第12話 作戦会議は夜に沈む
「今夜は寝るな」
フィン先生のその一言で、俺――アキト・アオキの新しい学園生活は、いきなり徹夜確定になりかけた。
「睡眠は必要です」
リュミエル・アークレインが、即座に反論する。
「三時間は寝かせる」
「最低です」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めていません」
二人のやり取りを聞きながら、俺は黒い石板――編集媒体【タイムライン】を両手で持っていた。
さっき手に入れたばかりの、俺にとって初めての武器。
剣ではない。
杖でもない。
盾でもない。
壊れた魔導記録板に、俺が切り取った情報を保存できるようにしたもの。
【保存 Lv.1】によって、保存スロットは三つに増えた。
たった三つ。
でも、俺にとっては大きな進歩だった。
今までは、その場で拾った素材を、その場で使うしかなかった。
毒。
粘着。
足音の反響。
本人識別。
全部、使い捨てに近かった。
けれど、これからは違う。
切ったものを保存し、整理し、状況に合わせて使う。
ようやく、編集者らしくなってきた気がする。
「さて」
フィン先生が黒板の前に立つ。
特異職科の教室には、夕方の赤い光が差し込んでいた。
窓の外では、王立アルカディア魔導学園の尖塔が夕日に照らされている。
白い校舎。
広い中庭。
魔法灯の灯り始めた回廊。
昨日までダンジョンに置き去りにされていた俺が、今は学園の教室で作戦会議をしている。
展開が早すぎる。
前世で番組構成を作っていた俺でも、もう少し段階を踏めと言いたくなる。
フィン先生が黒板に大きく書いた。
【剣術科合同小隊演習】
その下に、さらに文字を足す。
【勝利条件】
・小隊全員の生存
・目標地点への到達
・制限時間内の帰還
・被害最小化
「明日の演習は、単純な模擬戦じゃない」
フィン先生は言った。
「学園地下の訓練迷宮を使った、ダンジョン想定演習だ。魔物は幻影型。罠も実害は抑えられている。だが、痛みはあるし、判断を間違えれば普通に失格になる」
「相手はレオンたちですか?」
俺が聞くと、フィン先生は頷いた。
「剣術科側はレオン・グランベルを中心とした三人編成。レオン、セリア、ノルン」
胸の奥が少しだけ重くなる。
レオン。
セリア。
ノルン。
俺を追放した元パーティ。
たった一日しか経っていないのに、もう昔のことみたいに感じる。
いや、違う。
昔のことにしたいだけだ。
傷はまだ、ちゃんと生々しい。
「こちらは?」
「アキト、リュミエル、トーヤ、ミラ」
フィン先生が即答した。
俺は思わず目を瞬いた。
「リュミエルも出るんですか?」
「私は魔導科だけれど、特異職科の臨時協力者として登録すれば出られるわ」
リュミエルは平然と言った。
「それに、あなたを一人で出したら、絶対に無茶をするでしょう」
「信用がない」
「あるから言っているの」
「あるのか?」
「あなたが無茶をするという信用はあるわ」
「それは信用なのか……?」
ミラが窓枠でけらけら笑った。
「新人くん、もうリュミエル様に扱い方バレてるじゃん」
「様?」
俺が聞くと、ミラはにやりと笑う。
「リュミエル様は学園の有名人だからね。魔導科の天才。星譜魔法の特待生。男子にも女子にも人気あり。近寄ると取り巻きに睨まれる高嶺の花」
リュミエルが無表情で言った。
「ミラ。余計な説明をしないで」
「照れてる?」
「照れてない」
確かに表情はほとんど変わっていない。
けれど、長い耳の先がほんの少し赤い。
俺は見なかったことにした。
たぶん、それが正解だ。
トーヤが大きな盾を横に置き、真面目な顔で言った。
「俺は前衛でいい。攻撃力はないけど、受け止めることならできる」
ミラが軽く手を上げる。
「私は索敵と罠探しね。あと、レオン様の鼻を明かす係」
「後半は役割なのか?」
「大事でしょ?」
「否定しきれない」
フィン先生が黒板に四人の名前を書く。
【アキト:戦術・編集支援】
【リュミエル:魔法解析・中距離支援】
【トーヤ:防御・護衛】
【ミラ:索敵・罠解除】
そして、レオンたちの名前も横に書いた。
【レオン:剣撃突破】
【セリア:火属性魔法】
【ノルン:治癒・結界】
「正面戦闘なら、まず負ける」
フィン先生は、容赦なく言った。
「レオンの突破力、セリアの火力、ノルンの回復。バランスは悪くない。むしろ、剣術科の中でも上位だ」
