第44話 ナツキ・シノハラ
【最優先:ナツキ・シノハラ記録の閲覧】
フィン先生が黒板に書いたその一文を、俺――アキト・アオキはしばらく見つめていた。
ナツキ・シノハラ。
台本外来訪者第一号。
転生者狩り部隊へ引き渡された人物。
そして、脅迫記録にはこう書かれていた。
――ナツキ・シノハラは、校閲済みである。
校閲済み。
その言葉が、どうしようもなく気持ち悪かった。
死んだ、ではない。
処刑された、でもない。
保護された、でもない。
校閲済み。
まるで、間違った文章を直したみたいに。
人間を。
記憶を。
人生を。
「アキト」
リュミエル・アークレインの声で、俺は黒板から視線を外した。
「顔が暗いわ」
「明るくなる要素がない」
「それはそうね」
即答だった。
こういう時、リュミエルは無理に慰めない。
それが今はありがたかった。
ミラ・クロウが窓枠で足をぶらぶらさせる。
「ナツキ・シノハラって、やっぱりアキトと同じ世界の人?」
「名前だけなら、かなり可能性は高い」
俺は答えた。
「俺の世界には、シノハラって名字も、ナツキって名前も普通にある」
「男? 女?」
「どっちもあり得る」
「ふうん」
ミラは少し考えるように尻尾を揺らした。
「じゃあ、その人も急にこっちに来て、知らない場所で、神殿に捕まったってこと?」
「可能性はある」
言葉にすると、胸が痛んだ。
俺はリュミエルに拾われた。
特異職科に来た。
仲間と呼ぶにはまだ不器用でも、一緒に戦ってくれる人たちがいる。
でも、ナツキ・シノハラにはいたのだろうか。
誰か止めてくれる人が。
誰か名前を呼んでくれる人が。
誰か「あなたは異物じゃない」と言ってくれる人が。
フィン先生が黒板を叩いた。
「感傷は分かるが、今は手順だ」
「はい」
「ナツキ・シノハラの記録は、上位記録保管庫にある可能性が高い。だが、契約で閲覧申請権を得たとはいえ、すぐに全文閲覧できるとは限らん」
「申請から七日以内に評議会審議でしたよね」
「通常ならな」
先生の言い方に、俺は眉をひそめた。
「通常なら?」
その時、教室の扉がノックされた。
こん、こん。
入ってきたのは、カサンドラ副院長の使い魔である紙の式鳥だった。
式鳥は教卓の上に降りると、白い魔導紙へ変わる。
フィン先生がそれを開き、目を通した。
少しだけ眉が動く。
「カサンドラからだ」
「何て?」
リュミエルが聞く。
フィン先生は読み上げた。
「転生者狩りの侵入痕跡確認により、対象者アキト・アオキの安全確保上、台本外来訪者関連記録の一部緊急閲覧を許可する」
教室が静かになった。
俺の心臓が、一つ強く鳴った。
「一部緊急閲覧……」
「ただし、条件付きだ」
やっぱり。
フィン先生は続ける。
「閲覧可能範囲は、表題、時系列概要、処分理由、関連術式名まで。本文、記憶記録、人格記録、校閲後記録は封印継続」
「肝心なところは見られないんですね」
「最初としては上出来だ」
リュミエルが言う。
「表題と時系列だけでも、ナツキ・シノハラが何をされ、どこへ連れていかれたかは分かるかもしれないわ」
レオン・グランベルが低く言った。
「関連術式名も重要だ。俺の補強式と繋がる可能性がある」
レオンは、黒板の自分の現在記述を見ていた。
【レオン・グランベル】
俺は神の剣ではない。
俺は、自分の剣と罪を問い直すレオン・グランベルだ。
さっき、記述釘が彼を“神の剣”へ戻そうとした。
その直後だからだろう。
彼の表情は硬い。
だが、逃げる顔ではなかった。
「同行者は?」
俺が聞くと、フィン先生が紙を見ながら答えた。
「俺、アキト、リュミエル、オスカー記録官。以上」
「レオンは?」
「今回は不可だ。上位記録保管庫は人数制限が厳しい。勇者候補補強式との照合は、後で記録要約を使って行う」
レオンは一瞬、何か言いたげにした。
だが、すぐに頷いた。
「分かった」
以前なら食い下がっていたかもしれない。
今は違う。
自分が行くべき場面と、待つべき場面を見極めようとしている。
それもまた、彼の変化だった。
