第十三章「燃え移る」
その日から、俺は、変わった。
自分でも、分かっていた。だが、止められなかった。
蒲生の言葉が、頭から、離れなかった。お前の掬い方は、いずれお前を焼く。掬う手が多いほど乾く。だから、俺は逆のことを、し始めた。誰の手も、借りず一人で全部を、背負おうとした。
隠れ里を発ち、俺たちは王都を、目指していた。水の道を、開けるために。
道中の町で火を見れば、俺は一人で、水を呼んだ。ネルが、手伝おうとすると、俺は断った。
「いい。お前は、下がってろ」
「でも、あんたまた、乾くよ」
「俺が、やる。お前を、危ない目に、遭わせたくない」
ネルの顔が、曇った。だが、俺は気づかないふりを、した。
その町では、火は、大きかった。灰禍の本体が、すぐ近くまで、迫っていた。俺は一人で、水を呼び防火線を、引こうとした。だが、一人では手が、足りなかった。水を呼ぶ場所と、防火線を敷く場所が、離れていた。俺の体は一つしかない。
火が、俺の引こうとした線を、越えた。
家が一軒焼けた。逃げ遅れは、いなかった。だが、間に合わなかった。もしネルと、ガランに、防火線を任せていれば。手渡しの列を、作っていれば。あの家は、焼けなかったかもしれない。
俺は、焼け落ちる家を、見ていた。一人で全部を、やろうとして、俺はまた一軒燃やした。それでも、俺は次の町でも、同じことを繰り返した。誰の手も、借りずに。
俺は、乾いた。倒れるほどではないが、いつも喉が、渇いていた。木の椀の水を、一人で、飲んだ。誰にも、汲ませなかった。一人で掬い一人で乾き、一人で水を飲む。それが蒲生に飲まれないための俺のやり方だと、思い込んでいた。
夜、眠れないことが、増えた。目を閉じると、蒲生の顔が、浮かんだ。あのこけた頬。白い髪。長い歳月を一人で、火を背負ってきた、王の顔。
あれは、俺の行く末なのか。
掬って掬って、乾いて割れかけて、それでも誰も救いきれなくて。そのうち掬うのをやめて、切り捨てることを、覚える。そして、いつか白髪の王のように、この世界を焼く側に回る。
そう考えると、俺は余計に一人で、背負おうとした。仲間を、失わないために。仲間に、頼らないために。頼れば頼った分だけ、失う痛みが増えると、思っていた。
だが、俺は、間違えていた。
蒲生の言葉に飲まれないつもりで、俺はいちばん蒲生に、近づいていた。一人で全部を背負う。危ないやつは、下がらせる。それは掬うのを、やめるその一歩、手前だった。切り捨てることに、似ていた。
ガランが、あるとき俺を、呼び止めた。
「ヒヤマ。お前最近顔が怖いぞ」
「そうか」
「ネルが、気に病んでいる。お前が、あの子の手を、借りなくなった。あの子は、お前の役に立ちたくて、水の呼び方を覚えたんだ。それを、いらん、と言われて」
俺は、答えなかった。ネルを、危険から、遠ざけているつもりだった。それの何が、悪い。
「お前は、あの王の言葉に、飲まれておる」ガランの片目が、鋭くなった。「一人で背負えば、あの王に、勝てると思っておるのか。逆だ。一人で背負うほど、お前はあの王に、似ていく」
俺は、かっとなった。
「じゃあ、どうしろって言うんだ」俺は、声を荒げた。「みんなを、巻き込んで、共倒れになれって言うのか。ネルがあんたが、俺のせいで、焼かれたらどうする。俺はもう、誰も、失いたくないんだ」
言ってしまってから、気づいた。
それは、蒲生の理屈だった。失いたくないから、遠ざける。危ないやつは、切り捨てる。俺は大切に思うがゆえに、大切な者を掬う列から、締め出していた。
ネルが少し離れたところで、俺たちの言い争いを、聞いていた。うつむいて、腕の火傷をまた袖で、隠していた。あんなに、隠さなくなっていた、あの火傷を。
俺の悲壮が、ネルに、移っていた。
