第三章 よちよち歩きは命がけ
森を抜けて、公爵邸の広大なイギリス式庭園へと戻ってきた時のことだ。
青々とした美しい芝生の上を、ポチを抱っこしたまま歩いていた私は、自分の「三歳児の身体」の身体能力を少し見誤っていた。中身は大人でも、足が短すぎる。
「あ、っとと……!」
小さな小石に足をとられ、身体が前に傾く。
(あ、やばい。前世の癖で手をつこうとしても、この短い腕じゃ間に合わない――顔面から芝生にダイブする!)
「なっ、主様! 危な――」
私の腕の中で、ポチが黄金の瞳を見開いて悲鳴を上げる。魔王の魔力でクッションを作ろうとしたポチだったが、それよりも遥かに早く、私の第ニの固有スキルが自動発動した。
【幼女スキル:よちよちあるき(天変地異)】
あなたが転びそうになったり、体勢を崩したりした瞬間、周囲の環境や因果が強制的に歪み、「あなたが絶対に無傷で、かつ可愛く着地できる」ように世界が勝手に調整を行う。
ズガァァァン!!!
私が地面に激突する寸前、私の進行方向にあった、大人が十人がかりでもビクともしないような庭園の装飾用の岩山が、内部からの凄まじい圧力によって木っ端微塵に粉砕された。
さらに、私が倒れ込むはずだった地面の土と芝生が、まるで高級羽毛布団のようにふっくらと盛り上がり、衝撃を完全に吸収する。
結果として、私は平坦になった地面(元・岩山)の上へ、きなこ色のフリルドレスをふんわりと丸く膨らませながら、コロンと可愛く尻もちをつくだけで済んだ。当然、かすり傷一つない。
「うにゅ?」
私は何が起きたのか分からず、お尻の下のふかふかした地面を触りながら、不思議そうに首を傾げた。
一方、その光景を特等席で目撃していたポチは、全身の黒い毛を完全に逆立て、マンガのように目を丸くしてガタガタと震えていた。
(……今、世界がバグった。主様が『転ぶ』という不条理な事象を消去するためだけに、この世界の物理法則が強制書き換えされたぞ……!? 我すら、地形を変える極大魔法には数時間の詠唱と膨大な魔力が必要だというのに……この御方は、歩いてつまずくだけで天変地異を起こすのか……!)
ポチの脳裏に、もしこの幼女が機嫌を損ねて本気で泣き叫んだ場合のシミュレーションが浮かんだ。
(間違いなく、この大陸、いやこの惑星が物理的に粉砕される……!)
「ポチ、だいじょぶ?」
私が腕の中の黒猫の顔を覗き込むと、ポチは涙目で必死に頭を振った。
「は、はい! ポチは無事です! それより主様、本当にお怪我は!? お労しや、このような不浄な小石め、我が今すぐ地獄の業火で消滅させておきますので!」
「りあ、へいき! えへへ」
えっへんと小さな胸を張る私の背後では、粉砕された岩山の破片が、まるで結婚式のフラワーシャワーのようにパラパラと美しく虚しく降り注いでいた。
ポチはこの時、心に深く誓った。この御方を世界のあらゆる危険から守らなければならない。いや、この御方から「世界を守る」ために、自分が盾にならねばならない、と。




