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第60話 舞台袖を見る方法

眠った。


たぶん、眠った。


意識が落ちた記憶はない。


ただ、気づいたら医療天幕の天井を見ていた。


布越しの光が、少し赤い。


夕方か。


俺――アキト・アオキは、ゆっくり息を吐いた。


体は重い。


でも、頭の奥の熱は少し引いている。


魔力も、底ではない。


底の一歩上くらいだ。


つまり、まだひどい。


だが、動けないほどではない。


「起きた?」


声がした。


横を見る。


リュミエル・アークレインが椅子に座っていた。


本を開いている。


だが、ページはほとんど進んでいない。


見張っていたのだろう。


「どれくらい寝た?」


「三時間ほど」


「そんなに?」


「短いわ」


「俺の感覚だと長い」


「あなたの感覚は信用しないことにしている」


ひどい。


いや。


妥当か。


俺は起き上がろうとした。


すぐにリュミエルの手が伸びる。


「急に動かないで」


「はい」


素直に止まる。


最近、俺は素直になる場面が増えた。


成長と言っていいのか。


飼い慣らされているだけなのか。


判断が難しい。


リュミエルは、机の上に置かれた封印紙を見た。


例の紙片だ。


ルグラン・セイムが倒れていた控室に残されていたもの。


日本語で、こう書かれていた。


【次の主人公候補は、舞台に上がった】


嫌な一行だ。


短い。


だから余計に刺さる。


「読まないで」


リュミエルが言った。


「まだ何もしてない」


「顔が読もうとしている」


「顔って便利だな」


「便利ね」


まったく嬉しくない。


俺は封印紙から目を逸らした。


「ルグランは?」


「意識はまだ戻っていないわ。記憶表層に欠損。外傷はなし。北門の警備兵と同じ系統」


「校閲されたか」


「可能性が高い」


「犯人か、被害者か」


「現時点では不明」


リュミエルは即答した。


こういうところが信用できる。


決めつけない。


感情で切らない。


俺よりずっと、冷静だ。


「ヴァイスは?」


「フィン先生と一緒に魔導科準備室の調査を続けているわ。本人の寮入退室記録は確認済み。校閲杭を仕込んだ時刻、彼は寮にいた」


「じゃあ、やっぱり偽造か」


「少なくとも、直接仕込んだ可能性は低い」


「低い、か」


「ええ。ゼロではない」


正しい。


ゼロではない。


でも、今はヴァイスを犯人扱いする段階ではない。


むしろ、彼の承認印を使った誰かがいる。


そいつの方が問題だ。


「アキト」


「何?」


「全員、特異職科の教室に集まっているわ。あなたが動けるなら、短い会議をする」


「動ける」


「本当に?」


「歩くくらいなら」


「倒れそうなら言って」


「分かった」


「本当に?」


「本当に」


この確認がないと、もはや会話が終わらない。


俺は寝台から足を下ろした。


少しふらつく。


リュミエルが無言で支える。


情けない。


でも、手を払わなかった。


今は、支えられることも選択肢の一つだ。


そう思える程度には、俺も少し変わった。


特異職科の教室へ戻ると、全員がいた。


ミラ・クロウは窓枠。

トーヤ・ラインハルトは壁際。

ノルン・エルシアは治癒符を並べている。

セリア・フレイムロードは腕を組んでいる。

レオン・グランベルは剣を傍らに置いて座っている。

ヴァイス・ローレンもいた。


少し場違いな顔で。


本人もそう思っているのだろう。


表情が硬い。


俺を見るなり、ヴァイスは言った。


「倒れていないな」


「第一声がそれか」


「倒れていた方が話は早かった」


「どういう意味だ」


「休めと言える」


「みんなそれ言うな」


ヴァイスはふん、と鼻を鳴らした。


だが、以前のような見下した感じは薄い。


まだ棘はある。


でも、毒は減った。


セリアが呆れたように言う。


「で、あんた本当にここにいるのね」


「私の承認印が使われた。無関係ではない」


「まあ、それはそう」


「それに」


ヴァイスは少しだけ言いづらそうにした。


「私の現在記述も、登録されたからな」


ミラがにやにやする。


「仲間入り?」


「違う」


即答。


「協力関係だ」


「はいはい、素直じゃない魔導師くん」


「その呼び方をやめろ」


トーヤが真面目に言った。


「ヴァイスは最大火力を誇示する魔導師ではない」


