第6話 禁忌の記述改変
「外れ職【編集者】を発見次第、拘束せよ」
神殿査察官の声が、水晶越しに響いた。
その瞬間、隠し研究室の空気が凍った。
俺――アキト・アオキは、息を殺したまま水晶の映像を見つめていた。
白い法衣。
金色の刺繍。
顔を覆う薄い仮面。
その査察官は、ただ立っているだけなのに、レオンたちとはまるで圧が違った。
強いとか、怖いとか、そういう単純なものじゃない。
まるで、世界のルールそのものを背負って歩いているみたいだった。
「……あれが神殿査察官」
リュミエル・アークレインが、小さく呟いた。
いつもの冷静な声だった。
けれど、ほんのわずかに硬い。
「強いのか?」
「戦闘能力だけなら、レオン・グランベルより下かもしれない」
「なら――」
「でも、神殿式の鑑定と拘束術式を持っている。あなたにとっては、レオンよりずっと危険」
俺は喉を鳴らした。
レオンより危険。
それは、今の俺には絶望的な響きだった。
水晶の中で、レオンが神殿査察官に向かって眉をひそめている。
「外れ職【編集者】とは、アキトのことか?」
「その名を知っているのか」
査察官が問う。
レオンは一瞬だけ迷ったように見えた。
だが、すぐに胸を張る。
「元パーティメンバーだ。だが、すでに離脱させた。戦闘能力が低く、攻略の足を引っ張っていたからな」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がまたざらついた。
離脱させた。
置き去りにした、ではなく。
追放した、でもなく。
まるで、正当な処分だったみたいに。
セリアは視線を落としている。
ノルンは何か言いたげに唇を噛んでいた。
でも、何も言わない。
結局、同じだ。
言わないことも、時には刃物になる。
査察官は、レオンの言葉にうなずいた。
「賢明な判断だ」
「賢明?」
「あの職業は、古い記録において危険指定されている」
レオンの表情が変わった。
「危険指定? アキトが?」
セリアも驚いたように顔を上げる。
「ただの外れ職じゃないの?」
査察官は仮面の奥から、静かに言った。
「外れ職ではない。禁忌職に近い」
禁忌職。
その言葉が、研究室の中にも重く落ちた。
俺は自分の手を見た。
毒を切った手。
粘着を切った手。
監視の線を切った手。
外れじゃない。
でも、祝福でもない。
禁忌。
言われてみれば、しっくりきてしまうのが嫌だった。
「リュミエル」
「何?」
「禁忌職って何だ」
「神殿が存在を公表していない職業。歴史上、世界の秩序を乱したとされるものよ」
「例えば?」
「魔王、死霊王、魂縫い、記憶喰らい」
「ラインナップが物騒すぎる」
「その並びに、あなたが入りかけている」
「笑えないな」
「ええ。笑えないわ」
水晶の映像の中で、査察官が手を上げた。
その指先から、白い光がふわりと広がる。
光は糸のように細く分かれ、通路の壁や床をなぞっていく。
まるで、何かの痕跡を探しているようだった。
リュミエルの表情がさらに険しくなる。
「追跡術式」
「見つかるのか?」
「この部屋の隠蔽結界は強い。でも、あなたが外に残した痕跡までは消せない」
「痕跡?」
「血、足跡、魔力反応、切断された記述の残響」
俺は頬に触れた。
さっきレオンの斬撃を避けた時、石片で切れた傷。
少量だが、確かに血が出ていた。
その血が、外に落ちている。
「俺の血か」
「おそらく」
「まずい?」
「かなり」
リュミエルは即答した。
「血は本人の情報を多く含む。神殿の術式なら、そこからあなたの存在を追える」
「消せないのか?」
「私が外に出れば消せる。でも、その瞬間に私の結界の出入り口が露見する」
「じゃあ、詰み?」
「まだ」
リュミエルは俺を見た。
「あなたが切れるなら、話は変わる」
「血を?」
「血そのものじゃない。血に残った、あなたの魔力反応や存在情報」
また無茶を言う。
けれど、理屈は分かる。
映像素材そのものを消さなくても、音声トラックだけ消すことはできる。
背景を残したまま、人物だけマスクで抜くこともできる。
血という物体を消さずに、俺へ繋がる情報だけを切る。
できるかもしれない。
でも、今の俺には成功率も分からない。
「失敗したら?」
「あなたの情報が神殿に送られる」
「他には?」
「最悪、血に繋がるあなた自身の魔力循環に傷が入る」
「軽く言うな」
「重く言っても結果は同じよ」
リュミエルはいつもの調子で言った。
でも、目は真剣だった。
俺を追い詰めて楽しんでいるわけじゃない。
彼女も選択肢を探している。
なら、俺も逃げられない。
「やる」
「無理はしないで」
「無理しないと無理そうなんだけど」
「それはそう」
「肯定するなよ」
小さく息を吐き、俺は水晶の映像に集中した。
通路の床。
そこに、赤黒い小さな点がある。
俺の血だ。
水晶越しでも、編集対象として認識できるか?
