丑蜜
昼下がりの新幹線下りホームに、定刻通り、青とアイボリーのツートンカラーで塗装された流線型の車両が滑り込んできた。
ドアが開くと同時に足早に降りてきた乗客の中に、黒地に花柄の艶やかなドレスを着た女がいた。
振袖がついているが着物ではなく、下は膝が見えるスカートだ。柔らかな素材でできており、女が動くたびにその形のいい体の線を浮き上がらせた。
足を止めて女を見ている者もいたが、そんな視線を気にすることもなく、女は出口に向かう乗客の列から外れると、腕を伸ばして、大きく息を吸い込んだ。
女の呼吸に合わせて、その豊かな胸が揺れ、髪に挿したかんざしの飾りがちりんと音を立てた。
「うーん、やっぱり娑婆の空気はいいでありんすねえ。引きこもってばかりじゃ、刺激がなくて面白うありんせん」
駅を出ると、女はレースで縁取られた日傘を差して、ご機嫌な様子でくるくると回した。
道路を挟んだ女の目の前に、大画面のLEDディスプレイが設置されたファッションビルが建っていた。
ディスプレイには、和太鼓の音とともに貨沢市の観光名所が色鮮やかな映像で映し出されていた。一階は人魚のロゴで有名なオープンカフェで、その横で夏物の新作のレディースファッションが煌びやかに展示されている。
ディスプレイの映像が変わり、五人組のアイドルグループがヒップホップに合わせてダンスを踊り始めた。
女はあっという間に心を奪われた。
咲からはすぐに顔を出せと言われていたが、女の中の優先度は一瞬で下位に沈んだ。
咲から連絡がくると、あれよあれよと新幹線に乗せられ、訳も分からずここまでやってきたのだ。
久しぶりに外の世界に出てきた女の心は、解放感でいっぱいだった。
「ちょっとくらいなら、いいでありんすよねえ」
ご機嫌な調子で鼻歌を歌いながら、女はふらふらとファッションビルの方に歩いていった。
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「屍食鬼が死んだだと。ふざけるな。課長は何も分かっていない。あの化け物が死ぬものか。屍食鬼は絶対に生きている」
笹島は自分に言い聞かせるように口にした。
妻と子を奪われ、生きる目的である屍食鬼まで奪われてしまえば、笹島には本当に何も残らなかった。その上、屍食鬼を殺すために生きてきた時間までが否定される。屍食鬼が既に死んでいる。笹島はそのことを恐れた。
屍食鬼が死んでいるということは、笹島という存在が根底から否定されるという意味を持っていた。逆説的だが、笹島ほど屍食鬼を憎んでいる人間もいないが、笹島ほど屍食鬼を必要としている人間もいなかったのである。
屍食鬼はあくまで自分の手で殺さなければならなかった。
もはや、笹島は警察に戻るつもりはなかった。警察という組織が自分の力にならないのであれば、無理にしがみつく理由はなかった。
「とにかく鉤爪だ。鉤爪が鍵を握っている。鉤爪は屍食鬼を『親父』と呼んだ。鉤爪の親は屍食鬼だ」
一般的に、強力なヴァンパイアの血ほど子供を選ぶ傾向にある。
ヴァンパイアの血に適合しなかった人間は即死するか、なりそこねになるかのどちらかだ。いずれにせよ、死ぬことに変わりはない。
屍食鬼が強力なヴァンパイアであればあるほど、適合者を見つけるのは困難になる。鉤爪が屍食鬼の子供なら、屍食鬼にとって特別な存在のはずだ。その証拠に、単独行動を好む屍食鬼が、唯一連れて歩いたのが鉤爪である。
鉤爪は必ず屍食鬼の情報を持っている、と笹島は考えていた。
警察本部を出てから、笹島はとにかく歩き回った。捜査中の警官に気づかれないように気をつけながら、手当たり次第に人をつかまえ、聞き込みを行った。しかし、鉤爪の行方を示す手がかりは何一つ得られなかった。
失意の笹島は駅前にやってきた。
駅前の広場は電車を降りた乗客が路線バスに乗り換えるための待合所を兼ねており、ドーム状の屋根の下、多くの人々が行き交っていた。ここでも鉤爪の手がかりは得られなかった。
疲れ果てた笹島はベンチに座り込んだ。
笹島の前を家族連れが通り過ぎた。
三歳くらいの女の子が父親と母親に手を取られ、おぼつかない足取りで歩いていた。女の子は父親を見上げ、白い歯をこぼした。
年を追うごとに、幸福な家族の姿は笹島を苦しめた。
初めは妻と二人で歩く夫の姿が笹島の胸に突き刺さった。今は小さい子供を連れて歩く父親の姿が笹島の心を深くえぐった。笹島がかって手にしかかっていた幸福の形がそこにあった。愛する妻。生まれてくるはずの子供。二つの幸福は笹島の目の前で永久に消えてなくなった。
笹島は頭を抱えた。
脳裏に妻が殺された光景が浮かんだ。首を振ってその光景を追い出すと、今度は溝口が鉤爪に殺された場面が浮かんできた。
笹島は声を押し殺して泣いた。
ファッションビルから一人の女が出てきた。
女は和服と洋服を掛け合わせたようなドレスを身に纏い、髪に飾りのついたかんざしを何本も挿していた。その美しくも奇異な装束と、ナイスなバディーが相まって、通りを歩く人々の注目の的となっていた。
女は時折立ち止まっては、珍しそうに建物を見上げては日傘をくるくる回した。
女が鼻歌を歌いながら笹島の前を通り過ぎた。
笹島は顔を上げた。
見覚えのある女だった。
女は横断歩道で信号待ちをしていたカップルに話しかけていた。話しかけられたカップルは逃げるに逃げられず、突然、町中で外人に話しかけられた時のように腰の引けた彼氏が、身振り手振りで一生懸命何かを説明していた。彼女の方は彼氏の背中に隠れていた。
「間違いない。立花子飼いのヴァンパイアだ。確か……丑蜜といったか。何故こんな所に?立花が呼んだのか?」
笹島は昔読んだ丑蜜の資料を思い起こした。
「そうか!あの女の力なら、鉤爪を探すことができる!」
笹島は立ち上がった。
丑蜜はカップルと話しながら一緒に信号を渡ると、手を振って別れた。
笹島は横断歩道を一気に駆け抜けると、悠長に歩いていた丑蜜の腕を掴んだ。
「おい、ちょっと来い!」
笹島は丑蜜を強引に道路脇の地下道へ引き込んだ。
「何、何、何事でありんすか?」
丑蜜はバランスを崩して膝をついた。
「ちっ、早く立て」
笹島は腹立たしげに丑蜜の腕を引っ張った。
「このぉ」
丑蜜が笹島をじろりと睨んだ。
戦闘向きではないとはいえ、丑蜜もヴァンパイアである。人間の力で敵うわけがなかった。
やばいと思う間もなく、笹島は壁に叩きつけられた。
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次回は3/19(火)投稿予定です。




