丑蜜の力
息ができないと強く主張して、丑蜜は制服のボタンを外させてもらった。
作戦に支障を出すわけにもいかないので、咲もしぶしぶ認めた。
大きく開いた制服の胸元から豊かな胸をのぞかせた姿は、もはや本職ではなく、婦人警官のコスプレをした人にしか見えない。先ほどのキラキラしい衣装が可愛らしく見えるくらい、より煽情的な様相を呈していた。
エッチな雑誌の表紙を飾っていても、何ら不思議ではないいかがわしさである。
何人かの隊員が前かがみになってしまったが、彼らを責めることはできないだろう。
咲は丑蜜を連れて、地下下水道に下りた。
「くさいでありんす……」
丑蜜は両手で鼻を覆った。
「がまんしろ。記憶が見つかればすぐに出られる」
咲は首を切られたヴァンパイアの死体が見つかった場所に入った。
「これが幻術使いが身に着けていたものだ」
咲は丑蜜にボタンを渡した。死体の手に握られていたものだ。
丑蜜はボタンを受け取ると、目を閉じた。
丑蜜の頭の中に映像が流れ込んできた。
最初は暗闇だった。
突然、頭上に穴が開いたかと思うと、カンカン照りの夏の日差しが暗闇を照らした。早回しの動画のように、男達が汗を流しながらが煉瓦が積み上げていく。
煉瓦がアーチ状の下水管を形成すると、水が流れ込んできた。鉄色のパイプが立てられ、うなり音を上げて水を汲み上げられた。
パイプが茶色く劣化すると、別の男達が現れ、真新しい銀色のパイプに変えられた。コンクリート製の壁が作られ、小さかった空間が押し広げられていく。
それはこの場所の記憶というべきものだった。
あらゆる事象は記録され続けている。そして、決して消えることがない。アクセスする手段さえあれば、いつでも取り出すことができる。
ただ、普通はそれらの記憶にアクセスすることはできない。消えることがない記憶といっても、普通に生きる分には必要のないものだ。
丑蜜は生まれつき、この記憶にアクセスすることができた。
当初は何のこと分からず、幻だろうと思っていたが、年寄りから昔のことを聞かされた後、実際にそれが起こった場所に行ってみると、多少の食い違いはあっても、それに近い情景が頭の中に流れ込んでくるという体験を何度もした。
誰かに話すと気味悪がられるので、人には言わないようにしてきたが、ある時、近所で起こった強盗事件の犯人をぴたりと言い当てたことから、丑蜜の力が発覚することになった。
その結果、丑蜜の人生はあまり愉快ではないものに変わってしまったのだが……。
咲と出会った頃には、丑蜜は既にヴァンパイアだったが、この力のことは黙っていた。
だが、ある時、咲が不意に言った。
「お前はいつも何を見ているんだ?」
「!?」
丑蜜は、自分が普通ではないことに気づかれていたと悟った。そして、自分の力が利用されることを恐れた。
しかし、咲の機嫌を損ねて、ホームを追い出されるようなことは絶対に避けたかった。
丑蜜は、震えながら自分の秘密を咲に話した。
「おそらくそれは世界記憶と呼ばれるものだろう。過去・現在・未来のすべての事象が記録されている記憶の集合体と呼ばれている。お前は、過去の記憶だけを読み取っているようだが、それでもとてつもない力だ」
咲は憐れみ深い目をした。
「誰にも見えないものが見えるというのはつらいことも多いが、それはお前に与えられた役目だ。わたしは、人はそれぞれ役目を持って生まれてくるのだと思う。今のお前は人と違うことを悪いことだと考えているようだが、それは間違いだ。人と違うことこそ、お前が生きている意味そのものだ。わたしはそういう風に考えることにしている」
ああ、この人も何か人には見えないものを見ているんだ、と丑蜜は直感した。
「ただ、人と違うことを認めるには勇気がいる。だから、大抵の人はそうとは気づかれないように隠して生きている。お前がうとましいと思っている力だって、今は気がついていないだけで、何か意味があるはずだ。だからといって、今すぐ何かをしろとは言わないが、少なくとも自分のことは許してやれ。他と違うからといって、自分を責めたり、何かを恨んだりするな。あるがままに受け入れろ。離れていく者を追っても仕方がない。そのままのお前を受け入れてくれる者はきっといるぞ」
丑蜜はその言葉を聞いて、救われる思いがした。
丑蜜がホームに入ったのも、ヴァンパイアの自分を唯一受け入れてくれた場所だったからだ。
丑蜜は、自分を押し殺す必要なんてないと許されたような気がした。そして、誰に遠慮することもなく、感じるままに、生きたいように生きようと決心した。
丑蜜が独特な格好をし始めたのもこの頃だ。
丑蜜は咲に感謝していた。
ただ、同時に、姐さんは頑固で固すぎる、とも思っていた。丑蜜にしてみれば、咲は他人のために自分を犠牲にしすぎているように思えてならなかった。
せっかく生きているんだから、もっと好きにやってもいいのに。花の命は短いのよ、と丑蜜は咲に歯痒さを感じていた。
ヴァンパイアの花の命は結構長かったりするのだが。
一方、咲は咲で丑蜜に期待していた。
咲は丑蜜のこの能力を吸血部隊の切り札の一つと考えている。
だが、この能力はあまりにも利便性が高すぎる。
部隊外に秘密にしているのは、公にすると、利用しようとする輩が後を絶たないからだ。
能力を使う際の丑蜜の負担も大きい。いちいち、そういった輩の要望に応えていたら、丑蜜が潰れてしまう。
しかも、そういう輩に限って、吸血部隊のやることなすことに嘴を突っ込んで邪魔ばかりしてくるのだ。
自分からは何も与えようとせず、ただ欲しがるばかりの者達に、貴重な戦力である丑蜜を差し出すことは絶対に避けなければならない、と咲の考えは一貫していた。
そして、丑蜜にはもっとしっかりしてほしいと常々考えていた。丑蜜に対してあたりが強いのは、期待の裏返しでもある。
もっとしっかりしてほしい気持ちが半分、見てるとなんかイラっとするのが半分である。
丑蜜が救われたところまではよかったが、根本的な生き方のベクトルが別方向を向いてしまった。どちらが正しくて、どちらが間違っているわけでもない。
世の中、ままならないものである。
「見つけんした……」
丑蜜が記憶の奔流の中からボタンの記憶を拾い出した。
そして、リーダーの手の中から、幻術使いのコートへとボタンを足がかりに記憶を遡って、幻術使い本人に辿り着いた。
「ひっ!」
丑蜜は息を呑んだ。
幻術使いがリーダーの首を切り飛ばした記憶を見たからだ。丑蜜はこういうものがあまり得意ではない。
ともあれ、丑蜜は幻術使いを見つけることができた。剣鉈を持った若い男だ。
ここからは幻術使いの足取りを追うことになる。
丑蜜は幻術使いが歩いた道をそのままたどって、地上に出た。そして、水質管理センターを出て、町の方に歩き出した。
咲は無言で丑蜜の横に並んだ。
この状態の丑蜜には何を言っても届かない。夢遊状態のようなものだ。丑蜜を守ることが咲の役目だった。
吸血部隊の隊員達は車両に乗り込み、距離を置いてあとに続いた。
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次回は5/7(火)投稿予定です。




