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第45話 脚本家が残した一行

「その“たすけて”を、どう扱うかだ」


フィン先生が黒板を叩いた。


特異職科の教室には、重い空気が残っていた。


ナツキ・シノハラ。


日本出身。

十七歳。

未承認職【脚本家】。

異能【筋書き干渉】。

転生者狩り部隊へ引き渡し。

関連術式――【記述釘】【校閲杭】【筋書き矯正】【人格整文】。


そして、上位記録保管庫の裏側に一瞬だけ浮かんだ日本語。


【たすけて】


俺――アキト・アオキは、その四文字を何度も思い出していた。


たった四文字。


でも、重い。


どんな長い報告書よりも、どんな封印記録よりも、その四文字が胸に刺さっている。


「本物なら、ナツキ・シノハラは助けを求めていた」


リュミエル・アークレインが静かに言った。


「罠なら、アキトを奥へ誘導するための餌ね」


ミラ・クロウが窓枠で尻尾を揺らす。


「どっちでも嫌だね。助けてが本物でも嫌だし、偽物でも趣味悪すぎ」


「転生者狩りのやり口なら、両方あり得る」


フィン先生が言う。


「本物の叫びを罠として利用する。そういう手もある」


ノルン・エルシアが小さく息を呑んだ。


「そんなの……ひどいです」


「ひどい相手だと思っておけ。油断しなくて済む」


先生の言葉は冷たい。


でも、必要な冷たさだった。


俺はタイムラインに手を置く。


「ただ、あの日本語はたぶん普通の記録じゃありません」


「理由は?」


リュミエルが問う。


「この世界の文字じゃなかった。保管庫の翻訳術式にも変換されてなかった。俺には読めたけど、オスカー記録官は読めてなかった」


「つまり、異界語のまま残されていた」


「たぶん」


俺は頷く。


「それに、表示された場所が変でした。本文じゃなくて、記録の裏側みたいな場所に一瞬だけ出た」


セリア・フレイムロードが腕を組む。


「脚本家なら、余白にメモを残したってこと?」


「近いかもしれない」


俺は答えた。


「脚本って、台詞だけじゃなくて、ト書きとか、注釈とか、演出指示があるんだ。表に見える台詞とは別に、裏で意味を支える文章がある」


リュミエルが少し考える。


「ナツキ・シノハラは、自分の記録が校閲される前提で、表の記録ではなく裏側に異界語を残した可能性がある」


「そう」


俺の胸が少しだけ熱くなる。


「神殿や転生者狩りが読めない場所に、日本語で」


ミラがぽつりと言った。


「アキトみたいな誰かに届くように?」


その言葉で、教室が静かになった。


俺みたいな誰か。


もしかすると、ナツキは分かっていたのかもしれない。


自分の後に、また誰かが来ることを。


日本から。

台本の外から。

神に異物と呼ばれる誰かが。


その誰かへ向けて、彼女は一行だけ残した。


たすけて。


「見つけた以上、放っておけない」


俺は言った。


「でも、今すぐ最終処理術式に触るのは危険です」


リュミエルが頷く。


「分かっているならいいわ」


「だから、表に出ている情報だけで、裏の構造を推測したい」


「どうやって?」


俺はタイムラインを開いた。


「ナツキ・シノハラの要約ログ、転生者狩りの脅迫文、記述釘の使用履歴、レオンの補強式、北門の校閲痕。これを並べて見る」


フィン先生の口元がわずかに上がる。


「マルチトラック解析か」


「はい」


「やれ。ただし、最終処理術式には触るな」


「触りません」


「本当に?」


リュミエルが即座に聞く。


「本当に」


最近、この確認に即答できるようになってきた。


成長なのか、監視慣れなのかは分からない。


俺はタイムラインに記録を並べる。


【ナツキ・シノハラ記録・閲覧可能範囲】

【転生者狩り脅迫記録片】

【記述釘・使用履歴断片】

【校閲杭・構造断片】

【レオン補強式・編集前検証】

【証言誘導印・解除ログ】


黒い石板の中で、複数の記録が線として並ぶ。


一つの真実にまとめない。


それぞれの線を、そのまま見る。


マルチトラック解析。


視界が青く染まった。


