第8話 世界から弾かれた教室
【はい】
俺――アキト・アオキがその選択肢を選んだ瞬間、視界の中央で淡い文字が弾けた。
【システム表示】
所属登録を開始します。
対象:
アキト・アオキ
所属候補:
王立アルカディア魔導学園
特異職科
照合中……
警告。
対象に未確認職業が含まれています。
警告。
対象に神殿未承認称号が含まれています。
警告。
対象は中央神殿の査察対象です。
「警告多すぎるだろ……」
思わず呟いた。
登録画面なのに、まるで犯罪者の入国審査みたいだった。
隣に立つリュミエル・アークレインが、俺の表示を横目で見て小さく眉を寄せる。
「やっぱり、神殿側の干渉が入っているわね」
「登録できないのか?」
「普通なら無理」
「普通じゃない方法がある顔してるな」
「ここは特異職科よ」
リュミエルは、古びた教室の奥へ視線を向けた。
「普通じゃない人間を、普通じゃない方法で押し込める場所」
「言い方に希望がない」
「希望は後から作るものよ」
かっこいいような、無茶苦茶なような。
俺が返事に困っていると、白衣姿の男――フィン先生が面倒くさそうに頭をかいた。
「アークレイン。お前、また神殿に喧嘩売る気か?」
「喧嘩ではありません。保護です」
「神殿はそう受け取らん」
「でしょうね」
「認めるな」
フィン先生はため息をつき、手に持っていたカップを机に置いた。
中身はおそらく茶だ。
ただ、色が妙に黒い。
コーヒーにしては濃すぎる。
薬草茶にしては禍々しい。
あれを毎朝飲んでいるなら、この先生の目が死んでいる理由も少し分かる。
「アキト・アオキ」
フィン先生が俺を見た。
「はい」
「お前、本当にここに入る気か?」
「他に行く場所がないので」
「正直だな」
「今日、嘘ついてうまくいった場面が一回もないので」
「いい判断だ。嘘は技術がないやつほど寿命を縮める」
フィン先生はそう言って、教卓の下から一枚の古い羊皮紙を取り出した。
そこには、びっしりと文字が書かれていた。
ただの文字じゃない。
魔法陣と契約文が重なったような、見ているだけで頭が痛くなる紙だ。
「これは?」
「特異職科の仮登録契約書だ」
「契約書……」
「心配するな。奴隷契約じゃない」
「その一言で逆に心配になりました」
「内容は簡単だ。学園はお前を一時的に保護する。お前は学園内で勝手に禁忌級の能力実験をしない。神殿が来た場合は、学園が最低限の身元保証をする」
「最低限?」
「全面的に守るとは言ってない」
「そこは言ってほしかった」
「嘘は技術がないやつほど寿命を縮める、と言ったばかりだ」
正論だった。
嫌になるくらい正論だった。
フィン先生は羊皮紙を机に広げる。
「ただし、これに署名すれば、神殿はお前を即座に連行できなくなる。学園長の承認なしに、学園登録者を拘束することは王国法で禁じられているからな」
「王国法って、神殿より強いんですか?」
「状況による」
「めちゃくちゃ不安な答えですね」
「この世界で絶対に安全な場所があると思うな。そういう甘い考えは、最初に捨てろ」
フィン先生の声には、冗談がなかった。
俺は黙る。
そうだ。
俺はもう、分かっているはずだ。
パーティにいれば安全。
勇者候補についていけば大丈夫。
誰かが守ってくれる。
そんなものは、簡単に壊れる。
信じることと、預けきることは違う。
俺は俺の足で立たないといけない。
「分かりました」
俺は羊皮紙に目を落とした。
文字は読める。
この世界の言語は、転生した時から自然に理解できた。
だが、契約文のところどころに、妙な引っかかりがある。
普通の文章の奥に、薄い別の線が見えた。
「……ん?」
俺は目を細める。
契約書の下部。
署名欄の近く。
そこに、小さな一文が隠れていた。
表面の文字とは違う。
まるで、透明インクで上から重ね書きされたような文。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:特異職科仮登録契約書
隠し条項:
【登録者の異常職業情報は、学園研究部へ自動共有される】
実行可能操作:
【カット】
俺は固まった。
「……フィン先生」
「何だ」
「この契約書、隠し条項ありますよね」
教室の空気が、ぴたりと止まった。
リュミエルがすぐに俺を見る。
フィン先生は、眠そうだった目を少しだけ開いた。
「見えるのか」
「見えます」
