表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/39

第9話 正しい居座り方

扉が、ゆっくりと開いた。


古びた特異職科の教室に、冷たい朝の光が差し込む。


その向こうに立っていたのは、白い法衣の男だった。


顔を覆う薄い仮面。

金色の刺繍。

胸元には、中央神殿の紋章。


さっき水晶越しに見た神殿査察官だ。


俺――アキト・アオキは、思わず息を止めた。


見つかった。


そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなる。


けれど、フィン先生はまったく動じていなかった。


片手には黒すぎる茶の入ったカップ。

もう片方の手は、扉の取っ手にかけたまま。


眠そうな目で、査察官を見ている。


「朝っぱらから騒がしいな。ここは特異職科だぞ。まともな授業をしてないだけで、いちおう授業中だ」


「フィン・オルブライト」


査察官が、低く名を呼んだ。


「相変わらず、神殿への敬意に欠ける」


「敬意はあるさ。面倒だと思ってるだけで」


「それを敬意とは呼ばない」


「じゃあ、俺の語彙が間違ってたな」


教室の空気がぴりつく。


俺は、リュミエルの横で身を固くした。


リュミエルは短杖を握っている。

表情は冷静だが、肩にわずかな緊張が見えた。


特異職科の生徒たちも、誰一人として騒がない。


片目に包帯を巻いた少年は机に足を乗せたまま、じっと査察官を見ている。

猫耳の獣人少女は、窓枠に座って尻尾を揺らしていた。

大柄な盾使いの男子は、磨いていた盾を静かに立てた。


この教室、全員が問題児っぽい。


でも、不思議と心強かった。


査察官は一歩、教室へ入ろうとした。


その瞬間、フィン先生が扉の前に立ちはだかる。


「許可なく入るな」


「神殿査察部には、異端調査に関する立入権限がある」


「ここは王立アルカディア魔導学園の管理棟だ。学園登録者への直接干渉には、学園長または担当教員の許可がいる」


「禁忌職の疑いがある場合は例外だ」


「疑い、だろ?」


フィン先生の声が、少しだけ低くなった。


「確定じゃない」


査察官の仮面の奥で、金色の瞳が細く光った。


「その少年を出せ」


心臓が跳ねる。


俺のことだ。


フィン先生は振り返らずに答えた。


「少年なら何人かいる。うちは変なのが多いからな。特徴を言え」


「アキト・アオキ。職業、編集者」


教室の視線が、一斉に俺へ向いた。


痛い。


視線が痛い。


俺は、逃げたくなる足を必死に踏み止めた。


ここで怯えきった顔を見せれば、査察官は確信する。

こいつは捕まえられる、と。


だから、立つ。


弱くても。

怖くても。


フィン先生が肩越しに俺を見た。


「アキト」


「はい」


「前に出ろ。ただし、俺より前には出るな」


「分かりました」


俺はリュミエルの横を離れ、フィン先生の少し後ろに立った。


査察官の視線が、俺を貫く。


体の表面ではない。

もっと奥を見られている感覚。


ステータス。

職業。

称号。

魂の形。


そういうものを、無理やり覗かれているようだった。


【システム表示】


外部鑑定干渉を検出しました。


対象:

アキト・アオキ


干渉属性:

【神殿式査察鑑定】


抵抗しますか?


選択肢:

【抵抗する】

【受け入れる】


視界に浮かんだ文字を見て、喉が乾いた。


抵抗すれば、怪しまれる。

受け入れれば、全部見られるかもしれない。


どっちも危険。


俺が迷った瞬間、リュミエルの声が小さく耳に届いた。


「全部は拒まないで」


俺はわずかに目だけを動かす。


「表面だけ見せて。奥は隠す」


そんな器用なこと、できるのか。


いや、やるしかない。


編集と同じだ。


全カットじゃない。

見せる部分と、見せない部分を分ける。


公開用の映像と、未編集素材を分ける。


表面のステータスだけを残し、奥の記述を閉じる。


俺は視界の表示に意識を向けた。


【受け入れる】


ただし、全部じゃない。


見せるのは表面だけ。


その瞬間、俺のステータス画面が薄く開いた。


【ステータス】


名前:アキト・アオキ

レベル:2

職業:編集者

所属:王立アルカディア魔導学園 特異職科 仮所属

筋力:E

耐久:E

敏捷:D

魔力:D

知力:A

精神:B


固有スキル:

【編集操作 Lv.1】


称号:

