第13話 剣術科合同小隊演習
翌朝。
俺――アキト・アオキは、三時間しか眠っていない頭を抱えながら、王立アルカディア魔導学園の地下訓練迷宮前に立っていた。
「眠い」
正直な感想が口から漏れる。
隣に立つリュミエル・アークレインが、涼しい顔で言った。
「だから、最低でも五時間は寝るべきだったのよ」
「フィン先生が三時間でいけるって」
「先生の生活習慣を基準にしてはいけないわ」
「説得力がすごい」
少し離れたところで、フィン先生は黒すぎる茶を飲んでいた。
目の下には濃い影。
髪はぼさぼさ。
なのに、やけに機嫌がよさそうだ。
たぶん、あの人は睡眠不足を燃料にして生きている。
俺には無理だ。
だが、文句を言っている余裕はない。
今日は、剣術科との合同小隊演習。
相手は、俺を追放した元パーティ。
レオン・グランベル。
セリア。
ノルン。
こちらは、俺、リュミエル、トーヤ、ミラの四人。
単純な戦力なら、たぶん向こうが上だ。
レオンの剣。
セリアの火魔法。
ノルンの治癒と結界。
どれも正面からぶつかれば強い。
対して、俺はレベル2の編集者。
剣は振れない。
魔法も弱い。
ステータスも低い。
それでも、今の俺には【タイムライン】がある。
黒い魔導記録板。
俺専用の編集媒体。
保存スロットには、昨夜準備した三つの素材が入っていた。
【タイムライン】
保存素材:
1:【破損進行・微弱】
2:【衝撃緩和・劣化】
3:【消音・微弱】
地味だ。
とても地味だ。
でも、地味な素材ほど使い方で化ける。
前世でもそうだった。
派手な映像だけでは番組は成立しない。
間の取り方。
音の抜き差し。
視線誘導。
テンポの調整。
そういう見えない編集が、作品を支えている。
なら、この演習でも同じだ。
俺は剣で勝つ必要はない。
流れを編集して勝つ。
「新人くん、顔こわ」
横からミラ・クロウが覗き込んできた。
猫耳がぴこぴこ動いている。
本人は軽い調子だが、腰の短剣はいつでも抜ける位置にあった。
「緊張してるだけだ」
「いいじゃん。緊張するってことは、死にたくないってことでしょ」
「前向きなのか物騒なのか分からないな」
「両方」
ミラはにっと笑った。
トーヤ・ラインハルトは、巨大な盾を背負って静かに立っている。
「アキト」
「何?」
「昨日決めた通り、最初は俺が前に出る。お前は無理に前へ出るな」
「分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
リュミエルとトーヤが同時に俺を見た。
「分かってる」
言い直した。
信用が少しずつ削れている気がする。
いや、昨日から無茶ばかりしているから当然か。
その時、訓練迷宮の前に立つ教官が声を張った。
「これより、剣術科・特異職科合同小隊演習を開始する!」
ざわめきが広がる。
周囲には見学の生徒たちも集まっていた。
剣術科。
魔導科。
神聖科。
探索科。
その多くが、こちらを好奇の目で見ている。
「特異職科が剣術科と?」
「相手、レオン様だろ?」
「外れ職の編集者って、昨日神殿に追われてたやつ?」
「やばくない?」
声が耳に入る。
外れ職。
神殿。
禁忌。
追放。
たった一日で、俺の周囲には変な噂が増えすぎた。
でも、今は気にしない。
いや、本当は少し気になる。
胃が痛い。
それでも、顔には出さない。
レオンたちが向こう側から歩いてきた。
白銀の鎧をまとったレオンは、相変わらず目立つ。
金色の髪。
整った顔。
堂々とした歩き方。
まさに勇者候補。
隣のセリアは赤いローブを身につけ、杖を握っている。
ノルンは白い神官服で、胸元の聖印を両手で包んでいた。
ノルンと目が合った。
彼女は何か言いたそうに唇を動かした。
でも、声にはならない。
俺は小さく視線を外した。
今、それを受け止める余裕はない。
レオンは俺の前で足を止めた。
「逃げなかったことだけは褒めてやる」
「それはどうも」
「だが、演習は遊びじゃない。昨日の威勢がどこまで続くか、見せてもらおう」
「俺も見せてもらう」
「何をだ」
「勇者候補が、ダンジョンで本当に仲間を守れるのか」
レオンの目が細くなる。
空気がぴりついた。
だが、フィン先生が間に割って入る。
「そこまでだ。始まる前に口喧嘩で体力を使うな。若いな、お前ら」
「先生が煽ったんじゃないですか」
俺が言うと、フィン先生は悪びれもなく笑った。
「教育的配慮だ」
便利な言葉すぎる。
教官がルール説明を始めた。
「今回の演習は、訓練迷宮第三層を使用する。両小隊は別々の入口から開始し、中央の目標地点に置かれた青水晶を取得。その後、帰還地点へ戻ること」
黒板のような魔法板に、条件が表示される。
【勝利条件】
・青水晶の取得
・全員の生存
・制限時間内の帰還
・負傷度の少なさ
・罠対応および撤退判断
俺は表示を見て頷いた。
昨夜、フィン先生が言っていた通りだ。
単純な速さだけではない。
総合評価。
つまり、俺たちにも勝ち目がある。
教官が続ける。
「迷宮内の魔物は幻影型だが、攻撃を受ければ痛覚反応と負傷判定が発生する。重傷判定を受けた者は強制転送。なお、相手小隊への直接攻撃は禁止ではないが、致命傷判定を狙う行為は失格とする」
