4回、野球VSソフトボール
先攻はソフトボールチーム。俺はマウンドで投球練習をしながら、アルの言葉を反芻する。
『お前はチームワークをなにもわかってない』
それはきっと事実だ。俺にはチームワークなんてわからない。正確には、必要だと感じたことがない。しいて言えば、ひとりひとりがチームのために個の力を磨くこと。それが本当の意味のチームワークなんじゃないのか。実力の伴わないやつらが「ドンマイドンマイ」とミスを許し馴れ合うことを、チームワークだとは思わない。
俺はそうやってきた。これまでずっと。
「プレイボール」
相手チームの補欠が務める主審の号令で我に返る。そうだ。今やることは一つ。俺は正しいと、実力で証明すればいい。この試合負ける? それはない。だって、俺が一点もやらないのだから。小学校の部活とはいえ、ソフトボールでも全国制覇してるんだぜ。
第一球。俺は身体を「く」の字に曲げながら右腕を後ろに下げて反動をつける。そして左足を大きく前に蹴り出し、右腕を下から前、そして上にぐるりと回転。同時に、左腕を前に突き出して身体を横に向けつつ、発射角度をキャッチャー方向に定め……
一周して戻ってきた右腕を右脚の太ももにほんの一瞬掠らせ、ボールをリリース! この太ももに触れる「ブラッシング」という動作の瞬間の、ピッという音がとにかく気持ちよくてたまらない。
白球は俺という砲台から、まっすぐにキャッチャーミットへ向けて射出される。伸びあがるような直球は、バットの軌道を嘲笑うかのようにはるか上を通過し、
「す、ストライク」
その後の二球も、変化球など使うまでもなかった。三球三振。コールする審判と凡退した打者の動揺が手に取るようにわかる。そしてその空気で自信は確信に変わる。おそらく相手投手の中に、俺ほどの球を投げるやつはいないはずだ。
唸りを上げる剛球……なんて自分で言うのもなんだが、実際そうだ。次の打者も、またその次の打者も、バットに掠らせることさえさせなかった。三者連続三振。ほとばしるアドレナリンを制御し、あえて無表情でゆっくりとマウンドを降りる。淡々と。当たり前とでもいうように。そのほうが相手にとって精神的にこたえることを、俺は経験で知っている。
一回表の攻撃にかかった時間はわずか二分程度だった。そら、どうだ。お前らお得意のソフトボールで、手も足も出ない気分は。
一回裏。先頭バッターは俺。今回はシンプルに、打席が多く回る上位から順番に期待値の高い打者を置いた方がいいという判断だ。
相手投手はガルシア。投球練習を見ながら実力のほどを測る。ま、地区レベルってところだな。これがこの国唯一のソフトボールチームのエースの球だというのだから、哀れなものだ。
初球。ど真ん中高めの球を振り抜くと、打球はいきなりセンターの頭を越える二塁打となった。けど、ホームランにできなかったのが気に食わなかったので、塁上で首を捻って言ってやる。
「あれぇ、おっかしいな。今日は調子が悪いのかな」
わざとらしく。煽るように。わずかにガルシアが、苛立ちの表情を見せる。
ソフトボールの大きな特徴は、上から振り下ろすように投げることがほとんどの野球の投手とは真逆の、浮き上がるような独特の軌道。久しぶりすぎてさすがに一発ではアジャストできなかったが、ま、次の打席では捉えられるだろう。気長にいこうぜ。ソフトボールは七回まであるのだから、仮に全員凡退したとしても、あと二回は打席が回ってくる。
けどたぶん、うちのやつらはそこまでやわじゃない。
二番・ジャック。彼は以前の三球勝負のとき、二球で俺のストレートを見切ったほどの動体視力を持つ。別に大きな期待はしちゃいないが、走る準備をしておいて損はない。
「オラァ!」
