第40話 転生者狩り
「転生者狩り部隊の識別紋です」
その言葉が、副院長室に落ちた瞬間、空気が凍った。
俺――アキト・アオキは、手首に固定したタイムラインを握りしめた。
契約が成立したばかりだ。
学園の保護。
研究協力の条件。
上位記録保管庫への閲覧申請。
台本外来訪者という呼び名。
ナツキ・シノハラという名前。
その全部を整理する前に、過去の影が北門に現れた。
転生者狩り。
百二十年前に解体されたはずの、神殿直属の異端対策部隊。
それが、今この学園の門を叩いている。
「北門の被害状況は?」
カサンドラ副院長の声から、先ほどまでの柔らかさが消えていた。
学園の管理者としての声。
職員は青ざめたまま答える。
「警備結界の外層が一部削られています。侵入そのものは確認されていませんが、門番二名が意識混濁状態です」
「死亡者は?」
「今のところ、いません」
その言葉に、わずかに息が戻る。
だが、安心はできない。
意識混濁。
結界の外層が削られた。
そして、転生者狩りの識別紋。
フィン先生が低く言った。
「狙いはアキトか」
「可能性は高いわね」
カサンドラ副院長は即答した。
「昨日の神託試問で、アキトくんの存在は神殿系統に広く知られた。もし古い部隊の残党が残っていたなら、動く理由はある」
「残党……」
俺は呟いた。
過去に解体されたはずの組織。
だが、実際には消えていなかった。
あるいは、別の名前で残っていた。
よくある話だ。
嫌になるくらい、よくある話だ。
「俺も行きます」
自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。
リュミエル・アークレインがこちらを見る。
「危険よ」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
今度は、言い直さなかった。
危険なのは分かっている。
でも、俺が狙いなら、俺だけ安全な部屋に隠れて他人に見に行かせるのは違う。
それに、転生者狩りの痕跡があるなら、タイムラインで見えるものがあるかもしれない。
フィン先生が俺を見た。
「行くなら条件がある」
「はい」
「俺、リュミエル、レオンが同行する。副院長はここで指揮を取れ。オスカー記録官は契約書を保全しろ」
カサンドラ副院長は頷いた。
「分かったわ。北門には私から緊急封鎖命令を出す。アキトくん、契約は成立したばかりよ」
「はい」
「つまり、あなたはもう学園の保護対象。勝手に飛び出せば契約違反に近い」
「分かっています」
「なら、指定監督者の指示に従いなさい」
副院長の視線が、リュミエルとフィン先生へ移る。
「二人とも、彼を守って」
「言われなくても」
フィン先生が短く答えた。
リュミエルは静かに頷く。
「止めるべき時は止めます」
「そっちも大事ね」
いや、守るより止める方に重心がある気がする。
でも、今はそれでいい。
レオン・グランベルが、右腕の包帯を軽く締め直した。
「俺も行く」
フィン先生が目を細める。
「お前はまだ万全じゃない」
「だからこそ、確認したい」
「何を」
「転生者狩りが神殿系統のものなら、俺の補強式にも反応する可能性がある」
その言葉に、俺はレオンを見た。
レオンは続ける。
「俺は勇者候補だ。神殿式の力を持っている。その俺が近くにいれば、向こうの術式が何か反応するかもしれない」
「囮になる気か?」
俺が聞くと、レオンは少しだけ眉を寄せた。
「囮ではない。観測点だ」
「誰に言葉を教わったんだ」
「さっきからお前たちがそういう話ばかりしているからだ」
少しだけ、場の空気が緩みかけた。
だが、すぐに北門の警報音が遠くから響いた。
低く、重い鐘の音。
緊張が戻る。
俺たちは副院長室を出た。
学園本館の廊下は、すでに慌ただしくなっていた。
教師たちが走り、生徒たちが誘導されている。
魔導科の生徒たちは不安そうに窓の外を見ていた。
剣術科の生徒たちは武器を持とうとして、教官に止められている。
「動きが早いな」
俺が言うと、フィン先生が答える。
「学園は魔物襲撃や結界異常の訓練をしている。神殿よりは現場対応がまともだ」
「神殿への当たりが強い」
「昨日でさらに強くなった」
それはそう。
リュミエルは走りながら、短杖で周囲の魔力を確認している。
「北門方向に、古い神殿式の残滓があります」
「どんな感じだ?」
「今の神殿式より荒い。でも、深い。古い根が地面の下を這っている感じ」
「嫌な表現だな」