ミラが小声で言った。
「つまり、嫌がらせはありってことだね」
「言い方」
リュミエルが即座に訂正する。
「戦術的妨害よ」
「リュミエル様も大概だよね」
「事実を言っただけよ」
似た者同士かもしれない。
教官が最後に言った。
「それでは、各小隊、入口へ」
俺たちは特異職科側の入口へ向かった。
重い鉄扉の前。
暗い通路が奥へ続いている。
湿った石の匂い。
微かな魔力の揺れ。
遠くで、幻影魔物の唸り声が聞こえた。
本物のダンジョンではない。
そう分かっていても、昨日の記憶が蘇る。
冷たい石壁。
ポイズンスライム。
毒。
追放。
息が少し浅くなる。
その時、リュミエルが隣で小さく言った。
「アキト」
「何?」
「ここには、あなたを置いていく人はいないわ」
俺は彼女を見た。
リュミエルは前を向いたままだった。
でも、その言葉はまっすぐ届いた。
胸の奥の強張りが、少しだけほどける。
「……ありがとう」
「勝ってから言う約束でしょう」
「今のも別件」
「ずるい」
リュミエルは小さく息を吐いた。
たぶん、笑った。
ミラが後ろでにやにやしている。
「お二人さん、いい感じのところ悪いけど、そろそろ始まるよ」
「変な言い方をしないで」
リュミエルの耳が少し赤い。
トーヤが盾を構えた。
「行こう」
教官の声が響く。
「演習開始!」
鉄扉が開いた。
俺たちは、訓練迷宮へ踏み込んだ。
最初の通路は、幅三メートルほど。
両側の壁には魔法灯。
床には灰色の石板が規則的に並んでいる。
一見、何もない。
でも、俺には分かる。
何もない通路ほど怪しい。
「ミラ」
「はいよ」
ミラが音もなく前へ出る。
彼女の歩き方は、獣というより影だった。
足音がほとんどしない。
尻尾の動きだけでバランスを取っている。
「床、三枚目と七枚目。たぶん圧力式」
ミラがすぐに言った。
「右壁にも魔力線。踏むと横から矢かな」
リュミエルが指先に星の光を浮かべる。
「確認したわ。矢ではなく、拘束糸ね」
「踏んだら動けなくなるタイプか」
俺は床を見る。
三枚目。
七枚目。
そして右壁の魔力線。
「避けよう」
俺たちは慎重に進む。
トーヤが先頭で盾を構え、ミラが罠を確認する。
リュミエルが魔力の流れを読む。
俺は全体を見る。
悪くない。
このままなら、安全に進める。
だが、問題は相手だ。
遠くから、爆発音が響いた。
どおん、と迷宮全体が揺れる。
ミラが耳をぴんと立てた。
「向こう、もう戦ってる」
リュミエルが目を閉じ、魔力の流れを読む。
「火属性魔法。セリアね。かなり大きい」
トーヤが眉をひそめる。
「急いでるのか?」
「レオンなら、最短突破を狙う」
俺は通路の奥を見た。
予定通りだ。
レオンたちは先行し、力で罠と魔物を突破している。
だが、訓練迷宮は挑戦者の動きに反応する。
派手に進めば進むほど、迷宮は難度を上げるはずだ。
その変化を、俺たちは利用する。
「急がない。まずは迷宮の反応を見る」
俺は言った。
その瞬間、視界に薄い青線が走った。
通路の奥。
魔力の流れ。
遠くの爆発。
幻影魔物の配置変化。
点と点が、一本の線になっていく。
【システム表示】
戦闘および迷宮変動の流れを検出しました。
条件未達成:
解析精度不足。
候補機能:
【タイムライン解析 Lv.1】
発動には追加観察が必要です。
「もう少し情報が要る」
俺は呟いた。
リュミエルがすぐに反応する。
「何か見えた?」
「流れが見えかけてる。でも、まだ足りない」
「なら、観察地点を確保しましょう」
リュミエルは壁の上部を指した。
そこには、古い見張り窓のような穴があった。
「この迷宮は訓練用だから、管理用の観察孔がある。あそこから隣の経路が見えるはず」
ミラがにやりと笑う。
「登るのは私の仕事だね」
彼女は壁を蹴り、軽々と上へ登った。
数秒後、穴の向こうを覗き込む。
「見えた。剣術科側、かなり飛ばしてる。レオンが正面の幻影狼を一撃。セリアが火球で通路ごと焼いてる。ノルンは後方で結界」
「罠は?」
「踏んでる。でもレオンが斬ってる。力技」
やっぱり。
俺は目を閉じ、ミラの情報を頭の中で並べた。
レオンの突破。
セリアの火力。
ノルンの結界。
罠の強行突破。
迷宮の魔力反応。
すると、頭の中に一本の映像の流れができる。
開始。
突破。
火力使用。
罠破壊。
迷宮反応。
魔物再配置。
「……次、来る」
「何が?」
トーヤが盾を構える。
俺は前方の暗がりを指差した。
「こっちの通路に、幻影狼が流れてくる」
言った直後。
通路の奥から、低い唸り声が響いた。
三体の黒い狼型魔物が、影の中から現れる。
ミラが目を丸くした。
「当たり」
トーヤが前に出る。
「俺が受ける!」
幻影狼が一斉に跳んだ。
速い。
だが、トーヤの盾は間に合った。
がん、と重い音。
一体目を受け止める。
二体目が横から回り込む。
「ミラ、右!」
「分かってる!」
ミラが短剣で牽制する。
三体目は、リュミエルの星光弾が弾いた。
俺はタイムラインを握る。
今、使うべき素材は?