ピンチになり、ガルシアの球威がにわかに増す。が、そのぶんボールが荒れてストライクゾーンから外れる球も出てくる。ジャックはガルシアのボールの威力増加に戸惑っているように見えたものの、やはり早くに対応し、際どい球は前に飛ばないまでもカットして逃れられるようになった。そりゃそうだ、あんなのよりよっぽど威力のある、俺の球で練習を積んだのだから。
三ボール二ストライクのフルカウントから見極め、フォアボール。ノーアウト一、二塁。
「ふぅ、危ない。手が出なかったよ」
嘘をつけ。やつがあの程度の球を見切れないはずがない。そしてやつ自身もおそらくお世辞のつもりで言っていない。それが証拠に、ガルシアの苛立ちがさらに募っていくのがわかる。
三番・アレク。彼は攻守に高いセンスが見られたからこその内野の要、ショート。そして三番打者への抜擢だ。その初球、ガルシアが投げたのは初披露のの変化球「チェンジアップ」。ストレートとほぼ同じ軌道でスピードだけが遅い、いわばタイミングを狂わせるための球だ。
「おっとっとぉ!」
それが幸いした。意表を突かれたアレクの一拍遅れたスイングが、見事にジャストミートしたのだ。火の出るような痛烈な打球が三遊間を抜けて、レフト前に転がる。
チッ。打球が早すぎて、逆にホームに帰れなかったか。
ともかく、ノーアウト満塁。これで一点はほぼ固いだろう。そして一点取ればもう俺の勝ちだ。四番はコンタクト力、パワーともに非凡なものを持つアル。巨漢の彼がただ無口に打席に向かうだけで、恐ろしい風格だ。
しかし大ピンチを前に、ガルシアは不敵に笑った。
「思ったよりはやるな。早速、アレをやるしかないか」
アレ、だと?
グラウンドに吹く風の向きが変わった気がした。「やるぞ」ガルシアの掛け声にオウと声を上げるソフトチームメンバー。なんだ。いったいどんな秘策をぶつけてくるつもりだ。
注目の初球、俺は目を疑った。ウィンドミルですらない下手投げ。しかもそれだけじゃない。山なりに弧を描く、超スローボール。唖然とした。こんなものが秘策? ガキでも思いつくような、奇をてらっただけのその場しのぎじゃないか。
滞空時間が長すぎて、一球の間に呆れる余裕すらあった。が、次の瞬間、俺はもう一度自分の目を疑うことになる。
「前進!」
ガルシアの号令とともにキャッチャー以外の野手陣――内野だけでなく外野、さらにはガルシア本人まで――が、ホームベース方向、すなわち打席のアルに向けて走り出したのだ。
ボールはまだ滞空している。アルの元に届く前に、その長い滞空時間を利用して距離を一気に詰める。アルから見て右から順にファースト、セカンド、ピッチャー、ショート、サード。五人の野手が打球の行く末を塞ぐ壁のように立ちはだかる。
「…………っ!」
面食らったのか、アルのバットはゆるいボールに対し手を出すこともなく見送る。
「ストライク」
審判がしてやったりといった表情でコールする。
……なるほど。今のワンプレーだけでだいたいわかった。彼らの言うアレとやらの正体が。
先ほども思った通り、内野は山なりのゆるいボールの間に打者に詰め寄り、ヒットコースを潰す文字通り「壁」となる。そして同時に、外野も本来内野手が守るあたりまで前進。これでもし打球がフラフラと上がって壁を越えたとしてもケアすることができ、ポテンヒットにもならない。
肉の盾で物理的にヒットを打てなくする。
ありえない。常識外れのパワープレーだ。
二球目、再びガルシアが高々とボールを放り投げる。もはや投手の基礎中の基礎、ブラッシングすらしていない。
「前進!」ガルシアの号令。全く同じ作戦だ。
「見逃せ! アル!」
俺は叫ぶ。確かめたいことが一つあった。指示通り、棒立ちのまま球を見送るアル。
「ストライク、ですよ?」
審判の言葉に俺は一つの確証を得た。残念ながら、八百長などではない。
こいつ、山なりのボールでストライクを取る訓練を積んでやがる……!
