第39話 転生者狩りの影
ナツキ・シノハラ。
その名前が、副院長室の空気に沈んでいた。
俺――アキト・アオキは、机の上に置かれた黒封筒を見つめていた。
【台本外来訪者対応記録】
【第一号個体:ナツキ・シノハラ】
【処分記録:転生者狩り部隊へ引き渡し】
日本人の名前。
それだけで、胸の奥がざわつく。
篠原夏希。
篠原奈月。
篠原夏樹。
漢字までは分からない。
でも、間違いなく俺のいた世界に近い名前だ。
その人物が、この世界に来ていた。
台本外来訪者として記録され、そして転生者狩り部隊へ引き渡された。
「……処分記録って、何ですか」
俺は、もう一度聞いた。
声が少し低くなっていた。
カサンドラ副院長は、いつもの柔らかな微笑みを消していた。
「当時の学園記録では、危険存在への対応をそう呼んでいたようね」
「危険存在」
「ええ。台本外来訪者は、神託にない職業や記憶を持つ。神殿からすれば、世界の秩序を乱す異物だった」
異物。
神が俺に言った言葉。
胸の奥に、冷たい棘のように残っている。
「だから狩ったんですか」
「記録上は、保護、調査、隔離、処分という段階に分かれているわ」
「言葉を変えてるだけに聞こえます」
「その見方は、おそらく正しい」
副院長は否定しなかった。
それが逆に重かった。
オスカー記録官は、少し緊張した様子で眼鏡を押し上げる。
「補足します。転生者狩り部隊は、現在の神殿公式記録では百二十年前に解体済みです。理由は、台本外来訪者の発生が長期にわたり確認されなくなったためとされています」
「確認されなくなった?」
俺は聞き返した。
「いなくなった、ではなく?」
オスカーは少し沈黙した。
「公式文書では、そのような表現です」
リュミエル・アークレインが静かに言う。
「確認されなくなった、という表現は気になりますね。発生しなくなったとは言っていない」
「ええ」
副院長が頷く。
「見つからなくなったのか、記録されなくなったのか、あるいは別の形で処理されるようになったのか。そこは分からない」
分からないことだらけだ。
だが、嫌な線は見えてくる。
この世界には、俺以前にも転生者がいた。
そして、その人たちは神殿に保護された。
その保護の先に、転生者狩りがいた。
俺は黒封筒から目を離せなかった。
「ナツキ・シノハラは、生きていたんですか」
副院長は答えない。
いや、答えられないのだろう。
「その記録は、上位保管庫にあります。私が今ここで開示できるのは表題まで」
「閲覧申請は?」
「出せるわ。ただし、通る保証はない」
「誰が許可するんですか」
「学園評議会。そして、記録によっては神殿側の封印解除権限も絡む」
「また神殿……」
思わず呟く。
どこへ行っても神殿がいる。
職業。
称号。
加護。
勇者候補。
神託。
転生者狩り。
この世界の重要な場所には、必ず白い法衣の影がある。
レオン・グランベルが低く言った。
「神殿は、何をそこまで恐れている」
その問いに、副院長はすぐには答えなかった。
代わりに、フィン先生が腕を組んだまま言う。
「台本外から来る者は、役割が読めない」
全員が先生を見る。
フィン先生は続けた。
「この世界では、職業と称号が人生に強く影響する。戦士は戦う。治癒師は癒やす。勇者候補は勇者らしく振る舞う。巫女候補は神に仕える。そういう記述が、人間を形作る」
リュミエルの右手首が、わずかに動いた。
レオンも拳を握る。
「だが、台本外来訪者は違う。前の世界の記憶を持ち、この世界の役割を疑える。神託にない発想を持ち込む。職業の枠外の能力を得ることもある」
フィン先生の視線が俺へ向いた。
「神殿から見れば、危険だろうな」
「神にとっても、ですか」
俺が聞くと、先生は答えなかった。
代わりに、副院長が静かに言った。
「昨日の神託試問を見る限り、神もあなたを明確に警戒しているわ」
胸が重くなる。
神に警戒される人生。
普通に嫌すぎる。
ミラがいれば「大物じゃん」と笑いそうだが、今は笑えなかった。
俺はタイムラインを見た。
【未回収の謎】
・台本外来訪者
・ナツキ・シノハラ
・転生者狩り
・神殿保護後の処分記録
・神の直接校正
文字だけで胃が痛い。
「契約の話に戻りましょう」
リュミエルが言った。
その声で、少しだけ意識が現実に戻る。
そうだ。
今ここで、ナツキ・シノハラの記録を読めるわけではない。
まずは契約を固める。
学園の保護を得る。
研究協力の条件を決める。
上位記録保管庫への閲覧申請を出す。
順番を間違えるな。
俺は深く息を吸った。
「副院長。契約に、上位記録保管庫への閲覧申請を学園側が支援する条項を入れてください」
オスカー記録官の羽ペンが止まる。
「それは保護契約の範囲を超えます」
「俺の安全に関わります」
俺は答えた。
「転生者狩りがまだ動いている可能性があるなら、過去の記録を調べることは保護の一部です」
