第11話 戻ってこいと言われても
「断る」
俺――アキト・アオキの声が、特異職科の教室に静かに響いた。
一瞬、時間が止まったような気がした。
レオン・グランベルは、俺の答えを理解できなかったのか、眉をひそめたまま固まっていた。
その後ろでは、魔術師のセリアが目を見開いている。
治癒師のノルンは、胸元の聖印を握りしめたまま、俺とレオンを交互に見ていた。
特異職科の生徒たちは、誰も口を挟まない。
猫耳の獣人少女ミラは、窓枠に腰かけたまま尻尾を揺らしている。
盾騎士のトーヤは、巨大な盾に手を添えたまま、静かにこちらを見ていた。
リュミエル・アークレインは、俺の隣に立っている。
何も言わない。
けれど、その沈黙がありがたかった。
これは、俺が自分で答えるべき問題だった。
「……断る?」
レオンが、ようやく口を開いた。
その声には、驚きよりも苛立ちが強かった。
「アキト。お前、自分の立場が分かっているのか?」
「分かってる」
「なら、なぜ断る」
「戻る理由がないからだ」
俺はまっすぐ答えた。
声は震えていない。
少し前までなら、無理だったと思う。
レオンに真正面から見られるだけで、俺はきっと言葉を選んでいた。
相手を怒らせないように。
場の空気を壊さないように。
自分さえ我慢すれば丸く収まるように。
でも、もうそれはやめた。
空気を読んだ結果、俺はダンジョンに置き去りにされた。
なら、今度は空気じゃなく、自分の命を読む。
「お前たちは俺を追放した。地図も、食料も、回復薬も取り上げて、第七階層に置いていった」
俺は一つずつ言葉を置いた。
「その俺に、今さら戻ってこいと言う理由は何だ?」
レオンの表情がわずかに歪む。
「お前の記録能力が必要になった」
「俺自身じゃなくて?」
「何?」
「必要なのは、俺じゃなくて、俺が書いた攻略記録だろ」
教室の空気が、さらに冷えた。
セリアが気まずそうに視線を落とす。
ノルンは、何か言おうとして、でも口を閉じた。
レオンだけが、当然のように言った。
「それが何か問題か? お前は元々、記録係のようなものだっただろう」
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
怒りはある。
でも、それ以上に、はっきり分かった。
こいつは本当に、俺を仲間として見ていなかった。
「問題だよ」
俺は言った。
「俺は記録係じゃない。荷物でもない。便利な道具でもない」
「外れ職が、ずいぶん偉そうになったな」
レオンの声が低くなる。
「誰のおかげで第七階層まで来られたと思っている」
「俺も同じことを聞きたい」
「何?」
「レオン。お前たちは、誰のおかげで第七階層まで無傷で進めたと思ってる?」
レオンの目が鋭くなった。
その瞬間、セリアが小さく息を呑んだ。
彼女は分かっているのかもしれない。
俺が魔物の巡回を読んでいたこと。
罠の配置を先に見抜いていたこと。
セリアの詠唱時間を稼ぐために、あえて魔物の視線を誘導していたこと。
でも、彼女は言わない。
やっぱり、言わない。
レオンは鼻で笑った。
「俺の剣だ」
迷いのない答えだった。
「俺の力で突破した。お前は後ろで震えながら、何かを書いていただけだ」
ミラが窓枠の上で、ぼそっと呟いた。
「うわ、きつ」
トーヤが静かに眉をひそめる。
フィン先生は教卓に寄りかかり、面白そうに黙っていた。
たぶん、止める気はない。
これは授業なのかもしれない。
権力者への正しい居座り方。
そして、切り捨ててきた相手への正しい断り方。
レオンは俺に一歩近づいた。
「アキト。勘違いするな。俺は慈悲で言っている」
「慈悲?」
「神殿に追われているんだろう? 外れ職のお前が特異職科に逃げ込んだところで、長くはもたない」
レオンは白銀の鎧を鳴らしながら、堂々と言った。
「俺のパーティに戻れば、勇者候補の名で庇ってやれる」
その言葉に、教室の奥で誰かが小さく笑った。
たぶんミラだ。
俺も笑いそうになった。
でも、笑わなかった。
「庇う?」
「ああ」
「ダンジョンに置き去りにした相手を?」
レオンの顔が強張った。
「それは、お前の能力不足が招いた結果だ」
「違う」
俺は即答した。
自分でも驚くくらい、はっきり言えた。
「俺の能力不足じゃない。お前たちが俺を切り捨てたんだ」
レオンの手が、腰の剣に伸びかけた。
その瞬間。
がん、と重い音がした。
トーヤが、巨大な盾を床に置いた音だった。
「剣を抜くなら、ここではやめた方がいい」
低い声。
だが、静かな迫力があった。
「特異職科の教室内での武力行使は、授業妨害になる」
ミラがにやにや笑う。
