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月夜の大神と対魔刑事と 〜陰陽師の女刑事は、月夜に獣と化す『人ならざる男』と恋に堕ち、組織を離れ、神降しの巫女となる〜  作者: 國村城太郎


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第14話 凍結

 薄い朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。


 怪我の後遺症か、昨夜の疲れか、身体の奥にはまだ鈍い重さが残っている。しばらく天井を見つめたあと、渼星はそっと身を起こした。部屋の向こうから、湯の沸く音が聞こえる。大上は朝食の準備をすると言って、先に部屋を出ていっていた。


 昨夜のことを思い返すと、身体の芯にまだ熱いものを感じる。救われた勢いゆえではない。決して流されたわけでもない。自分の意思で、あの人を選んだのだ。


 それでも――。


「……戻らなきゃね」


 小さく呟いて、ベッドから足を下ろす。


 居間へ出ると、大上が振り返った。


「おはよう。準備できてるよ」


「ありがとう、全部させてしまって、ごめんなさい」


「病み上がりなんだから気にしないでね」


 テーブルには温かいお茶と簡単な朝食が用意されていた。そのさりげなさに、渼星は少しだけ目を伏せる。


「今日はどうするの?」


「課に戻るわ。報告もしないといけないし、現場も確認しないと」


 大上は止めなかった。ただやわらかく目を細める。


「そうだろうね」


「……止めないのね」


「君には君の世界がある。それを守らないといけないからね。今はそこが、戻る場所だからね」


 今は……か。そう思いながら、渼星は朝食を飲み込んだ。


「送ろうか」


「いいえ。自分で戻るわ」


 ここから先は、自分の足で歩かなければならない。昨夜選んだものの先にあるものも、受け取るのは自分だ。


 玄関で靴を履き、ドアに手をかけたところで振り返る。


「……また連絡するわ」


「ああ。待っている」


 そして、触れるか触れないかの軽い接吻を別れの挨拶にして、渼星は朝の空気の中へ出た。




 警備企画課の執務室は、今日もいつも通りだった。


「お、先輩。体調もう大丈夫ですか?」


 最初に声をかけてきたのは水城だった。端末を叩く手を止めて、心配そうに問いかけてきた。


「うん、一日休んだからもう大丈夫よ」


「大丈夫じゃなさそうよね、その手の包帯は何?」


 玲子が白衣を翻して立ち上がると、そばに寄ってきた。


「さあ、どうなってるのか、まずは見せなさい」


「はいはい……」


 言われるまま椅子に座ると、玲子の指が丁寧に包帯を取っていく。

 傷跡が露わになると、玲子が顔を顰める。


「渼星ちゃん何危ないことしたの?、これ刃物の痕よね?」


 傷口に軽く触れられ、渼星は痛みに顔を顰める。

 手早く処置を済ませて、玲子は包帯を撒き直した。


「さあ、これで大丈夫。班長、終わりましたから後はお好きに」


 玲子がそう言って班長の方を振り返る。

 

 いつもの貼りついたような笑顔のまま、班長が顔を上げた。


「倉橋くん、報告を聞こうか?」


 軽い口調だったが、それで部屋の空気が締まる。


「……はい」


 あの夜の現場と、大上の金色の目が脳裏をよぎった。何を話し、何を話さないのか。もう自分で線を引かなければならない。


 渼星は、情報屋からの線で死亡したエミルの遺品から霊視をして現場に調査に向かったこと、そこで死霊術士と思われる術者に発見されてしまい已むを得ず戦闘に及び逮捕する余裕もなく倒してしまったこと、なんとか脱出したが熱が出てしまい昨日は休んだこと……。そんな物語を報告した。

 

