延長10回、消えない焔
五回終了時点で、0―7。一方的な蹂躙と言っていい。神チームはどこからでもホームランが出る重量打線で、効率よく、じわじわ、点差を広げ続けた。一方、ナインカラーズ打線はここまでノーヒット。一人のランナーも出せないまま、打順は七番・ロブ。
「もう飽きた。つまらん。次の回が終わった時点で一〇点差が付いていたら、コールドゲームにしよう」
国王の無邪気な提案に反論する気も起きない。勝てるわけがない。スタンドも、三塁ベンチも、闘志の火はほとんど消えかかっていた。ただ一人を除いて。
「まだ終わってない! 絶対、諦めないんだから!」
オズだ。もう皆無理だってわかってるのに、一人でムキになって。相変わらず、空気の読めないやつだな。
「行ってくる」
ロブが静かにバットを担ぐ。その瞳の奥には、わずかにオズの火が燃え移っている。
皆も、俺も。どこまでもまっすぐすぎる彼女にあてられて、未練がましくくすぶっていた火種から、小さな焔が顔を出す。
……まだだ。まだ、諦めない。絶対に。最後まで。
「おい! しんでも出塁しろ、ロブ!」
ナインカラーズ、六回表の攻撃。
第一球。肩口からグインと曲がる特大のカーブ。普通ならどんな打者でも腰が引けるような球。
だけどロブは動かない。結果、肩に当たった。いや違う。むしろ、避けるふりをして自ら当たりにいった。俺たちは気付いていた。ロブが打席の一番前、内側ギリギリに立っていたことに。おそらくやつは自分じゃ打てないと悟り、最初から内角のカーブをもらいにいっていたのだろう。
「デッドボール!」
セバス・チャンがコールする。正直今のは、審判によっては避ける意思がなかったと判断され、ストライク判定で打席が続行されてもおかしくなかった。だけどセバス・チャンは迷わずデッドボールを宣告した。国王も「避けてたらストライクじゃん!」と駄々をこねている。
とにかく審判の判定は絶対ということで、俺たちは初めてのランナーを塁に置いた。
「まずは一点、取り返しますよ」
燃えるようにジョナーが宣言する。もう一度ナインカラーズの頭脳が働き出したようだ。
八番・バーリーはブンブンと思いきり振り回した挙句、あえなく三振に倒れ、ワンナウト一塁。打席には九番・ウィル。その初球だった。
「いつも助かるぜ、バーリー」
ウィルはバットを横に寝かす。送りバント、いや違う、自らも生きようとするセーフティバントだ!
「あ!」ネット裏からガルシアの声がした。そう、例の如く、バーリーの獰猛すぎるスイングを見てわずかに守備位置が深くなっていた神チーム内野陣。そこにきてバント。いつぞやのソフトボールチームとの試合と同じ作戦だ。
しかし、神チームのサード・インフィールド神はまさに神速のチャージを見せ、ベアハンドで二塁に送球。一塁ランナー・ロブは、なぜかちんたら走って余裕のアウト。そのままボールは一塁に転送されるが、さすがにウィルの足ならばダブルプレーは免れる。
ツーアウト、ランナー一塁。
「なんだい、せめて滑り込むぐらいはせぇよ」
国王の悪態が聞こえる。これが、ジョナーの色が描いた作戦だと知りもせずに。
続いて一番のジャック。再び初球。国王がカーブを投げた瞬間、ウィルが走った! キャッチャー・フレーミング神が捕球してすぐ二塁に投げる。が、明らかにウィルのほうが速い。セーフ。ツーアウト、ランナー二塁。
「……なるほど、考えたな」
国王のカーブ。ストレートと緩急をつけるためのそのスピードの遅さは、大きな武器であると同時に、弱点にもなり得る。あれだけキャッチャーに到達するのが遅ければ、盗塁の恰好の餌食となる。それもウィルほどの俊足となれば、投げた球がカーブだと認識してから走っても間に合うほどに。
これ以上カーブを続ければ、三盗、下手したら本盗すら許しかねない。これでカーブは封じた。あとは、ストレートとフォークの二択。そして打席には一番・ジャック。
「だがツーアウト。お前を打ち取れば、」
そのとき、ジャックが小さく手を挙げた。タイムの要求だ。
一旦打席を外したジャックは、ユニフォームの尻ポケットからおもむろにケータイを取り出した。耳にケータイを当て、周りに聞こえるぐらい声を張るジャック。
「あぁごめんよ、今試合中だから。うん、うん。ありがとう、僕も愛してるよハニー。今度ウィルのところのカップルと、ダブルデートでもしようね」