「実際、嫌な魔力よ」
俺たちは本館を抜け、中庭を横切り、北門へ向かった。
北門周辺はすでに封鎖されていた。
白い石の門。
高い鉄柵。
その上を覆う半透明の結界。
普段なら学園の外へ続く普通の門だ。
だが今は、結界の一部が黒く削られたように歪んでいる。
まるで、透明なガラスに焦げ跡が残ったようだった。
門の内側には、二人の警備兵が座り込んでいる。
神聖科の治癒師が応急処置をしていた。
「意識は?」
フィン先生が聞く。
治癒師は顔を上げる。
「混濁しています。外傷はありません。ただ、記憶と魔力反応が乱れています」
記憶。
その言葉に、俺の手がタイムラインへ伸びた。
リュミエルがすぐに言う。
「勝手に見ないで」
「分かってる」
俺は警備兵のそばに膝をついた。
一人は中年の男性。
もう一人は若い女性。
二人とも目は開いているが、焦点が合っていない。
「俺はアキト・アオキです」
俺はゆっくり声をかけた。
「今、あなたたちに何が起きたか確認したい。記憶に深く触れることはしません。表面に残った異常だけを見ます。いいですか?」
中年の警備兵が、かすかにこちらを見る。
「……記録……」
「はい」
「門に……黒い、鳥が……」
声が途切れる。
俺は言った。
「表面の魔力痕だけ見ます。嫌なら止めます」
警備兵は、震えるように頷いた。
同意。
俺はそれを確認して、タイムラインを開いた。
「編集操作」
視界が青く染まる。
警備兵の記憶そのものには触れない。
表面に残った魔力の傷。
記録の縁。
切り取られた跡。
そこだけを見る。
すぐに、嫌なものが見えた。
記憶の一部が、綺麗に削られている。
ただし、完全に消されてはいない。
端に、赤黒い糸のようなものが残っていた。
【システム表示】
対象:
北門警備兵
状態:
【記憶表層欠損】
【外部校閲痕】
【恐怖反応固定】
警告:
深層記憶への接触は危険です。
推奨:
表層欠損の縁のみコピー可能。
「外部校閲痕……」
俺は呟いた。
リュミエルの表情が険しくなる。
「校閲?」
「ああ。編集じゃない。校閲って表示されてる」
フィン先生の顔も変わった。
「神の“直接校正”と関係あるかもしれんな」
嫌な予感が、また一つ線になった。
校正。
校閲。
記述を直す力。
転生者狩りは、ただ襲うだけの組織ではない。
人の記憶や認識を、正しい形に直す。
神の台本に合わせるために。
そんな役割を持っていたのかもしれない。
俺は表層欠損の縁だけをコピーした。
「部分コピー」
赤黒い糸の断片が、タイムラインに保存される。
【タイムライン】
記録ログ:
【北門警備兵・記憶表層欠損の縁】
【外部校閲痕・要約】
保存完了。
警備兵が小さく息を吐いた。
治癒師がすぐに確認する。
「魔力反応、少し安定しました」
「記憶は戻してません」
俺は言った。
「表面の異常だけ見ました」
リュミエルが頷く。
「正しい判断よ」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
昔の俺なら、記憶を戻そうとしていたかもしれない。
助けたいから。
知りたいから。
焦っていたから。
でも、今は違う。
見えるからといって、触っていいわけじゃない。
フィン先生が門の焦げ跡を見る。
「アキト。結界の痕も見られるか」
「やってみます」
俺は北門の結界に近づいた。
黒く削られた部分。
そこには、古い神殿式の文字が残っていた。
だが、普通の神殿式とは違う。
白ではない。
金でもない。
赤黒い。
まるで、古い血で書かれた文字みたいだった。
「編集操作」
青い視界の中で、赤黒い文字が浮かび上がる。
【外来者検出】
【記述逸脱】
【回収対象】
【校閲杭】
【台本外来訪者:反応あり】
「……回収対象」
俺は小さく読んだ。
リュミエルが顔をしかめる。
「あなたを指しているのね」
「たぶん」
レオンが門に近づく。
その瞬間、結界の赤黒い文字がわずかに反応した。
【勇者候補補強式】
【神殿式適合個体】
【接触注意】
「レオンにも反応してる」
俺が言うと、レオンは眉を寄せた。
「何と出ている」
「神殿式適合個体。接触注意」
レオンの顔が険しくなる。
「俺は、連中にとって敵ではないということか」
「少なくとも、回収対象ではないみたいだ」
レオンは悔しそうに拳を握った。
「神殿式に適合しているから、見逃される。気分が悪いな」
その言葉は、本音だった。
勇者候補であることが、誇りではなく、管理された証に見える。