「どこまで?」
「登録者の異常職業情報は、学園研究部へ自動共有される、ってところまで」
「なるほど」
フィン先生は、にやりと笑った。
「合格だ」
「は?」
「それに気づかず署名するようなら、お前は特異職科でも長く持たん」
俺は思わず羊皮紙から手を離した。
「試したんですか?」
「試した」
「性格悪いですね」
「よく言われる」
「でしょうね」
リュミエルが静かにフィン先生を睨んだ。
「先生。今の彼に余計な負荷をかける必要がありましたか?」
「必要だ。こいつは神殿に狙われている。契約書の裏も読めないやつは、三日で消える」
「それでも説明してから試すべきです」
「説明したら試験にならん」
「性格が悪いです」
「それもよく言われる」
フィン先生はまったく悪びれていなかった。
ただ、嫌な人間という感じではない。
厳しい。
雑。
でも、見ている。
俺を外れ職として切り捨てる目ではなかった。
「で、どうする?」
フィン先生は羊皮紙を指で叩く。
「その隠し条項を承知で署名するか? それとも、逃げるか?」
俺は契約書を見る。
学園研究部に情報が共有される。
それは危険だ。
でも、今の俺には保護が必要だ。
神殿査察官に追われたまま外へ出れば、すぐに捕まる。
なら、第三の選択肢を作る。
「先生」
「何だ」
「この隠し条項、俺がカットしたら契約書は無効になりますか?」
フィン先生の笑みが深くなった。
「やってみろ」
リュミエルがすぐに口を挟む。
「アキト、無理に使わないで。契約魔術は、毒や粘着とは違うわ」
「分かってる」
俺は頷いた。
契約書は人間じゃない。
でも、ただの紙でもない。
文字に魔力が宿っている。
署名した人間を縛るための構造がある。
適当に切れば、契約そのものが壊れる。
最悪、学園の保護も受けられない。
やるなら、隠し条項だけ。
表面の契約を残し、裏の自動共有だけを切る。
映像編集で言えば、音声トラックのノイズだけを除去するようなものだ。
素材そのものを壊すな。
意図を読め。
構造を見ろ。
「編集操作」
視界が青く染まる。
羊皮紙の文字が、何層にも分かれて見えた。
表面の契約文。
学園保護の記述。
登録者義務の記述。
神殿照会拒否の記述。
そして、一番下にへばりつくように隠された、細い黒い文字列。
【異常職業情報の自動共有】
それだけが、妙に嫌な色をしていた。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:契約書内の隠し条項
構成:
【情報共有】
【研究部転送】
【署名時自動発動】
【無告知】
実行可能操作:
【カット】
警告:
契約構造の一部を破損する可能性があります。
成功率:
六十四パーセント
「成功率六十四」
「高い方ね」
リュミエルが言う。
「たぶん、隠し条項が雑に後付けされているから」
フィン先生が鼻で笑った。
「研究部の連中らしい雑さだな」
「身内じゃないんですか?」
「学園にも、まともな部署とまともじゃない部署がある」
「特異職科はどっちですか?」
「まともじゃないが、まだマシな方だ」
すごく嫌な情報だった。
俺は深く息を吸う。
隠し条項だけ。
黒い線だけ。
表面の契約には触れるな。
「カット」
小さく呟く。
ぶちん。
細い糸が切れる感触。
羊皮紙の隅に、小さな黒い火花が散った。
リュミエルがすぐに結界を張る。
しかし、それ以上の暴発はなかった。
【システム表示】
隠し条項:
【異常職業情報の自動共有】をカットしました。
契約構造は維持されています。
【編集操作 Lv.1】の熟練度が上昇しました。
俺は息を吐いた。
「成功、したみたいです」
フィン先生は羊皮紙を手に取り、目を走らせた。
そして、満足そうに頷く。
「見事だ。契約を壊さず、余計な条項だけ消した」
「これで署名していいんですか?」
「ああ。今の契約書ならな」
俺はペンを受け取る。
羽根ペンの先に黒いインクをつける。
署名欄に、名前を書く。
アキト・アオキ。
その文字を書いた瞬間、羊皮紙が淡く光った。
【システム表示】
仮登録契約が成立しました。
所属:
王立アルカディア魔導学園
特異職科
登録区分:
仮所属生
職業:
編集者
称号に変化が発生しました。
称号:
【追放者】
【世界から見捨てられた者】
新規称号候補:
【特異職科の仮所属生】
取得しますか?