……嘘だ。絶対誰とも電話なんてしてない。あいつに彼女がいるなんて聞いてないし。しかし真に受けた国王は、顔を真っ赤にして怒っている。
「ムキーッ!」
なんで他人に彼女がいて、目の前でイチャつかれたぐらいであんなに怒るんだ? あっ(察し)。
「テメェぜってぇ許さねぇぞこら! リア充三振しろ!」
頭に血が上った国王が投げる球は一つ。ジャックはそのたった一球のストレートを、短く持ったバットで完璧に弾き返した。
打球はライト・キャノン神の前に落ちる。キャノン神の矢のような剛速球がホームに帰って来る。しかし、ジャックが必ず打つと信じて投球と同時に走り出していたウィルの足が、ほんの一瞬だけ勝った。ホームイン。1―7。
一塁ベース上でガッツポーズをするジャックに、俺は呆れて笑う。そういえばあいつ、真面目そうな顔して意外とこすいんだったな。
ようやくハメられたと気付いたのか、国王はさらに顔を赤くして吐き捨てた。
「やってくれたのう、小僧ども」
その後、冷静さを取り戻した国王の投球により、二番・アルは三振。スリーアウトチェンジ。
だけど希望が見え始めた。
「国王ビビってる、ヘイヘイヘイ!」
「あいつぜってぇぶっ飛ばすマジ許さん」
「もうやめとけ、ジャック」
俺は少し力の抜けた肩で、六回裏のマウンドに上がった。
/
六回裏、神チームの攻撃。先頭は六番・インフィールド神。
差しあたって、守備面ではまだ突破口を見つけていない。ここを凌げるかが正念場だ。しかしツーボールワンストライクからの四球目、スライダーを上手く拾われてレフト・バーリーの前に落とされる。ノーアウト一塁。さらに続く七番・キャノン神にもツーボールからストレートを弾き返され、ライトフェンス直撃のツーベースヒット。が、こちらも長打を警戒してあらかじめ深く守っていたことと、ライトのロブの超強肩が幸いし、なんとか一塁ランナーのインフィールド神を三塁で留めることに成功。
ノーアウト二、三塁。本日何度目かの絶体絶命のピンチ。どうやら、ここで投入するしかなさそうだ。とっておきの切り札を。
「ピッチャー交代お願いします!」
俺は生まれて初めて自らマウンドを降り――サード・アレクとグータッチでポジションを入れ替わる。
「あとは頼んだ」
「チッ。今回だけだぜ。正直、胃が痛いのはごめんだ」
憎まれ口を叩きながらマウンドに向かうアレクの後姿が頼もしい。ずっと思っていた。もしなんらかの理由で俺がマウンドを降りなければならないとき。後を託せるのはアレクだけだと。
傲慢で勝気な性格。不遜な態度。胸に秘めた強いプライドと闘志。そして抜群の野球センス。
アレク以上に投手向きな選手は他にいない。だからこの一ヶ月ちょっと、彼に投球術を叩きこんできた。今日、この日のために。
バッターは八番・フレーミング神。その初球、アレクの投げた一四〇キロそこそこの直球は、ストライクゾーンからそれはもう大きく右に逸れ、フレーミング神の背中の後ろを通り抜けた。ジョナーが横っ飛びで辛うじて止め、飛び出しかけた三塁ランナーを目でけん制する。ワンボール。
さらに二球目、今度は上にすっぽ抜ける球。ジョナー、大ジャンプでなんとかキャッチ。ツーボール。
そして三球目。再び大きく乱れた投球はなんとフレーミング神の臀部に直撃した。デッドボール。これでノーアウト満塁。
「おいおい、勘弁してくれよ。不敬なやつめ」
アレクをにらみつけながら、ゆっくりと一塁へ歩いてゆくフレーミング神。そして打席には九番・セイバー神。
絶体絶命のピンチの上塗り。「投手交代は失敗のようですね」セイバー神がもはや打つ必要もなしというように、気の抜けたフォームで右打席に立つ。
アレクの頬に汗が伝っている。俺は祈るように彼の横顔を見つめる。万が一にもホームランを打たれれば、その瞬間コールドゲーム。ジ・エンド。さぁ、次の一球は今日一番の大博打だ。
初球、ど真ん中に甘く入った直球。まさかこんなに打ちごろの球が来るとは思っていなかったのか、セイバー神は驚きつつも、常人ならざる反射神経でバットに力を伝える。鋭いスイング。しかしボールがバットに当たる直前、まるでバットの芯から逃れるように、ほんのわずかに右下方向へと変化した。
打球は痛烈なゴロとなり、サードの俺の真正面。捕球と同時に三塁ベースを踏み、二塁へ転送、セカンドのジャックがランナーのスライディングを交わしながら、一塁・アルへとジャンピングスロー!
