アゼリア国立球技場に到着した。バスで二時間ちょっと。俺からしたら隣県の高校への遠征ぐらいの感覚だ。この世界の国というのは、元いた世界のそれに比べてだいぶ小さいのかもしれない。
「あぁ、そうそう。言い忘れていたが、今回の親善試合、」
バスを降りようとしたとき、出し抜けに国王が口を開いた。俺たちはなんだと国王を見やる。
「一番の目的は『和平』であり、『勝利』ではない。会場は相手のホーム。多くの観客たちがアゼリア国チームの勝利を期待している……この意味、わかるのう?」
「! まさか、わざと負けろと?」
最初に国王の意を察したのは敏いジョナー。すると、相手が国のトップであることも忘れ、全員が一斉に牙を剥く。
「ハァ!? ふざけんじゃねぇぞ! 俺たちがこの日のためにどれだけ練習してきたと」
「そうだよ! それに私たちが頑張ってダイヴァー国の皆に野球の魅力を伝えなきゃ、リョウが元の世界に帰れなくなっちゃうじゃん!」
「俺のことは別にいい! それより、八百長なんて野球じゃねぇ! スポーツじゃねぇ! そんなことできるわけ」
「図に乗るなよ、小僧ども」
静かな怒りが波紋のように広がる。瞬間、国王の氷のように冷たい目に心臓を射抜かれた。
「これは外交じゃ。遊びではない。諸君らの肩には多くの国民たちの生活がかかっていることを忘れるな」
なんとか言い返そうとして気付く。国王の握り締められた拳が、小さく震えていることに。察するに、国民を守らねばならない国王としての立場と、なんらかの理由で野球を広めたい神としての本心。天秤にかけた結果、きっと彼は断腸の思いでこの決断を下したのだ。神は人間が思うほど万能じゃない、という以前の言葉を思い出す。
俺は何も言えず黙り込むしかなかった。国の命を懸けた八百長まで、あと四時間と五〇分。
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試合前練習はお互い完全非公開で行われた。どうやら、向こうさんには隠しておきたい戦術だかプレースタイルだかがあるように感じる。当然、この三ヶ月の間にアゼリアの、特にヒエンのチームの試合映像を見て研究しようと試みたが、娯楽とはいえ敵国の情報がそんな簡単に得られるはずもなく、叶わなかったという経緯もある。
つまり現状、相手についてのデータは一切ない。わかることと言えば、この球場がやたら風の強い屋外球場だということぐらいだ。
それよりなにより問題は……八百長を指示された俺たちの士気は、完全に死んでいた。
「接戦での負けを狙おう」
試合前の円陣。俺は自ら、悪者を買って出た。
「は? テメェふざけてんのか?」
食ってかかったのはウィル。だけど、彼だけじゃなく皆の視線が明確に俺の発案に対し、反対の意を示している。あれだけスポーツに誇りを持っている彼らのことだから、八百長など許せないという気持ちはわかる。俺だって悔しい。けど。
「国民の安全な生活のためにはしかたないだろ。俺たちが勝っちまうことで、多くの人間の生命が今までと変わらない、あるいは今まで以上の危険に晒されるんだぞ」
「これはテメェの命を守るための試合でもあるはずだ!」
「だから接戦に持ち込むんじゃねぇか。表面上でも良い試合を演じればいい。勝たなくても、国民に野球の魅力が伝われば成功なんだから。本質を見失うなよ」
「本質を見失ってるのはテメェのほうだ! いくら表面上だけ繕ったって、本当にアツい試合にはならねぇ! アゼリア側からしたって勝ちゃあなんでもいいとか、そんなじゃねぇはずだろスポーツはよ!」
「綺麗事だな。話にならねぇ」
どんどんヒートアップする俺たちを見て、アゼリアチームも困惑している。「なにやら揉めているようですねぇ」ヒエンのどこか落胆したような声が聞こえる。
「と、とりあえず守備で一点も取られないように頑張ろう! しっかり守り切って点差を離されないようにしつつ、続きは後で話し合おう。ね?」
オズが苦肉の策の折衷案を提示する。もう試合開始は目の前だ。俺とウィルは互いに背を向け、同時に吐き捨てた。
「「やっぱりこいつとはソリが合わねぇ!」」
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九つの色はバラバラのまま、国際親善試合は始まった。
先攻はアウェーのナインカラーズ。予定通り一番・ジャック、二番・アル、三番・ジョナーは偵察要因だ。とにかく、一球でも多く相手投手の球を見ることに専念してもらう。