ノルン・エルシアが不安そうに言った。
「気をつけてね。上位記録って、精神に影響するものもあるんでしょう?」
リュミエルが頷く。
「ええ。だから私が精神保護を張るわ」
ミラがぴっと手を上げる。
「私も行けないの?」
「今回は駄目だ」
フィン先生が即答する。
「えー。逃げ道担当なのに」
「保管庫内で勝手に逃げ道を探すな」
「探すだけなら」
「駄目だ」
「ちぇー」
ミラは不満そうだったが、すぐに俺へ鳴らない鈴を投げてよこした。
「持ってって。変な感じしたら戻ること」
「分かった」
トーヤ・ラインハルトも盾を横に置き、真面目に言う。
「外で待機している。何かあれば呼べ」
「ありがとう」
セリア・フレイムロードは腕を組んだまま言った。
「もし記録に火属性の痕跡があったら、後で見せなさい」
「分かった」
「あと、無理に奥まで見ようとしないこと」
「セリアまでそれ言うのか」
「言うわよ。あんた、放っておくと危ないもの」
否定できない。
俺はタイムラインを手首に固定し直した。
アンカーを確認する。
リュミエル。
トーヤ。
ミラ。
三つの灯りが、心の奥にある。
これから見るのは、俺と同じかもしれない誰かの記録だ。
たぶん、冷静ではいられない。
だからこそ、戻る場所を確認しておく。
「行くぞ」
フィン先生の言葉で、俺たちは教室を出た。
上位記録保管庫は、旧記録保管庫とは別の場所にあった。
学園本館の地下。
だが、ただ階段を降りるわけではない。
副院長室の奥にある封印扉を通り、さらに学園長権限の魔法陣を経由し、記録官オスカーの認証水晶を通す必要があった。
「これ、普通の生徒が来る場所じゃないですよね」
俺が言うと、フィン先生は短く答えた。
「普通の教師も来ない」
「先生は?」
「俺は普通じゃない」
「それは知ってます」
「言い方」
少しだけ緊張が緩んだ。
オスカー記録官は、灰色のローブを整えながら言った。
「上位記録保管庫では、記録に直接触れないでください。読むだけでも精神負荷が発生する場合があります」
「精神保護は?」
リュミエルが聞く。
「許可されています。ただし、保管庫側の防護術式と干渉しない範囲でお願いします」
「分かりました」
やがて、俺たちは巨大な白い扉の前に立った。
旧記録保管庫の黒い扉とは違う。
この扉は白い。
あまりにも白くて、逆に不気味だった。
表面には文字が刻まれている。
【記録は神の所有物ではない】
【しかし、記録は人の所有物でもない】
【記録は、失われた選択の墓標である】
俺はその文字を読んで、息を呑んだ。
「……墓標」
フィン先生が低く言う。
「学園創設者の言葉だと言われている」
「この学園を作った人は、神殿寄りじゃなかったんですか?」
「時期による。学園の歴史も、一枚岩じゃない」
リュミエルが扉を見つめる。
「失われた選択の墓標……」
その言葉は、彼女にも刺さったようだった。
オスカー記録官が認証水晶を扉にかざす。
扉が、音もなく開いた。
中は、思っていたより狭かった。
円形の小部屋。
中央に、白い閲覧台。
壁には棚がない。
本も水晶も見当たらない。
ただ、天井から無数の光の糸が垂れていた。
糸の先には、小さな透明な札。
それぞれに名前が浮かんでいる。
だが、多くは読めなかった。
封印されている。
オスカー記録官が閲覧台に手を置く。
「緊急閲覧許可番号、カサンドラ・イリス副院長発行。対象記録、台本外来訪者対応記録、第一号個体」
部屋の光が揺れた。
天井の糸の一つが、ゆっくり降りてくる。
透明な札に、名前が浮かんだ。
【ナツキ・シノハラ】
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
本当にあった。
ただの脅しの名前ではない。
実在した記録だ。
透明な札が閲覧台の上に降りる。
その瞬間、部屋の空気が少し冷たくなった。
リュミエルが俺の横に立ち、星の防護を張る。
「呼吸して」
「してる」
「浅いわ」
「……今した」
彼女の声で、少しだけ意識が戻る。
オスカー記録官が言う。