【追放者】

【世界から見捨てられた者】

【特異職科の仮所属生】


同時に、その奥にある黒い層が開きかけた。


職業欄の下に隠れている、読めない何か。


そこへ、査察官の鑑定線が伸びてくる。


まずい。


俺は咄嗟に、表面ステータスと奥の黒い層の間にある薄い境界線を探した。


あった。


紙と紙の間みたいな、わずかな隙間。


そこを閉じる。


切るんじゃない。

壊すんじゃない。


隠す。


今の俺に【マスク】は使えない。

でも、見せる順番を変えることはできるはずだ。


編集画面で、上のレイヤーを前面に出すように。


「表面だけ……前に」


心の中で呟く。


【システム表示】


未習得操作に類似する編集を検出。


暫定処理:

【簡易レイヤー調整】


警告:

正式スキルではありません。

長時間維持不可。


やれる。


俺は表面ステータスの文字を、奥の黒い層の前にずらした。


査察官の鑑定線が、表面情報に触れる。


奥までは届かない。


査察官が、わずかに首を傾げた。


「……職業は編集者。レベル2。所属は、特異職科仮所属」


フィン先生が肩をすくめる。


「見ての通り、ただの弱い仮所属生だ」


「ただの弱い生徒が、神殿の追跡術式を切れると思うか」


「最近の若者は器用だからな」


「ふざけるな」


査察官の声が冷たくなる。


教室の空気がさらに張り詰めた。


フィン先生は、なおも笑っている。


「査察官殿。お前さんの言い分は分かった。だが、こいつは十分前にうちの仮所属生になった」


「手続きに不備がある可能性がある」


「ない。契約書もある」


「確認する」


「拒否する」


「なぜだ」


「授業中だからだ」


強い。


理由としてはだいぶ雑なのに、フィン先生の態度が堂々としすぎていて、妙な説得力がある。


査察官は沈黙した。


その仮面の奥から、感情は読めない。


だが、怒っているのは分かった。


「フィン・オルブライト。神殿に逆らうつもりか」


「逆らってない。手続きを守れと言ってる」


「その少年は、世界の記述を改変した疑いがある」


「疑い、な」


「拘束して調べる必要がある」


「学園で調べる」


「神殿が行う」


「ここでは俺が担当教員だ」


二人の言葉が、剣みたいにぶつかる。


俺はただ黙って聞いていた。


たぶん、今の俺が口を挟んだら悪化する。


フィン先生は俺を守ってくれている。


いや、正確には、学園の権限を守っているのかもしれない。

特異職科の面子を守っているのかもしれない。


それでも、今の俺にとっては十分だった。


誰かが、俺を差し出さないでいてくれる。


それだけで、胸の奥が少し熱くなった。


査察官は、ふいに俺へ視線を向けた。


「アキト・アオキ」


「……はい」


「お前は、自分の力が何を意味するか理解しているのか」


理解。


その言葉に、俺は左手を握った。


毒を切った。

粘着を切った。

足音の反響を切った。

本人識別を切った。

契約書の隠し条項を切った。


でも、まだ何も分かっていない。


危険だということだけは分かる。


便利な力じゃない。

間違えれば、人を壊す力だ。


「全部は、分かっていません」


俺は正直に答えた。


「でも、分からないからこそ、勝手に使われるつもりはありません」


査察官の瞳が細くなる。


「神殿が管理すれば、正しく扱える」


「俺を捕獲対象って呼ぶ組織を、信用しろってことですか」


教室が静まった。


言った。


言ってしまった。


フィン先生が小さく笑った気配がした。


リュミエルは、少しだけ目を見開いている。


査察官の声が、さらに冷たくなった。


「お前は危険だ」


「危険かもしれません」


俺は頷いた。


「でも、危険だから何をしてもいいっていうなら、神殿も十分危険です」


自分でも驚くほど、声は震えていなかった。


怖い。


もちろん怖い。


けれど、ここで黙ったら、また同じだ。


レオンに追放された時、俺はほとんど言い返せなかった。

空気を読んで、言葉を飲み込んだ。


その結果、俺は死にかけた。


だから今度は、最低限だけでも言う。


俺は、道具じゃない。


査察官は黙って俺を見ていた。


長い沈黙。


やがて彼は、ゆっくりと右手を上げた。


白い光が指先に集まる。


リュミエルが短杖を構える。


フィン先生の目が、初めて完全に鋭くなった。


「やめておけ」


その声は低かった。


「ここで術式を使えば、学園への武力干渉と見なす」


「確認術式だ」


「俺には拘束術式に見える」


「見解の相違だ」


「なら、俺も見解で返す」


フィン先生が指を鳴らした。


次の瞬間、教室の床一面に魔法陣が浮かび上がった。


古い校舎全体が、低く唸る。


壁の本棚。

机。

窓枠。

天井の梁。


そのすべてに、細かい術式が刻まれていた。


ここはただのボロい教室じゃない。


要塞だ。


フィン先生は、にやりと笑った。


「特異職科規則、第七条」


