第6話
だが、その蒼い瞳には怯えも嫌悪もなく
ただ、私の苦しみをすべて分かち合おうとするような、静かで深い決意が宿っていた。
「いや、僕の方こそごめん。僕が目を離した隙に、君にこんな思いをさせて……本当に申し訳ない」
彼は私の拒絶を無視するのではなく、包み込むように歩み寄り
強引に、けれど壊れ物を扱うような繊細さで私の冷え切った手を包み込んだ。
「少し、誰の目にも触れない休憩できるところへ行こう。僕もずっと一緒にいるから」
彼のそのどこまでも深い優しさが、私の張り詰めていた心の糸をぷつりと切った。
このまま隠し続けて、もし彼を騙したまま消えてしまったら……
彼に本当の私を知ってもらえないまま、泡になってしまったら。
その方が、正体を知られて嫌われるよりもずっと恐ろしいことに気づいてしまったのだ。
私は意を決して、彼の手を痛いほど握り返し、堰を切ったように真実を話し始めた。
人魚の国を捨て、一族が禁忌とする深淵の魔女の元へ向かったこと。
この二本の足を手に入れるために、声を奪われる以上の───「一雫の水で正体が露見する」という呪いの代償を払ったこと。
「あなたと結ばれなければ、私は次の満月の夜に……泡になって消えてしまうの」
震える声で告げた言葉が、夜の静寂に溶けていく。
「私、不完全なの。人間になりたかったけれど、水に濡れればこうして鱗が出てしまうし、あなたに愛してもらえなければ、どこにも居場所がなくなってしまう……っ。そんな化け物の私を、あなたは……」
私の告白を、シエルは一言も漏らさず、ただ真っ直ぐに私の目を見つめて聞き入っていた。
すべてを話し終え、絶望に震える私を見つめると
彼は私の頬を優しく、愛おしそうに両手で包み込んだ。
その蒼い瞳には、私への憐れみではなく、言葉にできないほど熱い涙が浮かんでいる。
「……そこまでして、僕に会いに来てくれたんだね。ありがとう、ラム。本当に、ありがとう……」
シエルの声が、感極まったようにかすれた。
彼は私の背中の、ドレス越しに浮き上がる鱗の感触を恐れることなく、そのまま私を強く抱き寄せた。
「でも、大丈夫だよ。ラムは、10年前からずっと僕の、たった一人の初恋なんだ。……君を泡になんて、絶対にさせない。この命をかけて、僕が君をこの世界に繋ぎ止めてみせるから」
頭上の月光が、寄り添う私たちの影をテラスの床に長く落とす。
見つめ合う視線が幾重にも絡み合い、沈黙が甘く、
重く、密やかに二人の間に降り積もっていく。
シエルの顔がゆっくりと、吸い寄せられるように近づき
彼の纏う清潔な石鹸の香りと、高鳴る鼓動の熱い体温が私の感覚を支配した。
「ラム……」
吐息が触れるほどの至近距離で名前を呼ばれ、私は抗う術もなく、そっと瞳を閉じた。
次の瞬間、柔らかい彼の唇が私の唇を優しく、けれど独占するように塞いだ。
「んっ……」
初めての、痺れるような官能的なキス。
それは、誓いであり、祝福であり、そしてこれから始まる長い航海の出航を告げる汽笛のようでもあった。
その甘美なキスを受け入れている最中も
私の背中を覆う硬質な鱗の感触は、私の存在の危うさと、二人が乗り越えなければならない運命の残酷さを
ひんやりと冷たい石のように突きつけていた。
背中で熱く輝く鱗が、彼の逞しい腕の中でさらに激しく熱を帯びていく。
あの日、遠い記憶の浜辺で交わした幼い約束が
10年の時を経て、今、消えることのない深い愛の契りへと変わるのを、私は全身で感じていた。
◆◇◆◇
シエルの腕の中で、熱い吐息と甘い愛の言葉を全身に浴びながら
私は自分が「人間」としてこの世界に存在していることを、生まれて初めて心の底から肯定されたような気がした。
人魚でもなく、化け物でもなく
ただ一人の愛されるべき女性としてここにいるのだと、彼の唇が教えてくれた。
唇をゆっくりと離した後、彼は私の背中の濡れた部分を
自分の温もりが残る上着で手早く、けれど慈しむように覆ってくれた。
そして、衆人環視の舞踏会
煌びやかな仮面の裏で好奇の視線が渦巻くあの場所から、守るように私を連れ出してくれた。
向かったのは、彼の邸宅のさらに奥。
執事やメイドの立ち入りさえも許されていない、彼が最も大切にしている秘密の図書室だった。
壁一面を天井まで埋め尽くす古書の香りと
暖炉の中で薪がパチパチと爆ぜる音だけが静かに響く、二人きりの空間。
シエルは私をベルベットのソファに優しく座らせると、自ら冷たい床に跪き
震える私の手を包み込むようにして取った。
「ラム…君の話したことはすべて、この胸に刻んだ。君が払った重すぎる代償も、その背中で輝く呪いも……そのすべてを、これからは僕が共に背負う」
彼の蒼い瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
けれど、私はまだ自分の「異質さ」への恐怖を拭いきれずにいた。
「でも、シエル……私は、ただの人間には戻れない。いつまでも、一雫の水で暴かれるこの鱗に怯えながら生きていかなきゃいけないのよ?」