まず、転生者狩りの術式。


【記述釘】

対象の役割を固定する。


【校閲杭】

周辺記録を“正しい形”へ寄せる。


【筋書き矯正】

対象の行動経路を、指定された流れへ戻す。


【人格整文】

対象の人格表現を、許可された役割に合わせて整える。


俺は息を止めかけた。


人格表現を、許可された役割に合わせて整える。


「……人格整文の一部が見えました」


声が少しかすれる。


「何と出ている?」


フィン先生が聞く。


「人格を消す、というより……役割に合わない言動や記憶反応を削って、指定された人格に整える術式みたいです」


ノルンが青ざめる。


「それって、人を別人にするってことですか?」


「完全に別人にするかは分からない。でも、少なくとも“その役らしくない部分”を消す」


セリアが低く言った。


「最悪ね」


「最悪だ」


俺は即答した。


例えば、勇者候補なら、恐怖や迷いや退く判断を削る。

治癒師なら、神殿に逆らう声を削る。

器なら、自由を望む意志を削る。

転生者なら、前の世界の記憶や価値観を削る。


それが人格整文。


文章を読みやすく整えるみたいに、人間を役割へ合わせる。


吐き気がした。


レオン・グランベルは拳を握っていた。


「俺の勝利強迫も、それに近いのか」


「可能性はある」


俺は言った。


「お前の補強式は、人格整文そのものではないと思う。でも、“勇者らしくない反応”を抑える機能がある」


「恐怖、後退、疑問」


「たぶん」


レオンは黙った。


その沈黙は重かった。


自分の中の弱さだと思っていたもの。

あるいは強さだと思っていたもの。

それが、術式で整えられていたかもしれない。


それは残酷だ。


リュミエルが静かに言う。


「私の呪印にも、似た要素があるかもしれないわね」


「リュミエル」


「大丈夫。今は触らない」


彼女は右手首の包帯に触れた。


「でも、可能性としては考えるべきよ。“器らしくない意思”を削る術式があるなら、神約の呪印にも応用されているかもしれない」


俺は胸の奥が冷えるのを感じた。


器らしくない意思。


つまり、自分で選ぶ自由。


昨日、リュミエルが神に向かって言った言葉。


それを削るための術式が存在するかもしれない。


俺は奥歯を噛みしめる。


タイムラインがすぐに警告を出した。


【論点固定 Lv.1】


怒りによる解析範囲拡大の兆候を検出。


推奨:

解析対象を人格整文の表層定義に限定。


俺は息を吐いた。


「分かってる」


小さく呟く。


リュミエルがこちらを見た。


「今、危なかった?」


「少し」


「戻れた?」


「戻れた」


「ならいいわ」


この会話があるだけで、暴走の手前で止まれる。


本当に、アンカーは効いている。


俺は次に、ナツキの記録を見る。


【脚本家】

【筋書き干渉】

【神殿式尋問台本の矛盾を指摘】

【尋問官三名の発話順序を事前予測】

【称号文を一時的に変質させた疑い】


脚本家。


筋書き干渉。


もしナツキが自分の記録に干渉できたなら、あの【たすけて】は、ただの落書きではない可能性がある。


彼女の異能で、記録の裏側に残された“台詞”かもしれない。


「……台詞」


俺は呟いた。


ミラが首を傾げる。


「台詞?」


「脚本家が残すなら、ただのメモじゃない。台詞として残した可能性がある」


「どういうこと?」


「誰かが読むことを想定した言葉」


俺はタイムラインの中で、【たすけて】の表示位置を思い出す。


上位記録保管庫。

ナツキの記録札。

閲覧可能範囲が終わる直前。

記録が乱れた一瞬。


本来、封印されているはずの奥ではなく、閲覧可能範囲の境界に出た。


境界。


舞台の幕と幕の間。


「もしかして……」


俺は、タイムラインに新しい解析を指示した。


「ナツキの記録表示タイミングを、脚本構造として見る」


【システム表示】


解析対象:

【たすけて】表示タイミング


視点変換:

編集記録 → 脚本構造


警告:

推測解析です。

事実確定ではありません。


実行しますか?