カサンドラ副院長が、ほんの少しだけ目を細めた。
「いい切り口ね」
「交渉訓練の成果です」
「フィン先生、優秀ね」
フィン先生は面倒くさそうに言った。
「俺を褒めると後で面倒が増える」
「もう増えているわ」
「最悪だ」
副院長は魔導契約書に新しい項目を追加した。
【上位記録保管庫閲覧支援】
学園は、対象者アキト・アオキの安全確保および台本外来訪者に関する脅威調査のため、関連記録の閲覧申請を支援する。
閲覧対象候補:
・台本外来訪者対応記録
・転生者狩り部隊関連記録
・神殿保護後の処分記録
・神託外職業発生記録
閲覧時条件:
本人および指定監督者の同席。
記録内容に人格・記憶・生命へ影響する術式が含まれる場合、閲覧を中断できる。
俺は条文を確認する。
タイムラインが反応した。
【条件固定 Lv.1】
条件整合性:
良好。
注意:
「閲覧申請を支援する」は、閲覧許可を保証しない表現です。
「支援する、だけだと弱いです」
俺は言った。
副院長が微笑む。
「ええ。許可までは私一人では保証できないから」
「なら、申請期限を入れてください。いつまでも保留されると困ります」
「具体的には?」
「三日以内に一次申請。七日以内に評議会審議。否決された場合、理由を文書で提示」
オスカー記録官が少し驚いたように俺を見た。
「そこまで指定しますか」
「します」
俺は即答した。
「保留が一番困ります」
神託試問の結果も保留だった。
保留は、今すぐ死なないという意味では助かる。
でも、ずっと首に縄をかけられているような状態でもある。
「分かったわ」
副院長は条文を修正した。
【閲覧申請期限】
契約成立後三日以内に一次申請を行う。
七日以内に学園評議会審議へ付す。
否決時は、否決理由を文書化し、対象者および指定監督者へ開示する。
タイムラインが淡く光る。
【条件整合性:良好】
よし。
一つ取れた。
だが、まだ終わりではない。
副院長は契約書を閉じるように手を置いた。
「では、こちらからも条件を出すわ」
来た。
当然、向こうもただでは飲まない。
「学園はあなたを保護する。研究協力も、あなたの条件に沿って制限する。上位記録閲覧の申請も支援する」
副院長の声は穏やかだった。
「その代わり、あなたには三つ協力してもらう」
俺は姿勢を正した。
「内容を聞かせてください」
「一つ。編集操作の基礎訓練記録を、週一回提出すること」
「提出範囲は?」
「能力の成長段階、使用制限、事故防止策。個人の記憶や秘匿記録は除く」
「それなら検討できます」
「二つ。神託試問の公開可能部分、つまりA区分を学園評議会に提出すること」
「A区分だけです」
「ええ。B区分、C区分は本人および関係者の同意なしに閲覧しない」
リュミエルが確認する。
「その同意には、私とレオンの同意も含まれますね」
「含めるわ」
レオンは静かに頷いた。
副院長は三つ目を告げる。
「三つ。特異職科の正式訓練課程に参加し、三十日以内に能力の安全運用試験を受けること」
「試験?」
嫌な響きだった。
「内容は?」
「危険対象から不要な状態異常を切る。記録をコピーする。証言の誘導質問を検出する。人間対象の深層編集を拒否する。そういった安全確認試験よ」
「研究のための試験ではなく、安全運用の試験ですか」
「そう」
タイムラインが表示を出す。
【対話ログ整理】
発言分析:
安全運用試験は、学園保護の正当化材料になる可能性。
同時に、試験結果が管理強化の根拠に使われる危険あり。
推奨:
試験内容の事前開示。
再試験制度。
不合格時の措置明文化。
「試験内容の事前開示が必要です」
俺は言った。
「それと、不合格時の措置を明記してください。不合格だから即封印、みたいなのは受け入れられません」
副院長は頷く。
「妥当ね。不合格時は、追加訓練と再試験。即時封印は、暴走や重大事故がない限り行わない」
「試験の立会人は?」
「フィン先生、リュミエル、評議会指定試験官一名」
「評議会指定試験官にも異議申し立て権を」
「いいわ」
オスカー記録官が忙しそうに羽ペンを走らせる。
契約書が、どんどん分厚くなっていく。
俺は少しだけ苦笑した。
「これ、かなり面倒な契約になってませんか」
副院長は微笑んだ。
「面倒な契約は、面倒な人を守るために必要なの」
「俺が面倒な人扱いですね」
「自覚は?」
「出てきました」
リュミエルが小さく言う。
「遅いわ」
ひどい。
でも、否定はできない。
契約書の修正が一通り終わると、オスカー記録官が水晶板に内容を写し、魔導契約として整えた。
光の文字が、空中に浮かぶ。
【王立アルカディア魔導学園】
【特異職科所属アキト・アオキ保護契約】
【能力研究協力および台本外来訪者関連記録閲覧支援契約】
長い。
タイトルがすでにラノベ並みに長い。
俺は内容を最終確認した。
タイムラインが、すべての条文を照合する。