「そこに俺はいたんですよね」
「いたな」
「なのに、いらないって言われた」
「見る目がなかったんだろ」
フィン先生はあっさり言った。
その言葉が、思ったより胸に響いた。
見る目がなかった。
それだけのこと。
俺が無価値だったわけじゃない。
あいつらが、俺の価値を見なかった。
そう考えれば、少しだけ息がしやすくなった。
リュミエルが黒板を見ながら言う。
「レオンたちは、火力で最短突破を狙うはずです」
「だろうな」
フィン先生が頷く。
「勇者候補は、基本的に正面から勝つ訓練ばかりしている。強い敵を倒す。罠を力で突破する。仲間が傷つけば治す」
「それは間違いなんですか?」
トーヤが聞く。
「間違いではない。強ければ、それで勝てる場面も多い」
フィン先生はチョークで黒板を叩いた。
「だが、ダンジョン攻略では“勝つ”ことと“生きて帰る”ことは違う」
その言葉に、俺は息を止めた。
勝つことと、生きて帰ることは違う。
昨日の俺なら、痛いほど分かる。
レオンたちは進むことしか考えていなかった。
だから、俺を置いていった。
でも、ダンジョンでは戻る道も、撤退する判断も、仲間の疲労も、全部が攻略の一部だ。
前世の番組作りでもそうだった。
派手なシーンだけでは作品にならない。
不要なカットを削り、流れを整え、視聴者が最後まで見られる形にしなければならない。
ダンジョンも同じだ。
突っ込むだけでは、作品として破綻する。
「アキト」
フィン先生が俺を見る。
「お前の仕事は、レオンを倒すことじゃない」
「はい」
「小隊を生きて帰らせることだ」
その言葉に、俺は頷いた。
そうだ。
俺が証明したいのは、俺がレオンより強いということじゃない。
編集者がパーティに必要だということ。
見えない流れを整える人間が、仲間を生かせるということ。
それを証明する。
「では、どう勝つか」
フィン先生が言った。
教室が静かになる。
ミラも笑うのをやめた。
トーヤは盾の持ち手を握る。
リュミエルは黒板を見つめている。
俺は、自分の頭の中で映像を組み立てた。
訓練迷宮。
レオンたち。
俺たち。
幻影の魔物。
罠。
目標地点。
制限時間。
必要なのは、相手より速く進むことじゃない。
相手より安全に、確実に進むこと。
でも、それだけだと勝てない。
演習で評価される以上、何か目に見える結果が必要だ。
俺は黒板の前に出た。
「作戦を、三つに分けます」
フィン先生が少し笑った。
「言ってみろ」
「第一段階。序盤は、レオンたちに先行させます」
ミラが目を丸くする。
「え、追いかけるの?」
「違う。先に罠を踏ませる」
ミラが、にやっと笑った。
「新人くん、意外と悪いね」
「踏ませると言っても、死ぬような罠じゃない。訓練用だ。ただ、レオンたちは力押しで突破するはずだから、迷宮の反応が見える」
リュミエルが頷いた。
「訓練迷宮は、挑戦者の進行に合わせて魔物や罠の配置を変えるわ。レオンたちの動きを観察すれば、迷宮の癖が読める」
「そう。第二段階で、俺たちはその反応を逆利用します」
俺は黒板に迷宮の簡単な図を描いた。
「ミラが先行して罠の種類を確認。トーヤが前衛で守る。リュミエルが魔力反応を解析。俺は流れを見る」
「流れ?」
トーヤが聞く。
「魔物が出るタイミング、罠が起動する条件、レオンたちが通った後に迷宮がどう変化するか。それをつなげて、最短じゃなくて“最も崩れにくいルート”を作る」
フィン先生の目が、少しだけ鋭くなった。
「続けろ」
「第三段階。終盤で、レオンたちが詰まる場所が必ず出るはずです」
セリアの火力。
レオンの突破力。
ノルンの治癒。
強い。
でも、彼らには弱点がある。
昨日まで一緒にいた俺だから分かる。
「レオンは、自分が先頭に立たないと気が済まない。セリアは詠唱中に視野が狭くなる。ノルンは優しいけど、判断が遅い」
言いながら、胸が少し痛んだ。
ノルンの弱点を口にするのは、嫌だった。
でも、作戦に感情を混ぜるな。
俺は続けた。
「三人とも、撤退判断が遅い。だから、複数の罠と魔物が連動する場所では必ず対応が遅れます」
「そこで助けるの?」
ミラが聞く。
俺は少し黙った。
助ける。
その言葉に、昨日のダンジョンがよぎる。
俺は助けられなかった。
置いていかれた。
なら、見捨て返すのか?