延焼だ。俺ははっとした。俺は自分の焦りと、悲しみを仲間に、燃え移らせていた。火の粉が、飛ぶように。俺は、他人の延焼は、いつも読めた。どこで火が広がるか、正確に、視えた。だが、自分から広がる延焼は、視えていなかった。
俺の目には、水の在りかが、視える。だが、自分の心から、燃え広がるものは視えない。それが、俺の穴だった。
台帳のあの空白と、同じだった。俺には、大陸じゅうの水が、視える。なのに、大陸の中央、いちばん大きな水だけが視えない。俺には、他人の火が、視える。なのに、自分の中で、いちばん大きく燃えている火だけが視えない。
蒲生はその俺の穴を、見抜いていた。だから、あの言葉を、置いていったのだ。お前も、いずれ、そうなると。俺が自分の延焼に、気づかないことを、知っていて。
俺は震える手で、木の椀を、握った。前の世界で俺は、あの窓の右端を、消せなかった。この世界で俺は、自分の心の火を、消せずにいた。掬う男が、自分の火だけは、掬えずにいた。
その夜俺は、一人で、火の番をした。
台帳を、開いた。大陸の中央の空白。何度見ても、そこだけが、まっ黒だった。水の道。王都の地の底。すべての水が、集まる場所。
そこを、開ければ。灰禍は、止まる。蒲生を、止められる。
俺は、そればかりを、考えていた。一人で王都へ乗り込み、一人で水の道を開け、一人で蒲生を倒す。そうやって、燃え尽きることで、あの窓の右端を償う。
気づけば、またそこへ、戻っていた。一人で、燃え尽きるつもりで、水を出す。ガランに、いちばん最初に、叱られたあの間違い。
あの隠れ里で、俺は答えを、見つけたはずだった。一人の英雄が、大河を運ぶんじゃない。掬った者が、次を掬う。ネルが俺の代わりに、掬ってくれた、あの夜。手渡しの列が、俺がいなくても、動いていたあの光景。あれが、答えだと、確かに思った。
なのに、蒲生にたった一言言われただけで、俺はまた元の一人の場所へ戻ろうとしていた。
なぜだ。なぜ俺は、こんなにも一人に、なりたがる。
答えは、分かっていた。怖いのだ。誰かを頼って、その誰かを、失うことが。あの窓の右端のように。手を伸ばして、届かなかった顔が、増えることが。だから、俺は最初から、誰も頼らない。一人で背負えば、失うのは、自分だけで済む。
それは、優しさの顔をした、逃げだった。蒲生と、同じ、逃げだった。
「ヒヤマ」
ふいに、ネルの声が、した。火のそばに、ネルが、立っていた。木の椀を、手に、持っていた。
「水、汲んできた」ネルは、その椀を俺に、差し出した。「あんたが、乾いてるの知ってるから。……手伝わせて、ヒヤマ。あたし、下がってるのいやなんだ」
椀の中で水が、火の色を映して、揺れていた。
俺はその水を見た。それから、ネルの顔を、見た。焼け残りと呼ばれ、放っておかれることに、慣れていた子。その子が俺に、下がっていろと言われて、傷ついていた。
俺は蒲生の言葉に飲まれかけて、いちばん大切なものを、締め出そうとしていた。
「……悪かった」
俺は、椀を、受け取った。水を、飲んだ。ネルの汲んでくれた水は、俺一人で汲んだ水より、ずっと冷たくうまかった。
だが、それでも俺の胸の奥には、まだ蒲生の火がくすぶっていた。
ネルは俺の隣に座った。しばらく、二人で火を、見ていた。
「あたしあんたが、怖い顔してるとき、思うんだ」ネルが、ぽつりと言った。「あの王様と、同じ顔だって。兜の下のあの王様と」
俺はどきりとした。
「あたし、あんたに、そうなってほしくない」ネルは、火を見つめたまま、続けた。「一人で全部背負って、乾いて割れて、それで掬うのをやめる人に。あたしを生き残りって、言ってくれた、あんたに」
その言葉が蒲生の火とは、逆の向きに俺の胸へ、染みてきた。
王都はもう近い。その地の底に、水の道が、眠っている。
俺はまだ、一人でそれを、背負うつもりでいた。
だが、その夜ネルの言葉が俺の背負った荷を、ほんの少しだけ軽くした。ほんの少しだけ。