俺は少しだけ迷った。
称号は、この世界ではただの肩書きじゃない。
効果がある。
呪いみたいに働くものもある。
でも、今の俺には所属が必要だ。
たとえ仮でも。
たとえ世界の端っこの、ゴミ箱みたいな教室でも。
俺は、ここから始める。
【はい】
【システム表示】
称号:
【特異職科の仮所属生】を取得しました。
効果:
学園内での最低限の身分保証。
神殿査察に対する一時保護。
一般生徒からの信用補正:低下。
「最後いらないだろ」
思わず突っ込んだ。
フィン先生が笑う。
「特異職科だからな。普通科や剣術科の連中からは、だいたい変人か危険物扱いだ」
「もう慣れてきました」
「慣れるな。怒れ。だが、怒り方は選べ」
その言葉に、俺は少しだけ顔を上げた。
フィン先生は、いつの間にか真面目な目をしていた。
「ここには、世界から弾かれたやつらが集まる。だがな、弾かれたからといって腐れば、本当にただのゴミになる」
教室の奥で、何人かの生徒がこちらを見ていた。
片目に包帯を巻いた少年。
猫の耳を持つ獣人の少女。
椅子に座ったまま本を読んでいる小柄な少女。
そして、教室の隅で巨大な盾を磨いている大柄な男子。
みんな、どこか普通じゃない。
けれど、目は死んでいなかった。
フィン先生は続ける。
「お前がここで何になるかは、お前が決めろ」
その言葉は、不思議と胸に残った。
レオンは俺を外れ職と決めた。
神殿は俺を禁忌職と決めた。
世界は俺に【見捨てられた者】という称号を押しつけた。
でも。
俺が何になるかは、俺が決める。
「はい」
俺は短く答えた。
その時、特異職科の扉が激しく叩かれた。
どん、どん、どん。
教室の空気が一気に張り詰める。
扉の向こうから、冷たい声が響いた。
「中央神殿査察部である」
俺の心臓が跳ねた。
早すぎる。
フィン先生は面倒くさそうに耳をほじった。
「来るのが早いな。仕事熱心で嫌になる」
リュミエルが短杖を握る。
教室の生徒たちも、静かに身構えた。
扉の向こうの声が続く。
「禁忌職【編集者】の疑いがある少年を引き渡してもらう」
フィン先生は俺を見る。
そして、薄く笑った。
「アキト・アオキ」
「はい」
「初授業だ」
「この状況で?」
「そうだ」
フィン先生は扉へ向かって歩きながら言った。
「学園で最初に覚えるべきことを教えてやる」
彼は扉の取っ手に手をかける。
「権力者に絡まれた時の、正しい居座り方だ」
扉が、ゆっくりと開いた。




