延長12回、サヨナラ
いまだ鳴りやまぬ歓声の中、国王がベンチから戻ってきた。彼の頭上にもまた、健闘を称える拍手が降り注ぐ。すっきりしたようでいてどこか浮かない顔の国王――クロスファイアに、俺は容赦なく突きつける。
「約束、忘れてないよな?」
「……うむ。野球を国技に」
「俺は生きて元の世界に戻る。ただし、野球は国技とはしない。確かそういう条件だったよな」
は?とナインからも一斉に声が上がる。「我はそんな約束、」と言いかけたクロスファイアを遮り、俺は試合前の意趣返しをしてやる。
「最近物忘れが酷いんだろ? トイレの後ケツ拭いたかも忘れるぐらい。俺との約束も忘れちまったんじゃねぇか」
クロスファイアは「ぐぬぬ」とお手本のような唸り声を上げた後、俺に尋ねる。
「……国技にしないことで、お前になんのメリットがある? これからこの世界を去ろうというのに」
「俺は知ってるんだよ。この世界には、野球以外のいろんなスポーツに本気のやつらがいる。どれが一番かなんて決める必要ないだろ? 俺は自分の世界に帰れさえすれば、それでいい」
オズたちは納得したように頷いた。この国に国技なんて必要ない。インディアカと野球、どっちも一番でいいんだ。それは彼女たちが一番知っているだろう。
「……そうなると、我が困るんだがな」
「なんでだよ」
「それは……」
「正直になれって。きっと皆、受け止めてくれるから」
クロスファイアは頭を抱えた後、恥ずかしそうに、ぽつんぽつんと語り始めた。
「我は野球が好きなんじゃ。だけど、この国で野球文化を流行らせようとしても、我にはそれをすることができなかった。お前が去ってしまったら、きっとまた野球は廃れてしまう。そうしたら、我は誰と試合をしたら……」
「ハァ!? なに言ってんだよオッサン」
ウィルが呆れたように言う。クロスファイアは口をあんぐり開けて驚愕をあらわにする。
「オッサン? え、オッサン!? わ、我、国王で神なんだけど……」
「関係ねぇよ。俺らからしたら、あんたはもうただの野球好きのオッサンだ。俺らと同じな」
「え?」
「リョウが帰っちまったら野球をやめるとでも? まさか。俺たちはもうとっくに野球の虜になっちまったんだよ。インディアカと二足のわらじにはなっちまうけど、オッサンが試合したいなら、いつだって相手してやる。な、ジョナー」
「勝手に決めないでください。僕は『リョウが無事生きて元の世界に帰るまで』という条件で野球を始めたんですよ」
「ふーん。じゃあ、ジョナー抜きでやるか」
「待ってください! 別にやらないとは言ってないでしょう! ……おほん。まぁ、野球も思ったよりも楽しかったですし? 続けるのはやぶさかでもないですが」
「要らねぇよ、男のツンデレなんて」
「うるさいですねぇ! 僕はただ論理的に野球を続ける判断を、」
「はいはい、二人とももう終わり! 小汚いオッサンが困ってるでしょ?」
「こ、小汚い……お前、オズといったか? 見かけによらず、一番はっきり言うのう」
目の前で繰り広げられる珍妙なやり取りに困った様子のクロスファイア。もとい小汚いオッサン。
そんな彼に、スタンドからも声が飛ぶ。
「水臭いですよ国王様! 野球とソフトボールは親戚でしょう? ……というわけで、これからはソフトボールのほうにも便宜を図ってもらいたいなぁ、なんて」
「そうですよ、水臭いです陛下。我らアゼリアも皆様を歓迎します。何度だって親善試合、しましょう!」
ガルシアとヒエンの言葉にオッサンは涙ぐみ始める。
「けどよぉ、」と再び言葉を引き取ったのはウィル。
「神チームは強かったけど、全然なってなかったよなぁ」
「そうですね。それには同意です」
「うんうん、全くもってダメダメだったね」
ジョナーとオズが続き、ナインカラーズの面々も激しく頷く。
「な、なんじゃと。我は野球を司る投神……」
「知らねぇよ。いいかオッサン、野球は……いや、これはリョウが教えてやれ」
急に水を向けられて驚く。オッサンは、まさか自分が野球を教わることになるとは思っていなかったらしく、キョドキョドしている。
俺はそんなオッサンに――かつての自分に、教えてやることにした。
「野球は三振かホームランだけじゃないんだぜ。あとは、自分の仲間たちと一緒に探すんだな。星の数よりもたくさんある、野球の魅力を」
「……できるだろうか、我らにも」
「できるさ。俺にもできたんだから」
オッサンはワクワクしたように、見たことのない笑顔を咲かせた。
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そうして俺たちの長い戦いは幕を閉じ、最後に待っているのは――別れ。
「じゃあオッサン。そろそろ俺を元の世界に戻してくれるか?」
「おいおい、情緒もクソもないな。別れの言葉もなしかよ」
「なんだよウィル、寂しいのか?」
「ハァ!? べ、別に寂しくなんて」
「俺は寂しい。だから、泣いちまう前にさっさと帰りたい」
「……リョウ」
途端にしんみりとした空気に包まれる。観客たちも全員万全の見送り体勢、つまりは沈黙で、九つの色が最期に描く絵をを見守ってくれている。
俺たちはしばらく、誰もなにも言えないでいた。もし言葉を発してしまえば、それがサヨナラの始まりだ。
最初に口を開いたのはジャックだった。
「ありがとうリョウ。君に会えて、野球に会えてよかった。一生忘れない」
そういえば最初の三球勝負でも、ウィルの後に真っ先に名乗り出たのはお前だったな。真面目そうな顔して、意外と勇敢で、狡猾で、イタズラ好きで。俺もお前に会えてよかった。
「………………………………………………………………………………………………」
出会ってから最長の文字数の別れの言葉を述べるアル。お前はおとなしそうに見えるのに、誰よりも熱いハートを持っていて、常に仲間を信頼していた。お前と話すのにもう言葉は要らないよな。
「まぁその、なんだ。せいぜい元気でやれよ。もしまた野球捨てやがったら、ぶっ飛ばすからな」
俺と一番似ているアレク。傲慢で、勝ち気で、自信家で。でもたぶんどこか寂しさを抱えていて。だからこそ、やっとできた仲間を大切に思っている。お前のことは俺が一番わかってる、なんて、自惚れすぎかな。
「正直、君がいなくなると思うと寂しくてしかたないよ。どうか健康に気を付けて。長生きするんだよ」
ロブ、お前は本当に優しいな。だけどただ優しいだけじゃなくて、ちゃんと譲れない自分の芯も持っている、強いやつ。お前にだけは一生敵いそうにないよ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 元気でなリョウッ!! うおぉぉぉぉぉぉぉん!!」
バーリー…………バーリー。その、なんかありがとな。お前のその純粋さは……って、ちょ、抱き着くな。鼻水付いてるから! きたなっ!! あーもう、とにかくありがとう!!!