 大上の名は出さなかった。


 班長は報告書に目を落としたまま言う。


「どうして連絡しなかった?」


 一瞬、喉が詰まる。


「……その暇もなく戦闘に巻き込まれ、余裕がありませんでした。戦闘後は痛みに気が動転して、安全なところまで戻って横になるだけで限界でした。申し訳ありません」


 何かを探るように、じっと鷹宮の目が自分の目の奥を見通しているように感じて、渼星は居心地の悪さを覚えた。


「そう。じゃあ今回は、それで受けるよ」


 班長はそれ以上追及しなかった。だが『今回は』という一言だけが、妙に重く残った。




 昼前、渼星と黒瀬、水城の三人は、死霊術士の拠点へ現場検証に向かった。


 祭壇、拘束具、呪具、血痕――少なくとも何かは残っているはずだった。玲子も後から合流して調べてもらうつもりである。


 だが、現場の角を曲がった瞬間、渼星は足を止めた。


「……は?」


 ビルの周囲は仮囲いで囲まれ、重機が唸りを上げていた。作業員がヘルメット姿で慌ただしく動き回り、入口には『老朽危険建物につき緊急解体』の掲示が貼られている。


 昨夜まで死霊術士の拠点だった場所は、ただの工事現場になってしまっていた。


「場所、間違ってないですよね」


 水城が端末を見ながら呟く。


「間違っていない」


 黒瀬の声は低い。


 渼星は手帳を見せ、規制線の向こうの男に詰め寄った。


「警視庁警備局です。この建物は現場保存の必要があります。責任者を」


「いやあ、自分らは昨日から工事に入っただけでして。今更そんなこと言われてもどうしようもありませんし、許可もきちんと取ってますので」


「許可ってどこに?」


「どこって、ほら、そこに登録番号もありますので」


 取りつく島もなかった。


 水城がその場で端末を叩きはじめた。ほどなく、その軽い顔から笑みが消える。


「これ、おかしいです。解体承認の許可時刻が異常に早い。1ヶ月も前に工事計画が出ています。それにうちから出してるはずの現場保全手続きが差し戻しになってます」


「何ですって?」


「元から昨日から解体される予定があった建物として、すべての書類が整ってますね」


 そこへ玲子も合流し、仮囲いの向こうをひと目見て顔をしかめた。


「現場検証しようにも、もうあれじゃ何も残ってないわね」


「死体も、祭壇も、持っていかれたか」


 黒瀬の言葉に、渼星は無意識に拳を握りしめた。


 自分たちは隠す側だと思っていた。怪異を秘匿し、人の社会を守る側だと。だが違う。自分たちより手の早い『隠す側』がいる。


 その時、玲子が重機の轍の脇にしゃがみ込んだ。


「渼星、これ」


 指先で拾い上げたのは、爪の先ほどの黒い金属片だった。煤けて歪んでいるが、表面には細かな刻印が残っている。


「国内の術具じゃないわね。少なくとも、陰陽道でも密教系でもない」


 渼星の脳裏に、昨夜見た祭壇の違和感がよみがえる。日本の呪術体系と噛み合わない、あの異物。


 遅れて姿を見せた班長が、囲いの向こうを見て肩をすくめた。


「ずいぶん仕事の早い連中がいるねえ」


 軽い口調だったが、目は笑っていなかった。


「僕らの案件のはずなんだけどね。どうも、そのつもりじゃない連中がいるらしい」


 帰りの車内で、水城がさらに追い打ちをかけた。


「所轄の記録も見ましたが、あそこで死体が見つかった届け出はありませんね」


 誰もすぐには口を開かなかった。




 課へ戻る前、庁舎の外で班長が渼星を呼び止めた。


「倉橋くん」


「……何でしょう」


「君の報告は、なかった事になった。だから独断専行に対するペナルティもないと言うか何もないことになった」


 渼星は息を止めた。


「私は間違いなく、異国の術者を倒しました。動いていた死者たちも、術が解ければただの遺体に戻っているはずです。」


「そうだろうね。だがそれはもうどこにも残ってない。先日の全員で倒した一部の遺体で事件は解決した……ということになるね」


 それだけ言って、班長は先に歩いていく。


 夜、帰路でスマホが震えた。大上からの短いメッセージだった。


『無事に戻れたかい』


 少しだけ迷ってから、渼星は返信する。


『戻ったわ。何とか大丈夫』


 送信した直後、水城から別の通知が入った。


『昼間の金属片、本庁の科研から提出の要求があり、課長が受け入れて玲子さんの手を離れました。現時点でわかった情報はゼロです。我々の手にもう材料はありません。事件は終わりです。』


 渼星は夜の街を見上げた。


 死霊術士は倒れた。だが、事件は終わらないまま、終結という形が、知らない間につくられてしまっていた。

これにて、第1章の終了となります。


第2章は、しばらくのちにまた毎日連続で公開を始める予定です。

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