それは、レオンにとってどれだけ苦いことだろう。
俺は結界の痕跡をさらに見る。
すると、赤黒い文字の奥に、小さな記録片が隠れていた。
ただの術式ではない。
何かが残されている。
「メッセージがある」
俺が言うと、全員の空気が張り詰めた。
フィン先生が言う。
「罠か?」
「可能性はあります」
「見られるか」
「外側だけなら」
俺は慎重に記録片へ意識を伸ばした。
触れすぎない。
開きすぎない。
まず表面だけ。
【システム表示】
対象:
転生者狩り残留記録片
内容:
閲覧可能。
警告:
閲覧時、精神反応誘導の可能性あり。
対策:
リュミエル・アークレインによる精神保護を推奨。
俺はすぐに手を止めた。
「リュミエル、精神保護を頼めるか」
「ええ」
リュミエルが短杖を構え、星の光で俺の周囲を包む。
「無理をしないで。少しでも変だと思ったら止める」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
最近、この確認が完全に定番になってきた。
でも、ありがたい。
俺は記録片を開いた。
赤黒い文字が、空中に浮かぶ。
【台本外来訪者へ】
青木明登。
お前の名は記録された。
お前の職業は不正である。
お前の記憶は異物である。
お前の存在は、神の台本に対する汚染である。
七日以内に、神殿旧地下聖堂へ出頭せよ。
拒否した場合、周囲の記述を校閲する。
一つ目は、器。
二つ目は、勇者候補。
三つ目は、沈黙した治癒師。
四つ目は、燃える魔術師。
五つ目は、盾。
六つ目は、影の獣。
俺の背筋に、冷たいものが走った。
リュミエル。
レオン。
ノルン。
セリア。
トーヤ。
ミラ。
俺の周りの人間を、順番に狙うと言っている。
俺は、思わず拳を握った。
怒りが、胸の奥で一気に燃え上がる。
「ふざけるな……」
リュミエルの星形護符が強く熱を持った。
「アキト」
彼女の声で、俺はかろうじて踏みとどまる。
怒りに喋らせるな。
でも、これは怒っていい。
ただし、振り回されるな。
記録片は、さらに続いていた。
【追記】
ナツキ・シノハラは、校閲済みである。
同じ結末を望まぬなら、台本へ戻れ。
その最後の一文を見た瞬間、息が止まった。
ナツキ・シノハラ。
校閲済み。
処分記録ではなく、校閲。
それは、死を意味するのか。
記憶を消されたのか。
職業を書き換えられたのか。
人格を直されたのか。
分からない。
でも、ろくでもないことだけは分かった。
タイムラインが赤く光る。
【警告】
精神反応誘導を検出。
怒り、罪悪感、孤立感を増幅する文面構成。
【論点固定 Lv.1】が作動します。
本来の論点:
転生者狩りの脅迫と周辺人物への危険。
誘導先:
アキト・アオキの単独出頭。
周囲を巻き込まないための自己犠牲。
推奨:
単独行動禁止。
脅迫記録を証拠固定。
関係者へ共有。
「……なるほどな」
俺は小さく呟いた。
このメッセージは、俺を一人で出頭させるためのものだ。
周りを狙う。
だから一人で来い。
お前のせいで仲間が傷つく。
そう思わせるために作られている。
俺の弱いところを突いている。
必要とされたい。
仲間を失いたくない。
自分のせいで誰かが傷つくのが怖い。
そこを、正確に刺してくる。
「アキト」
フィン先生が言った。
「一人で行くなよ」
「分かってます」
「今のお前は、分かっていても行きかねない顔をしている」
「……分かってます」
リュミエルが俺の腕を掴んだ。
強くはない。
でも、確かに止める手だった。
「あなたが一人で行ったら、私は怒るわ」
「珍しいな」
「本気で怒るわ」
その声に、俺は少しだけ冷静になった。
彼女は、器として脅されている。
自分が狙われると書かれている。
それでも、俺を止めようとしてくれている。
レオンも低く言った。
「俺も行かせない」
「お前まで?」
「俺は勇者候補として狙われるのではない。神殿式適合個体として利用されるかもしれない。なら、俺自身の問題だ」
レオンの言葉は、少し硬かった。
でも、逃げていなかった。
フィン先生が記録片を見上げ、舌打ちした。
「七日以内、旧地下聖堂か」
「場所、分かるんですか?」
「王都神殿の地下に、昔使われていた聖堂がある。今は封鎖済みのはずだ」
「また“はず”ですか」
「この手の“はず”は信用するな」
嫌な知恵が増えていく。
俺は記録片をタイムラインに固定した。
「証拠固定」
【タイムライン】
証拠固定ログ:
【転生者狩り脅迫記録片】
【北門結界侵食痕】