「……」
「ウィル」
「お前にかける言葉なんかねぇよ」
「なんだよ、お前が別れの言葉がなんだって言い出したんだろ」
「必要ないだろ。俺たちは、きっと、またいつか会える」
「!」
「異世界だかなんだか知らねぇけどよ、俺はずっとここでお前を待ってる。また、お前と野球できる日を」
最初はぶつかってばかりだった。正直、一番ウザいとさえ思っていた。だけど今は……いや、やっぱりお前の言う通り、言葉なんて要らねぇよな。じゃあ一つだけ。またな、ウィル。
「全く、あなたには散々振り回されました」
「……」
「最初は正直とんでもないやつが来たと思いましたよ。身勝手で、自己中で、呆れるほど性格の悪い」
「おい」
「でもまぁ、僕はあなたのキャッチャーですからね……リョウ。僕はあなたに相応しい相棒になれましたか」
「……当たり前だろ」
危ねぇ、さすがに泣きそうになった。ジョナー。今になって思えば、俺の野球に対する価値観を一番変えてくれたのはお前だ。力勝負で自分が気持ち良くなることしか知らなかった俺に、仲間と協力することを教えてくれた。ありがとな、相棒。
そして。
「オズ」
「リョウ」
「……今まで、本当にありがとう」
「! ううん! こっちこそありがとう! 楽しかったよ! えっと、コーシエン?に行って、優勝して、プロ野球に進んで、大活躍して、め、めじゃーりーぐ?にも行って、そこでも大活躍するんだよね? 覚えてるよ。私もね、絶対パン屋さんになる夢を叶えるから! どっちが先に夢を叶えられるか勝負だね! それと、」
オズ。お前と一つ屋根の下で過ごした半年。激動の毎日だったけど、なんだかんだ家に帰ればお前がいてくれたから。いつも変わらない笑顔で迎えてくれたから。俺はここまでやってこれた。
……なぁ、結局俺たちの関係ってなんだったんだろうな。名前が付かないのがもったいない気もするし、逆に名前を付けてしまうのが惜しい気もする。二人の夢の続きは、きっとまたいつか、どこかで会えたときに。
「そろそろ時間じゃな」
オッサンが宣言する。だけどオズの言葉は止まらない。相変わらず、人の話を聞かないんだから。
「今住んでる家を将来的には改装して、そこでパン屋さんを開きたいんだ。リョウが暮らしてた部屋……正確にはウィルが出て行った後にリョウが居候してた部屋だけど、本当はあの部屋と居間をまとめてぶち抜いて工房にする予定だったんだけど、今はどうしようか悩んでる。だって、リョウが戻ってきたときに住む部屋がなかったら困るじゃない?」
「オズ」
「もう、おかげで余計な悩みが増えちゃった! だいたいリョウが来てから毎朝パンじゃ嫌かなぁとか、でも私朝は絶対パン派だしとか、ま、毎日悩みっぱなしで。そ、それから、リョウは私のことどう思ってるのかなぁ、とか。私は」
ああもう、せっかく我慢していたのに。俺は頬に温かいものが伝ったのを認めて、思う。あの三球勝負のときからそうだった。せっかく七人目のジョナーまでは耐えたのに、最後の最後にオズにやられてしまった。また泣かされた。そういう運命なんだ。出会ったときから、きっと……
「オズ!」
これ以上聞いていたら帰れなくなる。決心が鈍る。だから俺はオズの言葉を遮った。そしてこっちから決定的な言葉を言う勇気もないヘタレな俺は、結論を先延ばしにすることにした。
「続きは、次会ったときに聞くよ。離れてても、ずっとオズのことを、その、想ってる。だから、悪いんだけど……」
頃合いとばかりにオッサンが指パッチンをする。世界が光に飲まれて消えてゆく。というよりたぶん、俺のほうが光になって消えていっている。
きっとまだ間に合う。涙でぐちゃぐちゃなその愛おしいそばかす顔に向かって、今の俺にできる精一杯を伝えた。
「俺の部屋、残しといてくれよ」
愛しい人は視界を覆う光の濁流に飲まれて消えた。
最後の言葉は、君に届いただろうか。