教室の生徒たちが、なぜか同時に口元を緩めた。


どうやら、お決まりの文句らしい。


フィン先生は言った。


「教室内の生徒に対する不当干渉は、授業妨害と見なす」


片目に包帯の少年がぼそっと呟く。


「授業なんてしてねえけどな」


猫耳の少女が笑う。


「今してるじゃん。権力者への居座り方」


大柄な盾使いの男子が、静かに盾を構える。


「先生。防御準備、できてます」


なんだ、このクラス。


怖いのに、少しだけ笑いそうになる。


査察官は教室の中を見回した。


数秒。


長い沈黙。


そして、ゆっくりと手を下ろした。


「……今日のところは引こう」


俺は、知らないうちに止めていた息を吐いた。


助かった。


だが、査察官の声は終わっていなかった。


「だが、アキト・アオキ。お前の疑いが晴れたわけではない」


彼は懐から、一枚の白い札を取り出した。


そこには、神殿の紋章が刻まれている。


「三日後、神殿査問会への出頭を命じる」


フィン先生の顔から笑みが消えた。


リュミエルも表情を硬くする。


「査問会……?」


俺が呟くと、フィン先生が低く言った。


「神殿が異端疑惑のある者を裁く場だ」


「拒否は?」


「できるが、その場合、王国と神殿の正式な対立になる」


つまり、逃げ道はほとんどない。


査察官は白い札を床に落とした。


札は床に触れる前に光となり、空中で文字へ変わる。


【神殿査問通知】


対象:

アキト・アオキ


容疑:

禁忌の記述改変

神殿監視術式の妨害

職業情報の秘匿


出頭期限:

三日後、正午


俺はその文字を見つめた。


三日。


たった三日で、俺は自分の力を説明し、神殿から身を守らなければならない。


査察官は背を向ける。


「それまでに逃げれば、逃亡者として扱う」


彼は最後に、仮面越しに俺を見た。


「覚えておけ。世界の記述は、神の所有物だ」


その言葉に、胸の奥がざらついた。


神の所有物。


じゃあ、人の命も?

称号も?

リュミエルの呪印も?

俺の職業も?


全部、神のものだって言うのか。


査察官は去っていった。


扉が閉まる。


教室に、重い沈黙が落ちた。


フィン先生がカップを手に取り、冷めた茶を一口飲む。


そして、俺を見た。


「さて、アキト・アオキ」


「はい」


「三日で、お前を神殿に食われない程度には仕上げる」


「三日で?」


「不満か?」


「不安です」


「安心しろ。俺も不安だ」


全然安心できない。


だが、フィン先生は笑った。


「まずは自分の力を説明できるようになれ。説明できない力は、他人に奪われる」


その言葉は重かった。


説明できない力は、奪われる。


まさに今の俺だ。


フィン先生は教室の奥を指差した。


「特異職科、臨時授業を始める」


生徒たちが、面倒くさそうに、でも少し楽しそうに動き出す。


リュミエルが俺の隣に立った。


「アキト」


「何?」


「三日後の査問会。たぶん、かなり厳しい」


「だろうな」


「でも、あなた一人では行かせない」


俺は彼女を見た。


リュミエルはまっすぐ前を見ていた。


「私も証人として出る」


その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。


置いていかれない。


それだけで、人は少しだけ前を向けるらしい。


俺は小さく頷いた。


「ありがとう」


リュミエルは少しだけ視線を逸らした。


「まだ礼を言う場面じゃないわ。勝ってからにして」


「じゃあ、勝ったら言う」


「約束ね」


約束。


今日だけで、いくつ約束しただろう。


でも、不思議と嫌じゃなかった。


フィン先生が黒板に大きく文字を書く。


【第一課題:編集操作の正体を言語化せよ】


その下に、さらに一行。


【第二課題:神殿に奪われないための嘘を作れ】


俺は思わず声を上げた。


「先生、嘘は寿命を縮めるって言ってませんでした?」


フィン先生は振り返って、にやりと笑った。


「だから教えるんだよ」


黒板に、最後の一文が書き足される。


【第三課題:外れ職が生き残るための初めての武器を作れ】


その瞬間、俺の視界にシステム表示が浮かんだ。


【システム表示】


新規成長条件を検出しました。


条件:

【編集操作】の本質を理解する。

自身の能力を言語化する。

初めての専用編集媒体を作成する。


達成時、スキルが成長する可能性があります。


候補解放:

【保存 Lv.1】


俺は、その文字を見つめた。


保存。


切ったものを、ただ一時的に持つだけではない。

きちんと管理する力。


今の俺に必要なものだ。


三日後、神殿査問会。


そこまでに、俺は少しでも強くならなければならない。


追放された外れ職としてじゃない。


世界の記述に触れてしまった、最弱の編集者として。


俺は黒板を見上げ、拳を握った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