力への意志
咲は恍惚としていた。
鉤爪の血が吸い上げられるたびに、乾いた体に甘露が滲みこむような快楽を感じる。
咲の口から艶めかしい吐息が漏れ出た。
(もっと、もっとだ。もっと血が欲しい……)
抵抗空しく、絶え間なく押し寄せてくる亡者達の感情と血の快楽に、咲の思考は完全に塗り潰された。今の咲は血を吸うこと以外に考えられなくなっていた。
蛭の攻撃が一段と激しくなった。
三匹の蛭は上方に大きく体を伸ばすと、その頂点から解けるように亡者に変わり、ぱらぱらと鉤爪に降り注いだ。
鉤爪は応戦したが、鉤爪の爪はただ亡者の体をすり抜けるだけだった。
亡者達は鉤爪に取りつき、血を吸い上げた。
並のヴァンパイアであれば、とっくに力尽きているところだ。
鉤爪は全身に生気を張り巡らせて、亡者達の死の抱擁とでも言うべき攻撃に抗っていた。
しかし、全てが防げるわけではない。亡者が鉤爪に取りつくたびに、着実に鉤爪の命が削られていく。
鉤爪の動きが次第に鈍くなってきた。
「こいつらの相手をしちゃダメだ!あの女を直接を叩くしかねえ!」
鉤爪は亡者を振り払って、木を駆け上がり、咲に向かって大きくジャンプした。
咲は血に酔い、恍惚とした表情で中空を見上げていた。
鉤爪に気がついてもいない。
「死ね!」
鉤爪が爪を振り下ろした。
すると、横から刀が伸びて、鉤爪の爪を防いだ。
「なっ!?」
刀が鉤爪を弾き返した。
鉤爪は後方に一回転して、着地した。
見ると、咲の左肩付近を漂っている鬼火から刀を握った腕が伸びていた。
鬼火が大きく膨らみ、人型になったかと思うと、鎧武者に姿を変えた。黒い甲冑に身を包み、身の丈ほどの大剣を構えている。
鎧武者が刀を脇に構えた。
警戒した鉤爪が一歩下がると、背中が木に当たった。
(ちっ)
鎧武者が前に出て、横一文字に大剣を振った。
うなりを上げた大剣が、鉤爪の胴を狙った。
鉤爪は横っ飛びして大剣を躱した。
大剣は木に当たったが、鎧武者はそのまま大剣を振りぬいた。
大きな音を立てて木が倒れた。
鉤爪はちらりと切り倒された木に目をやった。
鉤爪の胸ほどの高さのところで、叩き切られた幹が年輪を晒していた。
恐ろしいパワーだった。爪で受けていれば、爪ごと体を真っ二つにされていたことだろう。
鎧武者が再び大剣を脇に構えた。
(物理的破壊力があるということは、こいつには実体があるのか?……いや、ちがうな。紗良と同じ、生気の塊ってところか……)
鉤爪が鎧武者の様子を窺いながら考えを巡らせていると、背後から亡者の群れが襲ってきた。
激痛とともに、鉤爪の血が吸い上げられた。
「ぐわあぁっ」
鉤爪は悲鳴を上げた。
「くそっ、おちおち考えてる暇もねえ!」
鉤爪は逃げ出した。
「おやおや、逃げ出すとはいけずだな」
咲は鉤爪の背中にとろんとした目を向けた。
鉤爪が見えなくなると、鎧武者は再び鬼火に戻った。
逃走する鉤爪を蛭が追った。
無秩序に生い茂る草木をものともせず、蛭は体を変形させ、するすると鉤爪の前に回り込んだ。
そうして鉤爪の行く手をふさぐと、体を崩し、亡者の群れとなって鉤爪に襲いかかった。
鉤爪は応戦したが、亡者に物理的な攻撃は一切通用しない。一方的に、血を吸い上げられるだけだった。
鉤爪の意識が朦朧としてきた。体が重い。
亡者から逃れようと、鉤爪は高木の枝に向かって大きくジャンプした。
すると、咲の右肩に漂っていた鬼火から三本の鎖が伸びて、鉤爪に絡みついた。
鉤爪は地面に叩きつけられた。
「ぐあっ」
「逃げ回るのは見飽きたぞ。もっと抗ってみせろ」
力なく倒れこんだ鉤爪の目の先で、咲が嗤っていた。
亡者に思考を乗っ取られ、血に酔い、恍惚とした表情で嗤う咲の姿は、悪魔そのもののように見えた。
咲がその気になれば、今の鉤爪の命を奪うことなど容易いはずだった。
しかし、咲はそうしなかった。血と暴力に酔いしれ、まるで猫が鼠を弄ぶがごとく、鉤爪を弄んでいた。
(やられるのか、このオレが……?このまま、なすすべもなく……?)
鉤爪の体が震えた。
今だかって、ここまで追い詰められたことはなかった。
屍食鬼を散々見てきたので、自分が最強だと思ったことはないが、それでもかなりやれる方だとは思っていた。しかし、今は手も足も出ず、ただ逃げ回っているだけの有様だ。
力をぶつけ合って殺されるのならまだしも、逃げ回った挙句、無様に殺されるのは戦士としてのプライドが許さなかった。
(何かないのか?ヤツに対抗する手段は?)
鉤爪は必死に考えた。
すると、一つの考えが頭に浮かんだ。
(アレだっ!陸がオレから引き出した力だ!あの力を使えば局面を打開できる!)
社で暇つぶしの雑談をしている中で、陸は鉤爪に市役所で引き出した力について説明していた。ヴァンパイアであれ、人間であれ、本来の力に制限をかけている。「その力を解放した」と陸は言った。
ただし、力を限界まで引き出せば、体がその負荷に耐えられず、崩壊してしまう。「だから余程の窮地でもなければ、制限を解除することは推奨しない」と陸は続けた。
その時の鉤爪は自分がそんな窮地に追いやられることなど考えもしなかったので、それ以上、詳しくは聞かなかった。逆に、「お前、そんな恐ろしいことをオレにやったのか」と怒ったくらいだった。
しかし、今はその経験が生きてくる。
(陸がやった手順を、自分でやれば力が引き出せるはず。何とか、時間を稼がないと……)
希望を取り戻した鉤爪は立ち上がった。
そして、咲に向かって勢いよく駆け出した。
「おや」
咲は楽しそうに口の端を上げた。
左の鬼火が鎧武者に変化し、咲の前に立って大剣を構えた。
鉤爪は速度を落とさず、真っすぐ鎧武者に向かっていった。
鎧武者が横一文字に斬撃を放った。
鉤爪は上方にジャンプして鎧武者と咲を飛び越えると、そのまま走り抜けた。
右の鬼火が鎖を放ったが、鉤爪は爪で弾き返した。
「ワンパターンだ!バカども!」
捨て台詞を残し、鉤爪は森の奥に向かって走った。
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次回は7/19(金)投稿予定です。




