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第59話 魔導科準備室

休め。


そう言われた。


フィン先生に。

リュミエルに。

ノルンに。

ついでにヴァイスにまで。


全員から言われた。


つまり、俺――アキト・アオキは、相当ひどい顔をしていたのだろう。


自覚はある。


魔力は底に近い。

頭の奥は熱い。

体は重い。


正直、寝台に横になったらそのまま沈みそうだった。


なのに。


意識だけは、妙に冴えている。


最悪だ。


体は動かない。

頭だけ動く。


一番よくない状態。


医療天幕の外から、演習場のざわめきが聞こえてくる。


合同演習は中断された。

広域校閲杭は解除された。

俺の能力は安全運用実績として記録された。


外れ職ではなかった。


それは、たしかに成果だった。


だが。


その裏で、別の文字が浮かんだ。


【準備は整った】

【外れ職を舞台へ上げよ】


あれが、頭から離れない。


俺たちは勝った。


だが、誰かに勝たされた可能性もある。


その気持ち悪さが、喉の奥に引っかかっていた。


「寝て」


リュミエル・アークレインが言った。


寝台の横に椅子を置き、そこに座っている。


監視だ。


完全に監視である。


「寝ようとはしてる」


「目が開いているわ」


「閉じる努力をしてる」


「努力が足りない」


「厳しい」


「必要よ」


彼女は淡々と言う。


声は静かだが、逃がす気がない。


白と青のローブ。

銀に近い髪。

翡翠色の瞳。


いつも通り綺麗だ。


などと思った瞬間、リュミエルが目を細めた。


「何?」


「いや、何でもない」


「また考えていたわね」


「考えてはいない」


「嘘ね」


即答。


こういうところ、本当に強い。


ノルン・エルシアが治癒茶を淹れ直してくれた。


「アキトくん、飲める?」


「飲める」


「苦いけど」


「知ってる」


口をつける。


苦い。


すごく苦い。


薬草の味が、舌の上で全力で自己主張してくる。


でも、体には染みた。


悔しいが効く。


「ノルン」


「なに?」


「ありがとう」


ノルンは少しだけ目を丸くして、それから柔らかく笑った。


「うん」


短い返事。


でも、温かい。


演習場で声を上げた彼女は、今も少し震えている。


たぶん、怖かったのだろう。


それでも、立った。


それでも、言った。


沈黙したままの治癒師ではない。


俺は、そのことを忘れない。


天幕の入口が開いた。


入ってきたのは、ミラ・クロウだった。


「報告第一弾ー」


軽い声。


だが、目は笑っていない。


「魔導科準備室、封鎖されたよ。フィン先生、ヴァイス、レオンが中に入った」


「トーヤは?」


「入口で盾やってる」


「盾やってるって表現」


「だって盾だし」


ミラは肩をすくめる。


「ただの盾じゃない」


俺が言うと、ミラはにやっと笑った。


「守る相手を選べる盾、ね」


覚えている。


ちゃんと。


それだけで、少し安心する。


リュミエルがミラを見る。


「状況は?」


「魔導科の連中、かなりざわついてる。ヴァイスの承認印が使われたって話が広がり始めたからね」


「ヴァイス本人への反応は?」


「半分は疑ってる。半分は信じたくない。で、少数が面白がってる」


「面白がってる?」


俺は眉をひそめた。


ミラは尻尾を揺らす。


「上位生徒が落ちるのって、見たい人は見たいんだよ」


嫌な話だ。


だが、分かる。


人は、誰かが上にいるのを見続けると、その人が落ちる瞬間を見たがる。


俺も外れ職と笑われた。


ヴァイスも今、別の形で見られている。


立場が違うだけで、構造は似ている。


「……気分悪いな」


「でしょ」


ミラは軽く言った。


軽いが、軽くない。


そこへ、天幕の入口に小さな魔導紙鳥が飛び込んできた。


フィン先生の式紙だ。


紙鳥は机の上に降り、薄い水晶板へ変わる。


そこに、準備室の映像が浮かんだ。


リアルタイムではない。


少し遅れている。


だが、十分だ。


リュミエルが眉を寄せた。


「フィン先生ね」


「休めって言った人が、情報だけ送ってくるのか」


「あなたを動かさないためでしょう」


「なるほど」


それなら納得する。


映像の中。


魔導科準備室は、思っていたより整っていた。


棚には演習用の魔導具。

封印された魔石。

術式紙束。

承認印を保管する小箱。


その前に、ヴァイス・ローレンが立っていた。


顔が硬い。


隣にはフィン先生。

少し後ろにレオン。


そして入口側に、魔導科教官が一人。


その教官は明らかに動揺していた。


『この棚は、準備委員会の管理下にあります』


水晶板から、少し遅れた音声が流れる。


『演習前の三日間は、委員と上位生徒のみが使用可能でした』