【外部校閲痕・要約】
【警備兵記憶表層欠損の縁】
保存完了。
その瞬間、記録片が赤く燃え始めた。
「自壊する!」
俺はすぐに手を伸ばそうとした。
だが、フィン先生が制した。
「今回は追うな。もう記録は取った」
「でも」
「欲張るな」
俺は歯を食いしばり、手を止めた。
赤黒い文字は、燃えるように崩れ、空気に溶けて消えた。
残ったのは、結界の焦げ跡と、冷たい沈黙だけ。
少し遅れて、北門へカサンドラ副院長が到着した。
護衛と学園職員を連れている。
「状況は?」
フィン先生が短く説明した。
転生者狩りの痕跡。
警備兵の記憶表層欠損。
俺への出頭要求。
周囲への脅迫。
ナツキ・シノハラの名。
副院長の顔から、完全に笑みが消えた。
「旧地下聖堂……」
「知っているんですか」
俺が聞くと、副院長は頷いた。
「王都神殿が表向き封鎖した場所よ。古い異端審問、処分、封印儀式に使われていたと言われている」
「言われている?」
「公式記録では、祈祷場だったことになっているわ」
まただ。
保護。
処分。
祈祷場。
言葉を変えて、事実を隠す。
副院長は俺を見た。
「アキトくん。確認するわ」
「はい」
「一人で行く気は?」
「ありません」
即答した。
副院長は、リュミエルを見た。
「本当?」
「今は本当です」
「今は」
「必要なら止めます」
副院長は頷いた。
「ならいいわ」
信用されているのか、されていないのか分からない。
たぶん両方だ。
フィン先生が言った。
「七日ある。こちらも準備する」
「出頭するんですか?」
俺が聞くと、先生は首を横に振った。
「出頭ではない。調査だ」
「違います?」
「違う。相手の指定した台本通りに行けば、出頭だ。こちらの条件で行けば、調査になる」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなった。
そうだ。
相手は俺を一人で旧地下聖堂に呼び出した。
でも、その通りに行く必要はない。
場所を調べる。
相手の情報を集める。
学園の保護契約を使う。
仲間と準備する。
同じ場所に向かうとしても、意味を変えられる。
それも編集だ。
カサンドラ副院長が指示を出す。
「北門は封鎖。警備兵二名は神聖科治療棟へ。記憶干渉の記録は学園保全室へ送って。神殿への報告は、私が文面を確認してから」
「神殿に報告するんですか?」
俺が聞くと、副院長は言った。
「報告しないと、向こうから突かれる。だが、全文は渡さない。転生者狩りという言葉も、今は慎重に扱う」
「また言葉の戦いですね」
「ええ。あなたの得意分野でしょう?」
「得意と言えるほどでは」
フィン先生が横から言う。
「得意にしろ」
「無茶言う」
「必要だ」
必要。
それなら、やるしかない。
俺は北門の外を見た。
学園の外には、王都へ続く石畳の道が伸びている。
その先に、王都神殿がある。
さらにその地下に、旧地下聖堂がある。
そこに、転生者狩りがいるかもしれない。
ナツキ・シノハラの記録も、そこに繋がっているかもしれない。
恐怖はある。
でも、それ以上に、知りたいと思った。
俺はなぜこの世界に来たのか。
過去の台本外来訪者たちはどうなったのか。
神はなぜ、俺を警戒するのか。
転生者狩りは、何を校閲したのか。
タイムラインが静かに表示を出す。
【新規目標】
七日以内に、旧地下聖堂に関する情報を集める。
目的:
転生者狩りの正体を探る。
ナツキ・シノハラの記録を追う。
関係者への校閲攻撃を防ぐ。
推奨行動:
単独行動禁止。
学園保護契約の活用。
上位記録保管庫の閲覧申請。
レオン補強式との関連調査。
リュミエル呪印への防護強化。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
「七日」
リュミエルが隣で言う。
「ええ。七日あるわ」
「短いな」
「でも、ゼロではない」
ゼロではない。
その言葉は、今の俺たちに十分だった。
俺はタイムラインを閉じた。
転生者狩りは、俺を一人にしようとしている。
神殿も、神も、いつも人に役割を貼る。
なら、俺は逆をやる。
一人で抱えない。
一つの真実にしない。
誰かを役割だけで見ない。
この七日間で、俺たちの側の台本を書く。
神のものでも、神殿のものでも、転生者狩りのものでもない。
俺たちが生き残るための台本を。
北門の黒い焦げ跡は、夕陽の中で不気味に沈黙していた。
その向こうで、過去の影がこちらを見ている気がした。