が、結論から言えば偵察はあまり意味をなさなかった。なぜなら……
「ごめん、変化の規則性が全くわからない。わかったのは、爪を立てるような変な握り方だということと、球がほとんど回転してないってことだけで」
ベンチに戻ってきたジャックが申し訳なさそうに言う。むしろ、初見でそこまで見抜けたなら上出来だ。あれは俺のいた世界の野球でも存在していた変化球。俺も実際に目にするのは初めてだが。
「ナックルボールだ」
「ナックルボール?」
真ん中三本の爪を縫い目に立て、親指と小指で支える握り方。投げるというより押し出すような独特のリリースフォーム。そうすることでほとんど回転がかからない状態で投げられたボールは、空気抵抗をもろに受けて不規則に変化する。投げたピッチャー本人ですら、その変化を予測することができない魔球。それがナックルボールだ。
しかもこの球場特有の強い風。変化の大きさもランダム性も異次元だろう。
そしてナックルボーラーの特徴の一つが、ワンピッチピッチャー(ほとんど一球種しか投げない投手)が多いこと。理由はシンプルで、ナックルボール自体が様々な変化をするため、他の変化球を投げる必要がないのだ。逆に、他の変化球と投げ方が違いすぎて、互いに悪影響を与える危険性がある。
見たところ、相手投手もほぼナックルボール一辺倒のワンピッチ。ゆえに、偵察の意味がないのだ。
そうこうしているうちに、二番アル、三番ジョナーも三振してきた。相手投手自身も自由にコントロールできるわけではないためそれなりにボール球も出ていたが、結果的に三つのストライクが先行し、一回表は三者凡退となった。
「厄介ですね。完全にランダムとなってしまうと、確実な攻略法を立てるのも難しい」
ジョナーが困ったように言う。
「なに、点数は取れなくても構わないさ。なにせ接戦で負ければいいんだから」
俺の言葉にジョナーはフンと鼻を一つ鳴らす。軽蔑の音だ。無視して一回の裏のマウンドへと向かう。簡単な話だ。俺の球がそうそう打たれるわけないんだから、八回までゼロに抑えて、九回裏に疲れたフリでもして適当に打たれてやればいい。
そんな気持ちで先頭打者に相対す。俺は忘れていた。ここは、異世界だってことを。一球目。大きく振りかぶった俺に対し、打者はヒエンと同じ、腰に差した刀に手をかける侍のような構えを見せた。
様子見のストレートを彼は弾き返した――バットを振り抜く前に走り出しながら。
ヒエンのときと同じぼてぼてのショートゴロ。オズが逆シングルで捌き、練習通りフォローに来たサードのアレクにトスする。流れるような連携でボールを受け取ったアレクが一塁に送球。しかし、打者走者はすでに一塁ベースを駆け抜けていた。
内野安打。このワンプレーで、俺はヒエンの言っていた「ヒットです」という言葉の意味を知る。
――走り打ちだ!
二番打者。今度は左打席に立った彼も、全く同じような打ち方でショートに転がす。オズは二塁ベースに入ったジャックにグラブトスするが、一塁ランナーも打者同様ヒットエンドランの要領で投球前から走り出していたため、ギリギリのところで二塁アウトを取り損ねた。
ノーアウト一、二塁。
他のメンバーもここで薄っすら相手の戦術に気付いたらしく、初回からいきなりマウンドにわらわらと集まってくる。
俺は彼らに淡々と説明をする。走り打ち。これも元いた世界の野球に存在する概念だ。打球がバットに当たる前からすでに走り出し、少しでも早く一塁に到達しようとする打法。一塁ベースが近い左打者や、足に自信のある打者がごく稀に見せることがある。だけど、それをチーム単位の戦術として使用しているのは見たことがない。どうやらこれがアゼリア流の野球らしい。
……まずいな。大量失点をしてしまっては、接戦に持ち込むこともできない。
「次のプレー、アルは一塁ベース、アレクは三塁ベースに張り付いておけ。そしてジャックとオズは俺が投げた瞬間に全力で前に出ろ。俺を含め三人のうち誰かができるだけ前でボールを捕り、一塁か三塁、近いほうに送球して確実にアウトを一つ捕る。どうだ、ジョナー」
「ひとまずはそれで問題ないでしょう。ただ、相手が全く対策をしてないとも思えませんが……」
ジョナーの言う通りだ。三番打者、ヒエンが悠々と打席に入る。その表情には確かな自信が滲んでいる。いったい何をしてくるつもりだ?