直接触れていない。
距離もある。
見えているのは映像だ。
普通に考えれば無理だ。
だが、リュミエルの水晶はただの映像装置じゃない。
外の情報を魔力で拾っている。
つまり、細い接続がある。
そこを通せば――。
「編集操作」
視界が青く染まる。
研究室の壁。
水晶。
リュミエルの結界。
外の通路。
床に落ちた血。
すべてが薄い線で分解されていく。
そして見えた。
血痕から、俺の胸元へ向かって伸びる、細く赤い線。
その線を、白い術式の糸が追いかけている。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:血痕に残留した存在情報
構成要素:
【本人識別】
【微弱魔力】
【肉体履歴】
【負傷記録】
実行可能操作:
【カット】
警告:
本人識別情報への干渉は、術者本体に負荷を与えます。
成功率:
四十一パーセント
四十一。
低い。
でも、さっきの二十三よりはマシだ。
「見えた」
「切れる?」
「成功率四十一パーセント」
「半分近いわ」
「その前向きさ、嫌いじゃないけど怖いな」
俺は赤い線に意識を集中した。
全部切るな。
血そのものを消す必要はない。
負傷記録も残していい。
切るのは、本人識別。
俺に繋がる線だけ。
編集と同じだ。
素材を壊すな。
必要な情報だけを削れ。
白い術式の糸が、血痕に触れようとしている。
時間がない。
「本人識別だけ……カット!」
ぶちん、と音がした。
次の瞬間、胸の奥を鋭い針で刺されたような痛みが走った。
「ぐっ……!」
息が詰まる。
心臓を握られたみたいだった。
視界が一瞬、真っ暗になる。
リュミエルが俺の肩を支えた。
「アキト!」
「だ、大丈夫……たぶん」
「その“たぶん”は信用できないって言ったでしょう」
「今は……言い返す余裕がない」
水晶を見る。
外の通路で、査察官の白い術式が血痕に触れた。
だが、術式はそこで迷うように揺らいだ。
血はある。
けれど、そこから俺へ繋がる情報がない。
査察官が仮面の奥で、わずかに首を傾げた。
「……痕跡が断たれている」
レオンが問う。
「どういうことだ?」
「血はある。だが、本人に繋がる記述が切断されている」
査察官の声が、わずかに低くなった。
「間違いない。禁忌の記述改変だ」
俺は舌打ちしそうになった。
隠せた。
でも、逆に能力の存在を証明してしまった。
都合よくはいかない。
本当に、この力は便利なだけじゃない。
リュミエルが素早く棚から小さな人形を取り出した。
布と木片で作られた簡素な人形だ。
「次は偽装する」
「偽装?」
「痕跡を消しただけでは、ここにいると疑われる。別方向に逃げたように見せる」
「どうやって?」
「その血痕から切った情報、保存できている?」
俺は視界の表示を確認した。
【システム表示】
【編集操作 Lv.1】が発動しました。
対象:【本人識別】をカットしました。
保存スロット:1/1
保存中:【本人識別・劣化】
「保存されてる。劣化って出てるけど」
「十分。人形に貼って」
「これ、倫理的に大丈夫か?」
「あなた自身の情報でしょう」
「そうだけど、俺の本人識別を人形に貼るって、なかなか気持ち悪いぞ」
「気持ち悪いだけで済むなら幸運よ」
「強い」
俺は人形を受け取った。
手の中に、赤く薄い光が浮かんでいる。
俺の本人識別。
自分の名前の断片を持っているような、奇妙な感覚だった。
これを貼る。
ただし、完全に貼れば人形が俺として認識されるかもしれない。
それは危ない。
劣化しているなら、逆に利用できる。
遠くに、ぼんやり俺がいるように見せる。
「ペースト」
赤い光が、人形へ染み込んだ。
【システム表示】
対象:簡易魔導人形
付与効果:
【本人識別・劣化】
持続時間:
五分
警告:
本人識別情報の誤用は、追跡・呪詛・誤認干渉の危険があります。
「五分」
「十分よ」
リュミエルは人形に風の魔法をまとわせた。
人形がふわりと浮く。
「西側の崩落通路へ飛ばす。あそこは途中で魔力が乱れるから、追跡をごまかせる」
「それで査察官が騙されるのか?」
「完全には騙せない。でも、迷わせることはできる」
「迷わせる、か」
それなら分かる。
編集でも、全部を隠す必要はない。
視聴者の目線を別の場所に誘導できれば、見せたくないものを一瞬だけ隠せる。
リュミエルが魔法陣を開く。
小さな人形は、壁の隙間から外へ抜けていった。
水晶の映像の中で、査察官が反応する。
「……西側に反応」
レオンがそちらを見る。
「アキトがいるのか?」
「断定はできない。だが、痕跡はある」
査察官は白い法衣を翻した。
「追う」
レオンたちがその後に続こうとする。