【衝撃緩和】か?
いや、まだ早い。
【消音】?
違う。
【破損進行】?
幻影相手に効くか不明。
なら、まず切る。
幻影狼の動きを見る。
本物の筋肉ではない。
魔力で作られた動作パターン。
つまり、攻撃の流れがあるはずだ。
一体目の幻影狼が、トーヤの盾に再び噛みつこうとする。
その首元に、赤い線が見えた。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:幻影狼の突進動作
構成:
【加速】
【噛みつき】
【着地点固定】
実行可能操作:
【カット】
成功率:
六十九パーセント
「着地点固定をカット!」
俺は叫んだ。
ぶちん。
幻影狼の動きが一瞬ぶれる。
着地点を失った狼は、トーヤの盾の前で体勢を崩した。
「今!」
トーヤが盾を押し出す。
幻影狼が壁に叩きつけられ、光の粒になって消えた。
「一体!」
ミラが二体目の背後に回り、短剣で幻影核を突く。
リュミエルの星光弾が三体目を貫いた。
戦闘終了。
俺たちは、ほぼ無傷だった。
トーヤが振り返る。
「今の、助かった」
「トーヤが受けてくれたから見えた」
「それでもすごい」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
すごい。
外れじゃない。
役に立った。
でも、喜んでいる暇はなかった。
遠くで、また爆発音。
今度はさっきより大きい。
直後、迷宮全体の魔力が大きく歪んだ。
リュミエルの表情が変わる。
「おかしい」
「何が?」
「訓練迷宮の反応じゃない。もっと強い魔力が混ざってる」
俺の視界に、システム表示が浮かんだ。
【警告】
対象:
レオン・グランベル
外部付与スキルの不安定化が進行。
神殿式補強が過剰稼働しています。
予測:
暴走まで、残り十分以内。
「まずい」
俺は喉を鳴らした。
予想より早い。
レオンのスキル補強が、もう暴走しかけている。
「アキト?」
リュミエルが俺を見る。
「レオンが暴走するかもしれない。残り十分以内」
ミラの顔から笑みが消えた。
トーヤが盾を握り直す。
「助けに行くのか?」
俺は一瞬、答えに詰まった。
昨日、俺を捨てた相手。
さっき、俺を道具として戻そうとした相手。
謝りもしなかった相手。
そのレオンを助けに行くのか。
胸の奥で、怒りが疼く。
でも、次の瞬間、ノルンの顔が浮かんだ。
何かを言おうとして、言えなかった顔。
セリアの気まずそうな目。
そして、レオン自身に絡みついていた、不自然な接合痕。
あいつも、何かを貼り付けられている。
本人が望んだのかどうかも分からない。
俺は深く息を吸った。
「行く」
リュミエルは頷いた。
「分かった」
ミラが肩をすくめる。
「新人くん、甘いねえ」
「自覚はある」
トーヤが前に出る。
「なら、俺が道を開く」
その瞬間、俺の視界に新しい表示が浮かんだ。
【システム表示】
観察情報が一定量に達しました。
戦闘と迷宮変動の流れを統合します。
候補機能:
【タイムライン解析 Lv.1】
一時解放しますか?
俺は迷わなかった。
「解放」
次の瞬間、世界の流れが、一本の編集画面のように俺の前へ広がった。
レオンたちの進行。
迷宮の変化。
魔物の再配置。
罠の連動。
暴走までの時間。
すべてが、淡い線となって並ぶ。
俺はその中に、一本だけ細い逃げ道を見つけた。
「こっちだ」
俺は走り出した。
追放された外れ職が、自分を捨てた勇者候補を助けに行く。
馬鹿げている。
でも、それでいい。
俺は、俺が嫌いにならない選択をする。




