陸の帰宅
日が落ちて、陸はようやく住んでいるアパートに帰ってくることができた。
この数日間、休む暇もなく追い回され、食事を摂るどころか、眠ることもできなかった。陸は疲れ果てていた。
早く風呂に入って眠りたいと、重い体を引きずって階段を上がると、部屋の前に健太郎が座っていた。
健太郎はランドセルを脇に置いて、ドアにもたれて体育座りしていた。黄色い帽子をかぶった頭を膝にうずめている。
陸はしまった、という顔をした。
ハイエナの相手で頭がいっぱいになっていて、すっかり健太郎のことを忘れていたのだ。
「おーい。大丈夫かー」
陸は健太郎のそばに行くと、その顔をのぞきこんだ。
「兄ちゃん、どこ行ってたの?」
健太郎は恨みがましい顔で陸を見上げた。
うっすらと目に涙が滲んでいる。
「ああ、えっと……急な用事が入って……すぐ終わるはずだったんだけど、何か長引いちゃってさ……」
陸は目を泳がせて、しどろもどろに言い訳した。
「家をるすにする時はちゃんと言ってよっ!」
健太郎は涙声で、口を尖らせた。
「ごめん、ごめん。悪かったよ」
陸は健太郎の頭をやさしく撫でた。
健太郎は両手を前に突き出した。
「何だ?」
「おんぶ」
「おい、おい。お前、何才だよ?」
陸はあきれた。
「いいから、おんぶ!早く!」
健太郎は譲らなかった。体を上下に揺らして、陸を催促した。
「……しょうがないなあ」
陸はしゃがんで、健太郎に背中を向けた。健太郎は陸におぶさった。
びくっと健太郎が陸の背中で固まった。
「兄ちゃん」
「何だ?」
「何か、くさい」
健太郎は鼻をつまんだ。
「……色々あったんだ」
陸は健太郎をおぶって、部屋のドアを開けた。
陸が風呂から上がると、健太郎はゲームをしていた。
光の勇者が、邪悪な吸血鬼の王様を討伐するアクションRPGである。
画面では、健太郎が操る光の勇者が吸血鬼相手に、派手な視覚効果の必殺技を繰り出していた。必殺技を受けた吸血鬼は、臨場感たっぷりのダメージモーションと共に、ダメージを表す数字を体に浮かばせた。
またレベル上げの日々が始まるのか、と陸は少しげんなりした。
ただ、自分の首を狙うハイエナに追い回された数日間を思えば、ほっとする感じがしたのも事実だった。いつもの日常が戻ってきたことを陸は喜んだ。
こんな日々が続けばいいのになあ、と陸は思った。
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咲達壱番隊は、市警に案内されて、浅手川沿いにある水質管理センターにやってきていた。
保守作業員が定期点検で地下下水道に入った際、数名の死体を発見したのだった。
まず、市警が現場に入り、実況見分を行ったところ、死体がヴァンパイアのものと分かった。そして、咲に連絡が入ったのだ。咲は壱番隊を引き連れて現場にやってきたのだった。他の隊は中村を司令塔に、ヴァンパイア殲滅作戦を続行中である。
水質管理センターの周辺を調べてみると、下水道の中だけでなく、敷地の藪の中にも数体のヴァンパイアの死体が見つかった。
藪の中の死体は、外からは見つかりにくいように、木々の影に隠すようにまとめて寝かされていた。下水道の中の死体とは違い、丁重に扱われた様子が見える。おそらくは殺された後、仲間によってここに運ばれたのだろう。
ただ、死体に外傷は見当たらず、死因がはっきりしなかった。
「幻術使いの仕業だろうな」
しゃがみこんで死体を見分していた咲が言った。
「それにしても、外傷が見当たりませんね」
咲の隣で、ヴァンパイアの死体を調べていた隊員の中山が言った。
ちなみに、中山という隊員はふりふりのアイドル好きという性癖を持つが、仕事は優秀といって差し支えない。
妻帯者で二才になる男の子がいるが、嫁はふりふりとは真逆のタイプだ。新婚当初、嫁にふりふりを勧めたところ、「ど変態!」と罵倒され、心に深い傷を負うという悲しい過去を持つ。
しかし、中山はふりふりへの熱い情熱を忘れることはなかった。嫁に言うと怒られるので、その熱い情熱を今は咲にぶつけているという困った男である。囮捜査で咲の衣装を取り仕切るの黒幕の一人だ。
中山は死体をひっくり返したり、服をめくりあげて念入りに調べていたが、どの死体にも直接的な死因となりそうなものは見つからなかった。死体にも目立った外傷はなく、きれいな状態だった。まるで肉体から魂だけが抜かれたような感じだ。
「幻術使いと聞いていたが、何か別の力を使ったのか?今まで、そんな話は出てこなかったが……」
咲は首をかしげた。
「どうやって殺したんでしょう?」
中山は死体から手を放した。
