第38話 台本外来訪者
「台本外来訪者は、観察対象ではなく、保護対象かつ共同研究者とする」
俺――アキト・アオキがそう言った瞬間、副院長室の空気が静かに変わった。
カサンドラ副院長は、深い藍色の瞳を細める。
隣の記録官オスカーは、羽ペンを止めたまま俺を見ていた。
フィン先生は腕を組み、少しだけ口元を上げている。
リュミエル・アークレインは静かに契約書を見つめている。
レオン・グランベルは黙っていたが、その視線は俺の横顔に向いていた。
「観察対象ではなく、保護対象かつ共同研究者」
カサンドラ副院長は、俺の言葉をゆっくり繰り返した。
「いい言葉ね」
「ありがとうございます」
「でも、学園評議会は嫌がるわ」
「でしょうね」
俺は即答した。
観察対象なら、学園側が上から見られる。
記録し、分析し、管理できる。
でも共同研究者なら違う。
俺にも発言権がある。
拒否権がある。
記録の扱いに関われる。
都合のいい研究材料にはならない。
副院長は微笑んだ。
「分かっていて言っているのね」
「はい」
俺はタイムラインに手を置いた。
「俺は、自分が何者なのか知りたい。でも、そのために自分を差し出すつもりはありません」
「自分を安売りするな、だったかしら」
「はい。いい先生に教わりました」
フィン先生が顔をしかめる。
「俺をそういう場で使うな」
「褒めてます」
「余計に気持ち悪い」
ひどい。
だが、そのやり取りで少しだけ空気が緩んだ。
カサンドラ副院長は、契約書の灰色の条項に指を置いた。
【台本外来訪者に関する特別観察項目】
「では、この条項を書き換えましょう」
彼女が指先で文字に触れると、魔導契約書の文字が淡く光った。
灰色の文字がほどけ、新しい空白が生まれる。
「アキトくん。あなたの修正案を続けて」
「はい」
俺は深く息を吸った。
交渉はここからだ。
気を抜くな。
条件固定が、視界の端で淡く光っている。
【条件固定 Lv.1】
重要条件:
本人同意
共同研究者としての権利
記録閲覧範囲の制限
無断共有禁止
強制封印の制限
俺は言った。
「台本外来訪者に関する研究は、本人の同意を前提とする。研究目的、範囲、使用する記録、閲覧者を事前に明示すること」
オスカー記録官の羽ペンが走る。
「研究で得られた情報は、本人確認なしに神殿、貴族、軍、冒険者ギルド、その他外部組織へ提供しないこと」
リュミエルが小さく頷く。
俺は続けた。
「タイムライン本体の押収は禁止。閲覧は、俺の立会い、または指定監督者の立会いのもとで行うこと」
副院長が尋ねる。
「指定監督者とは?」
「フィン先生、リュミエル。必要に応じて、特異職科の監督体制に登録した者」
「レオンくんは?」
その問いに、レオンが少し反応した。
俺は一瞬迷った。
レオンはまだ完全な仲間ではない。
傷もある。
信頼しきれているわけではない。
でも、勇者候補補強式の検証に関しては、本人だ。
「レオンに関する補強式記録については、レオン本人の同意を必要とします」
レオンの目がわずかに揺れた。
「俺の同意……」
「お前の記録だからな」
俺は言った。
「俺が勝手に使っていいものじゃない」
レオンは黙った。
少しだけ、苦しそうな顔をした。
たぶん、これまで彼は自分の力を「神殿から与えられたもの」として扱ってきた。
自分の記録なのに、自分のものだと思えなかったのかもしれない。
カサンドラ副院長は、その反応を見逃さなかった。
「なるほど。勇者候補関連の記録についても、本人同意を組み込むのね」
「はい」
「神殿は嫌がるでしょうね」
「でしょうね」
「評議会も嫌がるわ」
「でしょうね」
「私も少し困るわ」
「そこは頑張ってください」