「実行」


青い視界の中で、上位記録保管庫の閲覧場面が再現される。


発見。

時系列。

処分理由。

関連術式。

最終処理術式は封印中。

閲覧終了。


そして、その直前に日本語。


【たすけて】


タイムラインが補助表示を出す。


【脚本構造推定】


表示位置:

第一幕終了直前の引き。


機能:

読者/観測者に次幕への関心を持たせる。

感情誘導が強い。

罠の可能性あり。


追加観測:

文字列の背後に、微弱な異界語パターンを検出。


「異界語パターン……」


俺は息を呑む。


「ただの“たすけて”じゃない。後ろに何かある」


リュミエルの表情が変わる。


「触るの?」


「表層だけ」


「深くは?」


「触らない」


「本当に?」


「本当に」


俺は異界語パターンの表面だけを見る。


日本語。


この世界の術式ではない。

神殿式でもない。

だが、俺の記憶と反応する。


ひらがな。

漢字。

句読点。

改行。


そこに、細い文字の跡があった。


すぐには読めない。


文字が欠けている。


でも、俺の脳が補完する。


「……文章がある」


教室が静まる。


俺は、ゆっくり読み上げた。


「“これを読める人へ”」


胸が強く鳴った。


ナツキの声が、紙の向こうから届いた気がした。


俺は続ける。


「“私は、まだ終わっていない”」


ノルンが口元を押さえた。


セリアが目を見開く。


レオンが息を呑む。


リュミエルの星の防護が強くなる。


俺の声は震えていた。


でも、止まれなかった。


「“最終処理を見ないで。先に、第三幕を探して”」


「第三幕……?」


フィン先生が低く呟いた。


俺はさらに読む。


文字は欠けている。


でも、一部は見える。


「“旧地下聖堂には、私の結末はない”」


背筋が冷えた。


旧地下聖堂には、ナツキの結末はない。


つまり、転生者狩りが指定した場所は、やはり罠かもしれない。


「続きは?」


リュミエルが聞く。


俺は目を凝らす。


だが、文字が崩れている。


読めるのは断片だけ。


「“脚本は……”」


ノイズ。


「“三度……”」


ノイズ。


「“主人公を……”」


ノイズ。


「“殺させない……”」


そこで、文字が消えた。


俺は大きく息を吐いた。


頭が痛い。


指先が冷たい。


リュミエルがすぐに俺の肩を支えた。


「ここまで」


「まだ――」


「ここまで」


その声は強かった。


俺は逆らえなかった。


「……分かった」


タイムラインに表示が出る。


【異界語残響・表層読取】


取得文:

「これを読める人へ」

「私は、まだ終わっていない」

「最終処理を見ないで。先に、第三幕を探して」

「旧地下聖堂には、私の結末はない」

断片:

「脚本は……」

「三度……」

「主人公を……」

「殺させない……」


保存しますか?