本来、あのような常軌を逸した山なりのボールは奇策だ。打者の目線を逸らす「見せ球」として習得していたとしても、多少練習するぐらいだろう。だが、ガルシアは二球連続でど真ん中のストライクゾーンに放ってみせた。リリースポイントを固定し、コントロールを安定させるためのブラッシングをしなくても、だ。間違いなく相当な練習を積んでいる。
つまりこれはその場しのぎの奇策でもなんでもない、計算し、練習し尽くされた、彼らなりの王道戦術なのだ。
こんなもの、俺の世界のソフトボールのセオリーと違いすぎる。まるで別競技だ。
ガルシアはすでに三球目の投球動作に入っている。俺は再びアルに叫んだ。
「思いきり振り切れ! ぶつけろ!」
なぜ俺の世界にそんなセオリーがないか。そう、この作戦には致命的な欠陥がある。単純な話だ。こんな至近距離で痛打を浴びせてやれば、仮に肉壁のどこかで受け止めることができたとしても、捕球することなんてできやしない。怪我も免れない。
けどそれがどうした? 相手の優しさに付け込むような作戦は、作戦とは言えない。
アルもそれは理解しているようで、遅い球に対し打ち急ぐことなく、待ち、完璧なタイミングでバットを振り抜いた。力強い打球が、あろうことかサードの顔面を襲う。
しかし。
「アウト!」
サードライナー。なんと、サードは自分の顔に向けて飛んできた球を、コンマ数秒、ダイレクトで捕球してみせたのだ。ワンナウト満塁。いまだ優位は揺るがない。だが俺は呆気に取られてしまった。冷静な思考すらままならなくなるほどに。
おかしいだろ。こんな反射神経、人間じゃねぇ。
続く五番・ロブ。さらに六番・ジョナー。
彼らもまた連続で痛打を放った。しかし今度はショート、ファーストが連続で人間離れした反射で、軽々とグラブに収めてみせた。
スリーアウト、チェンジ。
ベンチに戻った後、俺はジョナーに尋ねる。
「……なぁ。この世界の人間は皆、あんな化物じみた反射神経をしているのか?」
「あなたのいた世界との比較はできませんが……少なくとも、あんな人間がゴロゴロいるような世界ではないですよ」
あてが外れて返す言葉が見つからない。少なくとも俺は今、起こった現象に対して納得のいく理屈を導き出すことができなかった。
「あくまで推測ですが、」ジョナーが何事もないような涼しい顔で、彼の理屈を説明し始めた。
「どう見ても彼らの連携はメイン戦術といえる完成度でした。ならば、先ほど我々がそうしたように『至近距離の相手にぶち当てて無理やり突破する』というのは誰でも思いつく攻略法です。逆に言えば、そんな見え透いた弱点の対策を怠るはずがない」
「どういうことだ」
「おそらく、日頃の練習から超至近距離でのノックを繰り返していたのでしょう。彼らの反射神経は元から備わっていた能力ではない。この作戦のために鍛え上げた技術だということです」
本当に驚くと、人は何も言うことができないらしい。「加えて、」ジョナーは動揺した様子もなく淡々と続ける。
「ソフトボールは野球のボールと比べ、大きくて重い。そのため同じスイングでも野球よりも若干打球のスピードが遅くなる。さらに投手の球が山なりのスローボールであることが、スピードの出にくさに拍車をかけている。これは物理学の領域の話です。それに万が一捕り損ねたとしても、最悪の大怪我となる可能性は野球のボールの直撃よりは低いでしょう。なんせソフトボールですから。
