ナイト乱入
「う……うう……」
首吊り状態になった丑蜜は足をバタつかせた。
喉を締めつけられ、息ができない。
「気に入らねえな」
鉤爪が腕に力をこめた。
丑蜜の首がぎしぎしと嫌な音を立て始めた。
「ぐ……ぎ……」
丑蜜は必死に鉤爪の腕を振りほどこうとしたが、鋼のような鉤爪の腕はびくともしなかった。
丑蜜の意識が遠くなった。
と、鉤爪が丑蜜から手を放して一歩下がった。
頭上から、目にもとまらぬ速さで何かが落ちてきて、鉤爪が立っていたアスファルトに突き刺さった。
「ごほっ、ごほっ……」
丑蜜はアスファルトの上に倒れ込んで、咳き込んだ。
落ちてきたのは六角錐の分銅だった。手のひらに収まるくらいの大きさで、アスファルトに深くめり込んでいる。鈍色をしており、ワイヤーがついていた。
ワイヤーが引っ張られ、アスファルトに穴を残して、分銅が引き戻された。
弧を描いて引き戻されたワイヤーの先には、武装した燐が立っていた。
「丑蜜っ!下がれっ!」
燐が叫んだ。
丑蜜は慌てて、鉤爪から距離を取った。
「ほぉ、ナイト様のご登場ってわけか……」
鉤爪は嬉しそうに口角を上げた。
分銅が手元に戻ると、燐は鉤爪を睨みつけつつ、ワイヤーを回し始めた。
ひゅん、ひゅんという風切り音が鉤爪の耳に届いた。
「中隊長を呼んでこい!ここは自分が抑える!」
燐が丑蜜に向かって叫んだ。
「でも……」
丑蜜は躊躇い、すぐには動かなかった。
気配から強力なヴァンパイアだとはわかったつもりでいたが、目の前にいる鉤爪は想像以上だった。
鍛え上げられたはち切れんばかりの筋肉もそうだが、何より、全身からほとばしる野獣のような暴力的な雰囲気が丑蜜を不安にさせた。
(これを抑える?燐ちゃんだけで?)
丑蜜は迷った。
「いいから行けっ!」
燐が怒鳴った。
「ふーん、中隊長ねえ。そいつは強いのか?」
鉤爪が丑蜜に問いかけた。
「強いでありんす!あんたなんかよりずっと強いでありんす!」
丑蜜は不安を振り払うように、大声で言い返した。
姐さんなら、こんなやつ軽くやっつけてくれる、という信頼もあった。
「そうか……」
鉤爪の笑みが深まった。
鉤爪にしてみれば、丑蜜にこだわりがあるわけではない。
屍食鬼を失ったやりきれない気持ちをぶつける相手が欲しかっただけだ。
その気持ちにまかせて丑蜜を掴み上げたまでは良かったが、すぐに無力な女ヴァンパイアだと気がついた。
女だからといって、ヴァンパイアが弱いわけではない。男にはない特殊な力をふるう個体が数多くいる。
それを期待して少し脅してみたのだが、本当にただの弱い女だった。鉤爪は戦いを欲していた。しかし、これではただの弱い者イジメである。
振り上げた拳を下ろすこともできず、どうしよう、と鉤爪は困った。
そこにやる気満々の燐が現れた。
鉤爪は内心、ホッとした。
そして、このやり場のないむしゃくしゃした気持ちをぶつける相手ができたと喜んだのだが、燐を一目見て、少々物足りなさを感じたのも事実だった。
もっと強いヤツがいるというのであれば、相手をするのはやぶさかではない。望むところである。
「いいぜ。呼んでこいよ」
鉤爪がにやりと笑った。
「え?」
「待ってる間、あいつと遊んでやる」
鉤爪は燐に向き直った。
「ほらほら、早く行かないと、あいつが死んじまうぞ」
鉤爪は横目で、しっしっと手を振った。
「くっ」
丑蜜は不安そうな顔を燐に向けた。
「早く行けっ!」
燐が叫んだ。
「すぐに姐さんを連れてくるから!」
そう言うと、丑蜜は二体に背を向けて、走り出した。
武装してきて正解だった、と燐は思った。
あれから燐は丑蜜を心配して、丑蜜と笹島が行動を共にする際は、気づかれないように離れたところから見守っていた。
ただ、今日ばかりはどうにも嫌な予感がしたので、装備を一式そろえてきたのだ。
「シッ!」
燐が分銅を飛ばした。
分銅は地面すれすれを高速で飛び、鉤爪に向かっていった。
あと少しで鉤爪に到達するというところで、燐は指先でワイヤーにほんの少し力を加えた。
ワイヤーには生気を流し込んであり、生気を操作することで分銅の軌道を操ることができる。
鉤爪の手前で分銅が急に軌道を変え、その顔面を狙って跳ね上がった。
燐の得意技だ。
いくらヴァンパイアといえども、高速で飛来する物体が突然軌道を変えた場合、反応するのは容易ではない。
「ふん」
しかし、鉤爪には通用しなかった。
鉤爪は分銅の側面に軽く手を添えた。
分銅は大きく狙いを外れ、あらぬ方向に流れた。
「ちいっ」
燐は分銅を引き戻すと、再び回し始めた。
(あれを軽く躱すか。それなら次は……)
燐は次の手順を練った。
「悠長に過ぎるんじゃないか?」
目の前に鉤爪がいた。
ほんのわずか、燐が思考に沈んだ一瞬の隙をついて鉤爪が距離をつめていた。
「!?」
鉤爪が右フックを放った。
燐は慌てて両手でガードした。
鉤爪の拳は、燐の腕をはさんで、下あごを強打した。
燐の意識が飛んだ。
燐は大きく後方に吹き飛んだ。
背中からアスファルトに落下し、ごろごろと転がった。
その衝撃で燐の意識が戻った。
慌てて顔を上げると、鉤爪が追撃に向かってきていた。
「う、わ……」
咄嗟に、燐は腰のベルトに取り付けていた閃光弾を鉤爪に向けて放り投げた。
「何だ?」
鉤爪は体をずらして閃光弾を避けた。
その眼前で閃光弾が炸裂した。
瞬時に閃光と大音量が発生し、鉤爪の視覚と聴覚を奪った。
「くそ」
両目を押さえて、鉤爪が止まった。
目の良さがあだになった形だ。
燐は急いで立ち上がると、サブマシンガンを構えて引き金を引いた。
鉤爪は横っ飛びで、道路脇の森の中に飛び込んだ。
燐は鉤爪の姿を追って、横薙ぎにサブマシンガンを撃ち続けた。
余裕などなにもない。ただ、早く鉤爪を仕留めたいという一心である。
銃弾が木に穴を穿ち、青々とした葉が舞った。
弾を撃ち尽くすと、燐は森から目を離さず、手早く、空になったマガジンを捨てて新しいものに取り替えた。
鉤爪の姿を見失ってしまったが、すぐそばにいることは間違いない。
燐はサブマシンガンを構えたまま、額の汗をぬぐい、荒くなった息を整えた。
丑蜜には格好をつけてみせたが、燐に余裕はなかった。
それでも、時間稼ぎくらいはできるだろうと考えていたのだが、それがいかに甘い考えだったかを思い知らされた気持ちだった。
短い攻防だったが、最初の一撃で殺されていても不思議ではなかった。一瞬の隙が命取りになる、と燐は気を引き締めた。
実際、鉤爪は代名詞とも言える爪を使っていなかった。爪を使っていれば、それで終わっていたのだ。
絶対に鉤爪の姿を見逃さないと、燐は森の中に目を走らせた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は6/21(金)投稿予定です。




