訪問
丑蜜と咲は水田の中にある農道を進んだ。
記憶の中の幻術使いを追う丑蜜の歩みはひどくゆっくりとしたものだった。無理に急ぐと他の記憶に紛れて幻術使いを見失ってしまうからだ。
やがて二体は水田地帯を抜けて町に入った。
古くからある住宅街で、一軒家がごみごみと立ち並ぶ中にアパートも散在している。
ふと、咲はかすかな悪寒を覚えた。
何者かに首筋を触れられたような感覚だった。それはほんの一瞬のことで、すぐに消えた。
「丑蜜……」
咲は丑蜜に目を向けたが、丑蜜は忘我の状態にあった。
目を開いてはいるが、丑蜜の心はここにない。この状態の丑蜜に何を言っても届かない。
「中村」
咲は襟元のマイクに小声で呼びかけた。
「聞こえてます」
すぐに中村から返事があった。
「幻術使いに気づかれた。やつのテリトリーに入ったようだ」
「どうします?一旦、中止しますか?」
「いや、ここで引き返すとかえって警戒される。わたしたちはこのまま進む。お前たちは指示があるまで、そこからを動くな」
「了解。気をつけて」
丑蜜は三階建てのアパートの前で立ち止まった。
古臭さを感じさせる箱型の鉄筋コンクリート造りで、二階と三階部分は正面にベランダが突き出している。一階は大家の家になっているようだ。表札が出ており、玄関先に鉢植えが並んでいる。
右端には上階へ上がる階段があった。
丑蜜は三階に上がると、三つある一番手前の扉の前で立ち止まった。
丑蜜の目に光が戻った。
「この部屋に入ったでありんす」
丑蜜が咲に目配せした。
扉の前の通路は狭く、人ひとりが通れるほどの広さしかない。それでも狭い通路のそこここに鉢植えが置かれているのは大家の趣味だろうか。古い建物ではあるが、鉢植えの緑が明るさを感じさせた。
「これから幻術使いと接触する。お前たちは二百メートル以上距離を取って展開しろ。燐は後方待機だ」
咲はマイクにささやいた。
(さて、どう出てくるか?)
錆の出ている鉄製のドアの横に呼び鈴がついていた。
咲は呼び鈴を押した。部屋の中でブザー音が鳴るのが聞こえたが、返事はなかった。
咲は続けて三度呼び鈴を押したが、やはり反応はなかった。
「返事がないでありんすねえ」
しかし、留守ではない。部屋の中には濃厚なヴァンパイアの気配が感じられた。気配は殺気すら伴った激しい拒絶の姿勢を示していた。
「あまり、手荒な真似はしたくないんだが……」
咲はジャケットの下の拳銃に手をやった。ハンドバッグには短刀が仕込んである。
咲がどうするか決めあぐんでいると、後ろから声をかけられた。
「あのー、通してもらえますか?」
振り返ると、小学生くらいの少年が立っていた。健太郎である。
「お兄ちゃんに用事ですか?」
「君はここに住んでる人を知っているの?」
咲は屈んで、健太郎に目線を合わせた。
「……友達です」
美人のお姉さんの顔を間近にして、健太郎ははにかんだ。
「お姉ちゃんたち、ここに住んでる人を訪ねてきたんだけど、留守みたいで困ってるの。君、何か知らないかな?」
「えー、約束した時間だから、いると思いますけど……」
そう言うと、健太郎はドアノブを回した。ドアはあっさり開いた。
「お兄ちゃーん、お客さんだよー」
健太郎はバタバタと部屋の中に入っていった。
警戒しながら咲も玄関に入った。
小さな玄関には、たった今脱ぎ散らかされた健太郎のサンダルの他に、黒のブーツが揃えて置かれていた。
「あれっ、いないや」
部屋の奥から健太郎の声が聞こえた。
中をのぞくと、玄関の先は板間で、その先にベランダへ出るガラス扉が見えた。右手には開け放たれたすりガラスの格子戸があり、健太郎の声はその奥から聞こえた。和室になっているようだ。
確かに、先程まであれほど明瞭に感じ取れたヴァンパイアの気配が消えていた。
咲は丑蜜を外に残して部屋の中に入った。
物が少なく、生活感をあまり感じさせない部屋だった。
目立つのは和室には設置されたテレビくらいだろうか。そのテレビにはゲーム機がつながれており、座卓にゲームソフトが置かれていた。
壁に取りつけられたハンガーには黒いコートがかけられていたが、幻術使いの姿は見当たらなかった。
「部屋の中に入った。幻術使いは逃げ出したようだ。外から何か見えなかったか?」
咲が中村に連絡を取った。
「いえ、こちらからは特に何も見えませんでしたが……」
「そうか。また、連絡する」
咲は外にいる丑蜜に合図を送った。
丑蜜は、玄関で健太郎のサンダルをそろえてから部屋の中に入ってきた。
