至福の時間
鉤爪は至福の中にいた。
全身の細胞が狂喜している。
自分の爪が咲の体をえぐる感触。
咲の刀が自身の体を切り裂く痛み。
それら全てが鉤爪を悦ばせた。
全力で敵を攻撃し、全力の敵の攻撃の受ける。
そこに何一つ不純なものはない。あるのは、純粋な命のやり取りのみ。鉤爪が愛してやまないものだ。
自身の爪が防がれ、咲の刀をその身に受けた時さえ愛おしい時間だった。
陸にはわざわざ相手の力を引き出すなんて馬鹿な真似だと言われたが、鉤爪だって本当はそんなことがしたいわけではない。そうでもしなければ、戦いの真似事にすらならないのだ。
大抵の場合、鉤爪が全力を出せば、それで戦いは終わりだ。
鉤爪は対等の相手が欲しかった。全力を尽くしてもなお、結果が見えない相手と戦いたかった。
鉤爪にとって勝利など事後処理のようなものだ。
互いの命をかけて死力を尽くし合う時間。この時間こそが鉤爪が焦がれていたものだ。
咲の刀が鉤爪の体を裂き、骨に深く食い込んだ。
鉤爪の爪が咲の肉をえぐり取った。
鉤爪は狂喜した。
この時間が永遠に続けばいいさえと思った。
次第に咲は焦りを感じ始めていた。
鉤爪が戦いに集中していくのが分かる。
戦い始めた当初、速いとはいえ雑な動きもあったが、戦いを続ける中で、鉤爪の動きがどんどん洗練されていった。それにつれて、つけこむ隙がなくなっていく。
(まずい、こいつは戦いの中で強くなっていくタイプだ。放っておくと、ますます強くなっていくぞ。最初に仕留められなかったのが痛い……)
鉤爪が左突きを放った。
咲は鉤爪の爪を刀で払い、返す刀で首を狙った。
鉤爪は予期していたように、刀の下を搔い潜り、右突きを放った。
咲は一歩後退して、爪を避けた。
鉤爪が前に出て、左右からの連続突きを繰り出した。
咲は巧みに刀で突きを払いつつ、鉤爪の左側に回ると、上段から刀を振り下ろした。
スピードの乗った斬撃だったが、鉤爪は難なく躱した。
咲は刀を返して斬り上げたが、鉤爪はあっさりと躱した。
さらに咲は流れるように一歩前に出て、横一文字斬りを放った。
鉤爪はそれもするりと躱した。
先ほどまで通用していた技が通用しなくなった。
(ちいっ、こうなる前に倒してしまいたかったが……)
刀を振り切ったタイミングを見計らって、鉤爪が踏み込み、爪を振り下ろした。
咲は体をひねって躱そうとしたが、爪の先端が届き、咲の頬を削った。
咲は傷を負いながらも、ひるむことなく前に出て刀を斬り上げた。
鉤爪はバックステップで斬撃を躱すと、前傾姿勢になり、再び飛び込むタイミングを窺った。
明らかに、鉤爪の攻撃が咲を傷つけることが多くなってきた。
しかし、それでは鉤爪が優勢になったかというとそうとも言い切れない。
鉤爪の目の前で、たった今つけたばかりの咲の傷が急速に消えていった。
(何なんだ、あの回復力は?)