ソフトボールという競技の特性を最大限生かした、極めて合理的な作戦であると言えますね」
「合理的? なにを馬鹿な! そんな作戦、セオリーでは」
「あなたの世界のセオリーなど知りません。ただ僕は目の前の現象を分析し、言語化しただけですよ」
吐き捨てるように言い残し、ジョナーは一塁ベースに向けて歩き出す。
「まぁまぁ、そうギスギスしなさんな。なーんてね」気遣いの声かけだが、オズの言葉というので逆に気に障る。
とにもかくにも、俺はようやく気付き始めた。ここは異世界。俺のいた世界の常識など、ここではなんの意味もなさないということに。
「……だからどうした。俺が一点も与えなければ、良くても引き分けだ」
そう、まだ負けたわけでもなんでもない。むしろ勝負はこうでなければ。
二回の表。再び三者凡退。二回裏。こちらも再び三者凡退。
三回表。余裕の三者凡退。まだ打球を一度もフェアグラウンドに飛ばされていない。野手陣(特にセンターのウィル)が露骨に退屈そうにしている。
三回裏。三者凡退。ゴロやライナーを打てば内野の肉壁が立ちはだかり、壁を越えるために上に打球を飛ばせば、上がりすぎてただの外野(位置的にはほぼ内野)への平凡なフライとなる。
キャッチャー以外の八人がヒットコースの全てを塞いでいる。言葉のままに八方塞がり。なんとかしてこの陣形を崩さねば、得点は望めない。
「ドンマイドンマイ! なんとかなるよ!」
ドンマイ! 俺の一番嫌いな言葉! オズのやつめ、本当にどこまでも俺の神経を逆撫でしやがる。
そうしてお互い全く攻略の糸口が見いだせないまま、四回の表。ソフトボールチームの攻撃。打者が先頭に戻り、二巡目の打線を迎えるところ。
「じゃ、そろそろ土下座の準備運動でも始めてもらおうかな」
ガルシアが挑発的に言う。初回と同じ、嫌な風が頬を撫でる。
気にするな、どうせはったりだ。俺の球を打つことなんてできやしない。汗を拭い、投球フォームに入る。瞬間、打者がバットを寝かせ、中腰となるのが目に入った。バットを振るのではなくボールに軽く当て、あえて近くに転がす打撃――「バント」の構え。ただランナーがいない今、これは走者を先の塁へ送るための犠牲のバントではなく、自らが出塁するための一手。
セーフティバントだ!
投げた後すぐ、体勢を整えて俺は九人目の野手になる。コンッという軽い音とともに、初めてフェアゾーンに打球が飛ぶ。が、球威に押され勢いを殺しきれなかったボールは、一塁線とマウンドの間あたりに転がった。俺の守備範囲。余裕のアウトだ。
しかし、そこで猛然とダッシュしてきた選手の姿を、視界の左端に捉える。ファーストのジョナーだ。
「馬鹿! ここは俺に任せろ!」
ジョナーを押しのけるように打球を捕り、ノールックで一塁に送球する。そこには一塁ベースカバーに入ったセカンドのジャックが――いなかった。
は?
打球は転々と右翼側ファールゾーンへと転がる。慌ててボールを拾ったライトのオズが直接三塁に向けてボールを投げる、が、やはり致命的に肩が弱い。バッターランナーは余裕を持って三塁を陥れていた。
ノーアウト三塁。
……なんだ、この体たらくは。俺は怒りのまま叫んだ。
「ジョナー! なんで人の守備範囲まで出しゃばるんだ! お前は一塁ベースに張り付いてなきゃいけないだろ! ジャック! 一塁が空いたらセカンドがカバーに入れと教えたはずだ!