「そこを引用するな」


ヴァイスの顔が微妙に赤い。


少しだけ、教室の空気が軽くなる。


必要だ。


こういう軽さは。


フィン先生が教卓を叩いた。


「始めるぞ」


黒板には、すでにいくつか書かれていた。


【合同演習事件】

・広域校閲杭

・演習場本番化

・アキトの注釈挿入

・ヴァイス承認印偽造

・ルグラン・セイム意識不明

・異界語紙片


その下。


【紙片】

次の主人公候補は、舞台に上がった。


俺は、その一文を見る。


胃の奥が冷える。


「読ませたい文章だな」


俺は言った。


フィン先生が頷く。


「そうだ。お前に読ませるための一文だ」


「罠ですか」


「罠でもあり、手がかりでもある」


いつもの最悪セット。


リュミエルが黒板の横に立つ。


「これまでの情報を整理するわ」


彼女はチョークを持った。


【第三幕関連】

・ナツキ・シノハラは未承認職【脚本家】

・第三幕は逃げ道として残された

・舞台袖は記録の未登録余白層

・名無しの観測者は旧記録保管庫臨時記録官

・主人公候補の席は、次に来る者へ空けられた


さらに書く。


【今回の変化】

・合同演習でアキトが公に能力を示した

・注釈挿入が発現した

・敵はそれを観測した可能性

・紙片に「主人公候補は舞台に上がった」


「つまり」


リュミエルは俺を見る。


「あなたが第三幕の条件を一つ満たした可能性がある」


「嬉しくないな」


「私も嬉しくないわ」


正直でよろしい。


ヴァイスが眉を寄せる。


「主人公候補とは何だ」


「俺にもよく分からない」


「君の能力と関係があるのか」


「たぶんある。だが、選ばれたという意味で受け取るのは危険だ」


フィン先生が言う。


「むしろ、役割として押しつけられる可能性を疑え」


「主人公という役割を?」


レオンが低く言った。


「ああ」


フィン先生は続ける。


「勇者候補、器、治癒師、盾。これまで敵は役割で人を縛ってきた。なら“主人公候補”も同じかもしれん」


俺は、黒板を見た。


主人公とは、選ばれた者ではない。

最後まで降りなかった者である。


名無しの観測者の言葉。


あれは、役割を押しつける言葉ではなかった。


むしろ逆。


選ばれるな。

降りるかどうかを、自分で決めろ。


そう言っていた。


「敵が言う主人公候補と、名無しの観測者が言う主人公は違う」


俺は言った。


「敵は俺を舞台に上げたい。役割として使いたい。だが、観測者は“最後まで降りなかった者”と言った」


「つまり」


ノルンが小さく言う。


「主人公になれ、じゃなくて……降りるな、ってこと?」


「たぶん」


俺は頷いた。


「そして、降りないかどうかは本人が決める」


リュミエルが静かに言った。


「なら、最初に決めるべきことがあるわ」


「何を?」


「あなたは、舞台袖を見るのか」


教室が静かになった。


舞台袖。


第三幕の入口。


記録本文ではない余白層。

未完の脚本。

名無しの観測者の外側記録。

第四断片へ繋がる場所。


そこに、ナツキの逃げ道があるかもしれない。


同時に、敵の罠もある。


俺は、すぐには答えなかった。


見たい。


当たり前だ。


でも、見たいだけで入ったら負ける。


第二幕は、読まされる。

第三幕は、探して。


ナツキはそう言った。


探すことと、読まされることは違う。


「見る」


俺は言った。


「ただし、直接は見ない」


フィン先生の口元が少しだけ動く。


「なら、方法を決めろ」


俺はタイムラインを机の上に置いた。


黒い石板。


ここまで、危険な記録に触れ続けてきた。


そのたびに、何度も引っ張られた。


名前で呼ばれた。

前世名を使われた。

助けて、と言われた。

主人公候補と呼ばれた。


もう分かっている。


正面から見るな。


俺は編集者だ。


映像素材を直接全部見る必要はない。


まず、サムネイル。

メタ情報。

参照線。

外部構造。

観測ログ。


順番がある。


「舞台袖を安全に見る方法を作る」


俺は言った。


「仮名は?」


ミラが聞く。


「仮名?」


「スキルっぽいやつ」


「今それ必要か?」


「必要。名前があると分かりやすい」


リュミエルが頷く。


「名前は認識を安定させるわ」


また名前の話だ。


この世界、本当に名前が重い。


俺は少し考えた。


「観測窓」


短く言う。


「舞台袖を直接開けるんじゃなくて、外から覗く窓を作る」


