【挿話】 孤児ミリアは教皇に拝謁する
ミリア大聖堂編が止まらなくなりました。
あと数話分書き進めたく思っています。
あちこち飛んで申し訳ございません。
重い音を響かせて扉が開く。
神官達に囲まれて進んできた薄暗い廊下に比べ、室内は驚くほど明るかった。
ミリアは一度、目を瞬かせた。
まず目に入ったのは正面の大きな肖像画。
真っ白で装飾は抑えられているけれど淡い金色の装飾が施された僧服。
その上でやわらかく微笑む顔は孤児であるミリアでさえ知っていた。
"慈悲と慈愛"の具現者でありこの教皇国のシンボル。
奇跡をもたらす信仰の中心である教皇アステリア様の肖像だ。
ミリアが日々を過ごした孤児院の大広間にあった小さな肖像画。
同じお顔。
でもなんて大きいのかしら。
孤児院の肖像画と違い突き当りの壁上段を覆いつくすほどの大きさ。
そのなかで微笑む教皇様のお顔は今まで出会った誰よりも優しい眼差し。
吸い込まれそうになるほど澄み切った青い瞳。
描かれているだけでこんなに神々しい教皇様は、実物だといったいどれだけ……。
ミリアは孤児院のそれの何十倍も大きな肖像画に見入っていた。
「おおっ、来たのねミリア。ささ、こちらにお入りなさい」
静かにでも良く通る声に我に返る。
肖像画の下には大きな机。
その上には書類のような紙が幾重にも几帳面に積まれ、その脇には銀細工の燭台と、小さな聖印が置かれていた。
無駄で華美な装飾品は何一つない。
聖典と思しき書籍が開かれて真ん中に置かれているが、それは長い間使われていたと見え表紙に綻びも見える。
ここからは良く見えないが、きっと難しい祈りの言葉でも書かれているのだろうけれど、
孤児院でみんなで読みあった絵本くらいくたびれているわ。
偉い神官様でも本は大事になさるのね。
などとまた別な事に意識を飛ばしてしまう。
その机の前に佇みミリアに声をかけたのは、あの大聖堂で自分の顔を覗き込み不安に涙するその目をぬぐってくれたイグナスという神官。
こちらへ連れて来てくれた神官達とは明らかに違う白さが際立つ清潔そうな法衣。
僧帽こそ脱いでおられるが、きっとさっきの王冠のようなものを普段は被っておられるのね。
その法衣の上にある顔が笑みを浮かべこちらへと手招きする。
来いと言われてもミリアは室内の重厚さに気圧され一歩を踏み出せずにいた。
部屋の両側には天井まで届く本棚。
これほどの本は生まれてこの方見たことはない。
ミリアは絵本に載っているくらいの言葉しか字も読めない。
書くこともミリアという自分の名前とパンとか水とか身の回りにあるものくらいしか書けない。
ゆえに棚に整然と収められた様々な事柄が書かれているであろう本たちが、まるで小さなミリアを値踏みするように見つめている気がしたのだ。
「本が珍しいの?」
左右を交互に見ていたミリアの前にいつのまにかイグナスの姿があった。
「安心しなさい。本はその棚に収まっている間はわたくしたちになにもできない」
意味が解らずイグナスを見つめたミリアに
「世界から集められた知、風習、人、モノ、魔にいたるまでここにある数々の本には書かれているけれども」
そう言って本棚を一瞥し言葉を続けた。
「書棚から取り出し、開き、そこに書かれたものを読み、理解しなければ本というものはなんの役にも立たない」
きょとんとするミリアにイグナスはまた笑みを浮かべて厳かに述べる。
「偉大なるミラクレア・アルデリア・イシス教皇の"慈悲と慈愛"の奇跡やお言葉の方が、遥かにわたくしたちの導きとなるのです」
有無を言わせぬイグナスの言葉に思わずこくりと頷くミリア。
「さぁ、わたくしの後ろについていらっしゃい。あなたが見ていた肖像画の教皇様にそなたを診ていただくのです」
言うが早くイグナスはミリアの前から部屋の外へと歩み出した。
返事をする間もなく進みだしたイグナスの後ろを遅れないようにミリアも歩みを進める。
その後ろにミリアをここに連れてきた神官たちが音もなく続いた。
◇ ◇ ◇
イグナスの歩みは緩やかで足音もしない。
滑るように廊下を進むがその速度は遅い。
おそらくはミリアの歩みに合わせているのだろう。
遅れないようにイグナスの足元を見ながら歩を進めたミリアは、周りに気を配るどころではなかった。
ただでさえ明るさの乏しい廊下は周囲の様子が見えにくい。
どこをどう歩いているのかミリアにはまったくわからなかった。