「閲覧可能範囲を開示します」
白い光が広がり、文字が浮かび上がった。
【台本外来訪者対応記録】
【第一号個体:ナツキ・シノハラ】
発見年月:
王暦三百十二年 秋月十七日
発見場所:
王都圏東部 旧巡礼街道
推定年齢:
十七歳
性別:
女性
自己申告名:
篠原夏希
出身世界:
名称不明。
本人発言により「日本」と記録。
職業:
未承認職【脚本家】
保有異能:
【筋書き干渉】
危険判定:
極高
俺は、声が出なかった。
日本。
十七歳。
女性。
脚本家。
筋書き干渉。
俺と同じだ。
いや、同じではない。
でも、近い。
俺が編集者なら、彼女は脚本家。
台本を書く側の能力。
神の台本にとって、どれほど危険だったか想像できてしまう。
フィン先生の顔が険しくなる。
「脚本家……」
リュミエルが俺を見る。
「アキト」
「大丈夫」
「大丈夫ではなさそう」
「でも、見たい」
彼女は少しだけ黙った。
「……分かった。でも、無理なら止める」
「頼む」
俺は続きを見た。
【時系列概要】
一、旧巡礼街道にて、神殿巡回司祭が対象を発見。
二、対象は異界語と思われる言語で混乱状態にあり。
三、初期尋問にて「日本」「高校」「ドラマ」「脚本」という語を複数回発言。
四、神託照合を実施するも、該当職業なし。
五、対象が周囲の出来事を予測、または誘導する異能を発現。
六、神殿は対象を台本外来訪者第一号と指定。
七、王立アルカディア魔導学園へ一時移送。
八、学園内記録官により、対象職業を未承認職【脚本家】と仮定義。
九、対象が神殿式尋問台本の矛盾を指摘。
十、転生者狩り部隊へ引き渡し。
俺の呼吸が止まりかけた。
神殿式尋問台本の矛盾を指摘。
まるで、俺が査問会でやったことだ。
いや、もっと直接的だったのかもしれない。
夏希は脚本家だった。
彼女には、台本の構造が見えたのかもしれない。
誰が何を言わされているか。
どこに矛盾があるか。
どこで筋書きが無理やり曲げられているか。
そして、それを神殿に指摘した。
だから、危険判定された。
「……俺と同じことをしたんだ」
声が漏れた。
フィン先生は低く言った。
「似ているが、同じとは限らん。落ち着け」
「はい」
でも、胸は落ち着かなかった。
さらに下に、処分理由が表示される。
【処分理由】
対象は、神託に存在しない職業を自称。
複数回にわたり、神殿の発話記録、証言進行、聖典解釈に対し、筋書き上の不整合を指摘。
尋問官三名の発話順序を事前予測。
一名の称号文を一時的に変質させた疑いあり。
神殿秩序への重大干渉と判断。
転生者狩り部隊への引き渡しを決定。
俺は拳を握った。
「称号文を一時的に変質……」
リュミエルが眉を寄せる。
「アキトの編集操作に近いわね」
「近い。でも、たぶん違う」
俺は言った。
「俺は既にある記述を切ったり貼ったりする。夏希は、筋書きそのものに干渉していた可能性がある」
「未来の流れ?」
「たぶん」
もしそうなら、彼女の能力は俺以上に神の台本へ近い。
編集者は素材を扱う。
脚本家は筋書きを作る。
神が見逃すはずがない。
オスカー記録官が静かに言った。
「関連術式名を開示します」
文字が切り替わる。
【関連術式】
一、初期拘束術式:
【異界語封じ】
二、認識安定術式:
【役割仮固定】
三、転生者狩り使用術式:
【記述釘】
【校閲杭】
【筋書き矯正】
【人格整文】
四、最終処理術式:
封印中
【最終処理術式】は閲覧権限外です。
人格整文。
その言葉を見た瞬間、胃の奥が冷えた。
「人格を……整える?」
声が震えた。
人の人格を文章みたいに整える。
余計な部分を削り、台本に合うように直す。
それが、校閲済みの意味なのか。
リュミエルの星の防護が強くなる。
「アキト、呼吸」
「してる」
「怒りが上がっている」
「上がるだろ、これは」
「上がっていい。でも、飲まれないで」
俺は奥歯を噛んだ。
そうだ。
怒っていい。
だが、怒りに画面を操作させるな。
俺はタイムラインに手を置く。
「この記録、コピーできますか?」