フィン先生が小さく吹き出した。
副院長は一瞬、きょとんとした顔をした後、楽しそうに笑った。
「あなた、ずいぶん言うようになったわね」
「訓練の成果です」
「本当にいい先生ね」
フィン先生はまた嫌そうな顔をした。
オスカー記録官が眼鏡を押し上げる。
「確認します。台本外来訪者関連記録について、学園評議会内部での共有にも本人同意が必要、という理解でよろしいですか」
「はい」
「それでは、評議会の監査機能が制限されます」
「全部を止めたいわけではありません」
俺は答えた。
「監査に必要な要約記録は出せます。ただし、前世名、人格、記憶、神託試問の秘匿部分、リュミエルの呪印、レオンの補強式詳細など、個人の生命や人格に関わるものは本人同意なしに開示しない」
オスカー記録官は羽ペンを止めた。
「前世名、ですか」
その瞬間、部屋の空気が少し重くなる。
俺は逃げなかった。
「はい。神託で呼ばれた名前です」
カサンドラ副院長は静かに言った。
「青木明登」
胸の奥が少しだけきしんだ。
でも、昨日よりは耐えられた。
「その名を、軽く扱われたくありません」
俺は言った。
「それは俺の過去です。でも、この世界の誰かが好きに開いていい記録ではありません」
リュミエルが、静かに俺を見た。
彼女の右手首の呪印も同じだ。
神に器と呼ばれた記録。
自由を望むと答えた記録。
それも、誰かが勝手に読むべきものではない。
副院長は微笑みを少しだけ薄めた。
「分かったわ。その条件は入れましょう」
意外だった。
もっと粘られると思っていた。
カサンドラ副院長は、俺の表情を読んだように言った。
「驚いた?」
「少し」
「私はあなたを研究したい。でも、壊したいわけではないの」
「研究したいは否定しないんですね」
「否定したら嘘になるわ」
正直すぎる。
やっぱり、この人は危険だ。
でも、少なくとも嘘で包んでくる相手ではないらしい。
副院長は契約書に新しい条文を刻んでいく。
文字が魔導紙の上で並び替わる。
まるで、本当に契約書が編集されているみたいだった。
俺のタイムラインが小さく震える。
【システム表示】
契約文の構造変化を検出。
対象:
学園保護契約草案
変更内容:
【観察対象】から【保護対象・共同研究者】へ変更。
本人同意条項を追加。
秘匿記録区分を追加。
神殿・外部組織への無断共有禁止を追加。
条件整合性:
おおむね良好。
警告:
緊急封印措置条項に未解決部分があります。
やっぱり、そこが残る。
俺は契約書の該当部分を見た。
【緊急時、学園長または副院長判断により、対象能力を一時封印できる】
修正はされている。
でも、まだ危ない。
「副院長」
「ええ。そこね」
彼女は最初から分かっていたように頷いた。
「緊急封印措置は、あなたにとって一番受け入れにくいでしょう」
「はい」
「でも、完全削除はできないわ」
「理由は?」
「あなたの能力が暴走した時、学園が何もできない契約には評議会が同意しないから」
正論だった。
俺だって、自分が絶対に暴走しないとは言えない。
人の心や記憶に触れる力。
世界の記述を揺らす力。
神の台本に注釈を入れた力。
危険性はある。
それをゼロだと言い張れば、逆に信用を失う。
リュミエルが言った。
「発動条件を限定しましょう」
副院長が頷く。
「提案は?」
リュミエルは、静かに言った。
「本人の同意なき心・記憶・人格への深層編集を実行しようとした場合。もしくは、周囲の生命に重大な危険があり、指定監督者が停止を必要と判断した場合」
「指定監督者は?」
「フィン先生、私、カサンドラ副院長。三者のうち二者以上」
俺は少し驚いた。
「リュミエル、副院長も入れるのか?」
