終着地
鉤爪が呆然自失となっている間にも、背中の傷が急速に修復されていった。
流血が止まり、肉が盛り上がって傷口をふさぐ。さほど時間もかからずに、背中は何もごともなかったようにきれいな状態に戻った。
ヴァンパイアが持つ回復能力だ。個体差はあるが、致命傷を負わない限り、大抵の傷は自然回復する。
切り裂かれ、血で染まったTシャツだけが、怪我をしたという痕跡を残すだけである。
しかし、傷が治っても鉤爪の心は沈んでいた。
屍食鬼を救う手立ては断たれたも同然だった。もう一度、陸に頼んでも無駄だろう。
親だから助けるのは当然だと、これまで何の疑問も持たずに行動してきた。そして弟を見つけ出すことができれば、全て解決するのだと希望を持っていた。
しかし、結果はこれだ。
鉤爪は、初めて屍食鬼を失うということについて真剣に向き合うことになった。
そして、気がついた。
自分は屍食鬼を助けたいというより、一人になるのが怖いのだと。一人になった時、何をすればいいのかわからないのだと。
兄弟ということもあるが、鉤爪は陸と一緒にいて楽しかった。
誰かと一緒にいて楽しいという感情は久しく忘れていた。屍食鬼と行動を共にしていた時には持たなかった感情だ。
その時間が失われたことが悲しかった。
顔を上げると、屍食鬼が鉤爪の顔色をうかがいながら、血溜りに残った肉塊に手を伸ばしていた。
相当に飢えているようだ。
目の前に迫った死に本能的に対抗しているのかもしれない、と鉤爪は思った。
屍食鬼が肉塊を口に運ぶのを見て、鉤爪はやり切れない気持ちになった。
鉤爪は立ち上がると、血で染まったTシャツを脱ぎ捨てた。
背中を見ると、傷口は完全に消えており、痛みを感じることもなかった。
こういう気持ちの時でも、肉体だけは休むことなく務めを果たすんだな、と鉤爪の口から乾いた笑いが出た。
鉤爪は替えのTシャツを着ると、社の外に出た。
暗さに慣れた目に陽の光は眩しかった。鉤爪は目を細めた。
日陰を作っている森の縁まで歩いていくと、鉤爪は木の根元に腰かけた。
そうして、ぼうっとこれまでのことを思い返した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
展望台へと向かう道路を中年男と若い女が登っていた。
女の目に光はなく、まるで別世界にでもいるかのように、全く周りを気にすることなく、マイペースで歩みを進めている。その隣で男が過剰なくらいに、周囲に目を走らせていた。
笹島と丑蜜である。
丑蜜の目に光が戻った。
「この先に鉤爪がいるでありんす」
丑蜜は道路脇にある山道の奥を指さした。
ついに終着地に辿り着いたのだ。
「そうか」
笹島は決意のこもった表情で山道の奥に目を向けた。
草木に覆われて、先を見通すことはできなかったが、この道に入って無事に済むことはないことだけははっきりわかった。
「ここまででいい。ありがとう。この恩は一生忘れない」
笹島は丑蜜に深々と頭を下げた。
「本当はちゃんと礼をしたいんだが、私には本当に何もなくてな……」
笹島はごそごそとジャケットのポケットを探った。
「そうだ。これを」
笹島は財布を丑蜜に渡そうとした。
「いらないでありんす」
丑蜜は笹島の手を押し戻した。
「わっちは、旦那さんの助けができただけで十分うれしいでありんす」
「そうか。すまない」
「本当は望みをかなえたあとも、ずっと生き続けてほしいでありんすが……」
丑蜜は笹島の顔を見上げた。
「そうだな。努力してみるよ」
笹島はそう言って笑ったが、自身の命はとっくにあきらめていた。
丑蜜にもそれが分かった。
「君みたいなヴァンパイアもいるんだな」
笹島が感慨深げにじっと丑蜜の顔に見入った。
丑蜜は恥ずかしくなってうつむいた。
「それじゃあ、今まで本当にありがとう」
笹島は頭を下げると、一人で山道を進んでいった。
丑蜜は何とも言えない表情で笹島を見送った。
山道を進んでいくと、木の根元に鉤爪が座っていた。
あれから陸が社にやってくることはなかった。
鉤爪は陸を待つわけでもなく、日がな一日、ぼうっと座って時間を過ごしていた。
笹島が近づくと、鉤爪が顔を上げた。
「何しに来た?」
面倒くさそうに、鉤爪が口を開いた。
「屍食鬼はどこだ?」
笹島は拳銃を鉤爪に向けた。
その途端、笹島は腕をねじり上げられ、身体を木に押しつけられた。
肘で首を押さえつけられ、息をすることができない。
「わざわざ殺されに来たのか?」
不機嫌そうな鉤爪の顔が目の前にあった。
今までの笹島であれば、恐怖のあまり小便を漏らしていたところだ。
しかし、今の笹島の頭にあるのは屍食鬼に復讐することだけだ。そのためなら、自身はどうなっても構わなかった。目的を果たすために、最善を尽くすだけである。
笹島は左手をポケットに入れた。そこには屍食鬼を殺すために隠し持っていたプラスチック爆弾があった。
雷管と爆弾が一体になったもので、タイマーも何もなく、スイッチを押せば爆発するだけの原始的な代物である。手のひらに収まる小さなものだが、威力は折り紙つきだ。
笹島は爆弾を握りしめた。勇気が湧いてくるような気がした。
目的がはっきりしていれば、そして、目的を果たす強い気持ちがあれば、恐怖を克服することができる。恐怖に囚われるということは、目的を果たすという気持ちが弱いからだ。
目的を果たすこと、笹島はそれだけに集中した。
「屍食鬼のところに連れていけ!」
笹島は鉤爪の目の前に爆弾を突きつけた。
鉤爪はじいっと笹島の顔を凝視した。
鉤爪にしてみれば、笹島がスイッチを入れる前に爆弾を取り上げることなど造作もない。
しかし、かって屋上で見たガタガタ震えているだけの弱い男とは、別人のように様子が異なっていることに驚いた。
笹島の顔には確かに見覚えがあった。
慎重に記憶を探ると、かって全滅させた町で生き残った一人の警察官に思い当たった。
「そうか、あの時の……」
鉤爪は笹島から手を放した。
笹島はどすんと尻もちをついた。
「行けよ」
鉤爪が言った。
「え!?」
「親父はこの先の社にいる。お前が来たら通すように言われている。昔のこと過ぎて、すっかり忘れていたが」
そう言うと、鉤爪は再び木の根元に座りこんだ。
しばらく笹島は鉤爪を警戒して様子を窺っていたが、鉤爪はそれ以上、動こうとせず、口を開くこともなかった。
笹島は社に向かって走り出した。
「そういう運命なんだろうな……」
遠ざかっていく笹島の背を見送りながら、鉤爪はぽつりと呟いた。
屍食鬼は町を滅ぼす際、必ず一人、生き残りを作っていた。自分に復讐しに来させるためだという。それが楽しみの一つなのだそうだ。もっとも、これまで復讐にやってきた者は誰一人としていなかった。
悪趣味としか言えないが、あるいは本当に復讐されることを望んでいたのかもしれない。今となっては、その真意を問いただすこともできないが。
しかし、今、このタイミングで笹島が現れたことに、鉤爪は偶然では片づけられないものを感じていた。
「だが、気に入らないこともある」
鉤爪はぎろりと山道の入り口の方に目を向けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は6/14(金)投稿予定です。