それからオズ! お前は肩が弱いんだから、三塁に直接投げるんじゃなく、ちゃんと中継に、」
「そこまでです。リョウ」
俺の叱責を止めたのはジョナー。彼の顔はヒートアップする俺とは対照的に、能面のように冷たい無表情だ。
「たった三日の練習で、それも相談もなく当日決められたポジションで、完璧な連携などできるはずがないでしょう。ミスには違いないですが、その程度織り込み済みの自信かと思っていたのですが。それにオズについては、」
たっぷりと間を空けて、皮肉めいた口ぶりで、ジョナーは言った。
「外野に守備機会は訪れない。そう言ったのは、あなたでしょう」
正論すぎてぐうの音も出ず、俺は唇を噛んだ。なんだよ。俺が間違っているとでもいうのかよ。この中で一番上手いのは俺なんだぞ? それなのに……
続く打者の初球。三塁ランナーは猛然と走りだし、打者は軽打で打球をセカンドに転がした。本塁送球は間に合わないと判断したであろうジャックが、一塁で確実にアウトを取る。
0―1。感情の整理がつかないままなんとなく放ったストレートだった。簡単に前に飛ばされたことで初めて、相手がバットを極端に短く持っていたことに気付いた始末だ。
さらにその後、俺の動揺と急造守備の穴を突かれてさらにもう一点失った。
0―2になってしまった。俺は忍び寄る死の恐怖におののきながら打席に向かう。
……ダメだ。仮に奇跡的に、俺が残る二打席連続でホームランを打てたとしても、同点。
「うわぁぁぁぁぁ!」
ヤケクソのフルスイングの結果は、壁の後ろにヒョロヒョロ上がった平凡なレフトフライ。
今、同点どころか敗北が確定した。トボトボとベンチに戻る俺を一瞥し、ジョナーが皆に呼びかける。
「確実に一点、取り返す策があります」
教えて、とワクワクしたような皆の声。耳障りだ。負けているのに、なにを楽しそうにしてやがる。いいよな、命のかかってないやつらは。人の気も知らないで。
俺はジョナーを中心にできた輪を無視し、あるいは彼らから俺が無視され、一人ベンチの隅でうなだれていた。
そんな中、一人だけ俺に近づいてきたやつが……
「ねぇ、リョウも一緒に作戦を聞こうよ!」
オズだ。まただ。優しさと空気の読めなさが全面的に出ちゃってるだけなのはなんとなくわかる。だけど、今声をかけられても惨めなだけだ。俺は顔をついと逸らす。
「ほっとけよ、そんなやつ」
「そうそう、ほっとこうぜー」
今度はアレクがオズに呼びかけた。言外にわかりやすく排他的なものを感じる。
同調したのはウィル。ったく、最初のしおらしい態度はどこへ行った。
「もう、やめなよ二人とも……ごめんね、リョウ」
仲裁に入ったロブは人が良すぎる。あと、物分かりも良すぎる。きっと俺が意地を張っていることを気付いていて、あえてオズの手を引いて戻っていく。オズはチラチラとこちらを気にしながらおとなしく輪の中に帰る。
もう一押ししてくれたら……そんな怒りを勝手に覚えている自分が、みっともなくて腹が立つ。
/
四回裏、五回表、五回裏、六回表と三者凡退が続く。オズは「暇だなぁ」とはっきり口にするし、バーリーに至ってはベンチの芝生を引き抜いて遊んでいる。
なにが一点返す策がある、だ。結局初回以降、一人の出塁もできていないじゃないか。さっきなんて、言っていた本人が簡単に凡退していたくせに。
六回裏、七番・バーリーの打席。
「では、手はず通りに」
ジョナーの声かけに、バーリーが「ヨッシャー、任せとけ!」と無駄に元気な声を張る。何をするつもりなんだかと見ていると、
「うぅおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
恐ろしいまでに馬鹿正直な、フルスイング。あまりのスイングに、バーリーは足がもつれてこけたうえヘルメットが脱げて転がった。
……アホか。タイミングも軌道もズレズレ。ヒットどころか、バットに当たる予感さえない。
「ふぅおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
「はちゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!!!」
三球三振。あまりに惨めな光景に味方ながら同情していると、ジョナーは「完璧です。よくやりました」とねぎらいの声をかける。ハッ。ついにとち狂ったか。
ワンナウトランナーなし。続く八番・ウィル。その初球だった。
「セーフティバント?」
山なりボールをギリギリまで引きつけての急襲バントがショート方向にコロコロと勢いなく転がる。しかし、こんなに前に出てきているショートが捌けないわけ……っ!?