フィン先生が頷く。


「悪くない」


ヴァイスが腕を組む。


「仕組みは?」


「三層にする」


俺は黒板に書いた。


【観測窓】

一層目:名無しの観測者の外側記録

二層目:タイムラインの外部輪郭表示

三層目:リュミエルの精神保護結界


その下。


【禁止】

・舞台袖内部の直接閲覧

・未完の脚本全文取得

・主人公候補への即時反応

・単独観測


「一層目で、観測者の視点を借りる。直接ナツキの脚本を見るんじゃなく、観測者が見た“外側”を見る」


「二層目で、内部ではなく輪郭だけを表示する」


リュミエルが続ける。


「三層目で、感情誘導を遮断する」


「それでも危険だ」


ヴァイスが言った。


「危険だ」


俺は認める。


「だが、直接読むよりはましだ」


「まし、で済ませるのか」


「今の俺たちには、それしかない」


ヴァイスは黙った。


反論はないらしい。


ノルンが手を上げる。


「あの……発話保護も入れた方がいいと思う」


「発話保護?」


「もし舞台袖の中で言葉を奪われたり、声が出なくなった時、外から呼び戻せるように」


その言葉に、俺は頷いた。


「入れよう」


黒板に足す。


【四層目:ノルンの発話保護】


セリアが言った。


「火属性の浄化もいるでしょ。記録に絡む赤黒い線を焼かずに照らすだけならできる」


「焼かずに?」


「燃やすだけが火じゃないわ」


セリアは少しだけ胸を張った。


「私は、自分の炎を自分の意思で制御する者だから」


その言葉に、ノルンが嬉しそうに笑う。


俺も頷く。


【五層目:セリアの照明炎】


トーヤが言う。


「物理的な退避点も必要だ」


「それは?」


「観測者の体を支える場所。異常が出たら引き離す」


ミラが続ける。


「逃げ道担当も必要だね。観測窓を閉じる経路を私が見る」


【六層目:トーヤの退避固定】

【七層目:ミラの退避経路】


レオンが言った。


「俺は補強式反応を監視する。神殿式に近い誘導なら、俺の補強式が反応する可能性がある」


【八層目:レオンの神殿式反応監視】


ヴァイスが少し考えてから言った。


「私は魔導科の制御術式を出す。窓の出力を一定に保つ」


全員がヴァイスを見た。


彼は不機嫌そうに眉をひそめる。


「何だ」


「いや」


俺は少し笑った。


「助かる」


「勘違いするな。私の承認印が使われた件を調べるためだ」


「はいはい」


「はいは一回だ」


セリアと同じことを言った。


少し教室が和む。


【九層目:ヴァイスの出力制御】


フィン先生が黒板を見た。


「いい。即席にしては悪くない」


「やりますか?」


俺が聞くと、リュミエルが即座に言った。


「今すぐは駄目」


「ですよね」


「あなたの魔力が戻っていない」


ノルンも頷く。


「最低でも一晩休んで」


「一晩か」


「一晩」


「はい」


ここで食い下がるほど馬鹿ではない。


いや。


前なら食い下がったかもしれない。


今は違う。


休むことも台本の一部だ。


くそ。


自分で言ったことが返ってくる。


フィン先生が言う。


「観測窓は明日の午前。場所は旧記録保管庫ではなく、特異職科地下演習室を使う」


「旧記録保管庫じゃないんですか?」


「あそこは舞台袖に近すぎる。引き込まれる危険がある。こちらに接続点だけ持ってくる」


「接続点だけ」


「お前のタイムラインに保存した外部輪郭を使う」


なるほど。


直接現地へ行かない。


保存した外部輪郭を、観測窓で再構成する。


プレビューのプレビュー。


だいぶ遠回りだ。


だが、それくらいでいい。


ナツキは言った。


第三幕は、探して。


急げとは言っていない。


俺はタイムラインを見る。


【観測窓プラン】


目的:

舞台袖内部を直接閲覧せず、外側構造を安全に観測する。


必要条件:

魔力回復

多層保護

相互呼称準備

撤退条件設定


推奨:

行動誓約ログを作成してください。


「誓約ログ、作る」


俺は言った。


リュミエルが頷く。


「当然ね」


俺はタイムラインに手を置く。


【行動誓約ログ】


明日の観測窓実験において、以下を守る。


一、舞台袖内部を直接閲覧しない。

二、未完の脚本全文を取得しない。

三、主人公候補という呼称に即時反応しない。

四、ナツキ・シノハラの声を聞いても単独応答しない。

五、異常時は観測を中断する。

六、仲間の停止指示に従う。

七、観測結果は全員で共有し、一人で抱え込まない。


記録しますか?