ジョナーのサインはストレート。おそらく、一番威力のある球で速い打球を打たせることで、アウトに取れる可能性を高めたいという判断だろう。セットポジションから投球フォームに入る。同時に手はず通り、アルとアレクはそれぞれのベースに張り付き、ジャックとオズが前に向けてダッシュする。
その瞬間だった。ヒエンはバットを剣道の上段の構えのように大きく上に振りかぶったのだ。まさか……っ!
無防備に間合いに入り込んだボールに向けて、ヒエンは縦にバットを振り下ろした。ホームベースの少し先に思いきり叩きつけられた打球は、ジャックの頭の上を越えてセカンド定位置あたりに着弾する。アルが慌てて捕球に向かううちに、スタートしていた二塁ランナーが一気に三塁を回りホームを陥れる。
いとも呆気なく先制点を奪われた。
……やられた。つまりアゼリアの戦略は、内野が定位置なら居合斬りでの走り打ち、それを読んで前進してくるなら上段からの振り下ろし斬り、その二段構えだったのだ。
結局、一回裏は打者一巡の猛攻を受けた。0―4。俺が描いた八百長ゲームプランは、呆気なく崩された。
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二回表、本来なら確実に点数を取りたかった四番・オズから始まる攻撃は、三人であっという間に終了した。自国の躍動に大熱狂する観客席。完全アウェー、完全不利の展開の中、ウィルが皮肉交じりに言う。
「よう、お望み通り接戦になりそうか? 逃げ腰野郎」
「チッ……」
にらみ合う俺とウィルの間にオズが割り込む。
「もう! 仲間割れしてる場合じゃないでしょ!」
仲間、か。俺たちは仲間なのだろうか。
ジョナーが、おもむろに俺に近づいてきて言う。
「どちらにせよ、これ以上点差を離されてはしょうもありません。次のイニングからはストレートとフォークの二球種のみでいきます」
「……その心は?」
「あなたほどのストレートの球威があれば、いくら相手がバットに当てることに特化していようと、そうそう狙ったところに勢いを殺して転がし続けることなどできません。
フォークは水平方向のスイングに対する対策。下に落ちる球なら空振りを狙うことができます。逆に二種のスライダーは基本横方向の変化なので、高ささえ合えばバットに当たってしまう危険性が高い」
「縦方向のスイングへの対策はどうする」
「無視します。内野は定位置固定、近い塁に送球して取れるアウトだけ確実に取っていきます」
要するに、俺たちにできるのは二段構え戦略うちの一つ目だけに絞らせ、場当たり的に対処すること。画期的な対策方法が都合よく見つかることはなかった。
二回裏、俺たちはさらに一点を追加され、点差は五点となった。
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三回表。俺たちは魔球ナックルボールを相手にいまだ、バットに掠ることすらできていない。先頭、七番打者のロブもなすすべなく三振を喫し、ワンナウト。続いてはバットに当たらないことに定評のある、八番・バーリー。
「よっしゃー! このバーリー様が流れを変えてやるぜ!!」
「ウィル、セーフティバントでの出塁を狙いましょう。あなたの足なら、バットに当てることさえできればあるいは」
「おーい! 俺まだ凡退してないけど!?」
ぶつぶつと文句を言いながら打席に向かうバーリー。を、誰も見ていない。九番打者以降の作戦会議に夢中だ。俺もまた、その輪の中に参加する。一瞬ウィルと目が合って……すぐに逸らされた。
「全く、あなたたちにはガッカリです」
そのとき、嘲笑に満ちた言葉がグラウンドから投げかけられる。現在守備中の、相手サード・ヒエンだ。
「まさか八百長しようとした挙句、仲間割れとは。舐められたものです」
「気付いていたのか」
俺たちがいる三塁側ベンチを向き、インプレー中にもかかわらず平気で話しかけてくる。あのナックルを捉えられるはずがないと、エースへの絶対的な信頼があるようだ。
ヒエンは酷く不機嫌そうに端正な顔を歪めた。
「……本当に舐められたものですね。仮にも一国の兵士長であるこの私が、気付かないとでも? リョウさん。あなたからはこの試合に本気で臨む殺気を感じない。大方、接戦を演じたうえで負けて我々のご機嫌を取ろうというところでしょうが……あまり我々を愚弄しないでいただきたい」
彼の言葉には、八百長なんかで勝っても嬉しくもなんともないという、スポーツマンとしての矜持が宿っていた。あまりの迫力に、誰も何も言い返せないナインカラーズベンチ。