違う。
それをしたら、俺はレオンと同じになる。
「助けます」
俺は言った。
「ただし、都合よく使われるためじゃない。演習の勝利条件は小隊の生存と被害最小化。レオンたちを見捨てて失格にするより、危機を処理して評価を取る」
フィン先生が満足そうに笑った。
「いい。感情で復讐に走らないのは合格だ」
「でも、助けた上で勝ちます」
「さらにいい」
リュミエルが俺を見る。
その表情は相変わらず静かだ。
けれど、少しだけ柔らかかった。
「あなたらしい作戦ね」
「甘いか?」
「甘いわ」
即答だった。
「でも、嫌いじゃない」
その一言で、なぜか胸が軽くなった。
ミラが楽しそうに尻尾を振る。
「じゃあ、勇者様がピンチになったところを、外れ職の新人くんが助けちゃうわけだ」
「言い方が悪い」
「でも事実でしょ?」
「事実だけど」
「めっちゃ面白いじゃん」
トーヤが真面目に言う。
「俺はアキトの作戦でいいと思う。守るべき相手が増えるなら、俺が前に出る」
「助かる」
「ただ、俺は足が速くない。移動が多いと遅れるかもしれない」
「そこは考える」
俺はタイムラインを見る。
保存スロットは三つ。
今、保存されているのは【破損進行・微弱】だけ。
演習前に、使えそうな素材を用意しておきたい。
「フィン先生。事前に保存できる素材はありますか?」
「ある」
先生は教卓の下から、いくつかの壊れた魔道具を取り出した。
古いブーツ。
割れた小盾。
ひびの入った魔法灯。
音の鳴らない鈴。
「廃棄予定の実験道具だ。好きに切れ」
「物騒な言い方ですね」
「お前にはちょうどいい教材だ」
俺は一つずつ観察する。
古いブーツには、わずかな【滑走】の魔法痕が残っていた。
割れた小盾には、壊れかけた【衝撃緩和】。
魔法灯には、弱い【発光】。
音の鳴らない鈴には、逆に【消音】の残滓があった。
使える。
全部は保存できない。
三つまでだ。
考えろ。
明日の演習で必要なのは、攻撃力じゃない。
移動。
防御。
隠密。
罠対策。
俺はまず、割れた小盾に触れた。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:割れた小盾
構成要素:
【木材】
【鉄枠】
【衝撃緩和・劣化】
【破損】
実行可能操作:
【カット】
「衝撃緩和をカット」
淡い黄色の光が、小盾から抜け出す。
【保存素材】
1:【破損進行・微弱】
2:【衝撃緩和・劣化】
次に、音の鳴らない鈴。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:沈黙の鈴
構成要素:
【鈴】
【消音・微弱】
【魔力劣化】
実行可能操作:
【カット】
「消音をカット」
灰色の薄い膜が、掌に浮かぶ。
【保存素材】
1:【破損進行・微弱】
2:【衝撃緩和・劣化】
3:【消音・微弱】
これでスロットは埋まった。
滑走や発光も惜しい。
でも、欲張るな。
管理できない素材は、武器じゃなく事故の元だ。
フィン先生が頷く。
「いい選択だ。攻撃素材を選ばなかったのは悪くない」
「今の俺が攻撃素材を持つと、たぶん事故ります」
「自覚があるのは長所だ」
リュミエルが少し安心したように息を吐いた。
「明日は、その三つをどう使うかが鍵ね」
「ああ」
俺はタイムラインを見つめた。
【破損進行・微弱】
【衝撃緩和・劣化】
【消音・微弱】
地味だ。
毒や火力魔法に比べたら、かなり地味。
でも、編集とはそういうものだ。
派手な素材だけで作品はできない。
小さな調整が、全体を生かす。
その後も、作戦会議は続いた。