俺は、一瞬だけ止まった。


七番。


一人で抱え込まない。


それが一番難しいかもしれない。


でも。


必要だ。


「記録」


【記録完了】


リュミエルが静かに言った。


「よろしい」


ミラが軽く手を叩く。


「じゃあ、今日は解散?」


「アキトは休め」


フィン先生が言った。


「他は準備だ」


「俺だけ休みか」


「一番消耗している」


「戦力外感がある」


ヴァイスが言った。


「今の君は実際、戦力外だ」


「おい」


「明日使うなら、今は休ませるべきだ。魔導具でも同じだ。過熱したまま使えば壊れる」


言い方。


だが、間違ってはいない。


「分かった。休む」


「本当に?」


リュミエル。


ノルン。


ミラ。


トーヤ。


セリア。


レオン。


ヴァイス。


なぜか全員が、同じ目をした。


俺は両手を上げた。


「本当に休む」


フィン先生が満足そうに頷いた。


「記録しろ」


「そこまで?」


タイムラインが淡く光る。


【休息誓約ログ】


本日、アキト・アオキは舞台袖・主人公候補・ルグラン・セイム関連の深掘りを行わない。

最低六時間の睡眠を取る。

治癒茶を飲む。

糖分を摂取する。


記録しますか?


「また糖分」


ミラが笑う。


「大事大事」


「記録」


【記録完了】


こうして俺は、世界の謎よりも先に睡眠と糖分を義務づけられた。


異世界、やっぱり奥が深い。


その夜。


俺は特異職科の仮眠室で横になった。


外は静かだった。


合同演習の騒ぎも、遠くなっている。


目を閉じる。


だが、すぐに眠れるわけではない。


ナツキ。

名無しの観測者。

舞台袖。

主人公候補。


言葉が浮かぶ。


そのたびに、リュミエルの声を思い出す。


休んで。


ノルンの声。


一人で抱え込まないで。


ミラの声。


逃げ道は残すよ。


トーヤの声。


支える。


セリアの声。


制御しなさい。


レオンの声。


戻れ。


ヴァイスの声。


今の君は戦力外だ。


最後だけ少し腹が立つ。


でも、なぜか効いた。


俺は薄く笑った。


主人公候補。


そんな呼び方をされても、実感はない。


俺は選ばれたわけじゃない。


ただ、降りなかっただけだ。


そして明日。


舞台袖を見る。


直接ではなく。


俺たちの作った観測窓で。


敵の台本ではなく。


俺たちの順番で。


そう決めたところで、ようやく意識が沈んだ。










翌朝。


特異職科地下演習室。


中央に、九重の保護陣が組まれていた。


リュミエルの星。

ノルンの白い符。

セリアの小さな照明炎。

トーヤの退避線。

ミラの影道。

レオンの補強式監視円。

ヴァイスの魔導制御盤。

フィン先生の封鎖結界。


そして中央に、俺のタイムライン。


黒い石板が、静かに光る。


フィン先生が言った。


「始めるぞ」


リュミエルが俺を見る。


「準備は?」


俺は息を吸った。


怖い。


当然だ。


でも、一人じゃない。


「できてる」


「本当に?」


俺は頷いた。


「本当に」


タイムラインに手を置く。


「編集操作」


青い光が、地下演習室に広がった。


「観測窓、起動」


空中に、薄い四角い窓が浮かぶ。


真っ黒な窓。


その奥に、まだ何も映っていない。


しかし、すぐに文字が現れた。


日本語。


【第三幕・舞台袖】


その下に、もう一行。


【観測者を通して見よ】


俺は息を止めかけた。


リュミエルの声がした。


「呼吸」


「してる」


「浅い」


「今、深くした」


黒い窓の向こうで、白い文字がにじむ。


そして。


一つの名前が浮かび上がった。


【名無しの観測者】


その下。


封印されていたはずの本名が、かすかに揺れた。


読めない。


まだ。


だが、窓の向こうから、誰かの声がした。


女とも男ともつかない、静かな声。


『記録を始める』


全員が息を呑む。


声は続けた。


『これは、神の台本から外れた少女と』


一拍。


『次に来る編集者のための、舞台袖の記録である』


俺の心臓が、強く鳴った。


観測窓が開いた。


第三幕は、まだ始まらない。


だが、その幕の裏側に。


俺たちは、ついに手をかけた。

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