そのとき、痛烈な打球音が気まずい沈黙を切り裂いた。
驚いてグラウンドを見ると、バットを高く放り投げるバーリー。さっきまで大興奮のるつぼだった観客席が静寂に包まれる。視界の端で、ヒエンが口をあんぐり開けて間抜け面を晒していた。
ホームラン。1―5。
ライトスタンド最上段に打球をぶち込んだバーリーが、悠々とダイヤモンドを一周する。三塁ベースを回るとき、こちらに向けてどうだとばかりにガッツポーズをした。いまだ時が止まったままの球場で、三塁側ベンチだけがドッと沸いた。
「なんだよお前! どうやって打ったんだよぉ!」
ネクストバッターズサークルのウィルがバーリーの頭を撫で回しながら尋ねる。バーリーはフッと息を漏らし、カッコつけながら言う。
「さぁな。俺にもぜーんぜんわからねぇ。適当に振ったら当たった」
……。
さすがバーリー、期待を裏切らない。皆がガックリとうなだれる中、ジョナーが「あ」と声を上げた。
「そうか、わかりましたよ! あの魔球の攻略法が!」
「なんだって?」
全員の注目を一身に浴びながら、ジョナーは自信満々でとんでもないことを言い切った。
「全員二球に一球、目をつぶって全力フルスイングしなさい。それだけでこの試合、まだひっくり返せます」
「「「「「「「えーっ!!?」」」」」」」
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その後。九番・ウィル、一番・ジャックはジョナーの作戦通りに二球に一球目をつぶってフルスイング。しかし二人とも三振であえなくチェンジ。
ジョナーの考えていそうなことはわかる。おそらく、バーリーがホームランを打てたのはただの偶然だ。元々スイングがでたらめだから、振った場所がたまたまナックルの変化の軌道上と重なり、当たった。それだけのこと。だからジョナーはあえて目をつぶって打つように指示をした。目で追ってしまえば、逆に変化についていけないから。
詰まるところ、再現性の欠片もない偶然を狙うだけの、低レベルな作戦だ。彼らしくもない。
しかもこの作戦には致命的な欠陥がある。二球に一回スイングするということは、二球に一回ストライクを取られるということ。仮に振らなかったボールがすべてボールになったとしても、フォアボールにはならない。必ず三振してしまう。攻略法どころか、これではただの自滅だ。
さらに言えば、守備のほうもまだ完全な攻略法を見いだせていない。二回裏に一点取られたように、内野手を定位置につかせたままストレートとフォークでゴリ押しアウトを取っていく戦術だけでは無理がある。じり貧だ。やはり、アゼリアの二段構え戦略の両方を確実に抑え込む方法を探さなければ。
「皆さん。ここは『プランS』でいきましょう」
三回裏の守備につく前、ジョナーが淡々と指示を出す。なるほど、プランSでいくそうだ。
……ハァ? プランSだと? まさかの作戦に動揺する俺。
「しかも、それだけではありません。少し耳を貸してください」
「……ハァ!?」
しかもそれだけではなかった。だけど、ちゃんと説明を聞くうちにジョナーの意図を理解する。
それなら確かに、アゼリア国の戦略を封じられるかもしれない。
小作戦会議ののち全員散らばって守備位置につく。その瞬間、一塁側ベンチをはじめとした球場全体が大きくどよめいた。
「なんだあの守備位置は!?」
センター・ウィルが、二塁ベースの約一〇メートル後方に陣取る。外野は彼一人だけ。レフトのバーリーとライトのロブは、それぞれショートとセカンドの定位置あたりまで前進する。それに伴ってショート・オズ、セカンド・ジャック、そしてサード・アレクは更に前に押し出され、ピッチャーの俺と一緒になって相手のゴロコースを塞ぐ。唯一空いている一塁線はファーストのアルがそのまま定位置に張り付くことで、ファーストゴロとして処理できる。
それはさながら、ガルシアのソフトボールチームのヒット封じのように。
これが「プランS (ソフトボール)」。ガルシアたちとの日々の練習を通して編み出した陣形だ。
「とち狂いましたか? それなら、高いワンバウンドで内野の頭を越えるだけです」
そう、これだけではアゼリアの二段目の戦略を攻略できない。だからこそ、これだ。
俺は大きく振りかぶる。そしてボールを投げた。斜め上に向かって、ゆっくりと。これもまたガルシアたちのソフトボール戦法のような、山なりの超スローボールを。
相手打者が困惑しながらも、上段の構えを取る。スローボールの到達に合わせてバットを縦に一閃!