フィン先生が聞く。


『ヴァイスの承認印はどこにあった』


魔導科教官が棚の一角を指す。


『こちらです。個人印は、小箱ごと封印管理されています』


ヴァイスが無言で小箱を見る。


怒っている。


かなり。


『封印は破られていない』


レオンが言った。


『なら、どうやって印を使った』


フィン先生が小箱に手をかざす。


『封印を破らずに、表面だけ抜いたんだろうな』


『表面だけ?』


ヴァイスの声が低い。


『承認印の形状、魔力輪郭、署名の癖。その外側だけをコピーした。アキトが言っていた通りだ』


ヴァイスは奥歯を噛む。


『私の印を、写し取ったということか』


『そうだ』


『誰が』


フィン先生は棚を見た。


『それを調べる』


水晶板の映像が少し揺れた。


フィン先生が棚の周囲に粉を撒く。


薄い銀色の粉。


魔力痕を浮かび上がらせるものらしい。


すると、小箱の周囲にいくつかの手形が浮かんだ。


ヴァイスのもの。

魔導科教官のもの。

準備委員と思われる複数の手形。


そして。


一つだけ、妙な痕跡があった。


手形ではない。


細い線。


まるで、紙の端が触れたような痕。


フィン先生の目が細くなる。


『紙か』


魔導科教官が言う。


『紙、ですか?』


『使い魔か、式紙か、あるいは記録票そのものか』


ヴァイスが顔を上げる。


『人間の手ではない?』


『今見えている痕跡ではな』


俺は水晶板を見ながら、タイムラインに触れた。


魔力はあまり使いたくない。


でも、見るだけなら。


「外部構造だけ」


リュミエルが即座に言う。


「深く見ないで」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


タイムラインを薄く起動する。


水晶板越しの映像。


直接ではないから精度は落ちる。


だが、痕跡の形は見える。


【紙片接触痕】

【表層コピー】

【承認印輪郭採取】

【神殿式記録票に類似】


神殿式記録票。


「神殿式の記録票っぽい」


俺は言った。


リュミエルが目を細める。


「演習準備室に神殿式記録票が?」


「神殿派遣監査補助」


ノルンが小さく呟いた。


俺は頷く。


タイムラインが示した関連権限。


合同演習準備委員会。

演習場術式管理担当。

神殿派遣監査補助。


三つ目。


そこが繋がった。


水晶板の向こうでも、フィン先生が同じ結論に近づいていた。


『神殿派遣監査補助の記録票を持ってこい』


魔導科教官の顔色が変わる。


『そ、それは神殿側の管理で――』


『生徒が死にかけた。持ってこい』


声が低い。


拒否権はなかった。


教官が慌てて奥の棚へ向かう。


ヴァイスは小箱を睨んでいる。


『私の印を使った者は、魔導科の内部を知っている』


レオンが言った。


『神殿側だけでは難しいか』


『難しい。小箱の場所も、封印の仕組みも、準備委員の運用も知っていなければならない』


ヴァイスは吐き捨てた。


『魔導科に協力者がいる、ということか』


その言葉に、天幕の中も静かになった。


魔導科に協力者。


また一つ、範囲が狭まった。


だが、狭まるほどに嫌な感じが増す。


敵は外から来た怪物ではない。


顔を知っている誰かかもしれない。


同じ食堂で飯を食べている誰か。

同じ廊下を歩いている誰か。

演習で隣に立った誰か。


その可能性。


気分が悪い。


映像の中、魔導科教官が一束の記録票を持って戻ってきた。


『こちらが神殿派遣監査補助の確認票です』


フィン先生がそれを受け取る。


ぱらぱらとめくる。


何枚かは普通の確認票だった。


演習場の結界確認。

安全規定確認。

神殿見学者の入場許可。


そして一枚。


フィン先生の手が止まる。


『これだ』


記録票の端に、赤黒い小さな記号。


校閲杭系統。


俺のタイムラインが水晶板越しにも反応した。


【神殿式記録票】

【外装:安全確認票】

【内部記述:観測誘導票】

【用途:対象能力発現の観測】


対象能力発現。


嫌な文字だ。


やはり、俺に力を使わせる目的があった。


水晶板の中で、ヴァイスが記録票を見た。


『これは誰が提出した』


魔導科教官が青ざめる。


『神殿派遣監査補助官、ルグラン・セイムです』


新しい名前。


ルグラン・セイム。


神殿派遣監査補助官。


リュミエルが小さく言った。


「聞いたことがあるわ」


「どんな人?」


「神殿と学園の連絡役。表向きは事務官。あまり前には出ない」


「地味な役職か」


「ええ。だから動きやすい」


なるほど。


目立たない者ほど、裏で記録に触れることができる。


俺は、タイムラインに名前を記録する。


【新規人物】

ルグラン・セイム


肩書:

神殿派遣監査補助官


関連:

神殿式記録票

演習場安全確認

観測誘導票

広域校閲杭


注意:

現時点で犯人確定ではありません。


はいはい。


分かっている。


即断は危険。


タイムラインにまで釘を刺されている。


水晶板の向こうで、フィン先生が言った。


『ルグラン・セイムは今どこにいる』


魔導科教官が答える。


『演習中断後、神殿関係者席から姿を消したと聞いています』


『消えた?』


ヴァイスの声が低くなる。


『この状況でか』


『は、はい』


フィン先生の顔が冷えた。


『逃げたな』


そこで映像が途切れた。


水晶板が淡く光を失う。


天幕の中に、沈黙が落ちた。


ミラがぽつりと言う。


「分かりやすく怪しくなったね」


「分かりやすすぎる」


俺は言った。


「だから、まだ決めない方がいい」


リュミエルが頷く。


「逃げたように見せられている可能性もある」


「でも、追う必要はある」


「それはそうね」


俺は寝台の上で拳を握る。


動きたい。


今すぐ行きたい。


魔導科準備室へ。

神殿関係者席へ。

ルグラン・セイムの記録へ。


だが。


リュミエルの視線が突き刺さる。


「動かないで」


「まだ何も言ってない」


「顔が言っているわ」


「顔、便利すぎるだろ」


「あなたの場合、分かりやすい」


ノルンも静かに言った。


「アキトくんは休んで。今動いたら、本当に倒れるよ」


「分かってる」


本当に分かっている。


それでも、焦る。


敵が逃げる。

証拠が消える。

また誰かが狙われる。


そんな考えが、勝手に走る。


その時。


天幕の外から、硬い足音が近づいてきた。


布が開く。


カサンドラ副院長だった。


いつもの柔らかな微笑み。


だが、目は笑っていない。


「アキトくん」


「副院長」


「休んでいるところ悪いわね」


「いえ」


悪いと思っている顔ではない。


たぶん重要な話だ。


副院長はリュミエル、ノルン、ミラを見てから、俺へ視線を戻した。


「ルグラン・セイム神殿監査補助官の身柄確保に向かった職員から報告が来たわ」


「見つかりましたか?」


「ええ」


一拍。


その一拍が、嫌だった。


副院長は静かに言った。


「彼は、神殿関係者用の控室で倒れていた」


「倒れていた?」


「意識不明。外傷なし。記憶表層に欠損あり」


俺は息を呑んだ。


記憶表層欠損。


北門の警備兵と同じ。


「校閲された……?」


「可能性が高いわ」


副院長は続けた。


「そして、彼の手元に一枚の紙が残されていた」


「紙?」


「異界語よ」


胸が冷えた。


異界語。


つまり、日本語かもしれない。


「内容は?」


副院長は俺を見た。


「あなたにしか読めない可能性が高い。だから持ってきたわ」


リュミエルが即座に言う。


「今のアキトに読ませるのは危険です」


「分かっているわ。だから、読むかどうかは本人ではなく、監督者判断も含める」


リュミエルは俺を見る。


俺も彼女を見る。


読みたい。


読まなければならない気がする。


だが、今は弱っている。


敵がそれを狙っている可能性もある。


俺は、ゆっくり言った。


「今すぐ全文は読みません」