「保存」


【保存完了】


教室の空気が、完全に変わっていた。


最初の【たすけて】だけなら、罠か本物か分からなかった。


でも、今の文章は違う。


これは、明らかに次の手がかりだ。


しかも、旧地下聖堂には結末がないと言っている。


転生者狩りは、俺を旧地下聖堂に呼び出した。


ナツキの残響は、そこに結末はないと言った。


どちらを信じるか。


簡単ではない。


だが、少なくとも相手の指定通りに動くべきではないことは、よりはっきりした。


フィン先生が黒板に新しく書いた。


【ナツキ残響】

・これを読める人へ

・私は、まだ終わっていない

・最終処理を見ないで

・先に、第三幕を探して

・旧地下聖堂には、私の結末はない


先生はチョークを置く。


「第三幕」


その言葉が、黒板に残る。


「脚本家らしい表現ですね」


俺が言うと、先生は頷いた。


「第一幕、第二幕、第三幕。なら、ナツキ・シノハラの記録は幕構造で分かれている可能性がある」


リュミエルが整理する。


「第一幕が発見から学園移送。第二幕が転生者狩りへの引き渡しと校閲。第三幕が、その後」


「最終処理を見るな、というのは?」


セリアが聞く。


フィン先生は少し考える。


「最終処理術式そのものが罠なのかもしれん。見た者に人格整文をかける、あるいは旧地下聖堂へ誘導する」


「つまり、ナツキはそれを避けろと言っている」


レオンが言った。


「そして第三幕を探せ、と」


ミラが窓枠で腕を組む。


「でも、第三幕ってどこにあるの?」


そこだ。


俺たちは、全員で黒板を見た。


第三幕。


それは場所なのか。

記録名なのか。

術式の段階なのか。

誰かの記憶なのか。


まだ分からない。


だが、手がかりはある。


「旧地下聖堂には結末がない」


俺は言った。


「なら、旧地下聖堂は第二幕までの場所かもしれない」


リュミエルが頷く。


「第三幕は別の場所に移されている可能性があるわ」


ノルンが小さく手を上げた。


「あの……神殿の古い儀式記録では、地下聖堂のあとに“巡礼地”へ送る儀式があったと聞いたことがあります」


全員がノルンを見る。


ノルンは驚いて少し縮こまる。


「ご、ごめんなさい。神聖科の授業で少しだけ……」


「続けて」


俺が言うと、ノルンは頷いた。


「罪を清める儀式で、地下で告解して、その後に四国……じゃなくて、この世界では“四聖巡礼地”へ送る、みたいな話がありました」


四国に相当する結界巡礼地。


世界観設定で言えば、四国ベースの地域。


結界と巡礼の島々。


俺の背筋がぞくりとした。


「四聖巡礼地……」


フィン先生が目を細める。


「あり得るな。旧地下聖堂で校閲し、その後、巡礼地へ移送して最終処理。あるいは、その逆か」


リュミエルが黒板に書き加える。


【第三幕候補】

・四聖巡礼地

・旧地下聖堂後の移送先

・最終処理後記録

・ナツキ自身が隠した脚本断片


ミラが言う。


「いきなり遠くない?」


「遠い」


フィン先生が答えた。


「だが、今すぐ行くわけじゃない。まずは記録を探す」


セリアが腕を組む。


「第三幕って名前の記録があるか調べるのね」


「そうだ」


俺はタイムラインを見た。


新しい謎が増える。


だが、今回は違う。


ただ不穏なだけではない。


ナツキは、まだ終わっていないと言った。


本物か罠かは分からない。


でも、あの言葉には意志があった。


脚本家として、自分の物語を終わらせまいとする意志が。


俺は黒板の【たすけて】の下に、新しい一文を書いた。


【ナツキ・シノハラの第三幕を探す】


書いた瞬間、タイムラインが淡く光る。


【新規目標】


ナツキ・シノハラの第三幕を探す。


関連:

台本外来訪者第一号

未承認職【脚本家】

筋書き干渉

人格整文

四聖巡礼地

旧地下聖堂


重要度:

最大


俺はチョークを置いた。


「旧地下聖堂に行く前に、第三幕を探します」


フィン先生が頷く。


「方針変更だな」


「はい」


リュミエルが言う。


「転生者狩りの台本は、“七日以内に旧地下聖堂へ出頭”。ナツキの残響は、“先に第三幕を探して”。なら、私たちは第三の道を選ぶ」


「第三幕だけに?」


ミラが言った。


一瞬、教室が静まる。


セリアがため息をついた。


「今、それ言う?」


ミラは笑った。


「重すぎるから、少し軽くした」


俺は思わず笑ってしまった。


少しだけ。


本当に少しだけ。


でも、その笑いで胸の重さが少しだけ動いた。


ナツキ・シノハラの物語は、まだ終わっていない。


なら、俺たちが勝手に終わらせるわけにはいかない。


脚本家が残した一行を、編集者が拾った。


それが偶然なのか、神の台本なのか、ナツキ自身の筋書きなのかは分からない。


でも、今だけは思う。


この一行だけは、神に書かれたものじゃないと信じたい。


俺はタイムラインを閉じた。


七日間の台本は、また書き換わった。


旧地下聖堂へ向かう前に。


俺たちは、消された脚本家の第三幕を探す。

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