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恋の鱗は隠せない~満月の夜に、10年前の約束をもう一度~  作者: 猫塚ルイ


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第8話

シエルの手が、テーブルの上で私の手をそっと包み込んだ。


「君を助けているうちに、僕の方が救われていたんだ。こんなに小さくて美しい命が、あんなに懸命に生きようとしている」


「それなら僕も、もう一度だけ明日を信じてみようって……。あの日、君を救ったのは、実は僕自身の死にかけた心を救うためでもあったんだよ」


初めて明かされる10年前の真実。


私たちは互いに、救い、救われていたのだ。


あの日


激しい波音の中で重なったのは、孤独な魂同士の共鳴だった。


「……だからね、ラム。君が僕のために命を賭けて人間になってくれたように、僕も君のために、これからの人生のすべてを捧げると決めたんだ」


シエルは静かに立ち上がり、私の前に跪いた。


そしてポケットから、ビロードの小さな小箱を取り出した。


蓋が開かれると、中には月の雫を固めたような


大粒の真珠が埋め込まれた銀色の指輪が収められていた。


「満月の夜、君が泡になって消えることなんて、僕が絶対にさせない。これは、君をこの世界に繋ぎ止めるための『楔』だ。僕の妻になってほしいんだ、ラム」


「っ! シエル……っ」


溢れ出す涙で視界が激しく滲む。


言葉にならない想いが喉の奥で震え、私はただ何度も頷くことしかできなかった。


彼の名前を呼ぶだけで、胸がいっぱいになり、心臓が痛いほど高鳴る。


シエルは私の震える左手を取り、薬指にその指輪をゆっくりとはめてくれた。


ひんやりとした真珠の感触が


彼の誠実な誓いの言葉のように、じわりと肌の奥深くまで染み込んでいく。


「これで、永遠に一緒だよ」


私たちは見つめ合い、どちらからともなく微笑み合った。


かつて海辺で出会った人魚と少年だった私たちが


10年の時を超え、今こうして結ばれようとしている。


「……すっごく、嬉しいわ…なんだか、夢を見ているみたい……」


「夢じゃない、これは現実だよ。僕たちの新しい人生の始まりなんだ」


彼の大きな温もりに包まれながら、私は確かにそう確信した。


テラスでの食事を終え、心地よい満足感に浸っていると


シエルは「少し待っていて」と優しく告げて別邸の奥へと姿を消した。


「なんだろう?」なんて暢気なことを考えていると


しばらくして戻ってきた彼の背中には、大きな黒い革のケースが抱えられていた。


「シエル? それは……」


「うん。僕の相棒さ。ピアノもいいけれど、今日は君の隣で、この音を届けたかったんだ」


彼がケースを丁重に開けると、そこには艶やかな光沢を放つバイオリンが横たわっていた。


深紅の木肌が傾きかけた夕日に照らされて、まるで生きている宝石のように妖艶に輝いている。


「弾いてくれるの?」


「もちろん。今日は僕たちの特別な記念日だからね」


シエルが静かに弓を構える。弦に当てられた弓先が


緊張を孕んで微かに震え、次の瞬間───


空気が、一瞬で変わった。


波一つ立たない鏡のような湖面のように静まり返った空間に、最初の一音が雫となって落ちた。


低く、深く、それでいてどこまでも澄み切った響き。


それはまるで水中で聴く音のように柔らかく


しかし胸の奥を直接揺さぶるような確かな輪郭を持っている。


彼の指が弦の上を魔法のように滑り


弓がしなるたびに、紡がれる音符たちが色とりどりの光の粒子となって


テラスの隅々まで散りばめられていくようだった。


「……っ」


息をすることさえ忘れるほど、その旋律に飲み込まれていく。


これは…私だけのために作られた、私に捧げられた旋律だ。


優しく寄せては返す波の音。潮風に乗って届く、遠い故郷の海の唄。


そして何より……シエルの心臓の鼓動を思わせる


力強く、情熱的に脈打つベースライン。


彼のバイオリンは饒舌に語っていた。


あの夏の日の衝撃的な出会い、離れ離れだった10年の孤独な想い


そして、今こうして共にいられる奇跡のような幸福。


そのすべてを、一音一音に込めて。


特に印象的だったのは、曲のクライマックスで奏でられた「泡沫」のテーマだった。


まるで指輪の中の大粒の真珠が、彼の音に呼応して共鳴しているかのように


甘く、切なく、そして力強いメロディーがテラスを支配する。


これを聞いている限り、私は決して泡になどならない。


───この音に包まれていれば、私はいつまでも


この陸の上で、彼の隣で生きていられる。


そんな確信が、熱い塊となって胸に込み上げた。


演奏が終わったとき、私は自分でも気づかないうちに、声もなく大粒の涙を流していた。


シエルはゆっくりと弓を下ろし、私の方を向いて


世界で一番優しい眼差しで微笑みかけた。


「君が陸に上がってから……ずっと、君の隣でこれを弾きたかったんだ。あの日の恩返しと、これから一生を共にするための、僕からの約束として」


彼が歩み寄ってきて、私の濡れた頬を熱を帯びた親指でそっと拭った。


「どうだった? 僕の想い…気に入ってくれたかな?」


「……もう、何もかも……完璧すぎて、言葉が出ないわ……」


私は震える声で精一杯答えた。


「こんなに幸せでいいの……?私はただの、海から迷い込んだだけの人魚だったのに」

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