オスカー記録官が答える。
「全文コピーは不可です。閲覧可能範囲の要約ログなら許可されています」
「要約ログを作ります」
フィン先生が頷く。
「やれ。だが封印中の最終処理術式には触るな」
「分かってます」
俺はタイムラインを起動した。
「要約ログ保存」
【タイムライン】
要約ログ:
【ナツキ・シノハラ記録・閲覧可能範囲】
内容:
・台本外来訪者第一号
・日本出身と自己申告
・十七歳女性
・未承認職【脚本家】
・異能【筋書き干渉】
・神殿尋問台本への矛盾指摘
・転生者狩り部隊へ引き渡し
・関連術式:【記述釘】【校閲杭】【筋書き矯正】【人格整文】
保存完了。
その瞬間、閲覧台の文字が一瞬乱れた。
ノイズのように、白い文字がざらつく。
オスカー記録官が顔色を変える。
「記録封印が反応しています」
フィン先生が即座に言う。
「下がれ、アキト」
「待ってください」
白い文字の隙間に、別の文字が見えた。
ほんの一瞬。
まるで、誰かが記録の裏側に爪で刻んだような文字。
日本語だった。
この世界の文字ではない。
俺には読める。
【たすけて】
胸が、凍った。
「……今」
リュミエルが俺を見る。
「何か見えたの?」
俺は答えられなかった。
文字はすぐに消えた。
でも、確かに見えた。
たすけて。
ナツキ・シノハラが書いたのか。
それとも、誰かが後から残したのか。
分からない。
だが、日本語だった。
この世界の人間には読めない。
俺にだけ読ませるための文字。
「アキト」
リュミエルの声が少し強くなる。
「戻って」
「……日本語が見えた」
俺はかすれた声で言った。
「たすけて、って」
オスカー記録官が眉をひそめる。
「異界語ですか」
「はい」
フィン先生の顔が険しくなる。
「記録の裏に隠されていたのか」
「分かりません。一瞬だけです」
リュミエルが言う。
「追わないで」
「でも」
「追わないで」
彼女の声は、はっきりしていた。
アンカーが強く光る。
止められている。
俺は拳を握った。
追いたい。
今すぐ記録の奥に手を伸ばしたい。
最終処理術式を見たい。
校閲済みの意味を知りたい。
夏希がどうなったのか確かめたい。
でも、それが罠だったら?
俺だけに読める日本語で、助けを求める。
それはあまりにも、俺を誘う餌に見える。
そして、本物の叫びにも見える。
だから厄介だ。
俺は目を閉じた。
リュミエル。
トーヤ。
ミラ。
三つのアンカーを意識する。
一人で飛び込むな。
俺は息を吐いた。
「追いません」
リュミエルの表情が、少しだけ緩んだ。
「いい判断よ」
フィン先生も頷く。
「今はな」
「でも、必ず調べます」
「当然だ。見なかったことにはしない」
その言葉で、少しだけ救われた。
俺だけが暴走を止めているわけじゃない。
先生も、リュミエルも、ここで終わらせるつもりはない。
ただ、順番を間違えない。
閲覧台の文字が再び安定した。
オスカー記録官が言う。
「緊急閲覧可能範囲は以上です。これ以上の閲覧には、評議会の正式承認が必要です」
「申請してください」
俺は即答した。
「最終処理術式と、校閲後記録を見たい」
オスカー記録官は副院長から預かった承認水晶に触れながら言った。
「申請は可能です。ただし、理由が必要です」
俺は少しだけ考えた。
理由。
同じ日本人だから。
助けを求める文字が見えたから。
真実を知りたいから。
どれも本当だ。
でも、それだけでは足りない。
俺は、閲覧台に表示された【人格整文】という言葉を見た。
「理由は」
俺はゆっくり言った。
「転生者狩りが現在も活動している可能性があり、その術式が勇者候補補強式と関連しているため」
レオンの補強式。
記述釘。
校閲杭。
そこは事実だ。
「さらに、台本外来訪者第一号の最終処理術式が、現在の校閲攻撃と同系統である可能性があるため」
フィン先生が小さく頷く。
「いい。感情ではなく、安全保障の理由になる」
オスカー記録官は記録した。
「申請理由として提出します」
白い札が、ゆっくりと天井へ戻っていく。
【ナツキ・シノハラ】