「そうだな……」
咲は死体をじっと観察しながら、少し考え込んだ。
「この状態で死んでいるとなると、生気を失った場合などが考えられる。ヴァンパイアの中でも術を使う者は、自分の生気を使って術を発動する。……ただなあ、術の使い過ぎで生気を危険域まで消耗することはあるが、それでも全てを使い切ることはない。その前に意識を失ってしまうからな」
「生気を失わせる力があるとか?」
「今まで聞いたことはないが、可能性はある。ヴァンパイアの力の根源は、当人の思いの強さだ。思いの強さが力を生み出すきっかけになる。何を思い、何を願うかによって、力の形は変わる。力の形は千差万別だ。たとえ、それがどんな願いであろうとな」
咲は皮肉気味に笑った。
「とはいっても、元は人間だ。そう極端に変わった力は生まれない。ある程度は似通った力になるものだが……この場合は……」
咲はあごに手をあてて、首をひねった。
「考えていたより、厄介な相手かもしれませんね」
中山は難しい顔をした。
「とにかく、これだけじゃ情報が少なすぎるな。下水道の方を見てみよう」
咲達は立ち上がると、地下下水道に向かった。
建屋に入ると、安江が出迎えてくれた。
安江は咲に会えてご機嫌な様子だ。にこにこしながら地下下水道に案内してくれた。
密かに市警の警察官の中で、咲派と丑蜜派が生まれていた。
凛とした美形の咲は高嶺の花すぎると気後れしていた警察官の間で、格好こそ奇抜ではあるが、話すとのほほんとした可愛さのある丑蜜は親しみやすいと人気が出ていた。それに加えて、あのナイスバディである。陥落する者は数多かった。
ある意味、当初のテーマであった『地元警察との交流』は成功したといえよう。
地下下水道に続く螺旋階段を降りると、白塗りの廊下に出た。年季は入っているが、ほとんど人の出入りがないらしく、割ときれいな印象だ。
そして、出入口のすぐ横の壁にヴァンパイアの死体が横倒しになっていた。元々、出入口にもたれかかっていたのを横にどけた様子だ。
調べてみたところ、こちらの死体もきれいな状態だった。
「地上の死体と同じですねえ。外傷がありません」
見分を終えた中山が言った。
「やはり幻術以外に、何か力を使ったとみた方がいいな」
咲が応えた。
廊下を左に進むと下水の水位を調節するためのため池になっており、右に進むと下水道管が三方に分岐する分水施設がある。
三つの下水道管の一つは、ため池とつながっているそうだ。ヴァンパイアの死体は、その下水道管とため池、分水施設の三か所で見つかっている。
咲達は、最初に三体のヴァンパイアの死体が見つかったという分水施設の方に向かった。
廊下の出入口に取り付けられていたはずの鉄扉は破壊されて、脇に転がっていた。通常は鍵がかかっている扉だが、強い力で無理やり開けたらしく、蝶番がねじ切れていた。
分水施設を見下ろすデッキに出ると、下水臭と死臭が入り混じった何ともいいようのない嫌な臭いが、下方から漂ってきた。
「さすがに、臭うな……」
咲は顔をしかめた。
「すみません。何だったら、上に戻りますか?」
申し訳なさそうに、安江が言った。
「いや、気にしないでくれ。つまらないことを言った。これくらい平気だ」
デッキから下を見下ろすと、八メートル四方ほどの空間の正面と左右に煉瓦造りの下水道が伸びている様子が見えた。施設内は投光器によって光が当てられており、胴長靴を履いた警察官が水の中を調べている。
「見つかった死体は水の中に沈んでいます。正直、あまり気持ちのいいものではありませんが……」
咲達は用意してあった胴長靴を借りると、安江に案内されて、死体のある下水道に入った。
入ってすぐに鉄格子が設けられており、先に進めないようになっている。鉄格子の奥は下水を処理施設に送るためのポンプがあるということだった。鉄格子の奥から、水をくみ上げるモーターのうなり音が響いている。
咲達は波を立てないように、慎重に死体に近づいた。
「これは何で死んだかわかりやすいな」
首のないヴァンパイアの死体が水の中に沈んでいた。すぐそばに頭も沈んでいる。
死体は赤黒く変色し、水を吸って膨らんでいた。
調べてみると、死体には背中から胸を貫通するほどの深い刺し傷があった。
「うん!?これは……」
咲はヴァンパイアの手が何かを握っていることに気がついた。
手を開いてみると、ボタンが出てきた。
「これは……幻術使いのものか?」
咲はボタンを投光器の光にかざした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は4/19(金)投稿予定です。