ショートがボールを拾って一塁へ送球。超前進守備のライトが一塁ベースカバーに入るが、ウィルの足が一瞬だけ上回った。
「セーフ!」
ワンナウト一塁。二回以降初めての、野球チーム側の出塁だった。
「な、なんで……」
「説明しましょうか?」
いつのまにか俺の横に座っていたジョナーが、ウィルに拍手を送りながら俺のつぶやきに応えた。そして頼んでもないのに、彼が仕掛けたカラクリを得意げに説明し始める。
「バーリーのスイングはボールに当たるかは置いておき、このチームで一番、圧倒的に、鋭く速い。そんな彼のスイングがまぐれでもジャストミートしてしまったら……いくらソフトボールチームの面々の反射神経をもってしても、捕球は不可能。場合によっては大きな怪我は避けられないでしょう」
「なんだ、ただのまぐれ当たり狙いか?」
「いえ。僕はバーリーにこう指示しました。『ボールを一切見ず、ただ全力でフルスイングしてきてほしい』と」
「?」
「わかりませんか? たとえ当たらないとわかっていたとしても、バーリーほどのパワー打者がラッキーパンチ狙いのヤケクソフルスイングをしてくると思えば、いくら反射神経を鍛えている彼らといえど、本能的に恐怖が生じる。そして、無意識のうちに守備位置がほんの少し後ろに下がる」
ようやくジョナーの意図の輪郭が見え始めたとき、ベンチから歓声が上がる。
九番・オズの初球。ランナー・ウィルが走り、盗塁を成功させたのだ。当然だ。あんなに高くボールを放っているのだから、キャッチャーに届く前に二塁ベースを陥れていただろう。
それも作戦のうちといった顔で、ジョナーは続ける。
「バーリーの打席での狙いはただ一つ、フルスイングを見せて相手の守備を深くすることだけ。そして八番のウィル。彼はチーム一の俊足です。だから、」
「隙をついてセーフティバントをさせたのか」
「いかにも」
そうこう話している間にウィルが三塁への盗塁も決めた。
しかし、打席のオズは盗塁の代償にノーボール二ストライクに追い込まれている。
「オズの次はあなたですよ。ネクストバッターズサークルへ」
「……なんだよ。結局、俺頼みなんじゃないか」
「いえ。あなたの出番はありません。なぜなら、オズがウィルをホームに返しますから」
「打つ手がないからって、ブラフか? 見苦しいぜ」
「リョウ。あなたはオズを見くびっている」
「ふん」
バットを持ち、ネクストバッターズサークルへと向かう。その間、オズは遅すぎる球を待ちきれず強引に引っ張って、三塁線ギリギリに転がるファールボールを連発していた。
冷静に、この打席の行く末を予想する。仮にオズが打球を前に飛ばせたとしよう。だけど、内野陣は先ほどまでの深い守備位置を即座に修正し、ヒットゾーンを完璧に塞いでいる。オズが非力な女だからこそ、強打を気にせず安心して前に詰められるのだ。
これだけ前に詰められていると、ウィルがどれだけ俊足だとしてもホームに送球されれば余裕でアウトにされる。なら内野の壁を越えたら? 無理だ。オズのパワーがないことがわかっているから、外野は今まで以上に前で守り、もはや内野の定位置だ。一分の隙も見当たらない。
対してオズは、何度も何度も三塁線ファールゾーンへ打球を飛ばしている。全く同じコースに十何球も連続で。まるで、狙ったかのように。
おい……嘘だろ? まさか……
二十球目ぐらいだろうか。ガルシアの手からボールが離れると同時に、ウィルがスタートを切った。
本塁への盗塁、ホームスチール!? いや、違う!