しかし、ボールがホームベースの手前でワンバウンドすることはなかった。相手の打球はライナー性の当たりとなり、二塁ジャックのグラブに収まる。ワンナウト。
「なぜ!?」
驚愕の声を上げたヒエンに、凡退した打者が応える。
「ダメです。あんなに山なりのボールでは、タイミングが……」
よし、と俺は小さく吠える。まさにジョナーの言った通りの展開だった。
ほぼ真上からゆっくりと落下して来る投球に対し、バットをさらに上から叩きつけるのはボールの軌道上ほぼ不可能に近い。結果、さっきのようにライナーになるか、あるいはゴロになる可能性が高くなる。
これが俺たちのアゼリア打線封じ。名付けて、「プランS・S (ソフトボール・スペシャル)」
「だったら、居合斬りで強行突破するまでです!」
次打者。一つ目の戦略の、ややダウンスイング気味の居合斬りで強い打球を放ち、無理やり前に詰めた内野の間を抜こうと試みる。完璧なタイミングで打ちぬかれた痛烈な打球が、サードのアレクを襲う。
が。
「よっと」
グラブを雑に振るい、アレクはいとも簡単に捕球してみせた。そしてそのまま、ファースト・アルに転送される。ツーアウト。続いての打者の打球も、ショート・オズが捕球してアレクにトス、アルへと渡る。6・5・3のシングルプレー。スリーアウト、チェンジ。
俺たちに至近距離からの速い打球は通用しない。なぜなら、ソフトボールチームと練習試合を繰り返すうちに、彼ら同様の作戦のために散々反射神経を鍛えたから。
これで二段構えの戦略両方を同時に封じた。ヒエンが悔しそうに唇を噛む。
さぁ、勝負はこれからだ。
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そこからはお互いに無得点が続いた。こちらの攻撃は二球に一球フルスイング戦法。が、目をつぶった状態で当たる方が難しい。三振が続き、三者凡退を繰り返す。
一方、俺たちの守備戦略プランS・Sのほうには多少の穴があった。理由は、俺のスローボールのコントロールのばらつき。ソフトボールチームの投手・ガルシアのようにそれ専用の戦術として練習してきたわけではないため、たまにコースが甘くなるのだ。
相手打者は少しでも打席の後ろに下がり、山なりのボールの落ちて来るタイミングを狙って上段斬りをする戦法に集中し始めた。ホームベースの手前のほうに投げてしまった場合、むしろ上段斬りの恰好の餌食となる。
そうやって何度か内野の頭を抜かれたが、辛うじてホームベースを死守する苦しい展開が続く。
四回表、四回裏、五回表、五回裏……
せめては三者凡退、守っては四者凡退、せめては三者凡退、守っては五者凡退……
苦しい。そして攻撃時は暇ったらない。これじゃあ結局、八百長と変わらないじゃないか。オズが空気を読まず「暇だなぁ」と口にし、バーリーがベンチの前の草むしりを開始する。あれ、この光景どこかで見たような……
事態が動いたのは、六回表の攻撃。ワンナウトから九番・ウィル。
「あーもう! 我慢ならねぇ!!」
彼はジョナーの作戦を無視し、セーフティバントでの出塁を試みたのだ。二球に一球のフルスイング攻撃にビビり無意識のうちに後退していた内野陣が、ウィルのバントの構えを見た途端慌てて前へと駆け出す。完全に意表を突いていた。だが無情にも、ナックルボールの不規則な変化に対応しきれず、なんとかバットには当てたもののボールは三塁線、わずかに切れた。ファールボール。
「なるほど、彼らの狙いはこれだったのですね」
ヒエンがジョナーの作戦の意図を理解する。そして今、ウィルの暴走によりそれが失敗に終わったことも。
結局、三振に終わりベンチに戻ってきたウィル。
「無様だな」俺が言うと、ウィルは烈火の如く怒り俺の胸を突き飛ばしてきた。
「八百長に加担してるクズに言われたくねぇんだよ! ジョナーも! なにがこの試合まだひっくり返せるだ! 意味のない凡退ばかり繰り返しやがって。見損なったぜ!」
続く一番・ジャックは、まるで機械のようにジョナーのフルスイング作戦を完遂し、三振。この回も三者凡退。ナインカラーズ、ベンチは完全に敗退ムードが漂っていた。
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七回表。あの男が動き出す。
「さて、そろそろ反撃といきましょうか」
