巫女の力
咲は術式に自らの血をにじりつけた。
すると、咲の血に反応して術式が淡い光を放った。
「世の中は夢かうつつか」
咲は歌の句を口にした。
術式の光が強まり、まるで生きているかのように震えた。
「うつつとも夢とも知らず」
術式は外縁からきらきらと消失し始めた。
「ありてなければ」
最後の句を読み上げると、『封』の文字がだけが残った。
「封印解除」
『封』の文字が分解され、四匹の蛇となって四隅に散った。
封印は解除された。
咲の両肩に二つの鬼火が出現した。
髪がうねるように伸びていく。
腹の傷が急速に修復されていった。
咲は立ち上がった。
短く切りそろえられていた髪は、腰まで届く長さになり、その先端から黒から赤に変わっていった。
精悍だった顔つきは妖しさに満ちたものに変わり、赤い瞳は爛々と燃え上がるかのようだ。
深く裂かれた腹の傷はきれいに消え、強化服の裂け目から傷一つない白い肌と臍がのぞいていた。
咲は刀を下方に大きく振った。
「禍津日神」
刀を振った先に赤い魔法陣が現れた。
その中心から大型トラックほどもある巨大な蛭が這い出してきた。
それが一匹、二匹と続けて這い出してくる。
生臭い臭いが漂ってきた。
咲は強烈な血への衝動に襲われた。
血を飲むこと以外に何も考えられなくなるほどに。
咲は必死に衝動を抑え込んだ。
三匹目が現れたところで、咲は顔をしかめた。
「血が足りない……これ以上は無理か」
咲は魔法陣を消した。
三体の蛭は、ヌメヌメとした赤黒い体を伸び縮みさせて、咲に近づいてきた。
蛭が近づくにつれ、咲の心に蛭の感情が流れ込んできた。
激しい渇きと苦痛、そして破壊衝動。蛭が持つ、あらゆる負の感情が咲の心を蝕んでいく。
咲は自分が自分でなくなっていく感覚に襲われた。
「正気を失うな。これはわたしの感情ではない」
咲は自分を叱咤した。
「わたしはわたしだ。吞み込まれるな」
咲は蛭の感情を振り払うと、蛭に声をかけた。
「お前たちにとびっきりな血をやろう。力のあるヴァンパイアの生き血だ」
蛭の喜びの感情が咲に伝わってきた。
いくら抑え込んでいるとはいえ、やはり蛭の感情は少なからず咲に影響を及ぼしていく。
時間が経てば経つほど、それは顕著になる。自他の境界が曖昧になり、この感情が誰のものなのか区別がつかなくなってしまう。
知らず知らず咲の口元に笑みが浮かんでいた。
「付き随え」
咲は蛭を引き連れて、鉤爪が逃げ込んだ先に向かった。
鉤爪は切り落とされた左腕の切断面を元の場所に当てた。
腕はすぐにくっついたが、動かすことができなかった。神経がつながるには時間がかかるようだった。
肩の裂傷は、痛みは残っているものの、出血は止まった。裂傷もふさがりつつある。
右腕は問題ない。まだ、戦える、と鉤爪は思った。
「滅多にない極上の戦いだ。これくらいで終わりにしてたまるか」
手ごたえはあった。いくら回復力があるといっても、そうすぐには動けまい。少し休んで戦闘再開だ、と鉤爪は考えていた。
突然、鉤爪は咲の気配が爆発的に膨れ上がったことを感じ取った。
「何だ?」
鉤爪は木の影から咲の様子を窺った。
すると、赤い髪をなびかせて、女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
気配は確かに咲のものだ。しかし、先ほどまでとは明らかに見た目が変わっている。
しかも、女は三匹の巨大な蛭を引き連れていた。
「何だあれは?」
女が近づいてくるにつれ、生臭い臭いが漂ってきた。
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「くそっ、通信を切りやがった!」
指揮車の中で、中村は通信機を床にたたきつけた。
「よりによって禍津日神を使うなんて。それほどの相手か?」
中村はショットガンを肩に担ぐと、指揮車を飛び出した。
咲がいる場所はGPS信号でおおよその位置はつかめている。
車で行くことはできない場所だが、そう遠い場所ではない。
走れば、さほど時間もかからずに到着するだろう。
年を取ったといっても、中村とて吸血部隊の一員だ。
いざとなれば、荒事をこなす気概はある。
もっとも、最近は事務仕事と指揮ばかりで、実戦から遠ざかって久しいが。
「待ってください!我々も行きます!」
慌てて、指揮車から追ってきた隊員が中村を引き留めた。
「私一人でいい!お前たちは連絡を待て!」
中村は隊員の制止を振り切って、咲のいる場所に急いだ。
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「待たせたな。さあ、戦闘再開といこうじゃないか」
森に入ってきた咲が、鉤爪を見て嗤った。
鉤爪はぞっとした。
確かに見た目は変わってはいるが、それ以上に、表情がまるで別人だ。
ついさっきまで、技と知恵をぶつけあった女ヴァンパイアと同一人物とは思えない。
鉤爪は久しぶりに戦士と認められるヴァンパイアと出会えたことを喜んでいた。
しかし今、ねっとりとした視線を自分に向ける女は、鉤爪が考えていたような戦士などではなかった。
戦士とは異質の、何か別のものだと鉤爪は感じた。
(まあいい。どちらにしろ、やることは同じだ)
鉤爪は右手を前に出して構えた。動かせない左手はだらりと下がっている。
「おや、左手はどうした?使わないのか?いや、使えないのか」
咲がくすくす嗤った。
「うるせえ、お前なんぞ、右手だけで充分だ!」
鉤爪は瞬時に咲との距離をつめると、右の爪を振りかぶった。
咲は刀を構えてもおらず、鉤爪の攻撃に反応すらしていない。
終わりだ、と鉤爪は思った。
しかし、蛭が体を伸ばして、鉤爪の前に立ちはだかった。
「邪魔だ!」
鉤爪は蛭に爪を振り下ろした。
しかし、手ごたえが全くなかった。
蛭の形が崩れた。
「うおっ」
それは一匹の蛭ではなく、人の集まりだった。
人間だけでなく、ヴァンパイアもいる。だが、生きている者は1人としていない。全て亡者だ。亡者が集まって蛭を形作っていたのだった。
その多くが痩せた体に膨らんだ腹をしており、目だけを異様にギラつかせていた。体が欠損している者も少なくない。
亡者が鉤爪に一斉に群がった。
亡者が取りついた途端、鉤爪の体から一気に血が吸い上げられた。
「ぐわああぁぁぁっ」
鉤爪の全身に激痛が走った。
鉤爪は大きく後方に跳んで亡者の群れから逃れた。
全身が痺れ、血に濡れていた。
亡者は再び集合すると、蛭を形作った。
その間に二匹の蛭が鉤爪の背後に回り込んでいた。大きな図体にかかわらず、動きは恐ろしく速い。
鉤爪は囲まれた。
蛭は体を伸ばし、三方から鉤爪にのしかかってきた。
鉤爪は爪で迎え撃った。
しかし、やはり手ごたえがなかった。
蛭の形が崩れ、亡者の群れが雪崩を打って覆いかぶさってきた。
「ぐおおぉぉぉっ」
鉤爪は再び激痛に襲われ、血が吸い上げられた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は7/16(火)投稿予定です。