前を進むイグナスの歩みが不意に止まる。
慌てて足を止めようとしたが、勢いがついていたミリアはイグナスの法衣にドスンとぶつかってしまった。
「ご……ごめんなさい」
急いで後ずさりして頭を下げ詫びるミリアを振り返りイグナスが笑った。
「こちらこそごめんなさい。できるだけゆっくり歩いてきたつもりだったけど、付いてくるのが大変だったみたいね」
いつのまにかイグナスがいた部屋の重厚な扉に比べると質素だが頑丈そうな扉の前に二人はいた。
後ろをついてきていたはずの四人は、いつのまにか足音ひとつ、衣擦れの音さえたてずにその姿を消していた。
イグナスは小さく縮こまるミリアの前に膝を折りしゃがむと目線を合わせ言い聞かせるように囁いた。
「今から教皇様のおん前にあなたをお連れします。中へ入ったらキョロキョロしないで声がかかるまで頭を下げているのよ」
「はい」
「怖がることはないわ。"慈悲と慈愛"の教皇様は、魔物のようにあなたを食べたりもしなければ、悪童商人のように??りもしない」
ミリアはこくりと頷く。
イグナスは立ち上がると厳かに、しかし良く通る声で扉に向かい声を発した。
「アルデリア猊下。大司教イグナス、先触れの子をおん前に~」
声に反応したのか扉全体が輝き始め音もなく開いてゆく。
室内からあふれ出る眩いばかりの光に、ミリアは慌てて目を伏せ頭を垂れた。
◇ ◇ ◇
ミリアの右手が誰かにすっと掴まれた。
その手が触れる感触から、これはイグナスの掌だとわかり力を抜く。
そっと手を引かれる。
ミリアは逆らわず目を伏せたまま部屋の中へ導かれた。
背後で扉が音もなく閉まってゆき、ピタリと毛一本の隙間なく閉じると一度だけ輝きを増し壁と一体になったのは目を閉じていたミリアには見えなかった。
何歩か進んだ先で引かれる手が止まり、ミリアも歩みを止めたが、イグナスに言われた通り頭を下げ目も開かずにいた。
「小さきものよ頭を御上げなさい」
透き通るような、でも柔らかく暖かい響きの声が耳に届いた。
まるで声に頭を撫でられているみたい。
ミリアはそう思ったが、言われたとおりにすぐ頭を上げて良いかわからず、そっと目を開けると隣りにいるイグナスの顔を見上げた。
「大丈夫です。お顔を上げて猊下に名乗りご挨拶を」
イグナスが囁く。
ミリアはおずおずと頭を上げた。
途端に白く眩しい光が両目に飛び込んできた。
眩しい!!
左手で光を避けようとしたが、イグナスが握る右手に力がこもり上げかけた手を下ろした。
何度か目を細め眩しさにその目を慣らしてゆくミリア。
そうしているとようやく室内のようすがわかってきた。
この部屋だけ壁や床の材質が違う。
燭台の灯りも見当たらないのに全体が白く輝いている。
部屋の真ん中あたりに白く磨かれた石が円形に敷き詰められ、細かな金の線で幾重もの円と幾何学模様が描かれていた。
ミリアには、それが何を意味するものなのか分からない。
けれど、そこがただの床ではないことだけは分かった。
そしてその円形の奥は、一段床が高くなりそこには一脚の椅子があり誰かが座っている。
椅子は豪奢なものではないが、手の込んだ細工がなされ良く磨かれている。
椅子の後ろには、壁一面を使って大きな聖印が刻まれている。
ミリアでもこの聖印は知っている。
この教皇国の刻印であり、御旗であり、聖なるミラクレア・アルデリア・イシスの御印。
高い壁の中央で、淡い光を放ちながら聖印は静かに輝いていた。
椅子に一人の女性が座っていた。
白い法衣。
簡素ながら豪華。
淡い金糸で縁取られ刺?が施された長い袖。
その胸元には、他の神官たちが身につけているものより一回り大きな聖印が掛けられている。
けれど、ミリアの目を奪ったのは、その衣装ではなかった。
顔だった。
先ほどまでイグナスの部屋で見つめていた肖像画と同じ顔。
吸い込まれそうですべてを見透かしてしまいそうな青い瞳。
絵の中で微笑んでいた人が、今は静かにこちらを見つめている。
本物だ。
ミリアの心臓が、どくんと大きく鳴った。
偉大なる建国者であり、神の導き手の最高位、"慈悲と慈愛"の具現者、ミラクレア・アルデリア・イシス教皇。
孤児院の壁に飾られていた肖像画の中にいた人。
毎日何度も祈りの言葉を聞かされ、日々何度もその御名を唱えた人。
その人が、今、自分を見ていた。
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