ジョナーが急にそれらしいことを言う。が、誰も反応しない。いまだバラバラの九色。それぞれがそれぞれのキャンバスに絵を描いている。
ヒエンがサードの定位置からせせら笑う。先頭打者は二番・アル。一球目、わずかに外れる。ボール。
二球目。アルはジョナーの指示通りフルスイングを――しなかった。当然振ってくるものと思っていたのだろう、相手投手の投球は大きくストライクゾーンを外れていた。二ボール。
「……なんだと?」ヒエンの表情がにわかに曇る。三球目、見逃してストライク。四球目、またスイングしないが、バッテリーは振ってくると思ったのか、またしても大きく外す。三ボール一ストライク。
そして五球目。ストライクを取りに行った投手の意に反し、ナックルボールは強風にあおられ大きく変化した。フォアボール。この試合初めて、先頭打者が出塁した。
「……まさか!」
気付いた時にはもう遅い。続く三番・ジョナーも同じ理屈でフォアボールを選ぶ。ノーアウト一、二塁。
「まんまとやられましたね」
ヒエンがタイムを取り、ピッチャーに何かを伝えに行く。おそらくこちらの本当の作戦に気付いたのだろう。
ジョナーの作戦。それは規則的なスイングを繰り返すことで「二回に一回必ず振ってくる」と刷り込むこと。それ自体だった。万が一にでもまぐれでバットに当たって、バーリーのときのように長打を打たれてはかなわない。そこで相手バッテリーは二球に一回は大きくコースを外すクセがついていたのだ。目をつぶってスイングしていたのも、どれだけ外れていても振ってくるのだと印象付けるため。
そしてナックルボールは性質上、ピッチャーの意志で確実にストライクを取ることができない。特に、こんなに風が吹いている日には。
全ては伏線。試合終盤、たった一度のビッグチャンスを作り出すための。
「種がわれれば怖いものはありません。次からは全球ストライクを取りに行ってください。彼らはまだ、ナックルボール自体を攻略できたわけではありません」
打席には四番・オズ。ヒエンはまだ知らない。彼女こそが、このチームで一番の天才だということを。
「よっ、と」
初球、オズは不規則に落ちる球を拾うようにバットに乗せ、ライト前に落とす。まるで魔法使いの杖のよう。芸術的な流し打ちだった。
「もうー、ほんとはいつでも打てるのにわざと三振しなきゃいけなくて、暇でしかたなかったよ」
「……化物ですか、あの女」
しかし、非力な女性だと見てライトが前進守備で守っていたため、アルはホームまでは帰ってこられない。ノーアウト満塁。千載一遇の大チャンスで、俺に打席が回ってきた。
「フフフ。いい攻めでしたが、しかし、巡り合わせが悪かったですね」
ヒエンはまだ有利を疑わず、ほくそ笑む。そしてその読みは当たっている。さっきまでの俺だったら。
「次の打者がリョウさん、あなたでラッキーでした。なにせ、最初から勝つ気のない八百長プレイヤーなのですから。ここでワンナウト。そのあと二人で、四点差をひっくり返せますか?」
勝利を確信したようなセリフ。けど残念、そいつは負けフラグだぜ。
一球目。油断しきったピッチャーが球を投じようとした瞬間、
「殺気!? い、いけません! ストライクは……」
ヒエンが叫ぶが、もうボールは投手の手から離れている。俺の殺気満々全力前進フルスイングが、甘く入ったナックルボールを完璧に捉えた。
白球は九つの祈りに押され、あっという間にスタンドの向こうに消えた。
「ま、満塁ホームラン……」
5―5。
再び静寂に包まれる球場と、大歓声のナインカラーズベンチ。バラバラだった俺たちはもういない。いや、最初からそんなものはいなかった。
「……どういうことです? あなたは確かに、直前まで全く打ち気を見せていなかった。仲間割れをし、完全に孤立していた」
ダイヤモンドを一周した後、ヒエンがたじろいだ顔で尋ねる。
「ああ、そうだな。孤立しているかのように、演技をしたからな」
「なんですって?」
俺はウィルと目線を合わせ、今度ははっきりと頷き合う。
「てめぇの大根芝居がバレねぇか心配だったぜ」
「うっせぇバカ。こっちのセリフだっつの」
そう、最初から全てジョナーの計算通り。試合前からわざとウィルと衝突している様子を見せ、俺に勝つ気がないと思い込ませた。ここぞというチャンス、俺を相手に油断させて大量得点を奪うため。「八百長があり得る」という状況を逆に利用したのだ。