観客全員が固唾を飲んで見守る中、一塁塁審が叫ぶ。
「アウトぉ!」
5・4・3のトリプルプレー。スリーアウト、チェンジ。
ガッツポーズする俺たちを、セイバー神が一塁ベース前で呆然と眺めている。彼も今頃気付いただろうか。そう、全ては作戦。まずは八番フレーミング神のところであえて暴投を繰り返し、アレクのコントロールの悪さを印象付ける。アピールついでにわざとぶつけてデッドボールで出塁させ、二、三塁よりも守りやすいとされる満塁のシチュエーションを作り上げた。
そして九番セイバー神への勝負の一球。アレクはわざとど真ん中に投げた。打ちごろの半速球。慌ててバットを出してくるのもすべて計算の内。ほとんど直球に見えてわずかに芯を外れるように打者の手元で動く球――ツーシームファストボールで痛烈なゴロを内野に打たせ、最低でもホームでアウト、可能ならトリプルプレーを狙うというのが、うちの参謀の計画だった。
結果は見ての通り。勝因は二つ。敵がアレクのデータを持っていなかったこと。そして、アレクという男を舐めすぎていたこと。彼の武器は、その正確無比なコントロール。暴投するコースすら最初から織り込み済み、全てが完璧な投球。それをこの大舞台で成し遂げる強心臓も含めて。
「ナイスピッチ、アレク!」
「けっ、当然だろ!」
俺たちは二度目のグータッチを交わしてベンチに戻る。
「なにやってんだセイバー!」
「うるせぇ! じゃあお前らはやつらの作戦が見抜けてたのかよ、あぁ!?」
「よしなさいよ二人とも、みっともない」
「んだとフィルダースこらぁ!」
「ったく、お前ら皆なに人間相手にムキになってるのよもう」
「「「お前にだけは言われたくねぇクロスファイア!」」」
一塁側ベンチから揉める声が聞こえてくる。本当に、神というのは些細なことで喧嘩をする生き物らしい。神話もなかなか侮れない。
大歓声の追い風が吹いてきた。まだ六点差。だけど、俺たちはもう二度と折れたりしない。
/
七回表ナインカラーズ、打順は三番・ジョナーからの好打順。
と、初球のフォークをまるで打つ気がないかのように見逃した後、二球目のストレートを軽打し、レフト前に運んでみせた。
「貴様……なぜ我の球をそんな簡単に」
「たまたま二択が当たっただけですよ、国王様」
国王の問いに、意味深な言葉で返すジョナー。ノーアウト一塁で四番・オズ。
「えいっ!」
元気な掛け声とともに初球をいとも容易くバットに乗せる。コロコロとゆるく転がった打球は、深めに守っていたサード・インフィールド神が捕球しようとした直前、なんと運良く三塁ベースに当たってファールゾーン側へと跳ねた。インフィールド神が慌てて拾うが、どこも間に合わない。ノーアウト一、二塁。
「俺か……」
一発出れば4―7。一気に三点差。射程圏内だ。そこで俺が選択した一手は……
「バントだと!?」
ランナーを確実に次の塁に進めつつ、可能なら自らも生きようというバント。完全に意表を突かれた神チーム内野陣を横目に、俺は走る、走る、走る。最後は気迫のヘッドスライディング。間一髪でセーフとなり、ノーアウト満塁。俺は一塁ベース上で思いきり拳を突き上げた。
「よもや、お前がバントをしてくるとはな」
俺の性格とプレースタイルは把握済みだったのだろう、驚愕を隠せない様子の国王。そりゃそうだろうな。俺だってびっくりだよ。まさかこの俺が、バントで後ろの仲間に託す日が来るなんて。まあそもそもこの球場の広さじゃ、どう頑張ってもホームランなんて打てないしな。
そして六番・アレクが打席に入ったタイミングで、神チームが前進守備を取る。どうやらもう一点もやらないという腹づもりらしい。セオリーなら一、二点は与えても平気な点差だが、神としてのプライドがそうさせるのだろう。
……不意にベンチからタイムがかかった。何事かと目をやると、アルがただ無言でベンチ前に出て突っ立っている。
「……………………」
なるほど、そうきたか。
俺は気取られないよう少し小さめにリードを取り、国王が投球モーションに入った瞬間――走った! 一斉に! 一、二、三塁ランナー全員だ。走りながらちらりと打席のアレクを見やると、アルから伝えられた作戦通り、バットを頭の上に高く掲げている。スタンドのヒエンが叫んだ。
「あれは! 我が国の上段の構え……!」
そして神チームバッテリーの選んだ球種は……今のこのバットに当てられることさえ避けたい局面、ストレートは投げづらい。加えて先ほどの回のウィルの盗塁。ほとんどないとわかっていても、万が一を考えると三塁にランナーがいる状況で本盗のリスクのあるカーブを投げる度胸は、国王にはない。すると消去法でフォークしかない!