「えいっ」
気の抜けたかけ声とともに、オズがサードとショートのど真ん中に打球を放つ。打球が――抜けた。ウィルが悠々とホームに返ってくる。本来のショートの定位置あたりにいるレフトが捕球し、オズは一塁でアウト。
ツーアウトランナ―なし。
しかし、1―2。予告通り一点、返した。
俺は今さら気付いた。ジョナーの狙いに。そして、オズの真の才能に。
三塁へのファールボール。あれは本当に、彼女が狙って打っていたのだ。そしてあそこまで連発されれば自然と、無意識のうちに、サードのポジションが三塁線側に寄る。三遊間がほんの少しだけ広くなる。八方塞がりが崩れる。そうやって狙って作った唯一の隙間……壁に開いたネズミの巣の入口みたいな小さな穴に、オズは、これまた狙って打球を通してみせたのだ。たった一振りで、正確無比に。
まさに神業の如きバットコントロール。
「天才だ……」口から自然と零れ落ちる。三球勝負のとき、彼女に一泡吹かされた苦い記憶が蘇った。
そしてもう一人。ジョナーは四回裏からずっと、この六回裏の七番・バーリーから始まる攻撃だけを狙って逆算していた。もしかしたら、それまでの打者の凡退すら彼の指示だったのかもしれない。
緻密な計算に加え、仲間の強みを把握したうえ信じきったことでしか生まれない、大胆な作戦。
「わーい! 作戦だいせいこーう!」
「よくやったオズ!」
「さすがです!」
イニング終了後。ベンチにできる八人の輪を見て、ほんの少しだけ、羨ましいと思った。
/
結局。その後は両軍得点することはなく、試合は1―2でソフトボールチームの勝利。
「おい、リョウ。記憶喪失になってないだろうな?」
「……あぁ、約束だ。土下座して『野球はソフトボールの下位互換です』と、言えば、いいんだろ……」
「そのつもりだったんだが、気が変わった。お前は気に食わないが、お前の仲間たちのことは気に入った。だから、」
何を言われても受け入れるしかない。覚悟はできている。ぎゅっと目をつぶり、ガルシアの次の言葉を待つ。
「またいつか、今度は野球のルールで試合をしろ。それが俺たちの要求だ」
「……は?」
「今回、ソフトボールのルールに則って七回で試合が終わった。だけどもし野球の九イニング制だったら。もう一度、七番からの打順と当たることになっていたはずだ。だから、次は野球のルールで勝負だ。勘違いするなよ。俺たちはただ運良く逃げ切ったと思われるのが癪なのと、相手の土俵でなぶり殺しにしてやりたいと思っただけだ。
べ、別にお前らと試合をするのが思ったより楽しかったわけじゃないんだからな!」
出来の悪いツンデレみたいなことを言うガルシアを俺はぽかんと眺めていた。そんな俺を蚊帳の外にして、うちの他の連中はソフトボールチームとやんややんや言って盛り上がっている。今度野球も教えてくれよとか、そんな言葉も聞こえてきた。
そいつら、まだ野球を始めてたった三日だぜ? 素人同然で、セオリーも何もわかっちゃいないんだぞ?
