第10話 編集者の武器
黒板に書かれた文字を、俺――アキト・アオキはじっと見上げていた。
【第一課題:編集操作の正体を言語化せよ】
【第二課題:神殿に奪われないための嘘を作れ】
【第三課題:外れ職が生き残るための初めての武器を作れ】
そして、その横に浮かんだシステム表示。
【システム表示】
新規成長条件を検出しました。
条件:
【編集操作】の本質を理解する。
自身の能力を言語化する。
初めての専用編集媒体を作成する。
達成時、スキルが成長する可能性があります。
候補解放:
【保存 Lv.1】
保存。
その文字を見た瞬間、胸の奥が小さく鳴った。
今まで俺は、切り取ったものを一つしか持てなかった。
毒。
粘着。
本人識別。
同行許可余白。
全部、その場しのぎだった。
切って、慌てて貼る。
保存スロットが一つしかないから、次を切るためには前のものを捨てるしかない。
まるで、素材を一個しか置けない編集画面だ。
そんな状態で戦場に出るなんて、正直、無謀すぎる。
「まずは第一課題だ」
フィン先生が黒板を叩いた。
「アキト。お前の【編集操作】とは何だ?」
「何だ、と言われても……」
俺は言葉に詰まった。
毒を切れる。
粘着を切れる。
音の反響を切れる。
契約書の隠し条項を切れる。
でも、それをそのまま言ったら、神殿にとっては危険物の説明書になる。
リュミエルが隣で静かに言う。
「能力を説明することと、能力の全てを明かすことは違うわ」
「なるほど」
フィン先生が頷いた。
「いいことを言う。査問会で重要なのは、真実を全部喋ることじゃない。相手が納得する形に整えることだ」
「それ、ほぼ編集ですね」
「そうだ。言葉も編集しろ」
黒板の前で、フィン先生がチョークを回す。
「神殿にこう言うなよ。“俺は世界の記述を切れます”なんて言ったら、その場で拘束だ」
「言いません」
「言ったら俺でも庇いきれん」
「絶対言いません」
リュミエルが俺を見る。
「あなたの力は、表向きには“状態変化を整理する補助系スキル”として説明するのがいい」
「状態変化を整理する補助系スキル」
俺は復唱した。
悪くない。
毒を取り除く。
罠の情報を整理する。
契約書の不備を見つける。
たしかに、言い方次第では補助スキルに聞こえる。
世界の記述を切る、よりはずっと穏やかだ。
「でも、嘘ではないわ」
リュミエルは続ける。
「あなたは実際、対象の状態を認識して、不要な要素を取り除いている」
「なるほど。言い方の問題か」
「そう。嘘をつくなら、真実を芯にしなさい」
フィン先生がにやりと笑う。
「第二課題、半分合格だな」
「怖い授業ですね」
「世の中の方が怖い」
それはそう。
ぐうの音も出ない。
教室の奥から、猫耳の獣人少女がひょいと手を上げた。
「せんせー。その新人くん、ほんとにそんなすごいの?」
軽い声だった。
猫のような耳。
短めの茶髪。
腰には短剣。
尻尾がゆらゆら揺れている。
さっき窓枠に座っていた少女だ。
フィン先生が答える。
「ミラ。疑うのはいいが、絡み方は選べ」
「絡んでないよ。ちょっと興味あるだけ」
ミラと呼ばれた獣人少女は、にっと笑った。
「外れ職の編集者くんが、神殿査察官に追われるとか、普通に面白すぎでしょ」
「面白がるな。本人は割と死にかけてる」
「死にかけてる割には目が生きてるじゃん」
ミラは机から軽く飛び降りる。
身のこなしが軽い。
足音がほとんどしない。
斥候系か。
俺がそう思った瞬間、視界に薄く表示が浮かんだ。
【簡易観察】
対象:ミラ・クロウ
職業:斥候
特徴:
高敏捷。
隠密行動に適性。
称号に不明なノイズあり。
俺は眉をひそめた。
称号にノイズ?