「男の人に部屋に入ると、なんだかどきどきするでありんす」
丑蜜は呑気なことを言いながら、部屋の中をきょろきょろ見回した。
「お兄ちゃん、いないみたいです」
健太郎が咲達のところにやってきた。
「そうみたいね。困ったわ」
咲はわざとらしく、困った様子を見せた。
「お姉ちゃんたち、お兄ちゃんの知り合いですか?」
「ええ、大事な話があって訪ねてきたんだけど……どうしようかな」
適当な言葉を口にしながら、咲はそっと部屋の中を探った。
咲はダイニングテーブルに置かれた紙きれを見つけた。そこには陸が屍食鬼から写し取った術式が書かれていた。見覚えのある術式だった。
「これは呪印か……こんなもの、普通のヴァンパイアに扱えるとは思えないが……」
丑蜜が座卓の上のゲームソフトを手に取った。
ゲームソフトには、『ヴァンパイア・スレイヤー』のタイトルの下に、恐ろしい姿のヴァンパイア達と戦う少年少女の姿が描かれていた。
「この部屋の主さんは自虐趣味があるんでありんしょうか?」
丑蜜が首をひねった。
「おい、勝手に何でも触るな」
咲が見咎めた。
「これ、面白いんだよ!みんなやってるんだ!」
健太郎がはしゃいだ。
健太郎はソフトをゲーム機にセットすると、電源を入れた。
「お兄ちゃんとゲームやるって約束してるから、いっしょに待ってれば?」
ゲームタイトルが消えると、画面は吸血鬼王の城に変わった。不安を掻き立てるBGMと共に、小鬼のような吸血鬼の群れが勇者に襲いかかってきた。健太郎は慣れた手つきでコントローラーを操作し、聖剣で吸血鬼を打ち倒した。
「へぇ、よくできてるでありんすねえ。近頃の童はこんなもので遊ぶんでありんすか」
丑蜜が感心した。
「ここのボスが強いんだ」
ボスは伯爵位の吸血鬼だった。いかにも貴族然とした堂々とした体躯の男で、蝙蝠を自在に操り、勇者を攻撃してきた。
健太郎は蝙蝠の攻撃をかわしつつ、ボスに接近して聖剣を振り下ろした。聖剣が当たるとボスの体にダメージを表す数字が浮かび、ボスの姿が消えた。ボスは離れた場所に出現すると、再び蝙蝠を使って勇者に襲い掛かってきた。
健太郎は善戦したが、群がる蝙蝠の攻撃の前に敗れ去った。
「ダメだー、強すぎる。お兄ちゃんにレベル上げてって言ってるんだけど、全然やってくれないし……そうだ、お姉さん、やってみてよ」
健太郎は、隣で興味深そうに見ていた丑蜜にコントローラーを押しつけた。
「わっち?」
「うん」
「やったことないでありんす」
「大丈夫だよ。てきが出てきたらこのボタンでこうげきして、てきがこうげきしてきたら十字キーでよけて」
「よくわからないでありんす」
「やったらすぐにわかるよ。スタートするよ」
「ちょ…」
健太郎は構わずゲームを開始した。丑蜜が操る勇者は移動することもままならず、蝙蝠の群れに襲われて、あっけなく死亡した。勇者の死体の周りを蝙蝠が飛び回っている映像の上に、『DEAD』の文字が浮かんだ。
「弱っ!」
健太郎があきれた。
「だから言ったでありんすのに……」
丑蜜は口を尖らせた。
「だから、このキーを前に押すと前に進んで、横に押すと横に動くんだって」
「ふんふん」
「このボタンを押すと、こうげきするから」
「へえ」
「じゃあ、もう一回やるよ」
「えっ?」
ゲームが始まった途端、蝙蝠の群れが一斉に襲いかかってきた。
「ひゃあ!」
丑蜜はパニックになりながら、とにかくボタンを連打した。
すると派手なグラフィックとともに光の剣の雨が蝙蝠に降り注いだ。蝙蝠の群れは消滅した。
「すごい!今のは何でありんすか?」
「ひっさつわざだよ。ゲージがたまると使えるんだ」
「もう一回やってみるでありんす」
丑蜜は適当にボタンを押したが、主人公はパンチを出したり、キックを出したりで、先ほどの攻撃は発動しなかった。
「ちっとも出ないでありんす」
「だからゲージをためなきゃダメなんだって。ほら下の方にゲージがあるでしょ」
健太郎は画面下のバーを指差した。バーは五分の一ほどが赤くなっていた。
「これが全部赤くなると、さっきのわざが使えるんだ」
「どうやったら赤くなるんでありんすか?」
「いろいろじょうけんがあって……」
咲はダイニングの椅子に腰を下ろした。
そして、健太郎と丑蜜がゲームを楽しんでいるのを横目で見ながら、部屋の住人がどのような生活をしているのかに思いを巡らせた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は5/10(金)投稿予定です。