その名前が遠ざかる。
俺は、その札を見上げたまま動けなかった。
たすけて。
あの文字が、頭から離れない。
リュミエルが隣に立つ。
「戻りましょう」
「ああ」
「大丈夫?」
「大丈夫ではない」
俺は正直に言った。
「でも、戻る」
リュミエルは静かに頷いた。
「それでいいわ」
上位記録保管庫を出ると、外の空気が妙に温かく感じた。
地下の白い部屋は冷たすぎた。
まるで、感情を凍らせて記録だけを残す場所だった。
フィン先生が歩きながら言う。
「分かったことを整理するぞ」
「はい」
「ナツキ・シノハラは日本出身を自称。年齢十七。職業は未承認職【脚本家】。異能は【筋書き干渉】。神殿尋問台本の矛盾を指摘し、転生者狩りへ引き渡された」
「関連術式は、記述釘、校閲杭、筋書き矯正、人格整文」
リュミエルが続ける。
「現在の転生者狩りの術式と一致するものがある。さらに、勇者候補補強式に転用されている可能性がある」
「そして」
俺は、少し喉を詰まらせながら言った。
「記録の裏に、日本語で“たすけて”と残っていた」
フィン先生は、しばらく黙った。
そして低く言った。
「それが罠か、本物かはまだ分からない」
「分かってます」
「だが、無視はしない」
「はい」
先生は俺を見る。
「アキト。お前はたぶん、ナツキ・シノハラを自分に重ねる」
「もう重ねてます」
「だろうな」
「でも、一人で突っ込みません」
フィン先生の目が少し細くなる。
「本当だな」
「本当です」
「ならいい」
リュミエルが横から言う。
「私も止めるわ」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
そのやり取りが、今は命綱だった。
特異職科へ戻ると、全員が待っていた。
ミラが窓枠から飛び降りる。
「どうだった?」
俺は少し迷った。
でも、隠さないことにした。
「ナツキ・シノハラは、日本出身の十七歳の女の子だった」
教室が静まる。
「職業は【脚本家】。異能は【筋書き干渉】。神殿の尋問台本の矛盾を指摘して、転生者狩りに引き渡された」
セリアが顔をしかめる。
「脚本家……アキトの編集者と近いわね」
「近いと思う」
レオンは低く言う。
「関連術式は?」
「記述釘、校閲杭、筋書き矯正、人格整文」
ノルンが青ざめた。
「人格整文……」
「それが何かはまだ分からない。でも、ろくなものじゃない」
俺は一度息を吸った。
そして、最後の情報を出した。
「記録の裏に、日本語で“たすけて”って残ってた」
誰も何も言わなかった。
ミラの尻尾が止まる。
トーヤの表情が硬くなる。
セリアは唇を噛む。
ノルンは目に涙を浮かべる。
レオンは拳を握る。
リュミエルは静かに俺の隣に立つ。
俺は、みんなを見る。
「俺は、あれを無視したくない」
言葉が自然に出た。
「でも、一人で突っ込むつもりもない」
ミラが少しだけ笑った。
「それ聞けて安心した」
トーヤが頷く。
「一緒に考える」
ノルンが震える声で言う。
「助けてって言葉を、記録の中で一人にしたくない」
セリアが腕を組む。
「罠でも何でも、燃やす前に構造を見てやるわ」
レオンは静かに言った。
「俺の補強式にも繋がるなら、俺も無関係ではない」
リュミエルが最後に言う。
「なら、次の目標は決まったわね」
フィン先生が黒板に新しく書く。
【次の目標】
ナツキ・シノハラの最終処理術式を閲覧する。
人格整文の正体を突き止める。
転生者狩りの校閲技術と勇者候補補強式の関連を証明する。
俺は黒板を見た。
七日間の台本。
その二ページ目には、ナツキ・シノハラの名前が刻まれた。
神の台本から消されたかもしれない少女。
俺と同じ世界から来て、助けを求めた誰か。
その声を拾った以上、もう戻れない。
俺はタイムラインに手を置いた。
【未回収の謎】
ナツキ・シノハラの最終処理。
人格整文の正体。
日本語の救難記録。
重要度:
最大
黒い石板が、静かに光った。
編集者として。
人間として。
その「たすけて」を、俺は絶対に見なかったことにはしない。