「そうそう。授業妨害はこわーいよ、剣術科の王子様」
「誰が王子様だ」
レオンが鋭く睨む。
ミラはまったく怯まない。
「じゃあ勇者様?」
「黙れ、獣人」
その言葉に、空気が変わった。
ミラの尻尾の動きが止まる。
トーヤの目が細くなる。
リュミエルの手に、星屑のような光が集まった。
俺は一瞬、ミラの方を見る。
彼女は笑っていた。
けれど、その笑みはさっきとは違った。
軽いからかいではない。
傷を隠すための笑みだ。
そうか。
この教室にいる人間は、みんな何かしら世界から弾かれている。
外れ職。
未知職。
危険職。
獣人。
呪い持ち。
何らかの理由で、普通の教室にいられなかった者たち。
レオンの言葉は、俺だけでなく、この教室全体を踏みつけた。
フィン先生が、初めて低い声で言った。
「グランベル。言葉を選べ」
レオンは舌打ちした。
「……失言だった」
謝罪にしては、あまりに軽い。
ミラは肩をすくめた。
「いいよ。慣れてるし」
その一言が、逆に重かった。
俺はレオンを見た。
「戻るつもりはない」
「なら、お前の攻略記録だけ渡せ」
「断る」
「それは俺たちのパーティで得た情報だ」
「俺が観察して、俺が書いて、俺が整理した情報だ」
「パーティの資産だ」
「俺をパーティから追放した時点で、その理屈は切れてる」
レオンの目が、はっきりと怒りに染まった。
「アキト。お前は、自分の力を過信している」
「まだ過信できるほど強くない」
「なら、なぜ逆らう」
「弱いから、道具に戻るわけにはいかない」
自分で言いながら、胸の奥が熱くなった。
そうだ。
俺は弱い。
レオンよりずっと弱い。
剣では勝てない。
魔法でも勝てない。
ステータスも低い。
だからこそ、一度差し出したら終わる。
便利な記録係。
外れ職の荷物持ち。
必要な時だけ呼び戻される道具。
そこに戻ったら、俺はもう二度と自分の足で立てない。
「俺は、俺の使い道を自分で決める」
レオンが、俺を睨みつけた。
その視線に、少し前なら足がすくんでいたと思う。
でも今は、俺の手の中に黒い石板がある。
編集媒体。
タイムライン。
初めての武器。
俺はそれを握ったまま、レオンの視線を受け止めた。
すると、視界に薄い青い線が浮かんだ。
レオンの剣。
腰の鞘。
手袋。
鎧の留め具。
そして、右腕から胸元にかけて走る、あの不自然な接合痕。
【システム表示】
対象:レオン・グランベル
外部付与スキルの接合痕を検出。
詳細解析には接触または戦闘観察が必要です。
警告:
対象の加護に神殿式保護が存在します。
今は触れるな。
俺は自分に言い聞かせた。
ここでレオンのスキルを編集しようとすれば、完全にこちらが悪者になる。
それに、成功する保証もない。
だから、戦わない。
でも、何もしないわけでもない。
レオンが一歩、俺へ近づく。
「最後にもう一度だけ言う。戻ってこい」
「断る」
「後悔するぞ」
「もうしてる」
俺は静かに言った。
「お前たちを仲間だと思っていたことを」
セリアが顔を上げた。
ノルンの表情が、泣きそうに歪む。
レオンは、怒りで顔を赤くした。
「貴様……!」
彼の手が、今度こそ剣の柄を握る。
だが、抜く前にフィン先生の声が飛んだ。
「そこまでだ、剣術科の坊ちゃん」
フィン先生は教卓を指で叩く。
すると、教室の床に魔法陣が浮かんだ。
「ここで剣を抜けば、即座に学園規則違反で懲罰委員会行きだ。勇者候補の評価にも傷がつくぞ」
レオンの動きが止まった。
評価。
その言葉は効いたらしい。
レオンは歯を食いしばりながらも、剣から手を離した。
フィン先生は続ける。
「それでも決着をつけたいなら、正規の手続きを踏め」
「手続き?」
「明日の合同基礎演習。剣術科と特異職科の合同授業がある」
リュミエルが眉をひそめる。
「先生。それはまだ先の予定だったはずです」
「今決めた」
「職権乱用です」
「教育的配慮だ」
「便利な言葉ですね」
フィン先生は楽しそうに笑った。
「グランベル。お前はアキトの能力を役立たずだと思っている。アキトは自分の価値を自分で決めたいと思っている。なら、演習で見せればいい」
レオンの目が細くなる。
「模擬戦か」
「正確には、ダンジョン想定の小隊演習だ。力だけじゃなく、索敵、判断、罠対応、支援、撤退判断も評価に入る」
フィン先生は俺を見る。
「アキト。受けるか?」
リュミエルが小さく言った。
「無理に受けなくていいわ。あなたはまだ疲労が残っている」
トーヤも頷く。
「昨日の今日だ。休んだ方がいい」
ミラは軽く笑う。
「でも、ここで逃げたら、あの勇者様ずっと調子乗りそう」
正直、怖い。
明日?