まぁ、まさか本当に満塁なんて美味しい場面で回ってくるとはさすがに思っていなかったが。
「しかしなぜ! 一球でうちのエースのウィニングショットを捉えられる保証など、」
「ナックルボーラーの特性さ」
「なに?」
「ただでさえ特殊な投げ方で、繊細な指先の感覚を必要とするナックルボール。しかもワンピッチピッチャー。七イニングも投げれば疲労で指が言うことを聞かなくなり、余計な回転がかかって変化量が甘くなるはずだというわずかな可能性に賭けたんだ。そして俺は賭けに勝った。悪ぃな、打者・宮下涼を甘く見たツケだ。俺はガキの頃からずっと、エースで四番を譲ったことはなかったんだぜ」
俺はベンチに戻るなり揉みくちゃになった。最初から、俺たちの中に八百長をするつもりのあるやつなんて一人もいなかった。なぜなら、スポーツは本気じゃなければ意味がない。それでこそ、本当の意味で和平の架け橋になると、全員が信じていたから。
そしてその考えの正しさを証明してくれたのが、球場の観客たち。スタンドインからしばらく遅れてやってきた大歓声が、彼らのエキサイトを示すなによりの証拠だ。
「なるほど。実力もさることながら、なかなかの胆力と狡猾さ。正直舐めていました……ですが、勝負はまだ振り出しです」静かな怒りを孕んだヒエン。その覇気はまさに一国の兵を束ねる者だ。俺たちは改めて身を引き締める。
勝負は振り出し。まだ、終わっちゃいない。
/
「ピッチャー代わりまして、志倉飛燕」
自慢のナックルボールにかげりの見えた先発投手に代わり、なんとサードからマウンドに上がったのはヒエンだった。鬼のような形相で打者をにらむ彼は、おそらく国の期待を背負って立っている。この球場に押し寄せた、数万の観客全ての期待を。
「野球の国を舐めるな」
依然ノーアウト、俺たちはベンチから六番・アレクの打席を見守る。策はなくなった。ここからは正真正銘、ガチンコ勝負だ。
ヒエンが投球モーションに入る。見惚れるほど美しいワインドアップから、流れるような体重移動。直後、爆発のような音がミットから響く。横から見ていても速すぎて、球筋が全く見えなかった。そしてなにより、あのアレクがピクリとも動けなかった。
二球目、三球目も。そして七番・ロブ、八番・バーリーまで含めて、ストレートのみのワンピッチで三球三振。完全にボールの下を振っており、掠ることさえできなかった。
「怪物だ……」
誰かがつぶやいた。ほとんど確信に近い予感に胸を貫かれる。
うちはこの先一点も取れない。そう、おそらくは相手のほうも和平のために手を抜いていたのだ。安寧の時は終わり、勝ちの芽が消えた。
/
七回裏、アゼリアチームは四番から始まる好打順。打者の構えが変わった。
正面を向いて片膝をつき、なんとバットを地面に置いている。今までの構えは水平よりやや下向きのダウンスイング、もしくは真上から思いきり振り下ろす超ダウンスイング。そして今度のはおそらくしたから上へと斬り上げる、一発長打以外眼中にない――超々アッパースイング。
「全球、フルスイングで応えて差し上げなさい」
ヒエンの指示が俺たちを震え上がらせる。すぐに守備位置を定位置に戻す。内外野が前進し、外野は俊足のウィル一人でカバーするプランS。それは相手が「絶対に長打がない打線」だからこそ成り立った戦略だ。今、彼らはせこく転がすヒットなんて狙っちゃいない。
……面白れぇ。
俺もまた一段ギアを上げ、通常のフォームで投げる。二種類のスライダーは解禁し、逆にコントロールがアバウトなフォークボールは封印する。フォークほど、高めに浮いたときに長打にされる危険性が高い球はない。
ジョナーのサインに対し、首を縦に振る。得意のコンビネーションでストライクゾーンの四隅ギリギリを狙い、針の穴を通す。
三者連続三球三振。
「ほう……やはり、いい球を投げますね」一塁側ベンチのヒエンと目が合い、火花が散る。俺だって、野球の国で天才って呼ばれてきたんだぜ。簡単に負けてたまるか。ここからは意地の投手戦だ。
八回表、八回裏と一人もランナーが出ずに終わる。だけどそれを退屈だと思う者はもう誰もいない。オズも、バーリーも、固唾を飲んで静かな停滞の行方を追っている。実際、俺の球は捉えられ始め、少しずつ打球がフェンスに近づいてゆく。八回裏の最後の打者、この日初めて外野へとフライが飛ぶ。が、平凡なレフトフライ……ん? レフト?