なのになんでだろう。俺よりも、あいつらのほうがずっと野球のことを知ってるんじゃないかとか、そんなことを考えてしまうのは。
***
「先に帰る」
リョウは一言そうつぶやいた。私にだけ、聞こえるか聞こえないくらいの声で。引き留めようかと思ったけど、やめた。こう見えてとても空気は読めるほうなのだ。代わりに家の鍵を渡し、小さくなっていく背中を見送る。
「おいオズ! 不用心だろ。もし家の中を物色されたりしたら、」
「そんなことしないよ、リョウは」
私が自信を持って答えると、アレクは「なんであんなやつのほうに肩入れするんだよ」とずいぶん不服そう。
「アレクこそ、なんでそんなにリョウを毛嫌いするの?」
「……んなの、あいつが勝手に人様の輪の中に入ってきて暴れ散らすからに、」
「同族嫌悪みたいなもんだよね。アレク」
話に割って入ったのはジャック。くつくつと楽しそうに笑っちゃって、またアレクをからかってるみたい。
「はぁ!? 誰があんなやつと同族」
「あーわかる」
「昔のアレクにそっくりですもんね、彼」
ウィルとジョナーが同調するけど、これはからかってるんじゃなくてたぶん、本心。
「ほんとは気になるんでしょ。アレクも、最初は酷くツンツンしてたもんね。それでもオズが空気を読まず無理やり引っ張ってきたから、今こうして一緒にいられるんだし」
「……意味不明なこと言うなよ、ロブ」
そうだそうだ。空気を読まずなんて、意味不明な。
「………………」
うんうん、そうだよね、アル。リョウはチームワークをまだ知らないだけ。だって、本当に自分一人だけで戦うつもりだったなら、オーダーなんてくじ引きかなんかで適当に決めちゃえばいいんだもん。
だけどリョウは、リョウなりに私たちの適性を考えてオーダーを組んでくれてた。皆と意見が食い違っちゃったのは、ただ過ごした時間の長さのぶんだけ。
「よくわかんねぇけどさ、楽しかったし別にいいじゃん? 俺、もっと野球やりてぇよ」
バーリーはよく考えずにたまに核心を突く。そう。私たちは今日、楽しかった。野球じゃなくて親戚のソフトボールだったけど。私たちはスポーツに嘘は吐けない。
そしてなにより。
「リョウ自身がまだ、嘘を吐いてるんじゃないかな。自分に」
「……」
たぶん、皆考えていることは一緒だ。あの三球勝負のとき。わかったことは私たちが野球を好きかもしれないってことと、もう一つ。
「今日、家に帰ったらリョウと話してくるよ。だからもし、リョウが明日も練習場に来てくれたら」
笑顔で迎えてあげて。
そう言うと、オズが言うならしょうがない、って、苦笑いしながら皆も賛同してくれた。一人を除いて。
「……お前、ほんとにちょっとあいつに肩入れしすぎじゃね?」
ウィルだ。すっごく不満そうな顔。そうかな? 私、そんなにリョウに肩入れしてるように見えるのかな?
「別に普通だと思うけど。だってリョウ、家で二人のときは結構素直で可愛いんだよ? 私のパンすっごい美味しそうに食べてくれるし」
「美味しいって言ったのかよ、あいつが」
「言ってるよ。顔が」
それは素直とは言わねぇんだよと、ウィルはガックリとうなだれた。なに、私変なこと言った?
***
「ただいま……」
人の家に上がるのに自然とこんな言葉を吐いている自分がいる。誰かいるならまだしも、家主はまだ戻ってすらいないのに。
最後の歓談の中、いたたまれなくなった俺は先に一人で帰宅することにした。そんな俺に平気で合鍵を渡すオズは底抜けのお人好しか、それともただの馬鹿か。疲れ果てた俺は風呂にも入らずそのまま自室のベッドにダイブする。
ゆめうつつで、あの日の白球の記憶をなぞっていたような気がした。
「たっだいまー!」
馬鹿が帰ってきた。まどろみから強制的に引き揚げられた俺は、洗面所へと駆け込み、脳裏に残る不快な思い出を胃の中のものと一緒にぶちまける。
「ど、どうしたの!? 大丈夫!?」後ろからオズの声がする。今日はいろいろと醜態をさらしてばかりだ。恥ずかしくて、情けなくて、自然と謝罪の言葉が口をついた。
「ごめん」
「何が?」
「……いろいろ」
「まぁ、全く怒ってないと言ったら嘘になるけど」
そう言いながら朗らかに笑うオズに、俺は気付けば、もっと恥ずかしくて情けないセリフを吐いていた。
「チームメイトを信頼できないんだ」
「ん?」
「元の世界で、俺は野球をやっていたんだ。甲子園を目指して」
「コーシエン?」
一度溢れだしたら止まらなかった。俺は一方的に投げる。白球のように。きっと打ち返されることのない言葉を。