それを狙い澄ましたように真上から叩き潰したアレクの打球は、ホームベースの先で大きく跳ね、前進守備のセカンド・フィルダース神の頭を越えていった。
一人ホームイン、二人ホームイン、そして俺は二塁を回り、再びヘッドスライディングで三塁を盗む。3―7。さらにノーアウト一、三塁のチャンス。国王がグラブを地面に投げ捨てた。「なぜだ! サインもなしに!」
俺は塁上でフッと微笑む。サインなら出ていたさ。アルの無言のサインが。
『アゼリア戦。一回裏。上段斬り。ランナーは一斉スタート!』
国王もアゼリア戦を観戦していたから、声に出して指示するわけにはいかなかった。だからこそのアル。仲間だけにしか聞こえない無言のメッセージ。この土壇場で、俺にも確かに聞こえた。アルも、聞こえると信じてくれた。
その後、七番・ロブは凡退して、ワンナウト。そして八番は……
「よっしゃーーー!! いっくぞーーー!!!」
……頼む、運良く当たってくれ。
神頼みはしないと決めたはずだったが、今は目の前の神の失投に縋るしかない。
注目の初球、
「あっ! Queenが観に来てる!」
「エッ!?」
三塁ベンチからの声に気を逸らされ、国王、とんでもないド失投、ド真ん中。そしてバーリーのフルスイングがそれを打ち抜く。打球はあっという間にライトスタンドの彼方へ……
スリーランホームラン。当たりさえすればどこまでも飛ぶ、うちの秘密兵器。この普通の人間には広すぎる球場でスタンドまで運べるやつなんて、バーリー以外にいるはずがないだろ?
6―7。ついに一点差。
「どこ!? Queenどこっ!?」
打たれたことも忘れて興奮冷めやらぬ様子の国王。そんな彼を見ながら、ベンチでジャックがくつくつと笑いをこらえていた。
/
「許さん……許さんぞ! 小僧ども」
騙されたと気付いた国王は、完全に我を忘れぶちぎれている。その顔にいつものひょうきんさは一ミリも残っていない。
七回裏、神チームの攻撃。打順はちょうど五巡目に入る。
「ふぅ……やっと、データが出そろいました」
ジョナーが自信深げに言う。
「データ?」
「ええ。これまで四打席、各選手のあらゆるコース、あらゆる球種に対する反応を観察し続けてきました。もうこれ以上、点は取らせませんよ」
なんと心強い恋女房だろうか。有言実行。ジョナーのリード通りに淡々と投げ、先頭のオフマン神、二番のフィルダース神を抑える。ツーアウト。俺は小さな希望に魅入られる。このままいけば、本当に奇跡が起こるかもしれない……
油断――三番のクラッチ神の初球だった。ほんの少しだけ甘く入った内角の直球を、バットの根元でセンター前に運ばれる。ツーアウト一塁。
やっちまった……そしてその一瞬の気のゆるみが、今まで気付かせなかった体力の限界を、俺の身体に告げる。そういえば、一〇〇球を超えたところからもう数えていない。これでも元の世界では「無尽蔵のスタミナ」って言われてたんだけどな。
神チームの打線のプレッシャーによって緊張の糸を目一杯まで張り続けていたこともあるのか、明らかに疲弊するスピードが早い。まずいな。しかもここにきて四番・国王クロスファイア。
「我を愚弄したこと、後悔させてやる」
憤怒の形相に一瞬、呼吸が止まりそうになる。足先から指まで震えが伝ってきて、ボールを握る繊細な手の感覚を奪ってゆく。押せ押せムードのせいで忘れていた。俺たちは今、神と対峙しているんだ。意識とともに、観客席の応援の声が遠のいていく……
朦朧とした視界の中、ジョナーのリードの通りにスライダーを投げる。汗でわずかに指が滑った。曲がりが小さい。やばい、と思う間もなく、国王のバットがボールを叩き潰す。俺は振り返りボールの行方を追う。ボールは甲高い悲鳴を上げながら、あらかじめ深めに守っていたライト・ロブの頭上を、越えた……!