早すぎる。
俺はまだレベル2だ。
編集操作も、ようやく【保存】が使えるようになったばかり。
でも、フィン先生が言った演習内容は、単純な決闘じゃない。
力だけじゃなく、判断、索敵、支援、撤退判断。
それなら、俺にも戦える場所がある。
それに。
俺はレオンを倒したいわけじゃない。
ただ、証明したい。
俺は不要じゃなかった。
そして、もう戻らない。
「受けます」
俺は言った。
レオンが口元を吊り上げる。
「後悔するなよ」
「それはこっちの台詞だ」
言った瞬間、自分でも少し驚いた。
こんな言葉、前の俺なら絶対に言えなかった。
ミラが「おー」と楽しそうに声を上げる。
トーヤは少し心配そうに、でも頷いてくれた。
リュミエルは、俺の横顔を見て小さく息を吐いた。
「本当に、無茶ばかり」
「勝算がないわけじゃない」
「あるの?」
「作る」
リュミエルは一瞬だけ黙った。
それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「なら、手伝うわ」
その言葉が、心強かった。
レオンは俺たちを睨んだあと、セリアとノルンを連れて教室を出ていく。
扉の前で、ノルンだけが一度振り返った。
「アキトくん……」
彼女は何かを言おうとした。
謝罪か。
心配か。
それとも、ただ名前を呼んだだけか。
でも、レオンが先に歩き出すと、ノルンは結局何も言わずに後を追った。
また、言わなかった。
扉が閉まる。
教室に、少し遅れてざわめきが戻った。
フィン先生が黒板に新しい文字を書く。
【明日:剣術科合同小隊演習】
そして、その下に大きく書き足した。
【目的:勇者候補に現実を見せる】
「先生、私怨混じってませんか?」
俺が聞くと、フィン先生は平然と言った。
「教育だ」
「便利ですね、その言葉」
「覚えておけ。大人は便利な言葉で無茶を通す」
嫌な授業だった。
だが、逃げる気はなかった。
その時、俺の視界にシステム表示が浮かぶ。
【システム表示】
新規課題を検出しました。
課題:
剣術科合同小隊演習で、編集者としての有用性を証明する。
勝利条件:
小隊の生存。
目標地点への到達。
被害最小化。
追加条件:
レオン・グランベルの外部付与スキルを観察する。
達成時、スキル成長の可能性があります。
候補解放:
【タイムライン解析 Lv.1】
俺は、その文字を見つめた。
タイムライン解析。
戦闘や出来事の流れを読む力。
前世の俺が、一番得意だったもの。
「……ちょうどいい」
俺はタイムラインを握りしめた。
外れ職と笑われた編集者が、剣術科の勇者候補に何を見せられるのか。
明日、それが決まる。
フィン先生が俺の肩を軽く叩いた。
「アキト」
「はい」
「今夜は寝るな」
「え?」
「作戦を組むぞ」
隣でリュミエルが即座に言った。
「睡眠は必要です」
「三時間は寝かせる」
「最低です」
「褒め言葉として受け取る」
この学園、やっぱりまともじゃない。
でも。
俺は少しだけ笑った。
まともじゃない場所だからこそ、今の俺にはちょうどいいのかもしれない。




