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第3話 世界の記述

「それはたぶん、神殿に知られたら消される力よ」


銀髪のエルフの少女は、そう言った。


冷たいダンジョンの通路。

潰れたポイズンスライムの残骸。

紫色に焼けた石床。

その中心で、俺――アキト・アオキは、少女の言葉を理解できずに固まっていた。


消される?


俺が?

神殿に?


「……いきなり物騒すぎないか」


なんとか声を絞り出す。


冗談めかしたつもりだった。

でも、喉が乾いていたせいで、情けないくらいかすれていた。


少女は笑わなかった。


長い耳。

翡翠色の瞳。

白と青を基調にしたローブ。

胸元には、王立アルカディア魔導学園の紋章らしき銀の刺繍。


年齢は俺と同じくらいに見える。

けれど、その瞳だけは違った。


まるで何十年も世界の裏側を見てきたみたいに、静かで、冷たい。


「冗談じゃないわ。あなた、今、自分が何をしたか分かっているの?」


「ポイズンスライムを倒した」


「違う」


即答だった。


少女は一歩、近づいた。


俺は反射的に身構える。


武器はない。

魔力もほとんどない。

左腕は痛む。

指先は毒粘液で赤く腫れている。


正直、今の俺はスライムに勝っただけで限界だった。


それでも警戒する。

もう、簡単に誰かを信じる気にはなれなかった。


少女は俺の反応を見て、足を止めた。


「……警戒するのは当然ね。さっきまで仲間に捨てられていたみたいだし」


「見てたのか?」


「全部ではないわ。でも、あなたの称号が変化した瞬間は見えた」


「称号が……見えた?」


「私は、少し特殊なものが見えるの」


少女は右手を軽く上げた。


その指先に、小さな光の粒が集まる。

星屑みたいな光だった。


魔法陣が浮かぶ。

けれど、攻撃魔法ではなさそうだった。


「動かないで。治療するだけ」


「信じろって?」


「信じなくていいわ。動いたら、たぶん傷口が悪化するだけ」


「言い方」


「事実よ」


淡々としている。

でも、不思議と悪意はなかった。


俺は数秒迷ったあと、左腕を差し出した。


少女は俺の腕に触れない距離で、光をかざす。


温かい。

毒で焼けたような痛みが、ゆっくり引いていく。


【システム表示】


状態異常:

【軽度毒傷】


外部治癒魔法により回復中。


「……すごいな」


思わず呟いた。


少女は少しだけ眉を動かした。


「この程度で?」


「俺にとっては十分すごい。さっきまで死にかけてたからな」


「……そう」


彼女は視線を逸らした。


ほんの少しだけ、耳の先が動いた気がした。


それから彼女は、俺の目を真っ直ぐ見た。


「あなたの名前は?」


「アキト。アキト・アオキ」


「アオキ……聞いたことのない家名ね」


「まあ、この世界の家名じゃないしな」


言ってから、しまったと思った。


転生者だと自分から匂わせる必要はない。


少女の瞳が細くなる。


「この世界の、家名じゃない?」


「……ただの言い間違いだ」


「嘘が下手ね」


「よく言われる」


「誰に?」


「前世のスタッフに」


「前世?」


またやった。


俺は額を押さえた。


だめだ。

疲れている。

警戒しなきゃいけない場面なのに、口が滑る。


少女はじっと俺を観察していた。


だが、追及はしなかった。


「私はリュミエル・アークレイン。王立アルカディア魔導学園、魔導科の特待生」


「学園の生徒が、なんでこんなダンジョンに?」


「実習調査よ。表向きはね」


「表向き?」


「この階層で、ステータスの異常変動が観測されたの。だから確認に来た」


リュミエルは、潰れたポイズンスライムの残骸を見る。


「あなたが原因だった」


「俺が?」


「ええ。あなたが毒を切り取った瞬間、この階層の記述が揺れた」


また出た。


記述。


さっきも彼女は言っていた。


「その、世界の記述って何なんだ?」


「普通の人には見えないものよ」


リュミエルは通路の壁に手をかざした。


淡い光が走る。


すると、石壁の表面に、細い文字のようなものが浮かび上がった。


俺には読めない。

けれど、そこには確かに何かが書かれていた。


まるで、世界そのものに細かい設定資料が刻まれているみたいだった。


「この世界のあらゆるものには、情報がある。名前、性質、状態、役割、履歴。神殿はそれをステータスと呼ぶわ」


「レベルとか、職業とか、スキルとか?」


「そう。でも、それは表面だけ。私たちが普段見ているステータスは、世界の記述の一部を切り出したものにすぎない」


リュミエルは俺を見た。


「あなたは、その記述そのものに触れた」


俺は自分の左手を見る。


さっき、毒を切った。

粘着を切った。

石壁の支えを切った。


ただの状態異常や物理現象じゃない。


世界に書かれた情報を、編集した。


そういうことなのか。


背筋が冷える。


便利だと思うには、危なすぎる。


「……神殿に知られたら消されるっていうのは?」


「神殿は、ステータスを神の恩寵として管理している。職業も、称号も、加護も、呪いも、すべて神が与えたものだと教えているわ」


「まあ、そう聞いてる」


「その神の記述を、人間が勝手に切ったり貼ったりできるとしたら?」


リュミエルの声は静かだった。


「神殿にとっては異端どころじゃない。存在そのものが禁忌よ」


俺は笑おうとした。


でも、笑えなかった。


追放されたと思ったら、今度は神殿から消されるかもしれない。


この世界、俺に厳しすぎないか。

難易度設定バグってるだろ。


「つまり俺は、外れ職どころか危険人物ってことか」


「正確には、危険な力を持った無知な人間」


「言い方が刺さるな」


「でも事実でしょう?」


「否定できないのがつらい」


リュミエルは少しだけ息を吐いた。


笑った、というほどではない。

けれど、ほんのわずかに表情が緩んだ。


その瞬間、彼女の印象が少し変わった。


冷たいだけじゃない。

この子はたぶん、感情を隠すのがうまいだけだ。


「それで、リュミエルは俺をどうするつもりだ?」


俺は聞いた。


助けてくれた。

治療もしてくれた。

でも、だからといって味方とは限らない。


レオンたちだって、最初は仲間だった。


リュミエルは俺の問いに、すぐには答えなかった。


代わりに、俺のステータスを見ているような目をした。


「あなたの称号」


「称号?」


「【世界から見捨てられた者】。普通なら呪いに近い称号ね。周囲からの信頼補正を下げ、魔物の敵意を引きやすくする」


「最悪じゃないか」


「ええ。最悪よ」


あっさり言うな。


けれど、リュミエルは続けた。


「でも、妙な空白がある」


「空白?」


「神殿系の監視記述から、一部だけ外れている。まるで、世界の管理表から名前が半分消えているみたい」


「それって良いことなのか?」


「普通なら悪いこと。でも、あなたの場合は違う」


リュミエルの瞳が、真剣な色を帯びる。


「神に見捨てられたということは、神の目から少し外れているということでもある」


その言葉に、俺は息を止めた。


世界から見捨てられた者。


最低の称号だと思っていた。

実際、魔物に狙われるし、人からの信用も下がるらしい。


でも。


見捨てられたからこそ、見つからずに済む?


まるで、番組の本編から削除された未使用カットみたいに。

誰にも注目されない。

けれど、そこにだけ残せる真実がある。


「皮肉だな」


「ええ。ひどい皮肉」


リュミエルはそう言ってから、周囲に視線を走らせた。


「長話しすぎたわ。ここはもう危険」


「魔物が来るのか?」


「魔物だけならまだいい」


リュミエルは指先で空中に魔法陣を描く。


星屑の光が広がり、俺たちの周囲を薄い膜のように包んだ。


「記述の揺れを感知した神殿の監視術式が来る」


「監視術式?」


「簡単に言えば、神殿がダンジョンに置いている目よ」


「目って……」


その時だった。


通路の奥が、白く光った。


小さな光球が浮かんでいる。


いや、違う。


それは目だった。


白い球体の中心に、金色の瞳孔がある。

まばたきもせず、こちらを見ていた。


ぞわり、と肌が粟立つ。


見られている。


人間でも、魔物でもない。

何か冷たいものが、俺という存在を数値として測っている。


【システム表示】


警告。

外部鑑定干渉を検出しました。


対象:

アキト・アオキ


ステータス開示要求を受信。


「開くな!」


リュミエルが鋭く叫んだ。


俺は反射的に、表示から意識を逸らす。


白い目が近づいてくる。


リュミエルの結界が、ぱきん、と音を立てた。


「くっ……やっぱり神殿式。強引ね」


「どうすればいい?」


「あなたのスキルで、干渉線を切れる?」


「そんなこと言われても、やったことない」


「今やらなきゃ、あなたの情報が神殿に送られる」


無茶を言う。


でも、やるしかない。


俺は白い目を見た。

怖い。

逃げたい。

でも、ここで逃げてもたぶん終わる。


編集画面を思い出せ。


映像には線がある。

音にも線がある。

素材と素材を繋ぐ、見えない関係線。


今、俺とあの目の間にも、何かが繋がっているはずだ。


探せ。


見るんじゃない。

構造を読め。


「……編集操作」


視界が青く染まる。


世界の輪郭が分解される。


石壁。

空気。

リュミエルの結界。

白い目。

そして、そこから伸びる細い金色の線。


金色の線は、俺の胸元に向かって伸びていた。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:外部鑑定干渉線