「バーリー!」
俺は思わず叫んだ。皆も一斉に声を上げる。バーリーはフラフラと危うい足取りで、ぎこちなくボールをグラブに収めた。スリーアウト、チェンジ。
「ナイスキャッチ! バーリー!」
「よく捕ったな! ファインプレーだ!」
「さっすが! 見直したよ!」
「めちゃくちゃ普通の打球だったよね!? 俺だけこんなことで褒められてんの、なんか不服なんだけど!?」
と、茶番はさておき。
九回表の攻撃が無得点で終わったとき、俺の周りに一斉にメンバーが集まってくる。わざと仲間割れを演じていた時間を埋めるように、優しさを手にして。
「ほら、これ飲んで。スポーツドリンク。僕の飲みかけでよければ」
「あぁ、悪いな。ロブ」
「おれのもやるよ。飲みかけだけど。ゲプッ……」
「バーリー……もうほとんどないじゃん」
「…………」
「無言で差し出してくるなアル。おい、ジャックも面白がって便乗するな。さすがにこんなに飲めな」
「皆いい加減にして! こういうときに渡すものは相場が決まってるの! はい、リョウこれどうぞ!」
「……オズ、これは?」
「レモンのはちみつ漬けパン」
いつかの意趣返しのようにドヤ顔のオズ。あぁもう、全部胃の中にぶちこんだらぁ。
九回裏、タプタプのお腹でマウンドに上がった俺は、なんとかツーアウトを奪った。親善試合で延長戦はない。ここを抑えれば同点で試合終了。だが、まだラスボスが待ち構えている。
三番、ヒエン。
打席に入った彼は寒気がするほどのオーラを放っている。元の世界でも対峙したことのない、圧倒的な強者。初めて出会う明確な格上。俺は帽子を取って滝のように流れる汗を拭う。さぁ、最高に痺れる勝負の時間だぜ。
一球目。誘い球の低めのスライダー。バットは地面に置いたまま、ピクリとも動かない。
二球目。さっきよりボール一個分高いスライダー。外角いっぱいに決まるが、動かない。
三球目。汗で高速スライダーが高めにすっぽ抜ける。明らかな失投。やはり、動かない。
二ボール、一ストライク。こいつ、待ってやがる。ストレートを。
ジョナーのサインは高速スライダー。たぶん、彼もヒエンの狙いに気付いている。この日初めて、首を横に振った。ジョナーが呆れたように笑って、サインを出し直す。ど真ん中ストレート。わかってるじゃねぇか、相棒。
そして。受けて立ってやるぜ、ヒエン。
大きく振りかぶって、グローブを腰の前に落とすと同時に左足を高く高く蹴り上げる。
一瞬の静止後、少しだけ重心を前に傾けると、慣性の法則に従って身体は動き出す。しなり上げる鞭のように。
そしてそのしなりの先端、揃えた人差し指と中指の先から、相棒のミットに向けて白球を解き放つ……っ!
――目にもとまらぬ一閃だった。ヒエンが、残像が見えるほどのスピードでバットを掴み、下から上へカチ上げると、打球はセンターに向かってぐんぐんと伸びる、伸びる。ウィルが必死に背走する。届かない。越える……っ!
「アウトー! ゲームセット!」
審判のコールに俺は呆然と立ち尽くす。ウィルがグローブを抱え込んでうずくまるのが見える。頭の上を越えていく打球に対し、後ろ向きのまま、奇跡的なスーパーキャッチを決めてみせたのだ。
いやでも、そもそも今の完璧な当たりは、完全にフェンスを……
「向かい風に命を拾われましたね」
ヒエンがそう言って、フッとどこか満足そうに息を漏らす。瞬間、今日一番の大歓声が球場を揺らした。
ダイヴァー国VSアゼリア国、国際親善試合。結果は5―5の引き分け――。