気になったが、今は触れない。
勝手に人の傷を見るのは、リュミエルの時で懲りた。
「で、武器作るんでしょ?」
ミラは腰の短剣を抜いた。
刃は黒く、先端が少し欠けている。
「これ、使う?」
「いいのか?」
「壊れてもいいやつだから」
「壊れる前提なのか」
「特異職科の実験って、だいたい何か壊れるし」
嫌な信頼感だった。
大柄な盾使いの男子が、低い声で言う。
「ミラ。新人を脅すな」
彼は教室の隅から立ち上がった。
身長は高く、体格もいい。
けれど、顔つきは優しそうだった。
巨大な盾を背負っている。
「俺はトーヤ・ラインハルト。盾騎士だ」
「アキト・アオキ。編集者……らしい」
「らしい?」
「自分でもまだよく分かってない」
トーヤは少しだけ笑った。
「分からない力を分かろうとしてるなら、それで十分だと思う」
その言葉に、少し救われた気がした。
ここにいる連中は変だ。
でも、レオンたちとは違う。
俺を外れ職と決めつける目ではない。
フィン先生が手を叩いた。
「雑談はそこまでだ。第三課題を始める」
先生は教卓の下から、古い石板を取り出した。
手のひら二枚分ほどの大きさ。
黒っぽい石でできていて、表面には細かい傷がある。
「これは?」
「壊れた魔導記録板だ。普通なら廃棄品だが、お前にはちょうどいい」
「記録板……」
「文字や魔力の断片を一時的に刻む道具だ。本来は研究者が実験ログを残すために使う」
俺は石板を受け取った。
ひんやりしている。
表面の傷は、編集ソフトのタイムラインみたいに横へ走っていた。
妙に手に馴染む。
フィン先生は続ける。
「お前に必要なのは、切り取ったものを安全に管理する媒体だ。今のお前は、素手で刃物を持って走り回っているようなものだからな」
「言い方が怖いですね」
「事実だ」
リュミエルの口癖と同じことを言われた。
俺は苦笑する。
フィン先生は、ミラから短剣を受け取って机に置いた。
「この短剣には、錆と刃こぼれがある。まずは刃こぼれを見ろ」
俺は短剣を見る。
確かに刃の一部が欠けている。
でも、これを切る?
刃こぼれを切ったら、欠けがなくなるのか?
いや、そんな都合よくいくのか?
「勘違いするなよ」
フィン先生が言った。
「欠けた事実を切れるほど、お前の能力はまだ強くない。今やるのは、刃に残った“破損の広がり”を切ることだ」
「破損の広がり?」
「欠けた刃は、そこからさらに割れやすくなる。その進行を止めろ」
なるほど。
傷そのものを消すんじゃない。
傷が広がる原因を切る。
それなら、毒を切った時に近い。
俺は短剣に意識を集中した。
「編集操作」
視界が青く染まる。
短剣の輪郭。
金属の密度。
刃の欠け。
そこから伸びる細かな亀裂。
亀裂の先に、赤く点滅する部分があった。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:欠けた短剣
構成要素:
【鉄】
【錆】
【刃こぼれ】
【微細亀裂】
【破損進行】
実行可能操作:
【カット】
成功率:
七十二パーセント
「破損進行が見えます」
「それだけ切れ」
「了解」
全部じゃない。
錆でもない。
刃こぼれでもない。
切るのは、破損進行。
俺は赤く点滅する細い線を意識でつまむ。
「カット」
ぷつん。
軽い感触がした。
短剣から、灰色の細い糸のようなものが抜け出す。
【システム表示】
対象:【破損進行】をカットしました。
保存スロット:1/1
保存中:【破損進行】
ミラが短剣を覗き込む。
「おお? 見た目は変わんないね」
トーヤが真面目に言う。
「でも、亀裂の広がりが止まった気がする」
「分かるのか?」
「盾の修理で似たような状態を見るから」
フィン先生が頷いた。
「合格。次は、それを素手で持ち続けるな。記録板に移せ」
俺は手の中の灰色の糸を見る。
破損進行。
これを持っているのは、確かに気持ち悪い。
もし間違って自分の体に貼ったらどうなる?