「契約として成立させるには、学園側上層部の権限者が必要よ」
「でも」
「大丈夫」
彼女は俺を見る。
「私とフィン先生のどちらか一方だけでは発動できない。副院長だけでも発動できない。二者以上なら、独断は防げる」
なるほど。
完全には安心できない。
でも、現実的だ。
フィン先生も頷く。
「俺もその条件なら飲める」
副院長は少し考える。
「時間制限は?」
俺は答えた。
「最大三時間。延長には、本人の意識回復後の確認、または第三者医療確認が必要」
ノルンがいれば、治癒師として確認できるかもしれない。
今はここにいないが、条文には神聖科治癒師の確認も入れられる。
オスカー記録官が言う。
「封印対象の範囲は?」
「【編集操作】の発動抑制のみ。記憶、人格、身体拘束までは含めない」
カサンドラ副院長の目が、少しだけ細くなる。
「あなた、かなり具体的に準備してきたわね」
「準備しないと食われると聞きました」
副院長はフィン先生を見る。
「あなた、私のことを何と説明したの?」
フィン先生は平然と言った。
「信用しすぎると食われる相手」
「ひどいわね」
「間違っているか?」
「少しだけ」
「少しか」
副院長は楽しそうに笑った。
でも、その目は俺に向いていた。
「いいわ。緊急封印措置は、その条件で再修正しましょう」
魔導契約書の文字がまた変わる。
【緊急封印措置】
発動条件:
対象者が本人同意なき心・記憶・人格への深層編集を実行しようとした場合。
または、対象者の能力暴走により周囲の生命へ重大な危険が発生した場合。
発動承認:
指定監督者三名のうち二名以上の承認。
指定監督者:
フィン・オルブライト
リュミエル・アークレイン
カサンドラ・イリス
封印範囲:
【編集操作】の発動抑制に限定。
持続時間:
最大三時間。
延長には第三者治癒師または学園評議会指定監査役の確認が必要。
解除条件:
対象者の意思確認および危険状態の解消。
俺は条文を確認した。
タイムラインが反応する。
【条件固定 Lv.1】
重要条件との整合性を確認。
危険度:
中
注意:
学園評議会指定監査役の選定基準が未定義。
「監査役の選定基準が曖昧です」
俺が言うと、オスカー記録官の手がまた止まった。
カサンドラ副院長が笑う。
「本当に見逃さないわね」
「ここを曖昧にすると、評議会側が都合のいい人を指定できます」
「その通り」
「指定監査役は、本人および指定監督者のうち一名以上が異議を申し立てられるようにしてください」
オスカー記録官が、とうとう小さく息を吐いた。
「……これは、かなり厳格な契約になりますね」
「厳格でいいんです」
俺は言った。
「俺を守るための契約でもあり、俺が暴走した時に周囲を守るための契約でもある。曖昧な方が危ない」
副院長は、しばらく俺を見つめていた。
そして、静かに言った。
「その考え方なら、評議会を説得できる可能性があるわ」
「本当ですか」
「ええ。あなたは自分の自由だけを主張しているわけではない。自分の危険性も認め、その上で制御の条件を設計している」
彼女は契約書に最後の修正を入れた。
「それは、ただの危険能力者よりずっと扱いやすい」
「扱いやすい、という言い方は嫌ですね」
「正直すぎたわ」
「副院長、時々本音が漏れますよね」
「あなた相手には、下手に隠すよりその方が早いもの」
やっぱり危険だ。
でも、少しだけ交渉の形が見えてきた。
俺はタイムラインを見る。
【学園保護契約・初稿】
主要条件:
成立
未解決項目:
上位記録保管庫の閲覧申請
神託試問記録の閲覧区分
台本外来訪者に関する過去記録
俺は副院長を見た。
「次に、上位記録の閲覧についてです」