リュミエルの表情が少しだけ緩む。


「表面だけ」


俺は続けた。


「文字数、言語、敵性反応の有無だけ確認します。内容は、必要なら後で」


副院長が微笑んだ。


「いい判断ね」


リュミエルも頷く。


「それなら許可します」


副院長は封印紙に包まれた一枚の紙片を出した。


俺は直接触れない。


タイムラインを薄く向ける。


「編集操作。表面確認のみ」


紙片の表面に、文字が見える。


日本語だった。


ただし、短い。


たった一行。


【次の主人公候補は、舞台に上がった】


背筋が凍った。


「……何て?」


ミラが聞く。


俺は、乾いた喉で答えた。


「次の主人公候補は、舞台に上がった」


天幕の空気が止まった。


ナツキ。

第三幕。

名無しの観測者。

主人公候補。

舞台袖。


そして今。


合同演習という舞台で、俺は力を使った。


外れ職ではないと示した。


拍手を浴びた。


敵はそれを見ていた。


いや。


それを、待っていた。


タイムラインが赤く光る。


【警告】


用語【主人公候補】に再反応。


関連:

合同演習

注釈挿入

舞台化

転生者狩り

第三幕計画書


危険度:

極高


俺は紙片から視線を外した。


心臓がうるさい。


自分が選ばれたなどと思うな。


主人公とは、選ばれた者ではない。

最後まで降りなかった者である。


名無しの観測者の言葉を思い出す。


俺は、選ばれたいわけじゃない。


だが、敵は俺を主人公候補として舞台に上げた。


何のために。


何をさせるために。


カサンドラ副院長が静かに言った。


「アキトくん。今日の勝利は、あなたたちのものよ」


俺は顔を上げる。


「でも、その勝利を利用しようとしている者がいる」


「……はい」


「だから、奪われないようにしましょう」


その言葉は、静かだった。


だが、強かった。


リュミエルも言う。


「舞台に上げられたなら、降りるかどうかはあなたが決める」


ミラが続ける。


「逃げ道は残すよ」


ノルンが小さく言った。


「無理に主人公にならなくていいと思う」


俺は、少し笑った。


「うん」


本当に、その通りだ。


俺は主人公になりたいんじゃない。


ただ、降りたくない場所があるだけだ。


見捨てたくない人がいるだけだ。


剥がしたい理不尽があるだけだ。


俺はタイムラインを閉じた。


「まずは休みます」


リュミエルが小さく頷く。


「よろしい」


「そのあとで、ルグランの記録と紙片を調べます」


「休んだあとよ」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


今度は、ちゃんと本当だった。


拍手の裏側にあったもの。


それは、新しい罠だった。


でも同時に、手がかりでもある。


主人公候補。


舞台に上がった。


なら、次は舞台袖を見る番だ。


ただし。


敵の筋書き通りには読まない。


俺たちの目で。


俺たちの順番で。


その裏側を編集する。

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