観客席の絶叫の中、一塁ランナー・クラッチ神が二塁を蹴る。だがここで、光の速さでロブより早くフェンス際を転々とするボールに追いつくやつがいた。センター・ウィルだ。
ウィルが素手で拾ったボールをロブに投げ渡す。ロブが投げたほうが速いと即座に判断して託す完璧なチームプレー。
ロブは振り返りざまに思いきり右腕を振る。もはやホームを見ていなかった。見なくても場所がわかるほど、これまで散々練習し尽くしてきたからだ。
クラッチ神が三塁を、回る! レーザービームの如き送球がファースト・アルの頭上を越え、ダイレクトでホームベース前で待つジョナーのミットに収まる。
ジョナーが身体を捻りクラッチ神をタッチしにいくのと、クラッチ神が回り込みのスライディングをしながら、ホームベースに左手を伸ばすのはほぼ同時だった。クロスプレー。セバス・チャンの判定は……
「セーフ、セーフ……っ!」
あぁ……間に合わなかった……ここにきて大きすぎる一点が入る。そして、この土壇場で左利きキャッチャーの弊害が出てしまった。右利きであればおそらく、今のタッチは間に合ってアウトだったはずだ。
三塁ベース上で国王が吠える。タイムリースリーベース。その後、疲労と動揺から再び甘く入った球を五番・バレル神にも打たれ、6―9。残り二イニングで三点差。相手投手は完全に本気モードの国王。
掴みかけていた勝利が、指の隙間から零れ落ちていく……
/
八回表。先ほどの回で九番・ウィル、一番・ジャックは凡退しているので、ここは二番のアルからの好打順。チャンス。しかし、さっきまでの勢いは完全に死んでいる。アル、そして三番・ジョナーまでもが簡単に料理されてしまい、四番のオズ。
ここでなにもできず、攻略の糸口さえ掴むことができなければ、うちは負ける。俺は死に、元の世界にも戻れない……諦めたわけではないが、死という恐怖がいよいよ実感を持って這い寄って来る。手がひとりでに震え始める。
「とりゃっ!」
不安を切り裂くように、およそ真剣勝負の最中とは思えない可愛らしい掛け声と、鋭い金属音が聞こえる。初球のカーブを流し打った打球が、今度はさっきとは逆の一塁線へと転がり、一塁ベースに直撃して大きく跳ねた。高く弾んだボールはファースト・バレル神の頭の上を越えてゆく。
また、ベース直撃のヒット。まるで打ち出の小づちだ。
オズのおかげで本日四度目の俺の打順が巡ってきた。まだ手の震えは止まらない。だけど、足は止めない。止めていい理由にはならない。
これは俺のための戦いなんだ。皆にはなんの利益もないのに、ただ仲間だからという理由だけで、ここまで必死に戦ってくれている。やるしかない。絶対になにか、自分で突破口を見つけてみせる。でなきゃ生き返る資格はねぇ!
一球目、内角いっぱいのストレート。手が出ない。が、セバス・チャンの判定はボール。
二球目、外角のストライクからボールへと落ちるフォーク。思わず手が出て、空振り。
三球目、再び内角のストレートに全く手が出ない! しかし、ボール判定に救われる。
四球目、外角低めギリギリにカーブ。手も足も出ず、バットは空を切る。ストライク。
五球目、ベース手前に落ちたフォークを易々と見切る。国王、さすがに力みが出たか。
そしてフルカウントからの六球目。肩口から食い込んでくる内角いっぱいのカーブボール。俺は見送る。否、見送らされた。どうしても手が出なかったのだ。なんでだよ! 畜生、畜生っ! 情けなさについバットを投げ捨てそうになった俺の耳に、しかし予想外のコールが届く。
「ボール! フォア!」
まさかのフォアボール。国王が「ストライクだろっ! なんだよさっきから!」とセバス・チャンに詰め寄る。ツーアウトながらランナー一、二塁。だけどこのチャンス以上に、俺は大きな収穫を得ていた。
もしかして……
その後、アレクはあえなく凡退して二者残塁。6―9のまま、相手の攻撃へ。だけどまだ。まだだ。
俺は確かに掴んだ。勝利へと繋がる、細い細い糸を。




