エピローグ
目を開けたら真っ白な風景が広がっていた。一瞬既視感を覚えるが、たぶん以前オッサンと出会ったあの空間ではない。もっと現実感に満ちた、天井とか、照明とか、ベッドとか、あと、俺の身体に縋りついて泣いている母親の顔とか。そんなものたちが目に入った。
「良かった、涼! もう、心配かけて!」
「……ごめん、母さ」
「なんであんたのほうが泣いてんのよ! どんな夢見てたのよ全く!」
「え、俺泣いてる?」
頬に手をやると水が指先を濡らす。うわ、恥ずかしいところ見られちゃったな。「悪くない夢だったよ」と返すと母は憤慨気味に、
「それにしたって丸一日も夢見てるなんて! もう、私この世の終わりかと……」
「丸一日?」
驚いて思わず聞き返す。話によると、俺は赤信号を無視して横断歩道に歩き出し、トラックに轢かれた後、一晩だけ生死の境をさまよっていたとのことだった。
たった一日?と言ったら「どれだけ心配したと思ってんの!」とビンタされた。病人なのに。
だって、異世界では半年も過ごしたというのに。
あの世界とこっちの世界では時間の流れが違うのだろうか。だとしたら、俺が天寿を全うした後運よくあの世界に行けるとしたら、どうなるのだろう? 俺だけよぼよぼのじじい? それともその逆で、もう皆死んじまって浦島太郎状態とか……
まぁ、そんなことを今考えてもしかたない。オッサンも「死んだ後どうなるかはその人間の生き方次第で、誰にも決められない」と言っていた。だったら俺は、彼女たちに恥じないように生きていこう。あの世界に、あいつらに相応しい人間でいれば、どのような形でもきっとまた会えるはずだから。というか、オズにあんなこと言ってしまった手前必ず迎えに行くのが男としての責任というか、うん。
まぁとにかく。そのためにはまず、この世界でやらなきゃいけないことがたくさんある。
けどその前に、ちょっと寄り道でもしていこうか。
「なぁ母さん。母さんが参加してる地域のスポーツチームって、確か夏はソフトバレーで、冬はインディアカをやってるんだったよな?」
「そうだけど、なんだい涼。藪から棒に」
「いや、今度一度、俺も顔出させてもらってもいいか? ちょっと興味が出てきたんだ」
「あんたが……野球以外のスポーツに、興味……?」
その後、錯乱した母が主治医を呼んで「息子が変なんです!」と大騒ぎになりかけたのだが、「悪いけど、ウンコが肛門から出たがっているから」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」と宣言してそそくさとトイレに逃げることで事なきを得た。なるほど、これは便利な技を手に入れた。
用を足していると、ふと、入院着のポケットの中でなにかがカサカサと音を立てた。引っ張り出してみると、なにやらしわくちゃの紙が入っている。開いてみると、へったくそな字でこう書かれていた。
『宮下涼殿
貴殿をダイヴァー国永久名よ国民兼国祭親ぜん大使兼野球担当大臣兼困ったときの助っ人に任命する。』
ウン国王だ間違いない。ケツでも拭いて捨ててやろうかと思ったが、一応手元に置いておくことにした。あっちでの日々が本当に夢でなかったことが確認できて少しだけ嬉しかった事実は、墓場まで持っていこうと思う。
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一ヶ月ほどの入院期間を経て、俺はやっと退院することができた。同時に、今の高校は退学して地元の公立高校に編入することにした。あんなことがあったんだ。今さら仲良くなんて、こっちの世界はそんな綺麗にはできていない。
東京の自宅で一人引っ越し準備をしていると、突然呼び鈴が鳴った。引っ越し業者か? まだ時間に余裕があると思って、全然準備できてな……
「久しぶり、涼……」
玄関を開けると、元相棒が立っていた。俺の記憶だと最後に会ったときはまだ普通を装って接していたはずだけど、えらく思いつめた顔をしている。
「なんか用か?」
別に深い意図はなかったけれど、ちょっと棘のある言い方になってしまったかもしれない。彼はびくりと肩を震わす。
しばしの沈黙の後、彼は決心したように口を開いた。
「ごめん! まさか、あんなことになるとは思ってなくて! お、俺、お前に酷いことを……もしあのまま死んじゃったら、もう謝ることも……って、いきなりなに言ってるんだよって感じだと思うけど、その、」
そうか。彼は、俺が自分の悪口を言われていたことを知っていたことを、知らないんだ。だけどこうして謝りに来た。支離滅裂になりながらも必死になにかを伝えようとする彼に、俺は「もういいよ」と応える。彼の肩がまた小さく震える。
やばっ、また感じの悪い言い方になってしまった。って、今はそんなことはどうでもよくて。俺が伝えたいことは。
「えっと、なんだ。俺のほうこそ、悪かったと思ってる。もちろん傷付いたけど、それを許すつもりはないけど、でも、原因は俺のほうにもあったんだって、今ならわかる。だから……」
「……だから?」
「俺は地元の高校で野球部に入って、甲子園を目指す。だからお前も、甲子園に上がってこい。そこでちゃんと喧嘩しよう。野球で」
「野球で、喧嘩?」
「あぁ。正々堂々と、お互いの仲間たちと一緒に、戦うんだ。甲子園の舞台で。まぁ、勝つのは絶対俺だけどな」
「……わかった。その勝負受けて立つ。悪いけど、俺も負けない」
「そうじゃなくちゃ困る。でよ、本気で戦えばきっと……」
「きっと?」
「……いや」
首を傾げた彼に俺は言おうか躊躇って、結局言うことにした。
「知ってるか? スポーツでの喧嘩ってのは、仲直りの保証付きなんだぜ」
―了―