副院長は頷く。
「ええ。あなたが知りたいのは、台本外来訪者と転生者狩りについてでしょう?」
フィン先生の眉がわずかに動く。
「カサンドラ」
「隠しても仕方ないわ」
副院長は机の引き出しから、一枚の古い黒封筒を取り出した。
そこには、赤い封蝋が押されている。
学園の紋章ではない。
剣と羽根と、割れた聖印のような紋章。
「これは?」
俺が聞くと、副院長は静かに答えた。
「台本外来訪者に関する、最も古い学園記録の写しよ」
オスカー記録官が驚いた顔をする。
「副院長、それは評議会承認前の開示に当たります」
「全文は開示しないわ。表題だけ」
副院長は封筒の表面を俺たちに向けた。
古い文字が、そこに刻まれている。
【台本外来訪者対応記録】
【第一号個体:ナツキ・シノハラ】
【処分記録:転生者狩り部隊へ引き渡し】
俺は、呼吸を忘れた。
ナツキ・シノハラ。
日本人の名前。
俺と同じように、この世界へ来た誰か。
そして、その人は。
転生者狩り部隊へ引き渡された。
「……処分記録?」
声が、かすれた。
「保護じゃないんですか」
カサンドラ副院長の表情から、笑みが消えた。
「昔は、そう呼ばれていなかったの」
部屋の空気が冷たくなる。
レオンが低く言う。
「転生者狩り部隊とは何だ」
フィン先生が苦い顔をした。
「神殿直属の古い異端対策部隊だ。今は解体されたことになっている」
「ことになっている?」
俺は聞き返す。
嫌な予感がした。
副院長は、黒封筒を机に置いた。
「神託試問の発生後、学園の監視網に古い識別符号が引っかかったわ」
「古い識別符号?」
「転生者狩り部隊が使っていたもの」
心臓が、嫌な音を立てた。
副院長は静かに告げる。
「アキトくん。あなたの存在は、昨日の神託で王都中の神殿系統に知れ渡った可能性が高い」
「つまり」
喉が乾く。
「転生者狩りが、俺を狙うかもしれない?」
副院長は否定しなかった。
「解体されたはずの組織が、まだ動いているなら」
その瞬間、タイムラインが赤く光った。
【警告】
新規脅威情報を検出。
識別名:
【転生者狩り】
関連項目:
台本外来訪者
神殿保護
処分記録
ナツキ・シノハラ
神の直接校正
未回収の謎を更新しました。
俺は、黒封筒を見つめた。
神殿の次は、転生者狩り。
まったく、休ませてくれない世界だ。
でも、同時に思った。
ナツキ・シノハラ。
その人が、もし俺と同じようにこの世界へ来ていたなら。
そして、誰にも助けられずに処分されたのなら。
俺は、その記録を見なかったことにはできない。
カサンドラ副院長が静かに言った。
「契約を結ぶかどうかは、あなたが決めなさい」
俺は、契約書と黒封筒を見比べた。
自分を守る契約。
過去を知るための鍵。
そして、新しい脅威。
神の台本に注釈を入れたばかりなのに、次のページはもう血の匂いがしている。
俺はタイムラインを握った。
「契約は、こちらの修正条件が反映されるなら前向きに進めます」
副院長が頷く。
「ええ」
「ただし、上位記録の閲覧申請も同時に出してください」
「理由は?」
俺は黒封筒を見た。
「ナツキ・シノハラの記録を読みたい」
その名前を口にした瞬間、胸の奥で何かが静かに鳴った。
俺と同じかもしれない誰か。
台本外から来た、最初の人。
その人の物語は、きっとまだ終わっていない。
少なくとも、俺が読むまでは。
副院長は、静かに微笑んだ。
「分かったわ。申請しましょう」
その笑みは、さっきまでとは少し違って見えた。
試す笑みではなく。
これから大きな扉を開ける者の顔だった。
交渉は終わっていない。
契約もまだ完成していない。
でも、新しい章の扉は、確かに開き始めていた。