属性:【神殿式監視】

強度:高


実行可能操作:

【カット】


成功率:

二十三パーセント


「成功率、低っ……!」


「何が見えたの?」


「線は見えた。でも成功率二十三パーセント」


「十分よ」


「どこが!?」


「ゼロじゃない」


なんて体育会系なエルフだ。

いや、魔導科だけど。


俺は奥歯を噛みしめた。


普通に切ろうとしたら、失敗する。

なら、全部切るんじゃない。


一番細い部分。

結界にぶつかって、干渉線が歪んでいる場所。

そこだけを狙う。


映像のノイズ除去と同じだ。

全体を削れば画質が壊れる。

ノイズの周波数だけを狙う。


「線の、歪んだところだけ……」


俺は指を伸ばした。


金色の線に触れる。


冷たい。

指先から頭の奥まで、氷を流し込まれたような感覚が走る。


知らない誰かの声が聞こえた。


――開示せよ。


――記録せよ。


――異常値を報告せよ。


うるさい。


俺は、誰かの資料じゃない。


「カット!」


ぶちん、と音がした。


金色の線が切れた。


同時に、白い目が激しく震える。


中心の瞳孔がぐらりと揺らぎ、光が乱れた。


【システム表示】


外部鑑定干渉を遮断しました。


【編集操作 Lv.1】の熟練度が上昇しました。


精神負荷により、軽度の疲労を受けました。


「ぐっ……」


頭が割れるように痛んだ。


膝が崩れる。


倒れかけた俺の腕を、リュミエルが支えた。


細い腕なのに、意外と力がある。


「成功したのね」


「たぶん……」


「たぶんじゃないわ。監視の目が消える」


リュミエルの言う通り、白い目は光を失い、空気に溶けるように消えていった。


だが、完全に安心はできなかった。


消える直前。


白い目の中心に、赤い文字が浮かんだからだ。


【神殿記録】


未確認異常を検出。


座標送信、一部失敗。


再調査対象:

王都地下ダンジョン第七階層。


「……一部失敗ってことは」


「完全には隠せなかったわね」


リュミエルは静かに言った。


「時間がない。神殿の調査員が来る前に、ここを離れる」


「どこへ?」


「私の隠し研究室」


「いきなり怪しすぎる」


「ここに残って消されるよりはマシよ」


正論だった。


めちゃくちゃ怪しい。

でも正論だった。


リュミエルは俺の腕から手を離し、背を向ける。


「歩ける?」


「歩ける。たぶん」


「その“たぶん”は信用しない。ふらついたら言って」


「優しいのか厳しいのか、どっちなんだ」


「両方よ」


そう言って、彼女は先を歩き出した。


俺はその背中を追いかける。


まだ信用したわけじゃない。

でも、少なくとも彼女は俺を置いていかなかった。


それだけで、胸の奥が少しだけ痛んだ。


レオンたちに見捨てられた直後だからだろうか。


誰かが「ついてきて」と言ってくれるだけで、こんなにも救われるなんて。


「アキト」


前を歩くリュミエルが、こちらを見ずに言った。


「あなたの力は危険よ」


「分かってる」


「たぶん、あなた自身が思っているよりずっと」


「……それも、なんとなく分かってる」


「でも」


リュミエルは少しだけ立ち止まった。


そして、静かに振り返る。


「その力でしか救えないものも、あるかもしれない」


彼女の右手首に、黒い文字のような痣が見えた。


一瞬だった。

袖の隙間から覗いただけ。


けれど、俺の視界には表示が浮かんでしまった。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:リュミエル・アークレイン


状態:

【神約の呪印】


実行可能操作:

【カット】


警告:

対象の生命維持記述と接続されています。


安易な編集は、対象の死を招きます。


俺は息を呑んだ。


リュミエルは、それに気づいたように袖を押さえる。


「……見えたのね」


彼女の声は、初めて少しだけ震えていた。


俺は何も言えなかった。


神殿に知られたら消される力。


その力が今、目の前の少女の命に絡みついた呪いを、確かに捉えていた。

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