互いに致命傷となる一撃こそ入れられていなかったものの、鉤爪の攻撃の方が数多く当たったはずだ。
それでも、両者のダメージを比較すると、強化服はところどころ破れてはいるものの、咲の体には傷がなく、鉤爪の体にだけ傷が残る結果となっていた。
その秘密は、咲の回復力にあった。
鉤爪の攻撃の方が当たっているとはいえ、小さな傷であれば、一呼吸する間に修復されてしまう。
鉤爪が同じダメージを受けた場合、回復にはその倍以上の時間がかかる。
ヴァンパイアの回復力に個体差があるとはいっても、驚異的な回復力だ。
鉤爪の攻撃の方が当たるようになってはいたが、いまだ回復力の差を覆すほどではなかった。
(削り合いじゃ、分が悪いな。チャンスを作って、大きいのを当てないと……)
鉤爪は戦い方を変えた。
咲との距離を一定に保ちながら高速で移動し、威力ではなく、手数、スピード重視で咲を攻め始めた。
チャンスを作り出すためのもので、大きい一撃を狙っていることは明白である。
もちろん、咲は鉤爪の狙いがすぐにわかったが、否が応でも受け身に回らざるを得なかった。
両手を使える鉤爪に対し、咲には得物が一つしかない。手数にどうしても差が出る。鉤爪の攻撃に対応しきれない。
細かな攻撃が咲の体を傷つけていく。
すぐに修復されるとはいっても、痛みがないわけではない。
咲は嫌がる素振りを見せ、大きく後方にジャンプして鉤爪の攻撃から逃げた。
(焦ったか?バカめ、狙い撃ちだ!)
鉤爪は爪を構えると、咲を追って一直線にジャンプした。
咲がベレッタを抜いて鉤爪に狙いを定めた。
(やられた!罠だ!)
鉤爪は失敗を悟った。
空中では弾丸を避けることができない。
鉤爪は両腕を交差させて顔面をかばった。
咲が引き金を引いた。
フルオートで発射された五発の弾丸が、鉤爪の腕に穴をあけ、爪を砕いた。
落下する鉤爪めがけて、咲が刀を振り下ろした。
刀は鉤爪の左腕を切断し、肩に深く食い込んだ。
「ぐうっ」
二体はもつれあうように地面に落下した。
咲が顔を上げると、鉤爪は大きく裂けて血が噴き出している左の肩を押さえて呻いていた。
切り落とされた鉤爪の左腕が、その前に転がっている。
狙い通りではあったが、足場のないところでの斬撃だったため、体重が乗らなかった。
仕留めるには威力が足りない。
「早くとどめを……」
咲は刀を握り直して、鉤爪に向かって駆け出した。
「げふっ」
が、すぐに膝をついて、血を吐いた。
腹が裂かれていた。
傷が深い。今にも内臓が噴き出しそうだった。
空中で咲が刀を振り下ろした瞬間、鉤爪は左腕を切り落とされながらも、右の爪で咲の腹を裂いたのだった。
鉤爪がよろよろと立ち上がり、落ちている左腕をつかんだ。
咲は腹を押さえながら、震える手で鉤爪を撃った。
「ぐっ……」
数発撃ったが、狙いが定まらない。当たったのは一発だけだった。
ベレッタの弾が切れた。
「くそ」
痛みに震える手で、咲はベレッタのマガジンを取り換えた。
再び銃を構えると、鉤爪は血が噴き出している肩を押さえながら、ふらふらと森の方に歩いているところだった。
咲がもう一度、鉤爪に向かって発砲した。
しかし、わずかに遅かった。
鉤爪は倒れ込むように木の陰に隠れた。
舌打ちして、咲は銃を下ろした。
腹の傷を確かめたところ、修復は始まっていたが、動けるようになるまでしばらく時間がかかりそうだった。
「仕方ない……」
咲は襟元にあるマイクのスイッチを入れた。
「中村……」
「中隊長!今どこですかっ?すぐに応援に向かいます!」
すぐに中村の焦った声が返ってきた。
「来なくていい。禍津日神を使う。お前たちは絶対に近づくな」
「お、おいっ!?」
中村の悲鳴じみた声が聞こえたが、咲は無視して通信を切った。
「絶対にヤツはここで殺しておく」
そう呟くと、咲は左腕の包帯をむしり取った。
そこには『封』の文字を象った術式が刻まれていた。
「ヤツに巫女の力を見せてやる」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は7/12(金)投稿予定です。