ミラの索敵範囲。
トーヤの盾の耐久。
リュミエルの魔法詠唱時間。
俺の編集操作の発動条件。
一つずつ確認し、無理な部分を削り、必要な連携を繋げていく。
気づけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
学園の魔法灯が、夜の庭を淡く照らしている。
フィン先生がようやくチョークを置いた。
「よし。今日はここまでだ」
「寝ていいんですか?」
俺が聞くと、先生は当然のように言った。
「三時間な」
「本当に三時間なんですね」
「若者ならいける」
「若者への信頼が雑すぎる」
ミラはあくびをしながら手を振った。
「じゃ、新人くん。明日よろしくね。私、足引っ張るやつは置いてくから」
「俺、昨日置いていかれたばかりなんだけど」
「じゃあ、今日は拾ってあげる」
軽い言い方だった。
でも、それは妙に温かかった。
トーヤも立ち上がる。
「明日は俺が守る。だから、アキトは後ろから全体を見てくれ」
「ああ。頼む」
リュミエルは、最後まで黒板の作戦図を見ていた。
「アキト」
「何?」
「明日、レオンたちを助ける場面が来たら、あなたは迷わない?」
俺は少し考えた。
迷わない、と即答できたら格好よかった。
でも、たぶん嘘になる。
「迷うと思う」
リュミエルは俺を見る。
俺は続けた。
「怒りもあるし、悔しさもある。正直、あいつらが困るところを見たい気持ちもある」
「ええ」
「でも、死んでほしいわけじゃない」
それは本音だった。
俺はまだ、完全には割り切れていない。
レオンには腹が立つ。
セリアにも傷つけられた。
ノルンにも、言わなかったことへの痛みがある。
それでも。
俺は、誰かが死ぬところを見て笑える人間にはなりたくない。
「だから、助ける。迷っても、助ける方を選ぶ」
リュミエルは静かに頷いた。
「それなら大丈夫」
「何が?」
「あなたは、まだ自分を見失っていない」
その言葉に、少しだけ胸が詰まった。
世界から見捨てられた者。
そんな称号を与えられても。
追放されても。
神殿に狙われても。
禁忌職と呼ばれても。
俺はまだ、俺でいられるのかもしれない。
「ありがとう」
そう言うと、リュミエルは目を逸らした。
「勝ってから言う約束だったでしょう」
「今のは別件」
「ずるい」
「編集者だからな」
「使い方が違うわ」
ほんの少しだけ、リュミエルが笑った気がした。
夜の教室に、静かな時間が流れる。
けれど、その穏やかさは長く続かなかった。
突然、俺の視界にシステム表示が浮かんだ。
【システム表示】
警告。
対象:
レオン・グランベル
外部付与スキルが不安定化しています。
推定原因:
神殿式補強の過剰稼働。
予測:
明日の演習中、暴走の可能性があります。
「……は?」
思わず声が漏れた。
リュミエルがすぐに反応する。
「どうしたの?」
俺は表示を見つめたまま、喉を鳴らした。
レオンのスキルが不安定化。
神殿式補強。
暴走の可能性。
明日の演習。
ただの勝負じゃ済まないかもしれない。
俺は、タイムラインを握りしめた。
「明日、レオンが危ないかもしれない」
リュミエルの表情が、すっと鋭くなった。
「どういうこと?」
「分からない。でも、俺のスキルが警告を出してる」
窓の外で、夜風が木々を揺らした。
月明かりの下、学園は静かに眠っている。
けれど、その静けさの奥で、何かが軋み始めていた。
明日の演習は、俺の価値を証明する場になる。
そう思っていた。
でも、もしかすると。
俺は、自分を追放した男を救わなければならないのかもしれない。