傷が広がりやすくなるのか。
骨が脆くなるのか。
想像したくない。
「記録板にペーストすればいいんですか?」
「ただ貼るな。名前をつけろ。効果を書け。期限を書け」
「ラベル管理か」
「何だそれは?」
「前世の……いや、俺の故郷の作業方法です」
フィン先生は少しだけ目を細めたが、追及しなかった。
俺は記録板に意識を向ける。
手の中の【破損進行】を、石板の一番上の傷に沿って置くイメージ。
そして、名前をつける。
素材名:【破損進行】
用途:敵装備の劣化促進、または罠の弱体化確認。
危険:味方装備・人体への誤貼付禁止。
期限:短時間保存。
「ペースト」
灰色の糸が、石板の表面に吸い込まれた。
その瞬間、石板に細い文字が浮かぶ。
【保存媒体:未登録】
保存素材:
1:【破損進行・微弱】
保存安定度:
低
【システム表示】
初めての専用編集媒体を作成しました。
条件達成:
【編集操作】の本質を理解する。
自身の能力を言語化する。
初めての専用編集媒体を作成する。
スキル成長条件を満たしました。
【編集操作 Lv.1】が成長しました。
新規補助機能:
【保存 Lv.1】を獲得しました。
保存スロット:
1 → 3
俺は息を止めた。
保存スロット、三つ。
たった三つ。
でも、今までの三倍だ。
切り取った素材を、選んで、名前をつけて、管理できる。
これは大きい。
地味だけど、間違いなく強い。
「……できた」
小さく呟く。
リュミエルが、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「おめでとう」
その一言が、思ったより嬉しかった。
ミラがにやにや笑う。
「新人くん、やるじゃん」
トーヤも頷く。
「すごいな。外れ職なんかじゃない」
外れ職なんかじゃない。
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
レオンたちには、一度も言われなかった言葉だった。
俺は何も言えず、ただ記録板を握った。
フィン先生が黒板に新しく文字を書く。
【編集媒体:仮称・編集板】
「ひとまず、それをお前の武器にしろ」
「武器……」
俺は黒い石板を見る。
剣じゃない。
杖でもない。
盾でもない。
ただの壊れた記録板。
けれど、俺にとっては初めての武器だった。
切り取ったものを保存し、整理し、必要な時に使う。
編集者の武器。
俺は石板を胸に抱えるように持った。
「名前、つけてもいいですか?」
フィン先生が片眉を上げる。
「好きにしろ」
名前。
ただの道具じゃない。
俺がこの世界で生き残るための相棒。
なら、名前は決まっている。
「タイムライン」
リュミエルが小さく繰り返した。
「タイムライン?」
「俺の故郷の編集画面で、素材を並べる場所の名前だ」
「……いい名前ね」
「ありがとう」
その時だった。
教室の扉が、勢いよく開いた。
全員が振り向く。
入ってきたのは、特異職科の生徒ではなかった。
剣術科の制服。
白銀の肩章。
整った顔立ち。
レオン・グランベルだった。
その後ろには、セリアとノルンもいる。
俺の体が、反射的に強張る。
レオンは教室の中を見回し、俺を見つけた瞬間に眉をひそめた。
「アキト。やはりここにいたか」
フィン先生が面倒くさそうに言う。
「剣術科の坊ちゃんが何の用だ。ここは見世物小屋じゃないぞ」
レオンはフィン先生を無視した。
そして、俺に向かって言った。
「戻ってこい」
教室が静まった。
俺は、聞き間違いかと思った。
「……何だって?」
「お前をパーティに戻してやると言っている」
レオンは当然のように言った。
「次の攻略で、お前の記録能力が必要になった」
記録能力。
必要になった。
俺は思わず、笑いそうになった。
怒りではない。
悲しみでもない。
あまりにも都合がよすぎて、乾いた笑いがこみ上げてきた。
つい昨日、こいつは俺に言った。
外れ職は外れ職らしく、そこで終わってろ。
そして今日。
必要になったから戻ってこい。
胸の奥で、何かが静かに切れた。
俺は編集板――タイムラインを握りしめた。
その表面に、保存された【破損進行・微弱】の文字が淡く光る。
フィン先生が俺を見る。
リュミエルも、何も言わずに俺を見ていた。
答えは、俺が決めるべきだった。
俺はレオンを見返した。
昔なら、空気を読んでいたかもしれない。
必要だと言われて、少しだけ喜んでしまったかもしれない。
でも今は違う。
俺はもう、捨てられた荷物じゃない。
「断る」
教室に、俺の声が静かに響いた。
レオンの顔が、初めてはっきりと歪んだ。