その時、ノルンだけが立ち止まった。
彼女は、床に残った血痕を見つめていた。
「……アキトくん」
小さな声だった。
たぶん、誰にも聞こえていない。
でも、水晶越しの俺には聞こえた。
胸が少しだけ痛む。
ノルンは助けようとしてくれたのかもしれない。
少なくとも、完全に俺を道具とは思っていなかったのかもしれない。
でも、あの時、彼女は何も言わなかった。
俺は、その事実を忘れない。
許すかどうかは、まだ分からない。
ただ、忘れない。
「アキト」
リュミエルが声をかける。
「動ける?」
「なんとか」
「なら、私たちも移動する。ここも安全じゃない」
「研究室を捨てるのか?」
「この場所はもう疑われた。戻れるとしても、しばらく先ね」
リュミエルは迷いなく荷物をまとめ始めた。
魔導書を数冊。
小瓶を三つ。
水晶板。
折りたたみ式の短杖。
その動きは慣れていた。
「こういうこと、前にもあったのか?」
「何度か」
「さらっと言うな」
「神殿に疑われながら研究するなら、逃げ道は必須よ」
「優等生っぽい見た目して、やってることはだいぶアウトローだな」
「褒め言葉として受け取るわ」
「褒めてる、たぶん」
「その“たぶん”は便利ね」
リュミエルが、部屋の奥の床に手をかざす。
そこに、古い梯子へ続く隠し扉が現れた。
「旧排水路に出る。学園地下の外れまで繋がっているわ」
「学園?」
「王立アルカディア魔導学園。私の所属先」
「俺みたいな追放された外れ職が入っていい場所なのか?」
「普通は駄目」
「だよな」
「でも、特異職科なら可能性がある」
「特異職科?」
「外れ職、未知職、危険職、研究対象。そういう生徒をまとめて押し込む場所よ」
「言い方」
「事実よ」
彼女の口から出る「事実よ」は、だいたい刺さる。
でも、今の俺には妙に頼もしかった。
レオンたちのパーティには、もう戻れない。
戻る気もない。
なら、新しい場所が必要だ。
俺が俺の力を理解するための場所。
弱いまま終わらないための場所。
学園。
そこに行けば、何かが変わるかもしれない。
いや、変えるんだ。
俺自身の手で。
リュミエルが梯子を降りる前に、ふと立ち止まった。
「アキト」
「何?」
「さっきの本人識別の編集、無茶だった」
「だろうな」
「次に同じことをすれば、あなた自身の存在認識が傷つく可能性がある」
「存在認識?」
「最悪、自分の名前を忘れる。周囲から認識されなくなる。あるいは、ステータスが壊れる」
背中が冷えた。
毒を切るのとは違う。
音を切るのとも違う。
自分に繋がる情報を切るということは、自分自身を削ることでもある。
「分かった。簡単には使わない」
「約束して」
リュミエルが真剣に言った。
その目を見て、俺は頷く。
「約束する」
「ならいいわ」
彼女は梯子を降りていく。
俺も続こうとした。
その直前、水晶が最後に赤く点滅した。
外の映像。
西側の崩落通路。
査察官が、俺の本人識別を貼った人形を拾い上げていた。
仮面の奥の瞳が、細く光る。
「偽装か」
心臓が跳ねた。
バレた。
査察官は人形を握り潰す。
だが、怒った様子はない。
むしろ、確信したように静かだった。
「対象は高度な記述編集を行う。危険度を引き上げる」
白い法衣の男は、虚空に向かって告げた。
「中央神殿へ通達」
背筋が凍る。
「禁忌職【編集者】の生存を確認」
リュミエルが息を呑んだ。
査察官は続ける。
「対象名、アキト・アオキ」
俺の名前が、仮面の奥から吐き出される。
「発見次第、殺さず捕獲せよ」
殺さず。
捕獲。
その言葉の方が、殺されるより不気味だった。
水晶の映像が途切れる。
研究室に沈黙が落ちた。
俺は、乾いた喉で呟いた。
「……完全に、目をつけられたな」
リュミエルは静かに頷いた。
「ええ」
そして、梯子の下へ続く暗闇を見た。
「だから急ぐわ。アキト」
「どこへ?」
「学園よ」
彼女の声は、冷静だった。
けれど、その奥には確かな決意があった。
「あなたを、神殿より先に特異職科へ登録する」
「登録するとどうなる?」
「少なくとも表向きは、学園の管理下に入る。神殿も簡単には手を出せない」
「表向きは、か」
「ええ。だから急ぐ」
俺は梯子に足をかけた。
追放されて、死にかけて、禁忌職扱いされて、神殿に狙われた。
たった一日で人生が壊れすぎている。
でも、不思議と足は止まらなかった。
俺はもう、レオンたちの後ろを歩く荷物持ちじゃない。
自分の物語を、自分で繋ぎ直す。
そのために、まずは生き残る。
「行こう、リュミエル」
「ええ」
俺たちは、隠し研究室を捨てた。
背後で、石の扉が静かに閉じる。
その音はまるで、俺がこれまでの自分を切り捨てる音みたいだった。