【条件固定 Lv.1】
本人同意:
確認
情報共有制限:
確認
タイムライン押収禁止:
確認
緊急封印措置条件:
確認
指定監督者:
確認
上位記録閲覧支援:
確認
安全運用試験条件:
確認
未解決リスク:
学園評議会による政治的圧力。
神殿からの外部干渉。
転生者狩り関連の未知脅威。
契約危険度:
中
締結可能。
「中か……」
思わず呟く。
副院長が聞く。
「何が中?」
「契約危険度です」
「低にはならないでしょうね」
「ですよね」
この状況で完全に安全な契約なんてない。
重要なのは、危険を見える形にすること。
曖昧なまま飲み込まれないこと。
俺はペンを手に取った。
魔導契約書は、署名すると魂の記述に薄く結びつくらしい。
重い。
普通の紙の契約とは違う。
「アキト」
リュミエルが静かに言った。
「無理に署名する必要はないわ」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
俺は契約書を見る。
これに署名すれば、学園の保護を受ける。
同時に、研究協力の義務も発生する。
安全運用試験も受ける。
上位記録保管庫への道も開く。
署名しなければ、自由ではいられるかもしれない。
でも、神殿や転生者狩りから身を守る足場がない。
どちらにもリスクがある。
なら、自分で選ぶ。
俺はペン先を契約書へ置いた。
「アキト・アオキ」
そう署名する。
一瞬、手が止まった。
その下に、契約書が勝手に薄い文字を浮かべる。
【青木明登】
前世名。
俺は、それを見て少しだけ息を止めた。
契約書が、俺の魂の記述を拾ったのだ。
副院長も、オスカーも、その文字を見た。
だが、誰も口にはしなかった。
リュミエルだけが、静かに俺を見ている。
俺は、もう一本線を引くように、その前世名の横へ小さく書いた。
【秘匿】
魔導契約書が反応する。
【前世名:秘匿記録として登録】
俺は息を吐いた。
これでいい。
青木明登を消す必要はない。
でも、勝手に晒させもしない。
続いて、カサンドラ副院長が署名する。
カサンドラ・イリス。
次に、フィン先生。
フィン・オルブライト。
そして、指定監督者としてリュミエル。
リュミエル・アークレイン。
彼女の署名が刻まれた瞬間、俺のタイムラインと星形護符がかすかに共鳴した。
最後に、記録官オスカーが証人として署名した。
契約書が淡く光り、文字が固定される。
【契約成立】
王立アルカディア魔導学園による保護契約が成立しました。
関連効果:
学園内における神殿の即時拘束権限を制限。
研究協力条件を明文化。
上位記録閲覧申請権を獲得。
緊急封印措置条件を固定。
称号候補:
【契約を編集した者】
取得しますか?
「また称号……」
俺は小さく呟いた。
ミラがいれば絶対笑っている。
契約を編集した者。
悪くはない。
でも、称号が増えすぎるのも怖い。
俺は一度保留した。
【称号候補を保留しました】
フィン先生が言う。
「どうした」
「称号候補が出ましたけど、保留しました」
「賢明だ。称号は増えればいいというものではない」
「そうなんですか?」
副院長が興味深そうに見る。
「称号は記述です。増えすぎると、行動の誘導が強くなる可能性があります」
リュミエルが答えた。
俺は少し驚いた。
確かに。
称号は力にもなるが、役割にもなる。
無闇に取れば、自分で自分に台本を貼ることになるのかもしれない。
また一つ、気をつけることが増えた。
その時、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえた。
副院長が眉を上げる。
扉がノックされる。
「入って」
扉が開き、学園職員が青ざめた顔で入ってきた。
「副院長、大変です」
「何があったの」
「北門の警備結界に、外部侵入反応がありました」
部屋の空気が一気に変わる。
フィン先生が目を細める。
「神殿か?」
「いえ……それが、識別符号が古すぎて照合に時間がかかっています。ただ……」
職員は、一度俺を見た。
嫌な予感がした。
「結界に残った紋章が、先ほど副院長が照会していた古い記録と一致しました」
カサンドラ副院長の表情が硬くなる。
「どの記録」
職員は震える声で答えた。
「転生者狩り部隊の識別紋です」
心臓が、冷たく跳ねた。
契約成立直後。
まるで、それを待っていたかのように。
過去に解体されたはずの影が、学園の門を叩いた。
俺はタイムラインを握った。
黒い石板が赤く光る。
【警告】
新規脅威反応を検出。
識別名:
【転生者狩り】
距離:
学園北門付近
状態:
侵入痕跡あり。
対象探索中の可能性。
俺は、小さく息を吐いた。
休む暇は、なさそうだった。
過去の記録を読む前に。
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