笹島の戦い
社の前に来ると、笹島は自分の体が震えていることに気がついた。
かっての部下がそうしたように、笹島は両手で頰を強く張った。すると震えが止まった。
笹島は間を置かずに、静かに扉を開けた。
時間を置くと、決意が揺らいでしまう気がしたからだ。
社の奥にヴァンパイアがいた。
壁に空いた穴から陽の光が差し込んでいたが、ヴァンパイアは光を避けるように暗がりで膝を抱えてうずくまっていた。
ヴァンパイアは笹島に気がつくと、体を起こした。
それから笹島をじっと見据えて、四つん這いで近づいてきた。
陽の光が当たり、ヴァンパイアの姿が露わになった。
全身を乱雑に包帯で巻かれており、その隙間から爛れた皮膚がのぞいている。笹島を見る目は白く濁り、乱杭歯が並ぶ口から、だらだらと涎を垂らしていた。
かっての狂気そのものを体現したかのような得体のしれない圧力は微塵も感じられない。狂犬病に侵された哀れな犬のようだった。
だが、笹島にはそれが屍食鬼だとすぐにわかった。
「はははは、ずいぶんとみすぼらしい姿になったな。自業自得だ」
愉快そうに笑いながら、笹島は屍食鬼に銃を向けた。
屍食鬼は飢えていた。
何日か前に食べた子供だけでは到底足りない。もっと、もっと、もっと食べたい、と屍食鬼は空腹に苦しんでいた。
(いつも傍にいて世話をしてくれる男は、最低限の食事しか用意してくれない。あれだけじゃ、とても足りない。それに、黒い蛇が体を這い回り出すと、耐え難い苦痛と共に力が抜けていく。何よりあれが怖い。腹を満たせば、少し楽になる……)
今の屍食鬼の腹を満たすことしか頭になかった。
そこに食いでのありそうな大人の男がやってきたのだ。
自分の領域の中に美味しそうな餌が転がり込んできたことに、屍食鬼は狂喜していた。
(逃がさない、逃がさない、逃がさない。食べる、食べる、食べる、食べる……)
屍食鬼は、笹島に向けて威嚇とも喜悦ともつかない唸り声を発した。
「死ねっ!」
笹島が発砲した。
屍食鬼が消えた。
ヴァンパイアとしては何の変哲もない動きだが、その速度に人間にはついていけない。
笹島の右足が消し飛んだ。
「ぎゃああああああ!」
笹島が悲鳴を上げて床を転げ回った。
すっぱりと切断された腿から血が撒き散らされ、床を濡らした。
転げ回る笹島の前で、屍食鬼が笹島の右足を咥えていた。
屍食鬼は右足をかみ砕き、咀嚼し、飲み込んだ。
屍食鬼はうっとりとした表情を浮かべた。
「くそおっ、この化け物がぁ!」
笹島が再び銃を撃った。
屍食鬼の姿が消えた。
食い残された右足が床にごとんと落ちた。
屍食鬼が笹島の左足に喰いついた。
「ぐわああっ!」
笹島は悲鳴を上げた。
屍食鬼はそのまま笹島を振り回した。
ぶちっと音がして、笹島は壁に叩きつけられた。
「うううっ……」
笹島が顔を上げると、左足の膝から先がなくなっていた。
再び、激痛が襲ってきた。
「ぐわうっ!」
笹島は足を押さえて呻いたが、もはや立つこともできなかった。
出血と痛みで気を失いそうになったが、笹島は耐えた。
気を失えば楽だが、それではすべてが水の泡になってしまう。
これが待ち望んでいた最後のチャンスなのだ。
動けなくなった笹島の様子を見て、屍食鬼が歪んだ笑いを浮かべた。
足を狙ったのは、逃げられないようにするためだ。
これでゆっくりと腹を満たすことができる、と屍食鬼は考えた。
「これくらい何だ!あいつはもっとひどい目に遭った!」
笹島は自分を鼓舞するように大声を上げた。
そして、屍食鬼に向けて引き金を引いた。
だが、カチリと音がするだけで弾は出なかった。
弾が尽きたのだ。
屍食鬼の鋭い爪が笹島の胸に叩きつけられた。
笹島の耳にあばらが折れる音が聞こえた。
笹島はごろごろと床を転がり、血を吐いた。
しかし、致命傷にはならなかった。衝撃はあったが、防弾チョッキが爪を防いでいた。
笹島は血を吐きつつも、想定内だ。問題ない、と必死に体を起こした。
最悪なのは、何もできずに死んでしまうことだ、と自分に言い聞かせた。
笹島は屍食鬼に向かって両手を広げた。
「ほら、来いよっ!お前の大好きな新鮮な肉がここにあるぞっ!」
両脚を失い、動けない笹島は屍食鬼を挑発した。
屍食鬼は喜び、大口を開けて飛びかかってきた。
屍食鬼は笹島の首に喰いつこうとした。
(まずい!首をやられると命がない!)
笹島は左手で首をかばった。
屍食鬼が左腕に喰いついた。
バキバキと音を立てて、骨が砕かれていく。
屍食鬼は首を振って、左手首を喰いちぎった。
「ぐうううっ」
笹島は歯を食いしばって激痛に耐えた。
(耐えろ。チャンスは一度きりだ。痛みに負けるな。確実にものにしろ)
早く楽になりたいという誘惑に抗いながら、笹島は必死に意識を保った。
(腕が一本残っていればいい。命と腕一本さえあれば仕事は完遂できる)
屍食鬼が大口を開けて、正面から笹島に向かってきた。
(ここだっ!)
笹島はその口に右手を突っ込んだ。
その手にはプラスチック爆弾が握られていた。
屍食鬼が嫌がり、首を引いて笹島の腕を引き抜こうとした。
笹島は左腕を屍食鬼の首に巻きつけて体を固定した。
そして、屍食鬼の口の中にぐいぐいと右手を押し込んだ。
「遠慮するな!極上の餌だ!受け取れ!」
笹島の脳裏に妻の顔が浮かんだ。
妻はいつもの笑顔を浮かべていた。
「うわっははははははははは」
大声で笑いながら、笹島は爆弾のスイッチを押した。
丑蜜は不安そうな顔で山道の入り口に立っていた。
森の奥の方から爆発音が聞こえた。
同時に、笹島とおそらくは屍食鬼であろう気配が消え失せた。
悲しそうな顔をして、丑蜜は目を伏せた。
しばらくの間、丑蜜はそうしていたが、やがて吹っ切ったように顔を上げて、山道に背を向けた。
この時、丑蜜はもう一つの気配のことを忘れていた。
「うぐっ」
突然、丑蜜は喉をつかまれ、そのまま吊り上げられた。
「何でヴァンパイアが人間の味方してんだ?」
怒りに満ちた鉤爪の顔がそこにあった。
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次回は6/18(火)投稿予定です。




