屍食鬼の今
鉤爪は辰巳山の山頂近くにある社に、陸を連れ出した。
辰巳山とは、貨沢市の東側にある標高の低い山で、県境に広がる連峰の入り口にあたる。
長らく市民の霊園として利用されてきたが、近年は観光開発の一環として山頂までの道路が整備され、市街地を一望できる展望台などの施設が作られるようになった。
とはいうものの、まだ開発は始まったばかりで、その大部分は山道がところどころに見られるだけの木々に覆われた山である。
鉤爪は、山頂近くまで辰巳山を登ると、展望台へと向かう新しさの残る舗装路をそれて、山道に入った。
山道ではあるものの、道幅は車が一台通れるほどの広さがあり、両側に丸太で森の間との敷居が作られていた。ただ、今は人の出入りはないらしく、道の中は背の低い雑草が生え放題になっていた。
鉤爪は迷いなく道を進んだ。
陸もそれに続いた。
正直、陸は屍食鬼を助けたいなどとは欠片も思わなかったが、屍食鬼の現在の様子には興味があった。
それに一度断ったところで、鉤爪はあきらめないだろう。これ以上、付き纏われるくらいなら、さっさと終わらせて縁を切った方がいいという判断から、鉤爪の頼みを承諾したのだった。
社は道を進んだ先の開けた場所に造られていた。
雑草がぼうぼうと生い茂る中にぽつんと建っている。
すぐ前に朽ち果てた木製の鳥居が倒れており、窓があったであろう側面には木板が打ち付けられていた。
正面は雨戸で閉じられていた。雨戸にも木板が打ち付けてあったようだが、外されて社の横に立てかけられていた。鉤爪の仕業だろう。
「よく、こんな場所を見つけたな」
「たまたまだ。町中に親父は置いておけないからな」
陸は神社の中に屍食鬼らしき気配を感じ取った。
だが、それは今にも消えてしまいそうなひどく弱々しいものだった。
鉤爪が雨戸を開けて社の中に入ると、陸も続いた。
腐った肉の臭いが鼻をついた。
社の奥に屍食鬼がいた。
屍食鬼は赤黒い血が滲んだ包帯で全身を巻かれた姿で膝を抱えていた。
包帯の隙間から紫色にただれ、水ぶくれができた皮膚がのぞいている。
鉤爪と陸が近づくと、屍食鬼は顔を上げた。その目は白く濁っていた。
屍食鬼は陸に気がつくと、きいきいと叫び声を上げて、社の壁に張り付いた。怯えた様子で陸を見て、ガタガタ震えている。
(これがあの屍食鬼!?)
陸は屍食鬼によって滅ばされた町の生き残りだった。
生き残るためにはヴァンパイアの力が必要だった。陸はヴァンパイアとなることで死を免れたが、ヴァンパイアになった瞬間に生きることをやめた。
陸にとって屍食鬼はヴァンパイアとしての生を与えた親ではなく、人間としての生を終わらせた存在でしかなかった。
だが、ここに来るまでは屍食鬼に対して複雑な感情を持っていた陸だったが、変わり果てた屍食鬼の姿は、そうした思いを吹き飛ばすに十分すぎるほど衝撃的なものだった。
「大丈夫だ、親父。怖がらなくていい。こいつは陸だ。あんたの子供だよ」
鉤爪は赤ん坊をあやすように屍食鬼の背中を撫でた。
鉤爪の声を聞いて安心したらしい。屍食鬼は叫ぶのをやめた。
「何があった?」
陸は屍食鬼をなだめている鉤爪に尋ねた。
「それが……」
鉤爪が口を開こうとしたところで、陸はごっそりと生気が抜け出る感覚を味わった。なじみのある感覚だったが、不意のことだったので、陸はよろけた。
陸の前に、女の子が出現した。
普段、ほとんど感情を見せない女の子だったが、この時はすさまじい憎悪に顔をゆがめていた。
女の子が手のひらを前に突き出した。
現れ出たイバラが、屍食鬼に襲い掛かった。
イバラは屍食鬼の周りを渦を巻くように回転し、一気に締め潰そうとした。
しかし、屍食鬼の体に触れた途端、イバラは黒く変色し、消失した。
屍食鬼の体に黒い生気が浮かび上がった。
黒くて細長い生気が、屍食鬼の体に何本も巻き付いていた。
それは、まるで黒い蛇のようにも見えた。
女の子が手のひらを上に向けた。
屍食鬼の足元から現れ出たイバラが、その体を拘束しようと大きく広がった。しかし、黒い生気に触れた途端、やはり黒く変色して消失してしまった。
黒い生気が鎌首をもたげた。
その先には、悔しそうな顔をした女の子が立っていた。
黒い生気が、女の子に向かって一直線に伸びた。
女の子は忌々しそうに、右手を前に突き出して、イバラで壁を作った。
だが、黒い生気が触れた途端、溶けたようにイバラの壁に穴が空いた。
黒い生気が女の子の右腕に取り付いた。
「ぎゃうっ!!」
女の子が悲鳴を上げた。
陸はとっさに剣鉈を抜き、生気をまとわせると、女の子の右腕を叩き切った。
女の子の右腕がぽとりと床に落ちた。
女の子は消えた。
床に落ちた女の子の白い右腕には、黒い生気が纏わりついていた。
黒い生気が触れた部分が黒く変色している。
まるで、黒い生気に喰われるかのように、変色した部分が徐々に消失していく。
「何だ、これは!?」
黒い生気は右腕をすべて喰い尽くすと、自身も消えてしまった。
「……今のが紗良か?」
事態を呆然と見ていた鉤爪が口を開いた。
「知っているのか?」
陸は剣鉈を鞘に納めた。
「ああ。親父がまともだった時に聞いたことがある。肉体を持たないヴァンパイアとかいう話だったが……」
屍食鬼がまともだった時なんてあるのか、と陸は思った。
しかし、話がややこしくなるので黙っていた。
「大丈夫なのか?消えてしまったが……」
鉤爪は心配した様子で陸に尋ねた。
「生気を失ったので、形を維持できなくなった。今は俺の中に戻った」
女の子の名前は紗良という。
昔はともかく、今の紗良は肉体を持たない。意思を持つ生気の塊だ。
現世に顕現するには相当量の生気を必要とする。
大量の生気を失った紗良は、陸の中で眠りについた。しばらくは回復に専念せざるを得ないだろう。
当然、その分、陸の負担も増えることになるのだが。
「本当に大丈夫なのか?」
鉤爪は本当に心配しているようだった。
「生気を吸収すれば、また元の姿に戻る。心配してくれるのか?」
「まあな。オレにとってお前が弟なら、あの子は妹みたいなもんだろ。そりゃ、心配するさ」
鉤爪は当たり前のように言った。
紗良を忌避する頭は全くないようだった。
鉤爪にとって、紗良は得体のしれない何かではなく、自分の妹ということになっているらしい。
「なるほど。そういう風に考えるのか……」
陸は鉤爪という男が少し分かったような気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は4/26(金)投稿予定です。




